SONY サイバーショット DSC-RX100M2
下町での飲み終わりに迎えを甘えた帰り一旦途中下車。

幾度となく飲みを重ねてきた人生のとある先輩。親戚が経営するという懐ともいえるお店に連れて行ってもらい、次のためにも場所を確認しました。せっかくなので一瞬街撮りもして、クルマに戻ります。

日本で最も有名な経営者であろう某氏が、最も尊敬するという経営者、その親族の方。お孫氏は松岡修造氏らと同じ小学校へ春からいくことになり、毛並みの良い家系を思いますが、しかしその良さだけでなく、この先輩においては苦労が一言一句に宿っているのを感じ。

助手席にて、普段撮れない光景を切り取りながら、会話をした10月中旬。

このとき運転してくれた後進からも色々なことを教わったような気がします。私の不徳の致すゆえにながら、多分にえらい目にも合わされましたが、

この後進は個人的事情によりもう一段はがんばらねばならない状況にあるゆえ、ついてきてくれる限りは彼の得意分野をまだまだ模索しながら私も環境を整えるべく、がんばろうかと思っています。

そのようなことはない気もしていますが、最も私に陶酔している、という周りの多くの評価を耳にしたことがありました。ゆえにこの彼が何かを発すると、それは私の意見なのだろう、ということが付いて回り私の責任に。別段何を思われようとかまないのですが、奥方からも同様なことを言われ、さらには夫婦の会話でも旦那の意見ではなく、私の意見と捉えられるらしく。さらには私とこの彼の奥方が不倫関係なのではないか、と推察、いや妄想する者までいたとは、笑止千万。

とあるプライベートの判断、すなわち人生のパートナーと生涯を全うするという強い想いを持つスタイルな私を、夫婦の関係性が冷え切っているはずなのに、それでもそのようなスタイル模そうとしているから一緒にいるのだろうという周りの評価を聞けば、それはないだろうという感想を抱き伝えても、そうではないと反論が付いて回り、周囲は聞く耳すら持ってない印象を感じ。さらには別れたほうがいいとまで考える人もいるようで、人はいろいろなことをときに勝手に思い、評価をし、ときにはくだらない推察、いや妄想までするものです。

いずれにしても「雨のときも傘を差し続けてくれた存在ゆえに大切にしてあげなさい」という人生の先輩から助言も頂き、私にできる限りはそうしようと思っています。

お金という存在は「願望、羨望、欲望を集め、それを理解しておかないとならない」と教わったことを
前回の回顧録で記し、字に捕らわれてみれば、

渇望に失望、絶望、あるいは切望や希望に野望。望の字が、いや望む心が人間を一喜一憂、右往左往させるように思いました。

そして思いつくのは望遠レンズの望です。

ある人生の先輩からは「人の不幸は蜜の味」と「喧嘩と火事は江戸の華」とは世俗的な本質を表わした同義語である、とも教わりました。言われてみれば指摘の通りかもしれません。ときを同じくして、嫉妬の心について異なる先輩から助言をもらうとは不思議に思いつつ、生物として優位性を仮想であっても担保したい本能とも言え。

一昨日は弁慶がだいぶストレスが溜まっていたらしく、飲みに誘われ、子供を風呂に入れてから出動しましたが、お風呂に入っている最中ひげを剃れば家人から「なぜ髭を剃るのか」とまるで夜の密会に向かう準備ではないのか、という疑義に感じなくもない珍しい一言、それも嬉しい気持ちに思い。

最近は許される限り軽く、長くとも二時間程度を目安にで帰るようにしていますが、それでも五軒。

途中でキャバクラに押し込めて、帰れば酔った声で今どこかと電話が掛かってきてもう一軒。こちらの体力がもたないので「おじさんはもう帰る、一人で行っておいで」とさらに別のキャバクラに強引に押し込めて帰路につきましたが、それも嬉しいものです。あとで聞けば、行きつけの居酒屋オーナーと二軒キャバクラのはしごをしたそうで。

この日は、スマホを家に忘れ早めについた渋谷にて、無くしたと思い合いかぎを作れば、あとあと使用頻度がかなり低い鞄の底から出てきました。見つかって一安心です。

はじめてのお店での待ち合わせ。スマホがないとお店の場所確認もできません。店名すらもろくに覚えてなくでしたが、なんとか辿り着きました。

後進共々ご馳走になってしまい、会食後に一件視察に向かい、

という中でもコンデジで。

秋頃は、打ち合わせをしていても「いい光」と思える状況を見ると、そちらに意識が行ってしまい、仕事に身が入らなかった、やはり体たらく。

後進と一杯飲んで帰りました。

別の日の、これは確か赤坂のラーメン。たまたま入ったものの、これ以降は深夜も行列で諦め加減で食べられなくなった美味しい味でした。
D810 + シグマ35mmF1.4

翌朝は届いた玩具を確認して。早めに帰った日に、まだ灯りがついていてドアを開ければ子供が駆け足で寄ってきて、わたしは抱きしめて、という日もあれば、昨夜は上着がひんやりしたのか「外寒い?」などと言葉を聞けば癒されて。
D810 + シグマ35mmF1.4

ネットで仕入れる玩具も合わせ壮観してみれば、だいぶ増えましたが、どのような玩具で遊んだのか、思い出としての記録もときおり収めながら。
D810 + シグマ35mmF1.4

この日は家人と蕎麦屋に行き、私は外で電話しながらカメラ。
D810 + シグマ35mmF1.4

早々にビールと食事を済ませ、子供がいる実家へ行き、夜の散歩。

この日は午後から丸の内界隈へ。平日の午後一から優雅な方もいるようで。

後進のクルマで同乗させてもらいながら、やはりカメラ。

日本の中枢方面を望んで。日本の重要な決定はこの半径数キロで完結している、と学生のころに想像してみたのを思い出して。

帰りに寄ったこちらのビル、新旧が合体。この辺一帯を二束三文で購入した日本屈指の政商岩崎氏。越える者が出てくるのは500年後か、1,000年後か。その頃の統治機構はどうなっているのやら。しかし姓を変えた一族の支配は続いているとも想像し。

この日は、乗り換えで駅から新幹線を撮って、

蒲田へ。協力してくれた方へ、お礼の儀。

寿司屋で一杯やり、数年前にひ孫請けの営業という設定で立ち寄っていたお店にて、愛人契約をしてくれと迫られた女性が開いたお店へも立ち寄って。いつの間にやらオーナーになっていました。

まだ撮ったことない構図を探す。ということが面白かった頃。
RX100M2 ×flickr.com

この歳になって気づいたこと「電車は早い、ほんとに早い」という直情かつ愚直な感想。飲みの席で思わず力説してしまった秋も思い出し。

荷物が嵩張るような旅でなければ、電車が楽という真実。行く先々で電車と絡めて撮ると、面白さも加わり、しかし乗り間違えてないかどきどきもしながら。

乗り間違えて遅刻すること二回ほど。一度は駅員氏に尋ねたものの、反対を教えられ。子供との一筆書き時にも臨時特急のことを質問したりするのですが、対応具合を見ていると、昔の鉄道職員氏のほうが、時刻表に路線図が頭に入っていた鉄道好きが多かった印象。今は鉄道好きよりも、安定を求め、就活する人の方が多いのかもしれません。加えて、今はスマホで乗換案内を確認できるゆえ、質問されるケースが大幅に減っているのかもしれません。

この日は赤坂でお寿司をつまんで、

銀座へお酒を飲みに。プライバシーに配慮し、コントラストで個性を隠し。自らの土地に日本屈指級のビルが建ち子孫も安泰、地権者となったお坊ちゃまと言われるのが嫌いな紳士とともに、同伴では素敵なお店を多大に教えてもらいながら、今では辿り着けないだろうアフターも何軒もはしごして、よく飲んだ時期がありました。当時、mixiで知り合い、クルマ友達から飲み友達になり。

おねいちゃんを連れて来る人もいる中、私は一人リアカーで頑張り、サーキット走行も行ったり、いろいろと無駄使い、はしかのような通過点と考えて。制度上の性質もあり、銀座が最も男女関係が生まれやすいような気がするという感想だけは座学で得ましたが、当時仲間になった一人からは「なんでヴィトンプレゼントしたのにやれないのか」と相談されつつも、答えようがなく。しかしヴィトンをあげてはいけない法則が、後年の後進にも当てはまるとは。やはり法則なようです。知り合いの遊び人はパチ物をあげて、喜ぶ姿を見て喜ぶという娘が三人いる父親とは思えない所業の繰り返しは、パチ物ゆえ法則には当てはまらず。

この日は京橋のラボエムというお店へ。安くてしゃれたレストランだからと、気遣いもありながら、店まで教えてもらい。下町の先輩から「これで勉強しておきなさい」と重要なとある内部文書をいきなり手渡され。はじめて見ました。重いのに持参してくれた気持ちが特段に有り難く。

この日は所沢を目指して、約束にぎりぎりとなりそうゆえ途中で急行に乗り換えて、

西武線。

「見て見て、見て」と私をちゃん付けで呼ぶ人懐っこい性格の持ち主である、暴走族時代の復刻したステッカーを貼ったという60歳を越え、娘に孫もいる人に見せられて。「世の中、いろいろな人とのやり取りや付き合いが面白い」という教示をある人から受けたことを思い出します。

日本という地域においては開成や灘高に東大という最上級コースの一つを歩めば、多くの場合そのような人達だけと交流するような人生となるが、それでは世の中のほとんどの人と交流を持たないことになりもったいない。広くいろいろな人と接するのが楽しいでしょ、と教わったことがありますが、私には直接関係ない世界ながら、しかし応用すれば自らの分野として、いつもは交流しない業界やフィールドでの交流も楽しく思い。

食事のあとは、何年ぶりかに行くと言い、連れていかれた夜の飲み屋。所沢の若い女性、また来る約束もしながら、所沢をあとにして。

せっかくなので、写真も撮りながら、

最終には間に合ったものの、途中までは電車で帰れる様子に一安心。

なかなか素敵な街だった余韻を楽しんで帰りました。

〆はこちらに立ち寄って。
5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM

この日は幼稚園のイベント。プレのみの、本入園はまだな未就学児ながら参加。
5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM

あと二ヵ月で本入園です。思うところがあり、三脚は使わない派できましたが、イベント時の動画用に一つそろそろ仕入れることを検討しています。とはいえ、写真で持ち出すことは基本的になさそうな気がしています。
5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM

これから三年。午前は送り迎え、仕事は午後から、というスタイルを通せそうな予感を形にしたく。むしろ不安なのは、カメラ好きが幼稚園に伝わると、写真担当を命じられることもネットを見るとあるようで、戦々恐々です。

一昨日、弁慶との飲みで、今後について相談。よし、やろうという意志を固め。昨晩も夜に会う用事があり、三度「一杯だけ付き合う」「一杯だけな」と念押ししながら、三杯だけ付き合ったあとに帰る旨を伝えれば、仲良くなった居酒屋へ寄って帰り、なぜかキャバクラはいかないと力説しながら夜の街へ消えていきました。

難度は高そうながら思い出せば、少し携わったことはある分野なので、フィールドへの感触がないわけではない中、晩秋に出逢った人脈が道を指し示すかのように符合するゆえ、なんとか活かせればうまくいくような気もして、見切り発車オーライの出発進行。何よりも弁慶が心強く。

仕事も春から二つ三つ、新たに取り組みながら、幼稚園の三年間と両立できそうな、それでも本格的な再始動。七赤金星の助言も信じてみて。

早めについた表参道付近をふらふらしながら、露出を下げて、もう一枚。これを撮っているときは横に警官二人が仁王立ちながら、

気にせず撮ってみるテスト。クルマに同乗中、運転者が捕まっても指導だけで終わるアルゴリズム。ここ数年で無敗です、という表現はよくないと思いますので、換言すれば、一切声を荒げることもなく、単に考え方を伝えると、せっかく来た獲物であろうところに、逆に感謝の意を表され、注意指導で終わることが多く、その注意指導の通りに運転者には気を付けてもらいたく。脳というハードに、一定の考え方というプログラム、いや道理を子に上手に伝えられれば、これ幸いに思い。

この日はハロウィンでした。

友人と、お世話になっている方のご子息と、三人で、

この日は諸般の事情により、十年以上振りに、しかもいい歳をして、

原宿まで歩く道すがら、ナンパすることに。もちろん本気ではありません。思春期はよくナンパしました。最後にしたのは、男同士、仲間と行った沖縄旅行にて東京から遊びに来ていた女性グループに声を掛けました。なお家人にも報告済みです。ナンパがうまく行きそうな空気を遠くで察知すると「どうしたの、どうしたの」と離れていた仲間が寄ってきて、後日東京で飲み会も催して、漁夫の利を得た者がいた記憶。いや最終クロージングは実力と評価すべきかもしれません。

日付を見れば、友と一軒寄ったのも思い出し。手ではなく、爪を撮っている可能性もあります。

この頃は、人生三度目の日高屋級だったのが、毎度のように〆で寄るようになり、仕事帰りに1人で食べる様々な人を見れば、それも社会勉強であり、私もその一人となり。あるいは深夜にも関わらず、次から次へと入るオーダーをこなす厨房の横には「時給1,000円」の文字。生きることの大変さ、そして益々厳しくなる世相を思い。

はじめて降り立つ駅に、おそらくははじめて乗った路線。

この日は浅草。
つづく