
旅と旅、

その狭間から綴り直せば、後進が我が家にやってきて一緒に花火もしてもらい、バケツにも浸かってみたり、

「うわぁ~」と駆け込んでいけば「す、少し広いね」と評価をしてくれた、ジムショにも来て、ばぁばと電話したり、

ちなみに後日はジムショのことを「あの狭いところ?」と、率直なご意見をお寄せいただき、

電車にも手を振って、

「パパ、一緒に遊ぼ」とよくお声がけもいただき、

ママともジムショに遊びに来てくれた日もありつつ合間があって旅があり、また合間があって、

夏休み三つ目の旅に出かけます。

と、その前にばぁばのところへ寄り厚い抱擁を受け、ママがオートバックスで買ってくれた首枕を携えて、友がいる岐阜へ、静岡で一泊経由して目指します。

時は8月、台風五号だったか、それが日本列島を通過するやもしれぬ、という時期でした。

積乱雲や入道雲のスーパータワーがいくつも確認できる、暑い夏でした。すでに夏も懐かしく感じる、ときの流れを思います。

立ち上げたばかりの、小さな小さな会社。零細です。8月のお盆明けから一ヶ月、25名の応募とけして多いほうではなかったかもしれませんが、15名ほどの面接、そして採用は10名と、なかなかに高確率の求人を展開し、

さらにそのような零細にも関わらず、足掛け三ヵ月目となる最近は毎日面接を複数名して頂き、多い日には7つの応募も頂きます。昨日土曜日は、週末にも関わらず三つの面接も行いました。平日は仕事終わりの夜を希望される場合や、午後には社へ戻るためにお昼に面接を希望される方も少なくありません。

という中に、何らの制限なく募集をしていますが、下は21歳の女性から、上はなんと78歳の男性までお問い合わせを頂くこともあります。バイタリティーに驚きます。あるいは求人情報を見た同業他社の社長氏がアンダーに入って仕事をしたいというお申し出や、私がスタートした事業を同じように立ち上げしたいオーナーな青年が社員を修行させてくれないかというお申し出があったり、バラエティー豊かな日もあります。

同業他社からの現役応募や、経験者の応募も増えて来た印象です。

そしてなんと過日、幼稚園のパパ友が前倒しで転職してくることが決まり、奥さんと私も話をさせてもらい、正式に今の職場へ退職届も出し、11月より、同じ釜のお食事を頂くことになりました。まさかこのような展開になるとは、想像もせずでした。そしてあまり聞かない話かもしれません。

人間関係があるところに、しかもそれが子供の縁なわけであり、かつ求人も順調で、そしてこの歳で人員が欲しいからと、そのような運びになればリスクもあるわけで、わざわざそのようなことをする必要もない中で、

しかし縁というものはときに面白いものでありと思いつつ、より一層身が引き締まる思いと同時に、パパ友が来るのが楽しみにで仕方ありません。共に会社を大きくしていけそうな予感がします。

求人に直接携わるのは、実に15年振りです。一から、いやゼロから勉強しています。

同じようなネーミングの後ろに「NEXT」が付いたり、付かなかったり、この数年なのでしょうか、媒体もやたらに増えて、正直私はまだよく理解できていません。

しかしいろいろとご協力を賜り、毎日原稿を修整してくれる求人広告の方と出会ったり、他社のやり方を「なるほど」と思う方法を教えたくれたり、あるいは若きIT社長とも出会い、ささっとコンテンツを作成してくれ、あるいは最新の手法をやると進めてくれており、

現状でも十分に採用計画通りに進んでいる中に、効率を高めながら徐々に向上してきているのを実感できています。目指す目標値としては毎月30名、そして50名です。これがおぼろげながら見えてきたような気がしています。いや手ごたえを掴んできていますが、対応できるか、そして組織構築できるか、その分増えるトラブルにも対処できるのか、それらのパワーがあるのか、これらへの心の準備をしているのかもしれません。

成果がよかった媒体から、さらなる実を求め、最近スタートしてみた媒体は、想像以上によく引き続き、掲載をさせて頂き、そして何よりこの担当を下さっている方と、長きに渡る縁を期して、仕事をお願いしております。何ならと、小さな小さな会社ではありますが、転職も誘っております。そのまま求人担当を全面的にお願いしたく。

調達側でも、たくさんのご協力を頂き、取引先より「優先的に御社へ納入しますから」と言われていたものの、多大な感謝をしつつ、それは営業的トークも含まれていると思っていると、あとで同業から聞いて知ってみれば同業他社への納入分をその納期を破ってでも弊社へ回してくれたようで、さらに甚大なご協力を賜って、という運びもあったりしつつ、有り難く事業の構築に努めております。

後進も今までみたことがないほどに活き活きとして「むちゃくちゃ楽しいです」と、その快進撃は止まりません。

女性の採用も少しですが、進んでいます。

ご注文を一日に7オーダー頂き、そのオーダーだけで四千人の諭吉氏を越える額になり、あるいは毎日のように広がった顧客先からオーダーを頂き、お応えするために、おじさん体に鞭を打ちがんばっています。

私は営業という行為が苦手ゆえ、できる限りマーケティングの観点から、営業活動をしなくともよいビジネスを好む傾向があり、あるいはそれらの部隊を鼓舞し、統率し、数字の管理と数字を追わせることも苦手な部類なので、これらをしなくてよい点も、このビジネスを選んだ理由の一つですが、

営業無くして、怒涛のオーダーと追加発注を頂きますが、これは想定以上の需要とその強さでした。というこれらの記載が若く感じますが、この歳になっても、仕事は楽しく感じます。

後進と毎日のように、想定以上の引き合いを「よし、がんばろう」と、「あまり」休むことなく進める所存です。

人も増え、随所で動きも増えれば、平行してトラブルも増え、それへの対処も増えます。

内部を整えることも進めて行かねばなりません。

仕事の最も難敵は己かもしれませんが、これの他に最上級に難敵なのが「ボリューム」、つまり一定度を超えた「規模」という要素が、非常に難敵だと経験上感じています。

大よそのことは処理や対処ができますが、この規模というファクターは、非常に難攻不落級に対処が困難な仕事の部類に思います。

500名アンダーほどの組織構築とそれらの仕組み作りをした経験がありますが、これの6倍を目指す構えゆえ、まだクリアできていない要素その鍵を見つける必要があります。が、それは一応見つけたつもりになっています。

今までは後進に任せっきりであったことを、譲らずに自らやる所存の気合です。己と言うリソースを活かしきるという意味合いも含まれています。

取引もとにかく引く手あまたで、新しく取引先の別部門と一つ実際に取引がスタートすると、その日には怒涛にその数倍のご注文も頂く状況です。という状況ゆえ、オーダーを頂くのが怖くて、次の開拓先がいくらでもあるのに、開拓を躊躇してやらない日々です。

求人広告にしても、重ねて改め、日々、面白いと思うのが、縁です。

「ここ九重ホテル?」とこの写真で覚えているのはいつまでか。殺到すると言ってもよいのか、ご注文が多く忙しいため、新しい求人広告を予定していたよりも、一日早く掲載してもらえば、

応募が来て、採用に繋がり、一日早めたゆえの縁が生まれるわけでして、不思議なものであるとつくづく実感しながら、事を進めています。

立ち上げたプライベートオフィスは、私一人でもくもくと仕事をしています。

三回目となるプライベートオフィス。

一回目のプライベートオフィスは、事実上の雀荘になり、夕刻からよく麻雀をしていれば、また一人、また一人と人が来て、交代で麻雀をよくしていました。

深夜になると、仕事が終わったキャバ嬢が数名、しかも系列も異なる店舗の子達が遊びに来る、という環境でした。キャバ嬢にメイクされ、女装する後進もいたり、わけのわからぬ雀荘ライフ。今思えば、これもパワフルです。

二つの目のプライベートオフィスはシアトルから調度品も取り寄せて、内装もお金をかけカフェ風におしゃれにしたものの、月に一回使うかどうかで、最終的に閉じ、

三回目となるプライベートオフィスは20代の頃には譲るものの、濃密に仕事に勤しむようになりました。

という中に、後進に付き合って、その彼女探しにバーへ行けば、姉妹と意気投合し、姉となる26歳の主婦から絶対に金曜日にまたここで会いましょうね、19時ですよ?と言われ、

その金曜日が来てみれば、たまたま家族が私の実家へ泊ることになり、独身的な時間が生まれたにも関わらず、

20時には真っすぐ家に帰り、仕事の対応をする己を偉く思い、近所の立ち飲み屋の女性店長に、「これは偉い、と褒められることではないか」と、それだけは自慢しました。

その一方で、昨夜は嬉しいことに、新しく仲間となった20代と飲みに行き、

すべてを後進に譲ってきた身をとしては、すっかり少なくなっていた、そのような機会に恵まれ、かつこれからそのような機会も増えるであろうことを思えば、気持ちも若々しく瑞々しくなっていくような気もし、

これらのきっかけ、大元を作ってくれた友も来て、楽しいひと時を過ごしました。と、飲んでいる間にも応募、寝ている間にも応募を頂き、これら求人だけでなく、人が集まってくることはいい風のように思い、感じます。岐阜の道中に寄った静岡九重ホテルにて、無料クルーズをしたあとは、食事の合間に間近で花火を見て、家族風呂にも入り、夜が更けていきました。
つづく