
「温泉でも行きたいな」と思っていると、「温泉行かない?」と家人から問いかけが。たまには気が合うようです。久しぶりの箱根。箱根としては四半期少々ぶり、この宿は気が付けば半年少々時間が経っていました。道中の景色も新鮮に見えます。

どの旅館も部屋の名前、いろいろ考えるものです。私はネーミングを考えることは最大に苦手な項目ゆえ、爪そのものをできれば炒って飲みたい気持ちです。そこそこ近場中心とはいえ、子供もかなり旅行へ行っているほうだと思う中、あるいはドライブへたくさん連れ立っている中で、とにかく家にいることができない子に育ってきました。いや血かもしれません。いや子供というものは外に行きたいのでしょう、欲求だけに従って生きる悪い大人に似ています。

お風呂上りに分厚いバスタオルで徐に頭を拭く。私は家ではほとんどバスタオルを使いませんゆえ、贅沢を感じる一瞬です。

前回はびびっていたジャグジーの「ボコボコボコ」という音と泡。今回は満喫していました。だんだん成長しています。

箱根と一口に言っても幾通りかのお湯があり草津のように白濁なイオウ臭(と言われるもの)がするお湯もありながら、ここのお湯は癖のない無色透明無臭なお湯。にも関わらず、温泉に入るのが久しぶりだったせいか効きました。汗が止まりません。ふらふらです。

がんばってデジ一も持ち出して、使用頻度が減っている機種をチョイスして、さらにコンデジも2台。キヤノンの1インチコンデジについては次回。悪くありません。ちなみにキヤノンM3はリリースしました。あまりにも使わず、一方で後進がM3に惚れていたので、使われた方がカメラのためだろうということで、栄えあるデジカメ里子1号として出家していきました。

15時前後で箱根に入る前は気温12度、箱根を登って行くと4度でした。だいぶ冷えた感じがします。お風呂を上がって、風邪をひかぬよう温かくして少し散歩です。

文化財にも指定されている、歴史も味もあるこの建物はご飯を頂くところです。プランや部屋によっては部屋食もできますが、せっかくの風情を楽しまないのはもったいない年季ある建物です。

サイズが備え付けの甚平なんかも着れるようになり、ぞうりを履いて散歩。はいいのですが、数歩歩いてはぬげて、家人が何度も履かせてあげて、私はカメラ係で楽をして。

人の分類方法はいくつもありますが、私が非常に分かりやすいなと思っている分類が、石、ゴム、竹に分類するものです。石は煮ても焼いても食えずある日パカっと割れる。ゴムは伸ばしても伸ばしても元に戻り、最多層。竹はどんどん勝手に伸びる、が屋根に突き破りそうなときはコツンと方向だけ変えてあげる。竹は非常に少なく、最多層たるゴムをいかに育てるのかがポイントである、と説明する分類です。好きな、心地いい、無理のない、あるレベルまでは皆伸びるのですが、一定以上も破竹の勢いな人は最小層。環境も用意せず、環境も自分でこしらえて、どんどん伸びていく人なんて滅多にいないような気がします。環境さえ用意すれば伸びる人、も少ないと思う中、環境を用意しても伸びない人、以下同文。

散歩の目的は露天風呂にある「ヤクルト」と「飲むヨーグルト」を子供用にゲットしにいくことです。本当は部屋に持って行ってはいけないのですが、多少ルーズでお願いします、ということで。過日「今度六本木の子とご飯(同伴)いくんだ」と後進が言えば、さらに若い後進が「いいな、ゲット」と羨ましがる。ご飯、しかも同伴行くだけでゲットという感覚、
さらには「ゲット」という言葉。久しぶりに聞き、も含めて皆で大笑いしました。「ゲット」です。

面白いのは、夜の部だけは環境さえ用意すれば、破竹の勢いで成長する人が盛りだくさん。ここに人材育成のヒントが隠れているのでしょうか、とさえ思うこと多数。いや逆説的に人の育成の難しさという結論を導いてしまいます。理想論や正論ではなくて、現実論を思えば。

成功することと言うのは、簡単ではないと思います。ましてやもっと難しいことが「成功したことを維持すのとはちょっと異なるずっと成功を重ね続ける」、換言すれば成長し、成長させ続けることではないかと思っています。奇跡の連続と言っても過言ではない、そう思います。そんな中で怖いことの一つは「若くして成功する」こと、とも思っています。若くしてうまく行った後進なんかを見ていても思いますが、これは非常に怖い落とし穴であり、十分注意して回避させるべきポイントだと思っています。

近くて遠い露天風呂にやっと到着しました。清原元選手。若くして成功したゆえに身を滅ぼすような道へ行ってしまったのだと思います。と、答えはそれぞれでいいものの、なんでも考えてみる材料にすることが大切かと。

歳を重ねて人間が出来ている人なんていません。むしろ歳とともに我儘にもなっていくものですが、だとしても若くして足りないところだらけなのであり、若くして人間が出来て、あるいは1から100まで揃っている人などどこにいるのでしょうか。足りないだらけのところにきて、多くが満たされ、誰も意見を言えなくなり、方法論が確立し誰にも耳を貸さないようになり、我が道を突き進む。簡素に言えば有頂天になりやすく、どんなに言ってもどこか地に足がつかなくなり、あるいは
一番怖いのは「どこか満足する」ことです。次の成長が蝕まれる要因になると思います。

海老名SAで売っていたバスのミニカー。私が欲しくなってしまい、その場にあった全種類を買いました。他にも買うつもりだったので、財布を持たない私は家人へ「2万円頂戴」というと「2万円!?!?」と少し疑義、いや義憤があるモードでしたが、
成長に役立つ所有原理ということで。がちゃがちゃもお目当てのものは空になるまですべて買います。一つ買うと一回くじが引けるということでどうしても大き目ななんとかというネコ系アニメのサイコロクッションを持って帰ってあげたく、くじが面倒だったのでコンビニの一棚全部を買い占めたこともあります、小さいことですが。をした割には、本人は興味示さず父親がっくりなときもありました。本旨としては「
時には力で運すらもすべて手に入れればよい、それぐらい強く、あるいは能力や力を持ちなさい、そしてそういうやり方もあるんだよ」ということを教えたくて。

所有原理と言えば、当時オフ会と呼んでいましたが、オフ会の写真ではありません。同じメーカーだけで何台も保有したときの、その一部を集合させたときの写真です。なぜか夜の子や看護婦さんも来つつ。他にもこのメーカーのSUV3台、うち一台は海外に置いてや、あとは思い出せないような感じで、好き放題にやっていました。このメーカーは世界的にも稀有なほどにブランドを築いたメーカーです。そこに学ぶものがあるのではないかと思いました。商品の作り方そのもの、マーケティングにブランディングや、ときにはメーカーも主導する顧客教育プログラム、製品の進化やその違い、経年変化までも知りたくて。ちなみにどんどん周りへ貸与します。自分だけスーパーカー乗っているような「自分だけ」という器にはなりたくなくて、と若いころは思いました。いずれにしても不思議なのが自分だけいい思い、つまり自分だけ様々な経験を重ねて、後進にはさせずに「次が育たない」と嘆いているお山の大将が多いことです。
いろんな様々な経験をさせて行くことが大切だと思います。それでも10人に1人芽が出ればいいほうですが。

若かったエネルギーの傲慢無礼ついでに、ちなみにこれは今まで頂いたプレゼントの中で、格別に気に入っているものです。意味を知ればその心遣いがうれしくて。インドへ行った際に頂いたものです。「ぜひインドへ来てください」と言われたので、「
明日インド行く」と担当部門へ旅行の手配を頼みました。社会勉強も含めて数名連れ立って。「手配するのはいいですが、前日は勘弁してください、せめて一週間前に」と後年まで言われる羽目になりましたが。乗り継ぎ便しか空いておらず、途中からはインド人しか乗っていない機内に漂う体臭も違う飛行機に乗ったときは、異国情緒たっぷりで楽しかった思い出があります。ドアトゥドアで24時間でした。南国以外はすべてアテンド付きな旅行で、ツアーでは行けないところも味わったり有り難い人生だと思って感謝しています。
毎月幾ばくか飲み、見もしないで土地にビルも購入し、こんなことを10年ぐらい続けました、しかもかつかつの正反対な余りの部分で、を可能にするぐらい仕事もエネルギッシュにやり抜いて。仕事は楽しかっただけですが。ぐらい後進にも子供にも軽々と越えて行ってほしく思います。に比べればバスのミニカーぐらいで目くじらを立てないでほしいような気がする、明日は明日の風が吹き。

部屋にプレゼントなお酒も付いているプランだそうですが、飲みきれないのでお持ち帰りです。インドの話ついでに記すと、同国へ行った際には、ブッタ氏よりもガンジー氏のほうが国民に与えている影響が比べ物にならないほどに大きいと聞きました。インドでの仏教の普及率が日本人からすると意外とかなり低いこと、ヒンドゥー教でのブッタの立ち位置や、インドの歴史を思えば、言われてみればそう思うインド人も少なくないかもしれない、という印象を持つ意見でした。そしてそのインド人が「
日本にもガンジーのような人がいるんですよね?」というわけです。
皆さんは誰を想像しますでしょうか、日本のガンジーと言われて。

所属している方には申し訳もないとことですが「え~日本のガンジー、いたかなそんな人」と私が言うと、「えっとえっとたしか」と続けて「
えっとえっと、いけ、いけ、いけなんとかさんと教えてもらいました」と言い出したので、否定しておきました。歴史上そういうことであれば否定しませんが、歴史という学問上も異なり、あるいは一般的な見解とは違うので。気分を変えて夕食を頂きます。

人生、いい暇つぶしを見つけました。しかも楽です。写真という名の暇つぶし。役に立たない雑学も増加傾向にあります。そういえば、営業に熱心な野村はよく手書きの手紙をくれ、同じく熱心な系譜を持つ住友系の銀行は手紙に電話もよく来ますが、だけでなく、とうとうスイス銀行からも営業がかかりました、そんなに持っていないのに誤まった情報ですが、どこで調べるのでしょうか。そもそも家人が全部握っていて、私の財布には千円しか入っていないことも日常なのに。しかし念のためネットの注文はオール必ず偽名で頼むようにしています。忘れもしません、20年前くらいでしょうか、時期は忘れているのですが、九州のほうで「ベンツに乗っているからお金があると思った」という理由だけで、事件に合ったご家族がいました。犯人は中国籍だったように記憶しています。しかもそのベンツは旧か旧々モデルの中古だったように覚えています。

そんなわけで、上には上がいてくれつつ、私にも若いころ今以上に傍若無人なときもありましたが、清原氏みたいなケースもあれば、しかし一方で、たとえば同じ野球の世界で見てみれば、長嶋監督も王監督も、あるいは桑田元選手や松井元選手もいるわけで、身を崩さず歳を重ねていくケースも十分に多くあるわけです。違いはなんなのか。
正直に言えば、プレイヤーではなく、プレイヤーをいつまでも見ないで、その上を行ってほしく思うので、そういう意味では適切な例ではないのですが。

筋というものは、その人ごとにあるものだと思います。「うちの旦那には旦那なりの筋の通し方があります」なんていう立派なセリフを口にしていたご婦人にも会ったことがあります。ちなみにこの旦那氏には、多大に儲けさせてもらいました。最期はシンガポールで腹の上で旅立たれ、70を過ぎても、スーツのズボンのチャック周辺はなにかをもらった軌跡がにじみ出ている状態に常時なっているヤンチャな方でした。歳を重ねると感情のコントロールが難しくなる人も多くいたり、あるいは免疫が下がるのでお土産をもらいやすくなるわけですね。話しはそれましたが、

そんな100人いれば100通りある筋道だとしても、最低何か一つでもいいので「筋道を通す」ことが、人生の道を踏み外さない上でものすごく大切なことなのではないかと思う次第です。対義語としては筋違いではなく、節操がない、もしくは節操がなさすぎると評される生き方です。とすると言い過ぎやもしれない中でわざわざ人のことを悪く言いたくはありませんが、一つも筋がなかったのが清原氏だったのではないかと思うところです。見栄や虚栄、つまりは自分に押しつぶされたのかもしれませんが、もちろん実際のところなんぞ私には分かりません。

水菓子とデザート、炊き込みご飯の残りをおにぎりにしてもらい部屋に届けてくれました。毎度思いますが、本当に旅館業というものは有り難い限りです。自分でやれ、と言われても辛いものがあります。来る日も来る日もおもてなし、気が疲れそうです。

朝を迎え、ピントを合わせない写真を一枚。力を抜く人生のように。

手前のすだれにピントを合わせてみるとやさしく淡い光が潰れてしまいます。やはりときには力を抜いて生きるのも大切なのかもしれないと、カメラに教わった気がする、いやしない、いやするかもという優柔不断さはいい結果を生みませんと思います。

新緑の春が待ち遠しく胸躍る、あのなんとも言えない空気を吸いたい、そんな時期になってきました。いろいろなお金の使い方をしてきましたが、まだまだ難しいと思うのが
活きたお金の使い方です。消費、投資、あるいは浪費含めて、まだまだ会得できていない実感だけはあります。しかし一つ分かったことはどんなに錬度を積んでも、百発百中はありえない、三割打者も難しい、下手をしたら千三つの世界かもしれない、ということです。それぐらい活きたお金の使い方は難しい、と思います。

正確な理解をしない者が簡素に言えば「すべての欲を捨てなさい、生きることにも執着しなさんな、気楽にやろうよ」というのが仏教の教えのベースな気がしますが、その仏教の高僧がNHKで
「お金が集まるところは、その人に集まると世の中の役に立つから」と言っていたのを覚えています。これを「心のレベルに応じてお金が集まる」と表現していました。なんとか自分や家族が安心して生きる分お金が欲しい、と、つまりは自分のことだけ考えている器のうちはあまり集まらないようです。仏教によるとですが。集まったとしても、すべて無くなり一時的ということになるのかもしれません。お金が欲しいから、心のレベルを上げる。いいのではないでしょうか、動機が不純と思われようと。トライしないよりはいいわけで。そしてはじめから心の鍛錬もできている人もまたいないわけです。

これから大変な時代です。いついかなる時も何時も、古今東西、あるいは生きることの大変さは普遍性かもしれません。楽して生き抜いている生物は皆無でしょう。しかし大変な時代というのも一面事実です。が、戦時に比べれば大いにまし、あるいは動乱の古代や、戦国時代に比べても、安泰レベルの世の中です。と、今の有り難さを何度も何回も噛みしめるように、思うことも必要だと思います、厳しい時代ゆえにです。
オープンにできるEクラス。これからオープンにいい時季です。が日本はトンネルが多いので、これが意外とネックです。とオープンに乗っていたころ思いました。

ぐらいに思いながら、この先も大変な時代を生き抜いて、そして楽しく暇つぶしをしていってほしいと願っています、後進にも子供にも。ま、大丈夫でしょう、ぐらい気楽にも思っています。

対話もさらに出来るようになってきました。写真撮るからそこに立って、と伝えると言うことを聞いてくれます。あるいは玩具売り場で欲しいものがあっても、欲しいという意思表示はしますが、今度買おうね、と伝えるとすんなり歩き出します。買う、買わないはどちらでもいいと思いますが、たくさん玩具売り場へも連れて行ってあげることが大切だと思います。大人の世界でいうところの場慣れさせる、と同じくです。
バスホルダー。

一歳半の頃、公園で同い年くらいの子へ「よしよし」をしていました。この辺りもちょっとしたコツがあるように思います。午後、または夕方の公園は小学生が威勢よく遊具も占有し遊んでいたり、もしくは走っているので激突するのが危ないなどの理由で敬遠するママも多いかと思いますが、私はあえてそういうところへ連れて行きました。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんすごいね」と小学生に聞こえるように子供に伝え、そして「あっ赤ちゃんだ」とか「あっ子供だ」と興味も持つ瞬間があるので、「一緒に遊んで」と魔法の言葉をかけます。小学生を立てながら。すると、小学生が「可愛いね」と言いながらよしよししてくれます。当人はここで年上とのコミュニケーションを通じて、得るものがあるのだと思います。そしてよしよしをされた経験を持つことになるので、今度はしてあげる側になることができます。よしよしをする側とされる側、自然と立ち位置も変わってくることでしょう。このような経験を無尽蔵と言ってもいいくらいに重ねていくことが大切だと思います。教える側、教わる側がこの世にはいて、勉強を人一倍したり、先に経験すれば、自然と教える側になっていきます。
この日はやたらにF01・F02のBMWを見ました。しかも黒ばかり。属性が似ているのか、ナンバーも似ている数字を使って、面白いものです。

若手を育てることも同じだと思います。上席として、同僚やときには先輩後輩の関係をはじめが肝心とばかりに魔法の言葉も使ってプラスに仕切り、あるいはより絆が生まれるようにときには修正もして、そして多大な経験を先に積ませてあげるかのごとく。
同じ色の同じモデルで西日本一周をしたことがあります。懐かしい思い出です。海外旅行も含め、西日本一周がなんだかんだ一番楽しい旅でした。もう数年したら子供も連れて一周したいと思います。

1990年頃までの数年間、日本にはバブルという国全体が狂ったようなお祭り騒ぎのときがありました。みのもんた氏の言葉を借りれば「バブルが日本をダメにした」に一票入れたいと思いますが、チューリップバブルはじめ、金融史ではバブルは繰り返し起こっているのか、起こされているのかな現象です。

日経平均が3万円代半ば越えて、3万8千円もつけた時代で、その後7千円まで下がったときに年配の方などは「3万越したんだよ、あのときに戻らねーかなぁ」とぼやいている人も多くいました。日経平均を計る銘柄は途中で組み換えられ、組み換え前と後では単純に比較できないのは基本的知識としても、面白いことにある日気が付いたことがあります。
今回持って行った1DX+24-70F2.8Ⅱ。じっとしていない動態たる子供を一番歩留まりがよく撮影できます。

ある日の当時私は、旧バブルもピークの値を付けた頃の株価と、リーマンショック前の株価が1万4千円頃のある数字を比べてみました。どんな数字かと言いますと、
日本に上場している企業の時価総額の総和です。面白いことに、ほぼ同じでした。日経平均が倍以上異なり、新興市場へたくさんの会社が上場した変化があっても、時価総額の総和は同じなわけです。これが日本の国力を示していて、そしてバブルも示しているな、と思った次第です。バブル株価の時価総額総和の八掛けぐらいが、その国の適正な国力を示していると思います。証券会社でIPOを担当している友人へ話をしたら、あんまり関係ないのではないか、と言われましたが。
も、ときおり持ち上げて、どころか100-400の望遠付けていても持ち上げます。そして200-400も興味示しています。さすがに怖い。落とさないでほしいです。

インフレやデフレ、確かに物価は大切です。貨幣価値に変動がないとして(相対的にはありえないことですが)、大根が100円なのか、1000円なのかその国で暮らす人々の生活の苦楽へダイレクトに影響します。しかし物価の上下だけで経済を考える論調になったり、あるいは政策を伝えられ、そこでそれ以上考えなかったり、なのはどうなのでしょうか、とも思います。いやときには人口動態やGDPを持ち出すのですが、常にヘ長調ではなく、単調・単発的に論じられがちでこれらを総合的に論じる人も少ないのではないかと思います。これからの日本を考えたときに、目標は2%のインフレで、少しの時差があって給与所得も向上しますからね、と言われているわけですが、物価だけで国力が増すのでしょうか、という問いかけをすれば自ずと答えは出てくると思うところです。物価が上がり一人一人の給与所得が向上する、というのは資源のない国に合っている理屈なのでしょうか。とも思えてなりません。
とはいえ、デジイチは持ち上げるだけで、コンデジのように撮影はまだできません。デジイチのシャッターボタンはこのように押すので、連射モードになっていると大変なことに。

というわけで、紆余曲折しながらも、行きつく先は国の教育になってくると思う中で、仮にコンデジを壊して3万、4万修理費に掛かったとしても、大人になってから1,000万円かけて身に着く感性よりも大きいものがあると思います。つまりはコスパがいいわけです。同じく若手にもたくさんの小さい怪我をたくさんしてほしいと思っています。大きな怪我は勘弁をしてほしいので。どこかで筋は一本通すことを忘れない大人になってほしくも思いながら。
箱根にて「湯を訪れて」という看板を目にしました。旅情が増すいい言葉だと思いました。
次回は同じ湯の旅をコンデジにて。
箱根に
ドライブへ行こう。