
新春は有り難いことにいくつかの会食のお誘いを頂きました。忌憚なく疑問に思っていることを質問させてもらおうと思っています。

30歳の頃、面談をしているときに「質問が重複しますが」を、「じゅうふくしますが」と言い、横から間髪入れずに「ちょうふくです」と教えてもらいました。慣用化で許容されてきているようですが、30年知らずに生きてきた、あるいは学校で習ったはずのことも興味がなく忘れたわけです。「感謝申し上げます」と言ったときは「感謝はするもので言うものではありません」と教えてもらいました。教示と教授も慣用化が進むのが早く感じています。20年前は「教授」は名詞であって「ご先生を頂きまして」と同じだから不適切である、と教わった気がするのですが、ご教授を頂くが多数となりました。慣用化が加速しているのはネットの影響でしょう。いずれにしても、知らないことだらけで生きています。教えてもらうことは本当に有り難いと思います。言ってくれない人のほうが多いですから。言う勇気、言う強さ、ときにはさりげなさと優しさも。

どれだけ物を知らないのか、数値化をできると思っています。答えから言うとだいぶがんばって雑学王になったところで、世の中を知っているという、既知率は
0.00000142857%未満です。つまり
世の中の99.99999%のことは秀才でも年配者でも博士でも知りません。変数が一つしかない簡単な数式は割愛しますが、考え方は次のニュアンスです。宇宙は果てしないですが、現代では人口はだいたいはっきりしています。たとえば何人の名前が言えるのか。10名、20名、だとして1億2千万分の20、あるいは地球規模で言えば「70億人分の100人」のような数字になるはずです。
その人のことをどれだけ知っているんだ、という深度まで含めて考えれば、さらに知らないことだらけのように思います。一生学んだところで。同じように植物や会社の名前。10社、20社、がんばって50社言えたとしても日本だけで300万社あるとして、の知れた数字です。これも世界を思えば、知らないことのほうが多くある中で、しかしより知っている人が10社多くか倍言えたとして、この0.0・・・13と0.0・・・14のこの0.0・・・1差が大きいのだと思います。裏を返せば、差がつく差がその程度、だから自分が食べていく程度ならば人生楽勝だとも思っています。すべての人が真に努力をする世の中であれば、努力家も悲鳴をあげる、生存競争の競争力は絶対効の相対的関係。加えて0.00000142857%未満をどんな知識で構成するのかも大切と言えるでしょう。
知識は点はおろか、面積ではなく、体積である、と思う中、後進に改めて伝えてみれば覚えてくれていたり「名前だけたくさん知っていても何にもならないです」と、言われてみればその通りと感じたり。

法人数ということで、数値でひとつ面白いと思うのが、アメリカは日本よりも当然に法人数が多いながらに、大企業の定義も異なるながらですが、大企業と中小、零細の比率が日本と同じところです。これが面白いと思い、主に先進国と区分される諸外国を調べてみれば、各国だいたい同じ比率で誤差1~3%程度。区分の定義を統一して、統計を取るともっと数字は近づくのではないかと想像しています。面白いものです、そして一つの答えも示しているのでしょう、97~99%が並み未満であり、ここから抜け出す壁があり、0.3%~0.02%が極みやさらに極みであり、と思ったり。

子供にとって質の良いコミュニケーションのトラフィックや愛情を増やそうと、実家からほど近いところへ越しました。おかげで
この年になって写真のアドバイスを親から受ける、とは夢にも思わず、カメラ俺のほうが詳しいし、とは思っても「言ってることも間違ってない」と思ったり。同僚とグダグダ話すよりも、ときとして知恵者との会話のほうが成長に繋がります。

共にでかける機会も増え、車中いろいろな会話もします。政治や経済、家系に料理。政治やら小難しい話は昔から親から振ってくることが多く、難しい質問としては「これからの伸びる政治家は誰だとみている?」で、恐らく息子である私を磨き高めようと意識しているのだと察しています。しかも未だに、と思いつつ、親としていい取り組みだと思います。しっかりと私も親としてそんな会話も、十分な話堪えある相手として磨き続けたく思っています。

民主主義。この根幹は多数決ではなく、世界には学べる環境がないところもあり、あるいは自由に好きなことを学んではいけないとする国もあるわけで、好きなことを好きなだけ学ぶことも自由である、ということが重要であるというのを大前提に、個のナレッジだと思います。

学校では多くの人が民主主義イコール多数決として教わり世に出てきますが、その前にナレッジなくして本来は成り立たないと思います。

ぽんぽこ村に橋を架けるため、多数決を取ります。とその前に、その橋が必要なのか、みんなのお金をここへかけるべきなのか、他に優先することはないのか、議論します。お金がたんまりあって橋を架けるのか、架けないのかだけを考えられればよいのですが、他のことも考える必要があります。

議論するには、橋がある場合とない場合での利益衡量や、橋にはどんな種類があって、あるいは強度はどうなのか、過去の降水量からするに洪水にも耐えうるものなのか、いや学校や病院を先に作るべきなのではないか、など、一定の知識や考えを議論し合う必要が出てきます。

正確に言えばここで「議論に耐えうる」知識や知見が必要になってきます。その前段では橋を作るのによりいい技術の議論もあるわけです。知識も考えも議論もなしに倒した木を橋とする技術では、程度が低くなります。

欧米では民主主義が発達してきているので、移民やスラムなど多くの貧困層を除けば幼少のころから議論を意識して知識を学び、そして実際に議論する土壌が育っています。議論のトレーニングは換言すれば知識を活かす選択肢を大きく増やすことです。ハイレベルなMBAでは学術書を日に一冊頭へインストールしたうえで議論を行うそうです。生粋の攻撃性あるDNAにより負けん気は人十倍で競争環境にさらに拍車がかかるのでしょう。日本はこのようなトレーニングをする教育機関がないに等しい状況です。子供の頃から仲良くしようね、ばかりで、せいぜいしても「話し合い」。

個の知識があり、次にそれぞれのコミュニティでの議論があり、多数決へと繋がっていきます。

個の知識が議論できる土台として十分あることを前提に、そして議論があり、という関係を教えずに、多少の話し合いをして多数決を取りましょう、ということしか教わらないケースが多くあるように思います。ゆえに民主主義とは言うけれど、勉強する本当の大切さが分かっていない、あるいはいい成績、いい学校へ入るためだけの勉強になっているケースが多いような気がします。

ビジネスというものも、世に出て多くの支持を得るという多数決原理に裁定されるまでのそのプロセスは多数決に向きません。これも学校で教えてほしいものです。

学生を卒業し、あるいは若い人はビジネスの場でも、会議でもしようものなら「決を取って決めてみては?」と、多数決で決めればいい、という風潮を持った人も少なくありません。

経験を積んで100万円稼ぐビジネスプランな能力の人1名と、10万稼ぐ能力の人2名で、どのビジネスプランにするのか会議を開き、多数決を取れば、おのずと10万円しか稼ぐことができないビジネスプランが採用されることになります。ビジネスの場では、お金を稼ぐだけでなく、解決する技術力の高低や、多くの人に馴染むネーミングを考える能力なときもあるわけです。

一人のより優秀な、もしくは能力がある人が先輩として、または上司として、残りを引っ張り、よりいいビジネスプランを実行し、そして育てても行くわけですが、育てることに関心が薄いか弱い場合もまた多く。

民主主義は万能ではなく、政治の世界や国家のシステムにおいて非常にたくさんの修正もなされている中で、若い人がいきなりビジネスで多数決だ、いやそうじゃない、なぜならなば、と丁寧に伝えることも大切だと思います。ビジネスに限らずスポーツなど競争原理と多数決原理はときに相反関係となるわけです。ということも小さいうちから教えようかと。

子供が1歳を数える頃には、だいぶ会話が成立するようになりました。「ティッシュ取って、ゴミ箱へ捨ててきて」「リモコン取って、そっちじゃなくてもう一つのほう」「パトカーどれ?、トラクターどれ?」から「食べ終わったらお皿ママに渡してきて」と少しずつ複雑化もし。多いほうなのかは分かりませんが、1歳過ぎる頃には名詞で200~300ぐらい、動詞なども含めればプラス100程度の単語を覚え理解していました。単語あるいは概念はコミュニケーションツールだけでなく、考える道具なので、その数も質も重要だと思います。単語や語彙を雑に扱えば、思考も雑になり粗くもなります。

2歳をまだ数えていない今は、万両に千両の違いもわかり、クリスマスローズや、「伊豆でもらってきた万両がどれか」も識別し、一度二度教えると見たこともないマイナーなキャラクターでも覚えていくようになりました。おどろくのは半年ぶりに話題に出したことの些細なことでも記憶が残っていることです。誰と出かけたのかや、どんな出来事があったのかなど。さらには65年の歳月を超えて、お祖母ちゃんへデジカメの使い方を教えるようになりました。
よりいい方法やいい成果もあるかと思いますが、これは私を地上げした地上げ屋さんのおかげです。この奥さんの教育がかなりすばらしいものだと思います。教えてもらいました。どこにどんな縁があるか分かりません、そしてときには掘ってみるものです。詳しくはまたいずれ。

これから子供を作る予定な方、あるいは親戚で生まれてくる方に、教えてもらったこともたくさんありつつ、そんな秘訣や魔法の言葉もあるように思い追々共有したく思ってます。座学だけでなく、それなり以上の人にたくさん質問もしてきました。

私は仕事をセーブしています。かなり。それは子育てのためです。満三歳を迎えるまで、と思っていましたが、最新の研究では満五歳まで、たくさんの愛情と、とにかく五感から全方位的に脳を刺激し脳細胞とシナプスを増やしてやるのが今の役目だと思っています。脳内物質の出方や出る量、そのレセプターなど遺伝要素も多いながらに、できうる限り最大値化し、あとは本人が努力さえすれば、という土壌を作ってあげたく思っています。土壌を作り、次は土台。

ニューロンは胎児中に作られ、シナプスは2~3歳まででその数がピークを迎え、脳細胞は3歳で80%、6歳で90%が形成される、と言われているわけで、ここまでで基本的な素養がある程度決まってしまいますが、20代でも脳細胞もシナプスも増えるとこれまた分かってきているので、20代までは伸びしろが多くあります。いずれにしても、三つ子の魂百までと言った先人はすごいわけです。
なお私見ながら人を育てる、成長させる、すなわち変えるということは、一面として言うとシナプスを変えるということであり、すぐ元に戻るとはシナプスが強化されていた従前から通り慣れたところにまた電気が流れやすい、ことなんだと思っています。大人こそいろいろな刺激でシナプスを変えないと、能力が実は変えにくい、ということになるわけです。ちょっと話し合いをして、ではそろそろ決を取りますよ、というシナプスを社会人になってから変える無駄。

不必要な糖分は与える必要がない、という考えもありますが、私はお菓子もそこそこに、できるだけ果物などを自然な糖分の形として多く与える環境にしています。本来脳は一番カロリーを消費する器官であるところ、それが成長しているわけです。どんどん脳の栄養である糖分も供給してあげるべきだと思っています。なおおかしよりも果物のほうを重視しているのは、食物繊維と糖分を同時に摂取することで、急激な血糖値上昇を抑制することにより未熟な内臓器官への負担を減らし生涯負荷を減らしてあげて、かつ腸内環境も整いやすくし、加えて将来的な舌の記憶を勘案して、という理由です。ヨーグルトは三種類以上を混ぜて食べさせています。腸内の細菌環境が人格にまで影響するという研究もありますが、それよりも健康を重視した結果です。

乳幼児のときに母乳だけで育てる派には反対です。たくさんの母乳を与えることも大切でありながら、母乳がたくさん出るようになっても、その総量というものは絶対的に上限があります。欲する限りミルクもあげることで、摂取する栄養価の絶対量・総量が増えることになります。そもそも母乳が絶対だとするのならば、江戸時代の人がもっと体の生育がよくてもよかったはずですが、そうではありません。世や社会を歴史を見渡すと、何事もそこによりいい答えやヒントがあるのだと思います。
何よりも母乳だけで育てようとしているお母さんを見るにつけ、精神的に追い込まれたり疲れたり、あるいはやせ細ったりやつれたり、そんなこともけしていい影響を与えないと思います。出来た余裕を他のことにエネルギーを使ってあげたり、愛情を注いであげるほうが大切だと思います。
お母さんというものは片付けたがるものですが、1歳数ヵ月あたりまでは、一切のおもちゃを仕舞ってはいけないとも思っています。また早期の歩行はO脚を招くともされていますが、遺伝的要素のほうが強く、それよりも足の裏からの刺激を重視したほうがよく、早期に歩くようになるコツもあるのかと思っています。それらはまたいずれ。

もちろん子供は可愛いゆえに、立派に育ってほしくも願っていますが、子供を立派に育てることは私自身の社会貢献だとも思っています。多大に社会貢献する人間に育ってほしい、万の雇用を生む人になってほしい、とくにこれからの日本を思えば、大切な役割だとも思っています。
IQを先行して高める教育をしても8歳で追いつかれるという研究もあります。大切なのは「やり抜く力」あるいは非認知能力だとする考えもあり、一定の説得力があると思います。より表情が豊かな子に育ててあげることも大切だと思います。

日本語は1万語覚えないと円滑な対話ができないそうです。
比して他の言語のそれは2000~5000語だそうです。十分な到達点で日本語4万語に、英語1万5千語。日本語を母語とすると、母音の課題も生まれつつ、日本の語彙数を経験すると他の言語はハードルが高そうに感じるわけですが、どれか一つ欧米語をマスターすると源流が同じゲルマン祖語系はマスターしやすいとよく聞きます。ちなみに知り合いの香港人は30歳の頃には5~6ヵ国語を操っていたのですが、覚えるコツは自分が好きな分野からはじめる、すなわちその彼の場合は「下ネタ」と言っていました。キャバクラへ連れていけば日本語で「だ・ん・ち・づ・ま」と練習中の日本語を話し、おお受けのコミュニケーション能力。繊細な日本が世界に誇る文化です。
子供が覚える語彙・単語数。
盛り込みすぎました。
おまけ
ブラジル某所の2016年元旦。地球の裏側から女の子がメールで一瞬のうちに送ってくれました。これとて便利な時代です。大雨で市中水浸しの停電。こちらが何十万枚を高額な機材で四苦八苦して撮ろうとも、スマホ一つでこのセンス。敵いません。特段にこの子にはカメラのセンスを感じます。電源管理一つ大変そうな上に、治安上カメラを持っていると危ないかもしれませんが、この子にはカメラを持たせたかった。次回必ず。世界各地の写真をこのセンスで撮ってきてもらいたい。
家族といろんな対話をしながら、
ドライブへ行こう。