α7R II + SEL2470GM + SEL1635Z
RX1 R

ハワイの一等地、その中でも凡人がさらに格別に思う場所。

ロケーション、レイアウト、ミュージック。そして世界一美味しいであろうチチ。プライバシーに配慮して、高コントラストにしております。

すぐ横は波の音。

「当機はあと1時間ほどでダニエル・K・イノウエ空港に着陸態勢に入ります」旨の機内アナウンスに慣れない中、訪れたハワイ。羽田発に続いて、今夏より成田発もANAのホノルル線は787-9になったようですが、

2019年からはANA成田・ホノルル間でA380が導入される予定とのことで、わざわざ成田まで行く価値を思いつつ今から楽しみですが、それまで飛行機好きが維持されているのかは未知数です。

グアム線は羽田がないのですが、限られた羽田の枠に加え、日米間の航空交渉の結実な都合や、そもそもビジネス需要もなくシーズン外での安定的な収益性を確保しにくく、さらにはビジネスクラスが安価な傾向で、この点からも収益性がよくなく、などエアラインの都合を知ると、それもまた面白いものです。

機内アナウンスといえば、エアドゥでは一度、素敵な機内アナウンスを聞いたことがありますが、ANAの「
山形機長」という方が、その名言ぶりに有名なようで、一度搭乗をしてみたいものです。

毎々、飛行機の離着陸時は動画を撮り続けています。「この度はANAをご利用下さいまして、誠にありがとうございます。」と飛行機ごっこで機内アナウンスをするのですが、その教材がてら録画していますが、今のところ一度も日の目を見ない動画になってしまっています。

お姉さんが水を出してくれる、袖も触れ合う旅の楽しさ。

旧日本兵スタイルの新しい水着でプールを愉しみます。従前の水着のほうが可愛いと思いつつ、かつまだサイズとしても着れますが、こちらのほうが日焼けしないであろう、という母心のようで。

ときを同じくして偶然に、近くのホテルにはお世話になっている方が米国との打ち合わせでハワイへ来ていました。こちらの単なる観光とは様相も世界も違います。という性格も有するハワイという立地。

グアムでは海、ハワイではプールがメイン。ホテル前の砂浜は、波が強く浅瀬が続くというよりも、傾斜がきつめで子供向きではないかもしれません。海は遠浅でプールに滑り台もある、グアムのほうが子供向きと言えるかもしれませんが、

プールはかなり満喫し、腕輪をつけながらも泳ぐのがかなり速くなりました。

部屋からプールが見えれば行きたい、ということで早々に泳いだわけですが、考えてみれば、幼稚園をしっかりとこなし、ばぁばの家に遊びに行き、飛行機に揺られ、機内ではトーマスとドラえもんを視聴し、ハワイまで来てそのまま到着初日にプールと海まで、がんばりました。

プールからあがり、シャワーで体を温め着替えてラウンジへピットインすれば、私の胸で即寝。豊胸手術をしておくべきでした。ちなみにラウンジもだいぶチープチックになった様子でしたが、ただ酒なので文句は言えません。

お昼寝から起きれば、外はもう暗く、ママが買っておいてくれたスパムやらで「ベランダで食べようよ」というベランダピクニックのお誘いをもらい、夜景を見ながら初日は軽い食事で済ませます。

乳児の頃から多分にドライブや旅行にと連れ回してきたつもりですが、離乳食のときは一度だけファミレスでお世話になったぐらいで、それ以外は一度も出来合いの物は食べさせず、

離乳食が終わってからも、コンビニのおにぎりやお弁当はほとんど口にさせずに来ました。昔はそのような便利なものはなかったわけですが、現代はついつい頼ってしまいそうになるところ、ママがんばってきました。

今でも極力は口にさせないようにしていますが、たまにならというマインドで。そして夜が更けてきた辺りで、ママ寝てていいよ、と我が家の王子がママにキスをして、

パパと二人で、少々夜の散歩です。

新婚旅行でハワイに来ているというお兄さんに声をかけてもらい、少しお話してもらいました。

「旅は色々な人に会えるのが楽しいんだよ」と自宅でぽつりと私に教えてくれるほど、かなりの旅人ぶりに成長してきました。

また翌夜に一緒に散歩することになるとして、一旦部屋に戻り、子供を寝かしつけて、即寝できるタイプの家人を横目に、まだ寝るわけにいかない私はさらに夜の散歩スナップを続けました。

寝るわけにはいきません。スタートアップしたばかりの報告電話が掛かってくるまでは。

若い頃は旅先でも電話ばかりしていましたが、電話を待つほどにこうして旅先で仕事を気にかけて、後進に申し訳なくも気になるのは久しぶりです。せめて思いだけでも感謝と労う気持ちも伝えさせてもらいながら。

後進だけでなく、協力者ともやり取りしました。つまりは旅先で仕事をしなければならない状況も久しぶりです。有り難いことにご協力を頂いたおかげで2/3000となりました。サンゼンブンノ二です。

スタートアップした仕事。10年振りになるのか、面接というものを自らする機会を頂いてさせてもらっています。

10年前は朝から晩まで面接をしていたときもありました。夜は二次、三次面接がてらの会食続きも。

新卒や中途、ハングリー精神あふれる高卒の男の子、赤子のような大学生に御曹司、ドクターを持った元研究員、まだ学生な女子、などなど若い子を中心にレパートリーも豊富でした。

今、面接をさせてもらっているのは20代から50代あたりまでの男性中心。新卒は皆無です。

少々浮世離れして人生を歩んできてしまっていることも自覚しつつですが、

40代、50代の方々と面接をさせてもらっていると、思うことは「生きる大変さ」です。まだ小さいお子さんがいる50代の方もいます。あと20年、がんばらねばなりません。

若い頃は誰しも、仕事に困ることもなければ、選び放題であり、いくら疲れても寝れば回復し、あるいは仕事が大変だと思っても、生きていかねばならぬ大変さはそう実感するものではないような気がします。あったとしても、楽しく感じることや刺激のほうが多い時期と言えるかもしれません。

それに比べことに50代は、ただただ生きる大変さを、それを強く実感する年齢、のような気がし、生きて行かねばならぬ必死さ。それが伝わってきます。

若い頃は歳を重ねて生きるのが大変そうな方を見ても「自業自得である」かのような一本鎗な考え、いや竹やりのような感想でしたが、

私も幾ばくか年輪を重ねて来ると、人生そう簡単ではない、ということも分かり、しかもそういう方は大勢いて、

加えて、同じ人間、苦しむために生まれてきたわけでも、ただただ苦しむために生きているわけでもなく、ましてやそれを望んでいるわけでもなく、と思うようになり、必死に、もしくは「とにかく」という表現を使ってもいいかもしれませんが「生きている」姿を見るにつけ、

その気持ちがどこか分かるようになりました。そして、ときに全力で、ときに私の役割として何かしらのお手伝いをできればとどこか思いながら、

そして敬意を思いながら、面接をさせて頂いております。

気持ちが伝わるのか、単なる説明だけで感服しました、という感想をくれた人生の先輩もいました。

人はみな対等だと思います。しかし私は「申し上げます」という表現を、文章でも口語でもあるときよりするようになりました。

すべての人に敬う気持ちを持ち、人間はすぐに勘違いし思い上がる生き物だと思いますから、自らを戒める意味も込め知らぬ間に思い上がることがないよう、対等だと思いつつも、すべての人は自らよりも上であると思い、

あるいは感謝の念も込めるつもりで、敬意を持って接するようになりました。そう思い至るようになった人生の旅時を歩んできたと言えば、そうであり、あるいはそれも含めて自然とそう思うようになりました。

物事は目標値を持ち、それに対してストイックになったほうがうまくいくという経験則もありますから、

若干は若々しい気概も持って5年で3000の雇用を作ることに社会貢献したいとも思って、あるいはこれを通じて利潤も得て、苦労ばかりかけている後進の人生にも寄与したく、

しかし言うほど若くもなく、肩に力を入れるわけでもなく、理想でごまかしたり酔うわけでもなく、頭でっかちでもなく、

多少は機微も感じれるようになってきたところで、ニュートラルな気持ちで仕事するように、今のところは至りました。といってもあまりしていませんが。しかし本日は12時間労働というものを久しぶりにすれば、ここちよい疲労感にも包まれました。

仕事のエンジンもかかり、ギアも変わってきたような気がしつつ、9月から幼稚園がはじまれば、年末までは送迎もあります。これもうまくやり繰りしながら、

3000という、いやそれは苦労という意味でも大変なことかと思いますが、その何割かで

仕事をする大変さはあっても、どうやって生きて行けばいいのだ、子供もまだ小さいのに、と絶望を感じることを和らげるという意味では、生きる大変さが少しでも減退する人生となるように、

少しでも役立てれば幸いにとも思い、仕事をさせてもらえればと思っています。と思う父。
つづく