RX100 (無印)

洋上における優雅なエンタメ施設。これで時間を多分に潰すことにもなりました。

婉麗、いやエレガントと言った方がフィットするかのような、船上パーティーにも適したメニュー群。今は新しいメニューなのやもですが、これが案外に沁みる温かい食べ物となります。

出航して間もなく、関西と九州を結ぶ阪九フェリーとすれ違います。
東九フェリーは原則として荒天でなければ太平洋側を航行し、
阪九フェリーは瀬戸内海を航行するようですが、瀬戸内海は海上保安庁からふくそう海域に指定されており、できるだけ太平洋側を航行するようにとの采配もあったり、あるいは瀬戸内海を大型船舶が運航することは、より航行技術が求められるようです。という勉強にもなり。

今や退役したことを知った「おーしゃんいーすと」の船内図ももう見れず、

昼夜、陸地を遠目に見ながらの航行が続きます。

ベッドは妊婦に譲り、ソファーベッドからの心地よい眠りから覚めると、洋上の天空ショーが始まっていました。

乗船して「いいね、これは」という興奮が終わり、ほどなくして到来する暇な時間。その合間に素敵な洋上の非現実感を思います、

旅をしている実感を味わいながら。

船に乗る仕事の人は、大変です。帰宅もままなりません。とも想像してみながら。とたまに見える船以外は太平洋に体を向けると、大自然と向き合うだけの瞬間も感じられ。

ピンクに染まりながら重なり合う稜線群。日本へ航路を取ったはるか昔の大航海時代の人々や黒船のペリーもこのような光景を見たかもしれません。

太平洋側を航行して徳島に着きました。

1時間ほどの停船でしょうか、この間に歩いていける近場のファミマへ食料の調達にも行きました。

船上ピクニックランチをして、

翌朝の東京湾着へ向けて、船の旅もじっくり楽しみます。
東九フェリーとすれ違います。こちらも退役した「おーしゃんのーす号」、カジュアルフェリーです。「おーしゃんいーすと号」はスタンダード船で、船室構成が異なる二種類で運航されていましたが、今はシンプルフェリーのみの構成で東京、徳島、北九州を結んでいるようです。時代の流れなのでしょう。

広がる雲も、いつもとは違って見えます。洋上の風を感じながら。

南西から流れる雲が速いか、船が速いか、競争です。

家人はこれを、私は横で男の本能に従い脱衣麻雀に精を出し。

スロットの戦利品。

眠りにつき、目を覚ますと、煌びやかな港に街の対岸が見えて来て、見入っていると東京ゲートブリッジです。

いよいよ東京湾に到着、旅の終わりを思います。帰ってきた安堵感と早く家に帰りたい帰巣本能の一方で、旅が終わってしまう、まだ帰りたくないという心残り。

車のエンジンを付けると、ナビがどこかで止まったままです。どこかと思い見てみれば出航場所近くでした。

下船。東京の地に久方ぶりに足を降ろし、懐かしい光景に見える心境です。港から離れるほどに、帰ってきた実感が増しながら、こうして西日本一周フェーリー付きの旅が無事に終わりました。

中一日体を休めて、この日は恩人の墓参り。常磐道から、美しい夕暮れとともに、富士山が見えました。茨城からも富士山が見えるとは知りませんでした。それにしてもこの日は綺麗な夕日でした。同じ日のみんカラブログを探しにいけば、綺麗な夕焼けが見られるかもしれません、と思い、のちほど徘徊してみます。

ママを通じて感じる旅、次は新潟です。

このときは同じように見えますが、代車のアクティブハイブリッド7、Mスポです。

そもそも暇つぶしに加え、ママがいろいろな食べ物を頂き、空気や雰囲気を味わうことも胎教のごとく大切だと思いましたが、加えてより快適な胎内環境を整えたいと思えば、母体たる家人を旅に連れ出すことで、開放的な気持ちで十二分な気分転換をもたらし、それが結果としてお腹の子供にもよい影響があるのではないかと考えました。家人の体調もよく見ながらの数々の旅路でしたが、つわりがなかったこと含め、かなり安定していたほうではないかと思います。

田園ビューが美しい月岡温泉に泊まり、

代車ゆえ自分のクルマでもないのに、写真を撮り、

こちらは内装が黒でしたが、これが違うだけで私も気分転換になり、

次は群馬を目指し走っていると、雪が降りだし、

雪景色を見ながらのドライブも素敵に思いました。

関越に入り、

みんカラをやってもおらずなのに、やはり今と同じような写真を撮り、

関越を抜けるとそこは別世界でした。

谷川に一泊して、美味しい輝く白米を食べて、

ママを通じて感じる旅、オーラスその前に、

パパは渡米しました。年末までには一度戻ります。
つづく
Posted at 2017/07/04 11:40:58 | |
トラックバック(0) |
生まれる前の旅 | 日記