中伊豆ドライブ続きです。

毎度、構図に四苦八苦しているこのバス停をもう一枚撮ったあとは、この先日本経済が厳しくなる中であっても、ずっとこの宿を楽しみたいと願いながら、宿のみなさんに謝意を伝えつつ、
伊豆縦貫道を北上し、帰路がてらまずは
伊豆の国パノラマパークへ向かいます。富士山が綺麗に見える快晴。

ロープウェイに乗って、富士山が見えて来ました。
2050年になる頃には、鬼籍に入っているやもしれませんが、あるいは支えられるほうになっているかもしれませんが、
おおむね1人の若者が1人の高齢者を支えなければならない時代が到来します。移民政策を取ったとしても、日本の若い世代が苦しむことに変わりはないように思います。

山頂到着。小笠原諸島から伊豆半島を通って富士山まで続く火山帯の痕跡。遥か太古は激しい地殻大変動があったのだと想像しながら、今は美しい富士山と箱根、伊豆など温泉が楽しめる有り難い時代だと思い巡らせ。
1人が1人の老人を支える。自身も食べて、家族も養い、親の面倒も見ながら。現状でも年収300万円時代と言われていたのが、気づけば200万円時代であるのに、この先の疲弊を勘案しなくとも、不可能と言っていいレベルだと思います。

駿河湾も同じような雰囲気で一枚。国際的には太平洋に属するフィリピン海にある駿河湾。日本一深い湾です。海底から富士山頂までだとおよそ6,000m。ここで獲れる
タカアシカニはその味噌が逸品だと思います。
来る2050年や2060年を待たなくとも、2030年、2040年と向かうに従い、いやもっと早い段階で、日本列島から壮絶な悲鳴が聞こえ、軋轢だらけになることでしょう。今や実は江戸時代なら一揆が起こっていた年貢率を超えている場合もあります。年収300万円ならば切りつめてもほぼすべて支出となるので家賃以外の手取り分すべてから、消費税という名目でさらに8%上納することになります。これから長いタームとしては根本的かつ全体的な解決策はないに等しく、海外移住を考えるか、開き直るか、一人ひとりの防衛策を全力でやるしかないと思います。

昆虫というものは宇宙からの外来生物である、という都市伝説があるほどに、その造りが異なるわけですが、カニやエビは
節足動物という生物学的に便宜上分類されてた地位から、近年は遺伝子的にも蜘蛛と祖先が同じかもしくは親戚のようだ、ということまで分かってきたそうです。を知ると、なぜかおいしさダウン。ネガティブな話をしてしまいました。エビやカニはもっとネガティブな話もありますが、とくに越前カニなどのズワイガニは、春までのシーズンに一度食べに行きたいと思っています。そして実は昆虫どころか植物も負けじとすごい造形、とカメラをやるようになってから思いました。植物を間近で見ると、まるでエイリアンそのものです。いや人間の部位や器官も見方によっては怖い世界であり、あるいは精密な造りを思えば、とんでもない芸術性もあるのかもしれません、という感覚はちょっと危ないかもしれませんが。

パノラマパーク山頂を散策。小一時間は歩けるアップダウンありの散歩道。
昭和50年代には、いやその前から人口減が分かっていたという話もありますが、少しは人口が増やせたかもしれないラストチャンスな団塊ジュニアの層も期待できず、そもそも「国家百年の計は教育にあり」という中で、教育は票に繋がらず、結果としてこれだけの識字率と教養を誇る国民を擁しておきながら、国力が駄々下がり真っ最中なのは、もう少しマインドと考え方を育ててきたほうがよかったのではないかと思います。戦後の様々なアレルギーの中で一定の考えを如実に押し付ける難しさもあったのだとは思いますが。

富士山をトリミングして
宝永第一火口。すごい時代です。
遡ること16年前の2000年。文部省の官僚であり広告塔の役目もした
寺脇研氏の講演を見る機会がありました。「競争から共生へ」、何度もおっしゃっていたメインテーマでした。まだ社会人になったばかりの私でも「何を言っているんだ」と憤りを覚えたものです。思うに、生きとし生けるものはすべて生存競争をしているのであって、にも関わらず、国をあげて共生だ、と生ぬるいことを発しはじめた。そのような方向へ持って行ったさらに遡った先人にも責任はあるのかと思うのですが、総括するのであれば、ときの文部省にも教育というものをより劣化させた重い責任があるように思います、と言っても何もはじまらないのですが。

街をトリミングして沼津と三島の一部を俯瞰。これだけ見える怖い時代です。俯瞰、つまり全体を見渡す立場、あるいはそのような役割を預かるものは、俯瞰したくともできない階層にいる人を思えば、しっかりと見渡し、目を凝らしとにかく見て気づくという役割も遂行しなくてはならず。
そんな憤りも感じた若いころ、自らできる範囲で人を育て、あるいは教育というファクターに関わっていこうとも思い、今日まで七転八倒ばかりの八起きもしてきました。これから10年、20年、さらにはその先も壮絶な時代が必ず来ると思っています。そのような時代でも立派に社会で役立てる人を作りたい、できれば大きく役立つ人を。そのためには自らも成長しなくては、がカメラ趣味にはまり。

同じようなパターンで、こちらはコンデジ。
厳しさが増す一方で、大きなチャンスもたくさんあることでしょう。地殻変動レベルに日本経済が変わっていきます。チャンスを掴むためには、チャンスを掴めるだけの成長と準備をしておかなければならない、とも思っています。そして厳しい時代にどの方向へ舵を切っていくのか、船長、あるいはリーダーには重要な役割と遂行する強靭さが求められ、蚊帳の外。
三万円少々出せばこれだけの技術を享受できる時代。数百万画素時代のズームオリジナル画像ぐらい、いやそれより綺麗かもしれません。

街をトリミング。三万円出しても、これだけのカメラを自分で作ることなど不可能です。いやどうやっても作れません。やはりいい時代です。しかも何枚撮ってもランニングコストもかかりません。フィルム時代では一枚が貴重なので、こんなところで景色だけを何枚も撮れませんでした。なんと恵まれた時代に生きているのか。

いや、デジカメ時代になっても、当初は記録メディアの容量もなく、余計な風景写真など撮れて1~2枚、そんな時代もありました。

もみじのトンネルを通って。
頭を使い「心底考えた」と実感できるほどに、考えるという行為をしたことが三度の機会あります。一つの機会は子供が生まれたとき、猛勉強し考え抜きました。子供の人生を導くにあたり20年、30年先、いやその先もまでも考え、様々なケーススタディも想定した帰納法で。方針によってはゼロ歳児から取り組むこともあるので、いつまでも考えられません。一定期間内に決めなければなりません、最善を。

昼食は静岡県を中心に展開する「
沼津魚がし寿司」。ささっと食べられるネギトロ丼を掻き込んで子供の相手。
同じようにもう一つの機会としては、社会へ出てから、猛勉強し考え抜きました、長いスパンの未来を想像しながら、原理原則と睨めっこして、どう進んでいくべきか。ときには空を仰ぎながら来る日も来る日も未来の社会がどうなっているのかシミュレーションするのに、ゴマ粒程度の脳みそが爆発するんじゃないかと思うくらい考えました。
伊豆修善寺 虹の郷(にじのさと) 花と緑の公園。
残る一つの機会は、似たように万馬券を2回中、2回とも三通りだけ買って当てたとき頭を使いました。全紙のデータを頭に叩き込んで頭の中で映像としてシミュレーションを何度もし、言ってみれば考え抜きました。非常に疲れる行為であり、コスパが悪いので競馬は二回以降やっていませんが、人生も子供も考えに考え抜いたのは一定期間だけです。あとは多少の修正はしながらも、大筋は考えたことに全力かつ一糸乱れぬように行動を合わせ、想像もしなかった試練は乗り越えるのみの、努力のみ。人生だらだら考えるのではなく、集中して考え抜いて、あとはそのことは考えない、人生そんなときも必要かもしれません。

伊豆市の第三セクターが運営する虹の郷が誇るロムニー鉄道。さすが第三セクター、サービスクオリティがてんでバラバラのせいか、いつきてもガラガラです。

そんな伊豆の車窓から。ここでも富士山が綺麗に見えました。薄っすらピンク。

望遠ではなく、トリミングの良点としては、圧縮効果がなく本来の形により近い描写ができることです。

望遠の圧縮効果では、飛行機も機種によっては前後がやたら短く写ったり、だいぶバランスがおかしくなってしまいますが、トリミングであればその心配がありません。もちろんケースによっては圧縮効果のよさもありつつ、1億画素まで行くと望遠への感覚も変わり、選択肢が増えてくるかもしれません。

天候は不思議なものです。この15分後には富士山がいったん雲に覆われて見えなくなりました。天気の予報を気にするくらい、経済の予報も気にしたい、みんなで。

終点で降りて、少しだけ散策し、帰りは園内バスです。ダイヤ構成もちょっとした気遣いも、利用者目線なし、それがいつの世も第三セクター。動かざるごと山のごとし級にどの時代も変わらない、という意味では太古より変わらず生存してきたゴキブリ並みに貴重なことかもしれません。もっと多くの人が楽しめれるように出来ると思うと、そして伊豆で遊んでいく人も増えると思うと、もったいない。でもそんなところもお茶目に感じます。

同世代の中では、残念ながらトップを走れていませんが、客観的にはトップクラスのトベぐらいには残留してこれたかなと、思っています。同世代の平均値のような感覚になりたくて憧れみたいなものもあって、という理由でこのみんカラもスタートした経緯がありました。

やがて行った先を記しておこうと思うようになり、カメラの話題も増えつつ、同じところばかり行っているのでマンネリ解消も含め、粘りだけはある納豆一粒ほどの脳みそながら一国民同士で何かのナレッジみたいなものの投げ合いや共有していくことも大切だと思いつつ、余計な記載もはじまったように思います。やがてご家族との交流にブログを活かしている方を見て、子供へ伝えておきたいことも盛り込んでおこう、というブログ使用の変遷を辿ってきました、が

企業規模と成長性、加えて日本における自動車マーケットの縮小を鑑みるに、このみんカラが二十年後に果たしてあるのだろうか、という継続性にはかなり疑問符が付きそうです。継続性という観点だとgoogleブログが一番固いかもしれません。いよいよなときはブログというものは引っ越しでもできるようですので、カメラ好きも多いこのみんカラの住民でまだまだいさせてもらいたいと思っています。
暗くなってきましたが、山梨の河口湖を目指します。ほうとう食べに。

東名を御殿場で降りて、闇に消えゆく漆黒の存在感な富士山。

道中、まだまだ驚異の存在感を放つ富士。

富士五湖道路にて富士山を狙って、あとで明るさをあげて見れるはず

で見れました。だいぶ画像は汚くなりますが。

これも同じく。肉眼では闇の中、薄っすらとさらに黒い存在感をまだ感じ。
小作、河口湖店。ほうとうで体を温めて帰りました。

往復約370kmのドライブを楽しみました。
いい時代のうちに、
ドライブへ行こう。