α7R II + SEL2470GM
RX100M4

子供とママを遠足先まで送り、私の分のお弁当を受け取り、お弁当は車中に置いたまま、

私は遠足先で写真を撮ってしばし過ごします。

せっかくなので、、24mm、F8縛りで撮ってみることにしました。同じF値でも、センサーサイズによって被写界深度は変わってくるので、F8と言ってもコンデジほど深い被写界深度にはなりませんが、レンズの美味しい部分を使ってみるという気持ちも込めて見てのF値設定です。

と言いつつ、70mmで撮ってしまいました。24mm縛り、つまりは広角で、ことに風景やスナップを撮ることは非常に難しい部類と思われ、かつボカして構図に対して安直にならずに、写真修行をしよう、という考えです。露出は弱アンダーにしてあまり考えず、構図の難しさを味わうひと時にしました。

このちぐはぐ感覚。水平はカメラの水準器に頼ればいいとしても、水平を取りながら、垂直、平行、あるいはねじれにひねりなど、5軸を適正に撮ることは、人工物かつ広角だと至難の業に思います。ときに複数の人工物が整っているとも限らずの場合もあり、その場合はパースとも戦いながらファジーに適正な絵を作る、ことも含め。

写真における要素の中で、最も感性が要求され、かつ難しいのが構図だと思います。機材に頼ることがほぼできず、被写体の魅力に包んでもらうこともできません。ほぼという意味は望遠で構図を作る場合は、画角の力を借り、あるいはカメラなくして写真は撮れないゆえ、正確を期すのなら「ほぼ」ぐらいの単語は挿入しておいたほうがよいかと思われますが、機材の力は関係なく、実力が最も試されるところ、と言っても過言ではないと思います。

暈さず、かつ広角にするということは、隅々まで写真内のバランスを考える必要があります。主役やテーマを決め、どこにピントを置き、光りを見て、露出を考え、ときには求める状況まで待ってみたり、そして隅々までよく写る上に、広く写るので、余計なものが入りやすくもあり、意識を広く持ったままシャッターを押す必要があり、それぞれのジャンルに難しさというものがあろうかと思いますが、

絞った広角の風景やスナップは最上級に難しい分野その一つのように思います。平たく言うと上級者の世界という表現が合っているような気がします。なおズームレンズも迷いが生じ、実は難しいレンズなのではないかと思います。被写体を引くのかUPにするのか、同じサイズで広角で寄って撮るのか、下がってズームで撮るのか、適度に35mm程度で撮ってみるか、など幾通りかの選択肢から選ぶプロセスが発生し、かつ標準ズームの場合は、広角の難しさも同居しています。

人物撮影におけるダイナミックレンジよりも、必要とされる幅も広く思い、あるいはダイナミックレンジが広ければ広いほどよい、というシーンのように感じ、機材としてよしとされるスペックも若干異なってくるようにも思います。

年輪を重ねた余生は、気楽にさっと広角の絞った、よい写真を撮れるようにもなりたいと思います。が、それも飽きそうな上に、スマホで十分、いやむしろスマホのほうがスマートに思えてきます。つまり脱カメラ化となっていきそうな気がします。

これは心が負けて70mm。子供撮り、家族撮り、あるいは人撮りにおいては、開放まで使うかは別にして、躊躇なく暈してよいと考えています。1)多くの一流なプロもそうしている、あるは動画も参考に考えると映画の世界もボケをよく多用し、テレビはパンフォーカスが多く、つまりは用途によってボケも使うべきである、2)映画続きで言えば、例えば一人ひとりのエキストラその経歴までこだわることもないかと思いますが、同じく画面の隅々までの脇役を丹念に考える写真ではなく、存在感ある主役に大きくスポットを当てた写真であること、3)家族写真や子供撮りでは背景まで気にしていると、時間がないこと、その余裕がないときも多いこと、が挙げられると思います。

毎度すべての構図が整うまで家族を待たせるわけにもいかず、子供の瞬間な表情を撮れるわけでもなく、あるいは後ろの知らないおじさんが飾っておく写真に永遠と居座るよりも、手っ取り早くぼかしてしまう、という選択肢が最良のように思います。

ボカすということは、多少ボケ具合は勘案するにしてもさした情報処理量ではなく、その分構図を考えない安直な写真である、と言え、あるいは

被写体に寄ってピントを近くして、背景を遠くにするほどにボケを作ることはできますが、一方で明るいレンズ、大きいセンサーサイズ、もしくは望遠レンズという機材の力だけでボケは作ることが容易になるので、技術力よりも経済力である、と揶揄する意味も込めて、そう指摘されることもあるようです。

この指摘はもっともなところがあり、一方で、フルサイズや明るいレンズのシェアもけして高いわけでなく、むしろスマホカメラが主流であり、これにボケを作るアプリも進化をしていくと思われますが、光学のボケはなおマイノリティともいえ、という意味では一定の希少性も事実上生まれ、許される環境下では、ぼかしていくのも、ましてや素人ですから、躊躇をする必要性が希薄に思います。

絞るべきである、あるいはぼかすべきでない、という論調は初心者を惑わすことがあるやもですが、嫌でもスマホやコンデジで撮る機会もあり、ボケない写真も量産していくことになるので、少なくとも子供撮りにおいてはぼかすことは一切の躊躇が不要であるように考えています。

とはいえ、広角かつ絞った写真は構図を考えるよい機会になり、腕を上げるよい経験になるのも事実だと思いますので、時おり、難しいですがチャレンジもしていきたいと思います。と、考えると実はスマホは写真の練習・鍛錬にもっとも適した機材かもしれません。

このような写真、遠足で時間をかけて撮るわけにいきません。フィーリング任せの適当撮りですが、あとでじっくり構図を考えてみる、という機会になり得るのがトリミングだと思います。トリミングは麻薬である、という表記を目にすればうまい表現であると思いましたが、

あるいはレタッチをするようになり、2,000枚に一枚ぐらいは撮って出しそのままで、何らの調整が必要と思われない写真に遭遇するのですが、この瞬間に快感を覚えるようになりました。

レタッチもトリミングも、なにもしないで済む写真をさも当然かのごとく、撮れるようになると「写真がうまい」というレベルなのだと思いますが、何が答えか、あるいは深度は人ぞれぞれとして、写真も人生の暇つぶし、その一つなのは間違いないと思いつつ。

私は仕事、家人は育児。というほど仕事もしていませんが、人生どこで一皮むけるか、もしくはやり切り、やり抜くのか、換言すれば後世の自信や充実感、心地よい懐古も得るために、人生ここ一番の頑張りどころがあったほうが、楽しいかと思います。

と、考えて家人の楽しみを取ってはいけないと思い、育児のフィールドその主たる存在として、遠足も少し遠慮して、前半は顔を出しませんでした。ボタン電池も一人で変えられるようになりましたが、これの誤飲は相当に危険とのことで、気を付けなければなりません。「もう分かるから大丈夫だろう」という、なんでも慣れてきた頃が一番の危険とも思い。

遠足のあとは、家族のプチ遠足。遠足後は友達家族と公園を散歩したあとは家族だけでさらに散歩。かなり疲れたであろうはずなのに神社も見て行きたいとのことで、かつ蕎麦食べたいのオーダーに応え、そして一度帰宅して、ばぁばのところで晩御飯も食べて、遠足の報告をし、

遠足最後に先生にもらった風車。「カザグルママン!参上!地球を廻しちゃうぞ!」と私は仕込みつつも子供受けは芳しくなく、家人は朝四時起きで五時間歩き、

遠足に合流しそのままランチの流れで、熱くなった車中に取り残されて日の目を見ることがなかったせっかく作ってもらった私のお弁当。写真だけ撮ってもらっておきました。F8、24mm縛りは遠足写真でも継続してみて、友達の写真も撮りましたが、動き回る子供達にはSSが遅くなりがちで動体ブレも量産。私はそのような遠足写真で惨敗しながら、思い出の記録としてはママが撮った写真に救われ、子供はがんばってよく歩き、クルマに戻ったとたんに土砂降りで危機一髪、初遠足を終えました。載せないで、とクレームが入ったので、私分のお弁当はぼかし処理に差し替えました。
久しぶりのドライブ先へ行ってきます。
Posted at 2017/05/20 10:49:46 | |
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公園ドライブ | 日記