RX100 (無印)

デジカメが刻んだ時間によると19時59分。20時の最終便に間に合い乗船です。

家人と、そして当時はまだお腹にいた子供との旅の記録。西日本一周中、長崎県多比良港というところから、熊本を目指し長洲港に向けて有明フェリーに乗ります。

有明海。気持ちいい、雲仙の風呂上りな夜風。普段は夜の船に乗る機会もないということも合わせ、旅の中でも印象的な一瞬です。

45分間、あっという間の、心地よい漆黒クルーズ。兼運転の休憩時間、でした。

小一時間クルマを走らせ熊本市内の繁華街周辺、かと思います。すでに22時、簡単に食事を済ませ、大人しくそのままチェックインし、休みます。

そして翌日、これから長期的な補修になると思われる、熊本城、当時の勇姿です。

天守閣は2019年には補修を完了させる予定とのことですが、細部までの補修は2036年までかかるということです。「
大林組、復興への第一歩」

当面はお目にかかれないであろう、熊本城天守閣からの眺め。

紅葉している木々も綺麗です。春は桜が綺麗なのでしょう。

せっかくなのでもう一枚。熊本地震では、工場などが点在する関係でデジカメ業界にも影響があったそうです。まだ仮設住宅に住んでいる方が4万人以上もいるという話しも聞こえてきます。被災した方々に改めましてお見舞いを申し上げます。

旅の成り行きで前日や当日、あるいはギリギリ決める宿。大きな助っ人がスマホという時代です。

SAでとんかつを頬張り、霧島方面を目指します。山を切り開いたところに新鮮なアスファルトを敷いた九州自動車を快適に走ります。

霧島PAにて一休み。ドライブの旅は、各地のPAやSAに寄るのも楽しみです。子供が1歳、2歳の頃は1時間、2時間休憩したのを思い出します。ゆっくり歩いたり遊んでいるとあっという間でした。

午後二時、霧島周辺い到着しました。霧島神社に寄ってみます。

この日の宿がある霧島市街を目指します。空と雲が綺麗で印象的なドライブでした。

素敵な宿に泊めさせてもらい、翌日起きれば桜島の噴煙が地面に落ちていました。

エリアごとのニュースや天気を見るのも、旅情を思う瞬間です。

朝が来て出発です。

2017年夏休みの予定が具体的に決まり埋まり、そして一部では拡充予定にもなっています。今回、これら一連の写真を発見したことにより、我が家の夏休み計画も若干の修正が入りそうな予定となり、何が転機になるかわからないものです。

宮崎をうろうろしながら、

ネコも撮り、

青島神社へ。
この一年半後に訪れたときも同じ写真を撮っていました。相違点は光りと画角、そして意識です。意識して撮ったことにより、翌々年撮った一枚は覚えていましたが、この一枚は意識して撮っておらずでまったく記憶にありませんでした。

次にむかったのはクルマを走らせ、この回の旅、主たる目的とした一つ、高千穂峡に到着です。

平たく言うと、ここから日本が始まったとされている地です。古事記、日本書紀、その神話上での話ですが。

手漕ぎボートから鴨に餌もあげ、写真も撮り、次に向かいます。

と、その前に近くの
高千穂神社にも寄って、お参りを致します。続日本書紀にも名前があるという1900年とも1200年とも続くとされている神社です。この周辺は日本の始まりその地であるとされていることからか、かつては
554社もの神社があったそうです。なぜあと一社で555にしなかったのか、実はしていたのか。

日本の始点で、感謝を思い、健やかな成長を祈念させてもらったあとは、もう一つの主たる目的地へ向かいます。

この一枚もまったく記憶にないほどの適当撮りですが、ロケーションは異なるものの
先日適当に撮った一枚ながら自身としては斬新な構図かと思っていたところ、同じような構図で、発見したときには成長を感じずな一瞬が到来した一枚です。

という風合いで、過去の自ら戒めをもらいます。写真だけでなく、生き様に考え方も。人生後ろを振り返ると、楽しい思い出に風情と、そして反省も付きまとってきます。

子供が見れば喜びそうな光景、を撮っている同じ遺伝子配列。

新しい天孫降臨が起こるのか、かのような迫る雲に向かった登坂。

早く宿に行きたいところですが、ところどころクルマを止めて、

あまりにも幻想的だった光景を撮れていませんが、撮っていました。フリッカーに上げたいところですが、日付がどうも気になります。

音を立てて強い風が吹く中に、ひと気もなく、不思議な空間の中で、この日の太陽が沈んでいくのを見届けました。

そして到着です、熊本県阿蘇山黒川温泉。家人が泊まりたがっていた、我が家にとっては伝説の温泉地帯です。「『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』において、温泉地としては異例の二つ星を獲得する名湯。」とも紹介されています。

温泉宿が一体となり盛り立てているため、
宿間でお風呂が入れるお湯巡りができたり、

食事も美味しく量も多く、ホスピタリティも十二分頂き、部屋も施設もお湯も素敵でした。部屋にはお風呂が二つあり、熱めと温めが用意されている風合いです。今でも五本の指に入るほど、素敵な温泉であり、旅先の一つに思います。なかなか行くには大変な場所ですが、とくに東京からでは。

お名残り惜しく翌朝のご飯を頂きチェックアウトしたあとは、終盤に向かい旅の続きです。これは由布岳でしょうか、
今年の春先にも見た懐かしい光景です。

別府辺りにもゆっくりと二泊ぐらいしたくなってきます。

お腹の中で見て、三歳になって「うわ~きれい」と万歳しながら見た光景です。

妊娠中は万が一に備えて、お腹に負担が掛からないようにする専用のアイテムを使いました。シャンプーの香りで一度「うっ」と思ったことがある他は、つわりもなく、このような旅もできた次第です。

「加藤君、見ようよ」。加藤君とは
「4×4マガジン」の動画に出て来るアシスタント氏で、「加藤君、加藤君、どうやらスタックしてしまったようだね」と私が編集総括の物まねもしているのですが、この動画の名詞が「加藤君」になってしまいました。

加えて「うぃぃぃ」「そんなの関係ねー」も覚えてしまいました。「
西岡徳馬、ブーメランパンツ姿で小島よしおと「そんなの関係ねぇ!」全力披露 『新 ハミングFine』WEBムービー「汗かいても関係ねぇ」」という同氏のCM勇姿がyoutubeで展開されており、これを見て覚えてしまいました。

という成長もして、お腹にいた頃の写真も見て、写真データの発見とともに、生まれた頃の写真も見返してみれば、

その成長を喜ばしく思うとともに、二度と帰ってこない時間であるという思いと入り混じり、感慨深く思うところです。

旅はまだ終わりませんが、東京に向かいます。車で走れば1000km少々、走り続けて13時間、休憩を挟めばそれ以上の道のりを、

この旅三度目となる、フェリーで二泊かけて東京まで戻ります。

東京、四国徳島、北九州を足掛け三日、時間にして途中徳島での停船も含め、36時間ほどかけて運航する、東九フェリーで船の旅がオーラスです。

長旅を供にしてきてくれたクルマもしばし静かに一休み。

船室に向かいます。

ビジネスホテルの様相ですが、シングルプラスソファーベッドのツインだったように記憶していますが、これでも特等室です。二泊東京まで人が二人で8万円、クルマがLサイズ5万円だったかと思います。という価格ながら、コンビニで仕入れたディナーに朝食が十分豪華に思う船の旅。

なお、ネットで確認してみると、私たちが乗船した「おーしゃんいーすと号」は2016年1月に引退したようで、今は新しい船でカジュアルをさらにシンプルにした装いで運航しているようです。個室でも変則的ルールもあるようですが、当時の半額ぐらいで乗れそうです。この特等室、という時代を感じる文字ももう見ることができなくなったようです。左の部屋、先頭の部屋に乗船をした思い出があります。

出航です。
つづく