2017年10月1日(日)

当時のスケジュールを振り返り、

この頃に入った方々の名前を見れば、古株にも感じる遠い記憶の日に思います。

この数日後から月間200応募越えの日々に突入していきます。

有り難いことに、大手企業も弊社の採用方法を参考にしだしたり、

面接のノウハウを盗みにきたり、

あるいは内容を真似してみたり、

ということになっているそうですが、私としては僭越ながら有り難く、

しかしまったくもって心配もしていません。誠実に対応する、ただそれだけだと考えています。

採用後はむしろもっと割り切って考え、判断しマネジメントしなければならないのかもしれませんが、

どうしても情が入ってしまい、人生を応援したくなり、弊社を通じて食べることが生きる手段になってもらいたく、

甘いジャッジが多いのではないかと、反省も思いながら、あるいは同業他社と比べれば確実に甘く、

「もっと割り切ることが必要である」という先輩のご助言をまだ活かせていないのではないかとも考えています。

半数が20代、ついで30代、そして幾人かの40代に、50代と60歳の方も採用してみています。

近況と合わせて、この仕事を始めて学んだ「やり方」をこれから入ってくるであろう新人や後進のために、惜しげもなく私へ時おりメールをくれる50歳の方もいます。

この方のメールを頂くのも、拝読するのも楽しみとなりました。

あるいは面接をしていて楽しいのは、一人ひとりが違う個性をもっていらっしゃるわけですので、

その個性に触れることも楽しくですが、

経歴や前職について質問させて頂き、話を聞くことも楽しみです。

知らない世界の話しを聞くことができます。

メーカー、建設業に若き料理長、先日は新聞記者や機関投資家を担当していたファンドマネジャーの方もきました。

印象的だった話はコンクリートを運ぶドライバー職の経験がある方の談話です。セメントは基地から運べて、90分範囲のところまで。クルクル回っているので、長く運べると思っていましたが、案外に短い時間内に運ばねばならず、一つ知れると楽しく感じます。

ドライバー職の方だと、大手ハイヤーで運転手をしている方も来ました。

朝、高級住宅街へ迎えに行き紳士的で柔和で大らかな方と、止める場所が「10cm違うだろ」と怒る方。

前者は代々裕福な家庭で、後者はのし上がった方に多いと聞けば、腑に落ちなくもありません。

空港施設で働く方に聞いてみれば、さぞや飛行機が好きだろうと思いきや、

飛行機はもう見たくもない、と話しをしていました。空港、殊に羽田ではある日は夜出勤、ある日は午前3時出勤など働く時間が不規則で、かつ長く、

冬は寒く、夏は暑く疲れ切った体に、目の前にあるジェットエンジンの刺激が強すぎるようで、

飛行機が嫌いになったそうですが、想像してみれば分かるような気もしました。

カメラメーカーO社にお勤めだった方も面接に来ました。年初より仕事もして頂いております。

そういえば私の友人にP社社員がいますが、使っているカメラはN社です。

という話しをご子息がC社へお勤めの社長氏へ話しをしてみると、うちの息子もN社使っているよ、と

カメラメーカーもしくはカメラを擁しているメーカーに勤めている方に、N社人気があるようです、という結論付けをするにはサンプル数としては少ないですが、これも意外でした。

ちなみにS社は以前擁していたビジネスで取引先の一つでしたが、

良くも悪くも外資系となっているゆえか、純粋な日系よりも終身制が薄れている要素も少なくないように思い、自身の先行きを案じてか、

子会社・孫会社の社長や同幹部クラスともなってくると、

隠れてサイドビジネスをしたがり、あるいは社への誇りは感じつつ、忠誠心はあまり感じることはなく、ドライなリベートの要求が強かったような記憶があります。レタッチが化粧だとすれば、やりすぎはケバイ化粧かもしれません。

片や日系の雄ともいえるH社の部長クラスは、東南アジアへの出張に赴任も少なくなかった影響か、

フィリピンやタイの方を囲っているケースが散見される事案もあったような気がし、

これを維持・管理するコストの請求はあったような気がしますが、S社に比べると要求は可愛い様相で、かつ社への忠誠心は感じ、温かみのある方が多いようにも感じました。

H社部長からはご子息の就職のお世話をさせて頂いたこともあり、そのようなことまで頼ってもらったときは社会人として嬉しくも感じた記憶もよき思い出です。

大井車両基地から城南島、そして羽田空港と回った1日。和菓子を買うから、写真を撮らせてほしいというバーター取引。一つずつ色々なたくさんの社会勉強をしていきましょうね、と思いながら。
つづく