
年越し。そして新年。2016年になりました。あけましておめでとうございます。
過去のことがまた一つ、昔話になり鮮度も落ちていきます。ゆえに常に新しい努力も重ねて、と年始早々戒めながら。

三世代で氏神様へ初詣。まだ紅白歌合戦がやっている時間、少し早めに到着。もう少し大きくなれば海外での年越しや、あるいは私の親も年ゆえに、ずっと続く何回もある機会とは思わないで噛みしめて。噛みしめると言えば若いころから家人に「なかなかないことなんだから、有り難いのだから、感謝しなよ」と小姑のように言われ続けた以心伝心。

宇佐神宮を総本社とする、八幡神を祭る近所の
八幡宮。もう少し歩くとさらに大きな神社があるのですが、そちらは1時間以上も並ぶということで、こちらへ。
ちなみに宇佐神宮はときの天皇が伊勢神宮よりも重要視をしたときもあり、あるいは邪馬台国九州説の一つの根拠となっているところでもありますが、地面を掘り起こすとなんか出てくるのではないかと思っています。とくに宇佐神宮は本山のほうで立ち入り禁止エリアが多く、なんかありそうな気がしています。そういうところ多そうですが、文科省はもとより、宮内庁はなかなか認めませんね。その理由も察しますが、あまり最近過ぎると文化的摩擦が大きいだけで、遅かれ早かれ日本人はみな大陸から来ているのでいいのではないかと。

もう少しで2015年が終わりを告げるように、お焚きに火が入りました。
天皇制、皇族、あるいは一度は大きな帝王にまでなった王族が残る国。世界的にも少数派であり、定義によっては世界最長でもあり、なわけで、これからもずっと大切にしてほしい礎であり、文化の一つだと思う国民の一人です。
この神社は非常に気遣いがよくてびっくりしました。弓打ちに、お祓いも年越しの参拝者全員にしてくれ、さらにはなんと温かい飲み物まで。ご近所の喫茶店プレゼンツだそうです。家人に話すと「あぁあそこの汚いコーヒー屋?」というので、そんな言い方はないだろう、と言うと、「まぁ美味しかったけど」と。女性は清潔感が気になるようです。

この日は写真係にビデオ係、でまともに参拝できませんでしたが、心の中で祝詞は伝えつつ。祝詞は若いときから親に叩き込まれています。信仰心は強すぎれば、ことに一神教の場合、排他性を生むので戦いになりやすいですが、ある程度のもしくは緩やかな信仰心というものはあったほうが社会生活上円滑さと治安の維持につながると思います。とくに日本やタイを見るに、仏教はそのような方向に働きやすいと思います。持っているおもちゃを置いて1歳の子供が神棚に手を合わせ、テレビに仏様が出てくればおじぎをし、それらのときは鳥肌が立ちました。なんでも伝えていくと吸収していきます。私も教わってきたことを伝え。性善説か性悪説か、人間社会を挫けずに生きる上で役立つそんな話もまたいずれ。

だんだんと人も増えてきました。
その昔から弾圧に起因して隠れでキリスト教の方などもいましたが、日本人は基本ほぼ全員が、世界的にはマイノリティたる、元々は仏教徒のはずです。あるいは具体的な信仰がなくとも、まだ知らない間に仏教徒に属している人も多いと思います。江戸時代はお寺で戸籍管理をしていた関係で昔は「うちは浄土真宗○○派だよ」などと家ごとに必ずあったはずなのですが、近年は「無宗教です」がだいぶ大勢を占めるような気がします。どこかに属していても「無宗教です」で通す方もいるようですが。恥ずかしながら私も多くの日本人が属する、クリスマス、初詣、山岳信仰、なんでもありの多宗教です。多宗教と記すと三マタ、四マタのように、より節操なく感じるから不思議です。

ときには武力も使いキリスト教が地球を支配しつつある大勢を思えば一時的なのかもしれませんが、英語圏の若者でも無宗教という人もぽつぽつ増えているそうですが、ご存知の方も多いかと思いますが、基本的に海外で「無宗教」というと、変人扱いされるか、ときには危険思想だと見做されます。こいつは何を考えているかわからないぞ、と。多宗教なんていうと、何をされるのか。

キリスト教圏であり、かつ先進国の雄たるアメリカでは、聖書と整合性が取れないダーウィンの進化論はあまり教えないか、スルーするところもあります。つまり教えない。この時代に我々多くの日本人からすると意外なことかもしれません。

劣等生の一因にもなってしまいましたが、私は歴史というものを中学からずっと学生の間は、学問に内在する歴史以外は、ほぼ学びませんでした。時の政権や権力にこんな都合よく作り替えられ学ぶ価値はなく、かつ考古学者や歴史学者などが半ば妄想レベルで適当に調べたことなど信用ならん、と思っていました。

しかし、歴史の醍醐味は、点と点を実証し、論理で線として繋げ、ときにはどの時代も変わらない人間の本質や機微というものを想像で当てはめ、肉付けしていくと、それなりの精度でときの政権や人々の暮らし、文化の起因やその意味に必然などの実像というものが浮かび上がってくるのではないかと、今では思い、もっと学んでおけばよかったと後悔しています。

日本がなぜ日本というのか、あるいは英語ではなぜジャパン、フランス語ではジャポンとなぜ言うのか、も知ると面白いものです。ぜひこちらのyoutubeをご覧いただけたらと思います。
「
中国方言 ニッポンの発音」これがシルクロードで伝わっていく過程で、あるいは伝わった向こうでジャパンやジャポンになったのがよくわかります。この動画の正確性は不明確ではありますが、狭い日本でも本気の方言になると何を言っているのか分からない地方もあります。広大な中国ではなおさらであり、その雰囲気が掴めるだけでも面白いと思います。

海外へ行くと、自国や出身国の歴史や文化を話せないと恥ずかしいといいます。理由は簡単で、人が会い、または集まれば「今日はお天気がいいですね」とまずは自然と一番無難な天気の話しになるのと同じく、多くの国や文化から集まった大陸系ではおのずと「お前のところはどんなところだ」「この風習はどんな意味があるんだ」「日本ってこんな歴史あるんだろ?」という話題になりやすいゆえなわけです。答えられないと「こいつから話を聞いても役に立たない」と情報ソースとしての信頼性が大きく傷つくことになるのでしょう。
ちなみに海外へ行って一番苦労した単語が、現地のビジネス英語も流暢に操る駐在な後進も含め「ガムテープ」でした。ベビーカーは英語でストローラーといい、和製英語と英語が時として分からなくなり、ホームセンター(も和製英語)でガムテープの英語が出てこない、盲点でした。というほど、英語に強くないですが。子供からすると父方の祖父は数か国語操り、現地に行けば二週間でだいたいどこの言葉でも話せるようになった言語能力を私は引き継げなかったようですが、子供には引き継いでいるような「行こうか?」というとゴーゴーと答える隔世遺伝。

海外に行った際、または国内でも外国の人から、その文化を知りたいがために聞くときは、まず何名かに同じようなことを聞いていきます。その中から信頼性が高く、教養もあり、かつ社会をよく知っている大人な意見を持っている人を見つけていく過程を取るのですが、そのほうがより適確な情報ソースを得られることになり、文化理解の正確性が増します。

西暦というものも、かなりいい加減です。そもそもキリストが生まれた年に不明確性がある上に、西暦が常用されたのは、西洋でもかなり最近と言ってもいいぐらいの出来事であり、しかも常用されるかなり前に、あるおじさんが「こんな暦でやろうよ」と言い始めたのがきっかけにすぎません。それを早々と自分たちのものにして、日曜日も、そして今や土曜日も休みが当たり前で、なぜこの日が休みなのか何も考えず笑っていいとも増刊号、は終わってしまいました。

どの文化や、どの宗教でも気候風土による文化や宗教の違いは大きくありつつも、他方で類似性もある中で、一番の共通点がはじまりは「おっさんの嘘」だったのは同じなのだと思います。天照大神が天から降りてきて、我はその子孫なり、ゆえに統治をするが言うことを聞くのだぞ、と統治の力を強めるためにはじまったことなのだと思います。面白いのは東洋でも西洋でも、龍、ドラゴンと架空の生物が似通っている点です。

いずれにせよ、歴史が進めば、ことに先進国では国家や政府はそのようなことをしないように、政教分離をしましょうということにもなりました。元旦は与えていたコンデジのレンズを数ヵ月前は舐めることもあったところから、はぁはぁして拭く成長の瞬間に立ち会えました。

日本人の宗教アレルギーは、戦後生まれたように思います。そもそも同一性であることをよしとする民族というベースが新興宗教や海外からの宗教を異端とするわけで、異端扱いされたくないという村人心があり、そこへきて仕上げに天皇陛下が「ごめん本当は人間だった」と人間宣言というものをしたわけです。信じてきたこと、あるいは万歳と言って死すら怖くないほどに脳を洗ってきてもらった事項が嘘だったとなれば、少なからずや、いやうすうす気づいていたとしても、はっきりと言われるとショックもあったのではないかと想像します。キリストはいたか分からない、すべての超能力的話は嘘であり後進が勝手に作ったものである、と仮にバチカンが宣言するようなものだと思います。わざわざ宣言させられ、少なくとも一連のすべての行動が崩れた象徴的出来事として。父親が完敗宣言をするようなものでしょう。

ここで一旦宗教あるいは神、もしくは脳を洗ってきたもらったことから解放され、何かの精神的支柱を失い、戦後はたくさんのアレルギー反応があったわけですが、その最も大きい一つとして、あるいはどこかDNAに刻まれているのかもしれませんが、まだその文化的ショックから立ち直れないでいるのかもと想像しています。

出だしはおじさんの嘘であっても、論理的に「ゆえに神はいない」という帰結にも直ちにならず、ゆえにその存在は私にも分かりませんが、少なくとも毎年行われる初詣にはじめる儀式など、それが何百年、何千年と続いてきた中で文化が織りなしてきたこともまた事実であり、少なくとも大切なこの国の文化であると思っています。と思えば手を一瞬だけ合わせる人がいますが、祝詞を心で読み上げれば5~10秒かかるのですが、一瞬な人が多いことを見れば、もう少し文化を大切にしてもいいのではないかとも思ったりします。換言すれば少なくとも立ち振る舞いとして、大人としてもっと味があってもいいのかなと。

月を卵に見立てて、風見鶏の鶏が産んでいる一枚にしたかったのですが、これもあれも、家族みんなすたこらさっさで落ち着いて一枚として撮れず。な一年のスタート。写真を撮りにきているのではなく、初詣に来ているのであって、というのは重々の承知ですが、もうちょっと撮りたかった。

近くにも関わらず、帰りに少しでも体を冷やさぬようにと数百メートルのドライブが、2015年のドライブ納めとなり、2016年ドライブはじめとなりました。
そういえば、家系としては宮司でもなんでもないながらに、母方の実家は神社を有しています。私からすると曾祖父、子供からすると高祖父がやり手でマッカーサー氏でひっくり返るまで、代々荘園経営をしてきた財産を貸し付けて、神社まで担保で取ったやり手だったようで、死去すればお蔵いっぱいに証文がでてきたとか。その負けん気の強さの血は玄孫、つまり子供に受け継がれ、その子からすると曾祖父は近衛兵もし、身体的特徴を受け継ぎ、家人の健全性と真っすぐさ、家人方の祖父の箱根駅伝区間賞をたくさんとった運動能力を受け継いでくれているといいのですが。ちなみに皇族の玄孫でなんとか田さんという人と友人が付き合っていましたが、捨てられたようです。おかげで婚期を逃してしまったような。など家系の歴史を思ってみる正月もいいかもしれません。

年初めから暗い写真ばかりもなんなので、元旦の快晴で一枚。さすが
一期一会システム、カメラを持って富士山でも撮ろうかと屋上に出たとたんの出会いANA。やり手だった会ったこともない先祖様が残した家訓に「人の死で食うべからず」というのがあります。ようは葬儀屋はやるなと。お坊さんが人の死で食べても不幸にならないのは、修行しているからであり、そのための修行でもある、というのが付帯した教えです。誰かがやらねばことですが、家訓は無条件で守ろうと思い、そして守ってもほしく記しておきます。祖父からは「とある宗教だけはやるべからず」の家訓をしかと承っています。

なんだかピンボケ、まるで私の人格のよう。家訓、大切なものだと思います。良家、銘家は家訓があるだけでなく、その内容もすばらしいのでしょう。どちらでもないながらに、受け継ぐものは受け継いで、一代で一つは家訓をつけ足してもいいようなので、何にしようかな「スナックも悪くない」にしようか勘案中。とも思いますが、先祖様がどれだけ苦労してそれぞれの時代を生き抜いてきたのかと思えば、ちょっとした悩みや、時代の厳しさで負けている場合ではありません。とも思います。

もう一枚、と思い屋上からさらにはしごを登って一つ努力を重ねた夕刻、三つの飛行機雲と富士山。後ろを見れば濃い藍色からピンク、そして薄紫と美しいグラデーションな東側でした。望遠担いではしご登ったので広角なしで撮れずでしたが。

元旦の日中は引きこもり決定で、三人で乾杯。「安いのだけど」と言うので、「年末仕入れたもう少しいいのは?」と聞けば「冷やしてない」というのですが、このとき飲まずしていつ飲むのと思いつつ、今年はキヤノンのボディが更新されそうで少しそわそわしつつ、オールドレンズの検索なんかもはじめてしまって、オールドレンズとソニー機は相性がいいと見て困惑中。2016年写真をもう一歩上手になりたい次第です。どんな写真が撮れるのか、皆さまのところで勉強も刺激頂きながらお新香食べて精進します。
「あぁ~美味しいな」と茄子のお新香食べて言ってしまい「私が作ったのでない」と怒られた元旦。
皆様にさらなるご多幸が来る1年となりますよう。
2016年もたくさん
ドライブへ行こう。