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ドライブへ行こうのブログ一覧

2019年09月19日 イイね!

「かっこいいなぁ、これ」とULTRON 35mm F1.7とCarl Zeiss PLANAR T*1.4/50mm が好きになりマニュアルレンズを使い出した5歳の秋。

「かっこいいなぁ、これ」とULTRON 35mm F1.7とCarl Zeiss PLANAR T*1.4/50mm が好きになりマニュアルレンズを使い出した5歳の秋。









2019.9 書き溜めてあったのを合わせ一気にフォアボールあとの5連投目。

「パパ、起きてよ、どうしても付けたいレンズがあるんだ」と、この四年ほどたっぷりおかしにジュースがしみ込んであるソファーの現場へ行ってみると、「このカメラに、このレンズ付けたいんだ、パパやり方教えてよ」と、セレクトされたセットが鎮座していました。





「このカメラに、このレンズ、かっこいい、かっこいいよパパ」と、数あるレンズの中から、この二本が気に入ったと、選んだGクラスの趣味合わせはなかなかセンスが渋い5歳児に育ってきたかもしれません。



まずはこっちを付けろ、ということで、SONY α7 II のボディに、Carl Zeiss PLANAR T*1.4/50mmを装着。ピントに、マニュアルレンズの使い方を教えて、





A7R2またはA7R3へ、ULTRON 35mm F1.7を付けろという要求は、「軽いからこれがいいよ」と使っていないNEX-6を提案し、





入念に拭き、ママには「濡れたので拭いたあとに、すぐ乾いたので拭くと綺麗になるよ」といいながら、さらに入念に拭いていたようで、幼稚園へ向かい、





この日はRAV4の一か月点検に、FJクルーザーのオイル交換でディーラーへ行く予定のところ「カメラ持っていく、あぁ早くカメラに会いたい」と聞きながら、




「うわぁ~このレンズかっこいい、かっこいいよパパ」と、カメラを楽しみに帰る幼稚園児に、この渋さが分かるように育った5歳児、パパみたいに一気に駆け抜けて、そこそこで飽きてもらいたく、




全部あげるからと伝え物色し出して「これつけたい」「これはキャノンにつくレンズだよ」という様相で選んだレンズのチョイス。「将来、子供いっぱい撮ってあげてね」「なんで?」「愛してるからだよ、溢れる愛だよ」と伝えれば、「写真は動かないよ?動画がいいんじゃない」とのことで「なんで動画ではなく写真なのか、のなんで」とこのとき理解し「もちろん動画もたくさん撮ってあげて」と会話して、





「パパ、これが一番かっこいいよ、これ本当にかっこいいなぁ。この二つがいい」と持ち出して、「Aちゃん、時計とカメラがいっぱい欲しいんだよ」と、物欲の飛び級は順調かもしれません。玩具への執着心や欲求というものが非常にライトになっているように随所で感じます。少なく長く、ではなく、P&G社のマーケティングを見習うかのような一気に物量投入にて短くで、駆け抜けていく各ステージを意識しています。




プールで会った我が家のアウトドア指導者兼パパ友氏と今後の釣り予定談義で小一時間立ち話し、その後は保険の見積もり機会をもらえませんか、ということで後進を紹介するのに合わせお願いしてRAV4を運転してもらい、私は後ろからFJクルーザーでディーラーへ向かいました。




会社の保険についての商談を「パパは仕事しないの?」と質疑が飛びながら横で聞いてもらったり、




優しく寛容な心の所有者Yさんや、保険会社のお姉さん、





そして展示してあるクラウンなど、これらマニュアルレンズで撮影させていただきながら、




FJクルーザーにRAV4もピカピカに洗車までしていただき、楽しいひと時をすごします。




来春の営業車入れ替え前に「これ買っちゃおうか」と悪い癖が出そうになりましたが「目標達成までは今の相棒でいこうと決めています」と心が緩む提案は却下となりつつ、


本日電話してみてしまえば商談が他店経由で入った、というT-バリューな一台を見て、




RAV4の点検が終わり、ピットから出てきたところを




フライデーした水曜日。



最近「カメラ買って、カメラ欲しい」と連呼していたので、どうして急にカメラが欲しくなったのか水曜日の幸楽苑で問うと「だってパパがいつも持っているからかっこいいと思って」と嬉しい理由が聞けました。「好きなの買ってもいいし、今あるのはぜんぶAちゃんのだから、ぜんぶあげるから」と伝えた翌朝に冒頭の光景が待っていました。




幸楽苑では、「バギー買ってレンタルして、お金が増えたらまたそれでバギー買ってそれも貸してを繰り返す」という経営方針の発表を聞き、広告について引き続き話し、加えて私のアドバイスとしては「Aさん好き、ねぇAさん私喉乾いたシャンパンタワーみたい」「しょうがねぇなぁ」というムダ金使用劇場を何度か開催していますが、「パパは毎日100万円、一か月で3,000万飲んだときもあって、毎月ちょっとしたお家買えちゃうぐらい無駄なお金をいっぱい使ってきたヨ」と一見会話の整合性はないながら、延長線上の話題も伝え、即席劇場を見ていたママは笑っていましたが、経営会議に講和もして、プール教室ではずいぶんと速くなっていてびっくりし、頭がしっかりと入っているその背中に美しさを感じ、この日は雨の中にママの反対を押し切ってキックスケーターにつきあって、



ウルトロン+APSの暗めながらそのまま、



フラッシュ、





サイドバウンスでこうして光が違うと、こう変わる、というのを教えてみて、ちなみに最近男児への性的犯罪も目立つので、公衆トイレは一人でいかないことをよく話し、




次はシグマのARTレンズ「違いわかる?」と聞くと「あっ後ろがもっとモヤモヤしている」と「おおすごい、そこに気づいたか、それはボケっていうんだよ」とカメラ談義最初の一歩、マニュアルレンズデビューに撮り比べ




レンズは優しく優しくそっと置くようになった、そんな昨日となりました。




本への興味も増えだしたような気もしつつ、




「あぁ懐かしい三匹の子豚だ、これ読んだなぁ」や




「これは三歳、4歳の頃、よく読んだんだよ。Aちゃんこれで勉強してさらに飛行機が好きになったんだ」という声を聞いた夜もありました。一年後、またどのように成長していくのか、楽しみであり今は今しかない切なさとも戦いと思います。


Posted at 2019/09/19 15:45:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | カメラ | 日記
2019年09月19日 イイね!

スーパー林道御荷鉾を目指し、塩沢峠でジムニー止まるの巻き。そしてジムニーとの別れ 危機一髪その2

スーパー林道御荷鉾を目指し、塩沢峠でジムニー止まるの巻き。そしてジムニーとの別れ 危機一髪その2
2019.9



我が家にとってヒーローの登場です。正義の味方です。車内家族で「きたー」という声が響き、



あの光が見えたときの喜びと希望は忘れることができません。




先行して来たワゴン車へまずは深々と頭を下げます。あとで聞けば送りを考えて二台体制で来てくださいました。





レスキュートラックが転回するスペースを少し先で確認し、電波が届かないため、入ってきても大丈夫な旨を伝達のためトラックが待機する一旦3キロ先まで降りていきます。




薄気味悪いだけだった暗闇に晴れだした心が勝り始め、余裕が生まれます。





「おぉ来た」




「来たよ、来た」狭いところもありましたが、トラックも無事に入ってくれて登って来れて、先が確実に見えてきました。







レッカー事業をやりたい、という我が子、ここからは夢が叶ってリアルなレッカー作業、しかも闇が包む山の中という稀有と言ってもいいインパクトの中に、間近で見ることができる機会となっていきます。



なかなかな急こう配のため、サイドを引いてもトラックが止まれず、ウィンチをすればなおさら下がって危険であるとのことで、



一旦ワゴン車で少しけん引して、お尻から入れていくプランにする等、同じ現場は二つとないお仕事、現場での知恵が要求されます。





荷物も移させて頂きます。





到着早々、作業中、作業完了、送りのとき、都度都度深謝を伝えつつ、




レッカーの作業風景が見られる興奮も抑えきれません。




レッカー先はこの一連ドライブ、目指していたゴール地点である「長野県にある中古車販売会社」たる135kmのレッカーをお願いしても、保険のサービスでカバーされ料金の持ち出しも等級が上がることもありません。あとで群馬の修理工場にきて、長野に運んでという手間もなく、大変に助かる次第です。




こうして、群馬の山奥で、しかも暗闇の中に、我が家の個性的なジムニーとお別れをすることになります。



思い出深くなる、インパクトも強烈な出来事です。



段々とジムニーがウィンチでローダーに乗っていきます。




到着時、作業中、完了時と非常にご丁寧なお気遣い、ご対応を下さりました。




20:05作業完了。気持ちばかりの薄謝をお渡ししたかったのですが、ここでも受け取ってもらえませんでした。深謝致す次第です。




ワゴン車に乗り込み、街まで送ってもらう約一時間半。私と同い年の方で、非常にたくさんのお話をお伺いできました。「感謝を頂くだけで嬉しいです」と言われ、その理由を伺っていますとレッカーが到着しても激高する方もいるそうで、助けにきてもらって切れるのもよくわかりませんが、恐らくは重度の発達障害な場合もあるのやもですが、合わせて林道だと助けるのが大変で、つい先週もレッカー車の後輪が落ちてしまい、そこから重機を手配して等レスキュー現場のお話や困難なケース、限界事例、あるいは警察案件の事案など、興味深いお話をたくさんお伺いする機会ともなりました。いずれにしましても聞いてますと、故障がスーパー林道に行ってからでなく、これが今回最も不幸中の幸いなような気もしました。





群馬前橋駅まで送り届けてもらい、三連休初日、車中スマホでママが残り一室を見つけてくれ、これも便利な時代の享受を頂きながら、素敵なホテルが決まり、




一息ついて次は高崎に移動しますが、電車は一時間後のため、




「一時間後の電車とタクシーどちらがいいか」を聞いて、タクシーに乗ることにします。




御荷鉾スーパー林道の歴史や荒れているところ、私たちと同じように故障したものの結婚式だということでタクシーを軽井沢まで乗ったお客さんがいたお話、あるいは最近は外国籍の方が多く、東南アジアの方が工場で組み立てをしており、つまりはネジの果てからユニットにモジュールも部品の多くが東南アジア製、それを日本で外人が組み立てるわけで「Made in Japan」とは何なのか、という時代の流れを考えさせられるお話も伺うことができました。



高崎駅の盛大な灯りです。街のよさ、有難さ、多くの人は山に住むのではなく、人はなぜ街を作るのかを肌身で感じる瞬間でした。




暗闇の中に、停電している被災地の大変さも幾ばくかながら思い、暗闇でたった一時間程度ですが過ごしました。




携帯がない時代だったら、もっと寒い日にエンジンがかからない故障だったら、怪我をしていたら、雨が降っていたら。近年は登山ブームに比例して、遭難が増えているとのことで、300m級の低い山でも遭難し命を落とす方もいるそうで、川、海、そして山にと自然はあっけなく牙を剥いてきますゆえ、油断はしてはいけないと強く反省もした次第です。ドイツ車は懐中電灯常備ゆえ、これも油断でしたがこれも全車に常備、とくにジムニー系は必須に思いました。次のジムニーではサンドラダー、スコップはじめ基本装備を纏いたいと考えています。




三連休に隣接エリア含め、最後の一室。ホテルに空きが見つかったのも幸運でした。




高崎駅東口、素敵なホテルに宿泊です。



ママがチェックインの手続き中「はい、一枚撮らせて」といえば、微笑とパソコンを打つ仕草の自動セッティング。




こうしてホテルに辿り着けて、有難く、救われました。




しかもトレインビュー。



22:23横になり、この日布団で寝れる安堵に、布団で寝れる幸せ。




大浴場もついているので一度六階へ行ってしまうも「10階だよ、ママ言ってたじゃん、Aちゃんちゃんと話し聞いているんだよ」と導かれながら、お風呂に入って緊張の疲れと文明の中にいる安堵の中に「今日ほど気持ちよい風呂もない」、こうしてお風呂もなんと有難いことかと思い、




ラジコンの無事も確認し、




「一件落着っ」と発する背中を見ながら、微笑ましく思い、




この日の再現を見て、



「動画で見たい」とのことで、どこが焼けて、クラッチとは何か学習の機会ともなり、




本年無くなってしまう前に乗ろう、と言っていた二階建て新幹線MAXで帰ることとして、「レンタカーと新幹線両方乗りたい」との要望に、レッカーも見れて、されて、おまけにウィンチも、そしてMAXも乗れることになり「神様ありがと」との声もきき、




急な下り坂を3キロ近く歩いて、翌日から三日間筋肉痛にもなる疲れも手伝って、




簡易スピーカーをこしらえて、ヒーリングを聞きながら、



この日合わせ、高崎に二泊する旅となります。結局、ライトな待ち時間に、暗闇の山で夢にまで見たレッカーという稀有な体験と、MAXにも乗れることとなり「Aちゃんの夢が叶う旅」となることになりました。


つづく


Posted at 2019/09/19 15:43:24 | コメント(1) | 群馬ドライブ | 日記
2019年09月19日 イイね!

ジムニー遊び。 山の中で危機一髪その1

ジムニー遊び。 山の中で危機一髪その1


台風15号により被災された方々にお見舞い申し上げます。



2019.9

腕時計に興味を持ち始めた最近、そうえいば20代の頃にママがしていた、もうもっぱら使ってないママのボーイズサイズがあったと発見された、





2019年9月、第一3連休の初日。腕時計をセレクトして、



キックボード。



RAV4で、




ジムニーが停めてあるところまで移動し、荷物を積みかえて、




ママが作ってくれたおにぎりでランチ車中食をしながら、





「売りたくないなぁ、こんなかっこいいのに」と言われながらも、JB33ジムニー最終章「第一節金谷元名林道」に続き、「第二節 御荷鉾スーパー林道にいく」「第三節 信州大町チャレンジフィールドでオフロード」「最終節 ジムニーとのお別れイン長野」のつもりな一泊二日の予定で出発しましたが、



まさかのこの日、我が家の5インチアップカスタムてんこ盛りジムニーと、予定外のお別れになることになりました。





関越花園インターで降りて、秩父越えをして、御荷鉾スーパー林道を目指し、さらに翌日はオフロードコースインと、我が家に来てからまだ二か月、がっつり乗っておこうと、最後のお別れドライブのつもりでいました。




「ショックアブソーバーどれだろう」と黒くて気づかずに言ってみると「これじゃないの?」とご教示の運びとなり、



「これだ、これだよ、すごいよく分かるね」ともう私よりも詳しくなってきている様相も思いつつ、





もう一枚、こうして写真で気が付きますが、RANCHO RS 5000、なるものがついています。これは何なのか調査中です。




と、カスタマイズや下回りについて、結局じっくり見ることもなく、勉強することもなく、去っていくことになります。




がっつり山越えの林道越えしていくつもりな割には、出発が遅く、夜の林道などとてもじゃありませんが危険で走れませんので、予定は柔軟に変えるつもりながら、



窓も開け放ち、ここちよい秋風を車内に入れながらのドライブです。岩肌が広大ながけ崩れのようにも見える武甲山、その昔はダイナマイトを使ってまで採掘が行われいたそうです。




二か月ながら数回のオフロードに、何名もの激しい乗り方。レスキュー時の無理なけん引やスタックなど抜け出すときはクラッチホイールが焦げたような香りがしていたこともあり、




若干クラッチが滑るようになり、滑りが段々大きくなっていっている感もしていましたが、



この日が最後のドライブ、乗り切れるだろうと、あまりに気にしていませんでした。




「ジムニーは登るものである」。林道に入る予定のため、ガソリン満タンのならびに「保険だと思って2,000円分ぐらい食材買っておこう」と発し、このとき自分の発言に嫌な予感もしつつ、



ドライブを続行することにします。ジムニーに16インチを履くとタイヤハウスいっぱいになりますが、こいつの場合は言うなればAカップにHカップのブラをしたぐらいであろうスカスカぶりです。



「ジムニーは台所である」




「ジムニーは食卓である」




「ジムニーはアウトドアチェアーである」




「ジムニーは居間である」





駐車場ががらがらで、少々のつもりでこちらに止めてしまいましたが、思いのほか「ジムニーは家である」と10分ほどここで生活をしてしまいました。




我が家の隠れボス、車上飯から降りてきました。



食後のアイスを楽しみながら、



段々と山道になり、



坂が急だとクラッチが滑るな、と思いつつ、山に入っていきます。




埼玉県から群馬県に入ります。





まずい、だいぶ日が落ちてきています。




車を止めて「黄金ランドとはなんだろう」と考えている場合ではありません。



神流町(かんなまち)。




生計の立て方はどのような方法なのか、調べてみますと石灰採掘が重要な産業とのことで、そのほか神流町の求人を見ますと高齢化率全国2位な同町、林業や土木系に加えヘルパーの募集が目立つ印象です。





スーパー林道の文字が見えてきました。スーパー林道御荷鉾を目指し、塩沢峠に向かいます。




ここに来るまでにすでに鹿5頭超を目撃している中ですが、さらに二頭がお出迎えを頂き、


あとで歩いて戻ってくることになる、塩沢ダムでのんきに休憩をとることにします。




「顔がほわんってするやつ(ぼかし)、Aちゃんもやってみたい」とのことで、画像ソフトデビュー作「分身の術Aちゃん」を記念に掲載しておきます。




日本のモナコよろしく、人けもないところでラジコンで遊び、時間も時間ゆえ、スーパー林道御荷鉾の入り口まで行ってみよう、というプランにすることにして、




舗装されているながら、傾斜40度越えぐらいありそうな坂が続いていきます。



我が家の会長も快調です。




心理的に40度は越えているであろう急なラフロード、同オフロード、ときには大雨のあとの年間でも最悪の泥状態と聞いた難所もこなしてきた我が家のジムニー。



多少、急でも舗装路なら問題なく駆け抜ける、少し、いや段々とだいぶクラッチ滑るけどこれぐらい、と慢心があったのでしょう、続く急な坂で白煙を吹いて、ギアをいれても動かず、クラッチを踏まずともギアに入るもエンストもせず、な状態で、どうやらクラッチが焼けてしまったようで、




盛大なエンジン音と反比例する減速、そして白煙に包まれ坂の途中で止まってしまいました。「これはまずそうだ」という感想を心のトランクにしまったまま、坂を重力に従ってバックで下り、ここで止まってピクリとも動かなくなりました。携帯の電波が入らない、しかも日が沈む寸前暗くなりはじめた山奥でイベント発生です。




さっき休憩した塩沢ダムの休憩所で電波が入ることを確認しています。レッカーを手配するため、歩いて降りることにしますが、このとき17:16。




日が落ちると、山は急激に暗くなっていくことぐらいは、都会暮らしでも知っているゆえ、




心細さもマックスに、




「これが冒険かぁ。冒険楽しいね」と救いの言葉を頂きながら、歩を急ぎます。



カメラの都合で空が明るく写っていますが、段々と明らかに空の明度が落ちてきています。




猿がすぐそこで「俺たちの縄張りに勝手に入るな」のごとく「キィーキィー」と鳴き、ガサガサ音がし木の間から姿が見え、もしかしたら襲ってくるかもしれないと、心の激甚災害級な状況です。





この日の夜、すべて終わってゆっくりしていると家人から「パパって焦ることあるの?」などと聞かれることになるのですが、すぐに到来するであろう漆黒の闇を思い、かなり焦っています。が「責任者たるもの大変なときこそ冷静に判断できなければならない」が信条の一つで生きてきましたので、突発な問題発生に冷静になることには慣れているのかもしれません、が焦っています。



「安いやつはだめだね、だけど別れは寂しい」と我が子より声を頂戴しながら現場から2キロ以上3キロ未満、塩沢ダムまで歩いてきました。早急に電話にて保険会社の無料レッカーを依頼すると、このような山の中「3乃至4時間は待つかもしれない」と覚悟していたところ「1時間ほどで到着です」との声に少しひと安堵。しかも公共の交通機関がある街まで送ってくれるとのこと助かります。長野入りを断念し、予約してあったホテルをキャンセルもします。




レッカー依頼の電話番号を仲間に教えてもらうところから始まって、保険会社とのやり取り、レッカー会社とのやり取り、受け入れ先との調整まで合わせ、もろもろ手配の電話が終わったのが18:05頃、これから急激に闇がやってきます。電波が届かない車のところで待っていることを告げ、20:00になってもレッカー車が到着しないときはダムに戻って電話すると伝え、急いでジムニーに戻ることにしますが、すぐに闇が訪れはじめました。



と、そのとき地元の方が通り、事情を話すと乗せてくれ、暗闇を歩くことなく光を灯すことが可能なジムニーへ戻ることができました。思い出の追加オプションを頂き、仕事終わりのお疲れな中に、無駄なガソリンも使わせてしまい、薄謝だけ進呈するも辞退され、



無理やりにダッシュボードへ薄謝を置き、車から離れて深々お礼を伝えるも、降りてきて「困ったときはお互い様だから」と受け取って頂けませんでしたが、ここが日本であったこと合わせ、この方に深謝御礼の次第です。少しバックしてから転回するようで、光が遠ざかっていき、




18:30あっという間に漆黒が到来です。間一髪、車の中に入ることができました。出会わずにいたら、あるいは止まってくれなければ、暗闇の中を歩いてきたことになります。危ないところでした。






幸い食糧と、ガソリンは十分にあります。電波が届かないのでアプリにて文字の練習をしたり、子供なりに時間つぶしに知恵を使い、




この日二度目となる車中飯。これはもうテントでキャンプしていると思おう、と声をかけながら、すなわち「ジムニーはテントである」と心も周囲も明鏡止水となり、



果たして場所を伝えたとおりレッカーはくるのか、もしかしたらレッカーが途中狭いところを通れず、来ないかもしれない、




そのときはこの暗闇の中、家族は車に残し、私一人でダムまで歩いていこう、熊がいたらどうしよう、明日明るくなってからにしようか、




などとも内心考えながら、しりとりしたり、ラップしりとりは却下され、この旅は、ジムニーを買った長野県の自動車販売店までの運搬業務も兼ねているのですが、レッカーがくればこのままジムニーとお別れの旨話すと「ジムニーありがとう、寂しいよ」とハンドルをすりすりし、




とにもかくにも暗闇の中に、待っていると、





来ました、来てくれました、下さいました、


Posted at 2019/09/19 15:39:58 | コメント(1) | 埼玉ドライブ | 日記
2019年09月19日 イイね!

ばぁばと行った新潟とお風呂、4歳の思い出 2018秋。

ばぁばと行った新潟とお風呂、4歳の思い出 2018秋。
2018.9






毎日毎日来る日も来る日も「パパパパパパパパパ」、「パパがいい、パパがいい」「パパじゃないとやだ、パパじゃないとやだ」とパパっ子ぶりが100倍になっているのではないかと思う、いま5歳半から遡ること1年前。



それもあと一年ぐらいのことなのかと、先を思えば切なくなりながら、これも今だけのことと味わいつつ、パパっ子青年期はどのような対応をくれるのか楽しみにもなりますが、二人で静かにドライブへ行くこともあるのかもしれません。







便数は少ないですが、小雨も手伝ってくれたのか人がいない贅沢な展望デッキ。なんと新潟県、今では考えられませんが人口一位になったこともあるようで、意外です。




昭和5年開港、日本の人口が約6,500万人の時代に「空港を作ろう」というあたりに一入です。




昭和33年、人口9,100万人、日本が登坂まだまだこれから絶好調の頃に東京便就航。




ぼろぼろでも先に期待感が大きい終戦人口7,800万人、恵まれていても先の不安要素が大きい1.2億人。




人口が今の60%程度であっても、つまりはもっとスカスカな日本列島においても、



収益性に採算性がまったく見通しがたたないどころか見込みもないなかに、




あっちに鐡道を引けい、山に住宅は建てろ、橋もかけて、あの田舎にだって線路をひけばいいではないか、と想像してみれば、戦後の時代に当時の経営者に敬意を思います。




比するまでもなく、私はというと、




小さくとも採算の見通しが立たねば、事業投資をせず、できず、ポケットマネーで地域のために鐡道を敷く見通しなどこの先も不可能であり、




採算性など、ときにどうでもよいではないか、と各地方の電車軌道が敷かれたと勉強をしたことがありますが、とてもじゃありませんがそれを思いますと己がみみっちく仕方がありません。



軒並み昼休憩に入り、一店舗だけ閉店ぎりぎり、滑り込みでお昼に入り、へぎそばを頂きました。




過去、自分では数えたこともなくピーク時に25事業を展開していたそうですが、この子が生まれてからは興味がなくなってしまいエネルギーが一滴もいかなくなり、最後の1事業は友が買ってくれ、




他方、人に委ねた形ではなく、コアはしっかりと手綱を自ら持ち、グランドデザインもし、今の事業を始めましたが、



2017年晩夏参入時にベンチマークし、2018年4月には抜いたB社



弊社を相当に意識していると聞こえてはいましたが、だいぶ前から弊社をベンチマークにしていると内部情報が届き、あるいは弊社が進んだテリトリーから撤退をしていっていたことは察知していましたが、明確に弊社進出先は避けているとも聞き、




という中に、今年途中から取り組んできました、とある制度が形になり品質面で大きな効果に繋がり出したので、これはすなわち模倣を極めてしにくい特異的な競争優位性に繋がることと考えられ、



まだまだ各地のゲリラ戦を制する組織にもしていかねばですが、かなりの盤石化が見えてきたと判断できるのではないかと思う次第です。





今後事業を増やしていくとしても、私がやると決める事業であるからには、しっかりと収益性と成長性が見込めるという意味で、過去後進達が選び参入してきたさして儲からないか、やることに疑義を持つような中途半端な事業は選ばず、と若さも思い出しながら尖り気味に自負もし、




次の大黒となる柱の事業を立ち上げていきたく考えます。




加えて、あとは遊びの事業です。この頃は「パパ仕事してくていいよ。Aちゃん稼ぐから」「仕事させないよ?会社潰して。ショベルカーで潰す。Aちゃんいろいろ知ってんだよ!」「隕石ってなに?流星群のこと?」あるいは男の約束、と他言無用を約束すれば「Aちゃん口が固くて動かない。木でできているから」などと会話した4歳でした。





このときは「龍が降りてきたみたい」という感想を聞きながら、龍で思い出したのか「天橋立行きたい」と平地から見る雲海かのような珍しい景色を見たり、「空飛ぶ家事業」の構想や「宇宙人が未来に行く」という新しい発想も聞きながらのドライブでした。




無論FJクルーザーにも目が行きつつ、




バナナが食べたい、という買い物を見守って、



旅館に戻りました。



現在の事業は、創業して十か月は土台作りに、朝5時から夜は1時2時まで、幼稚園の送迎もやりながら、のめり込んで楽しく労働も心が弾みながらして、たしか一年程度で200名の組織に育っていったのですが、




その過程で、平民にとっては十二分ともいえる社の怒涛の成長中、有難いことに優秀な若手の方々とのご縁を頂き、業務をバトンタッチするときはエンドルフィンを出しつつ1区を独走ながらもヘトヘトで倒れる寸前の駅伝選手のようだったような気もしてきますが、客観的にもこれだけ短期間の隆起なエネルギーですから、神経細胞に活性酸素がダメージを与え見えない疲れもあったかもしれません。




という意味では十分休憩も頂いたのもあり、次の事業、起伏を作るためにさらに気力体力をよいところへ持っていこうと、ジョギングを始めました。我が子自転車によるコーチ付き、という幸せなジョギングです。ジョギングあとはさらにサイクリングに付き合います。




国土の面積、アメリカが約963万km2、日本が約38万km2。




GDP、19.4兆ドル、日本4.9兆ドル(2018)、




アメリカ人口3.2億人、日本人口1.2億人、



と、ほんの僅かの一部だけ国同士比べても、米国の遥かな強さと大国にも関わらずかつ貧富の差が拡大しつつの中に一人当たりのGDPの高さを思うところですが、




面積カルフォルニア州423,971 km²、日本377,914 km²




人口カルフォルニア州3,956万人、日本12,000万人




人口、江戸時代中期以降3,000万人、カルフォルニアの人口3,900万人、




すなわち、人口密度で言えば、カルフォルニアは日本の江戸時代であり、江戸時代はカルフォルニアである、といえるような気がしなくもありません。とするならばこれからの日本における不動産事情というものが垣間見えてくる一端になるやもしれませんが、不動産を必要としないという通信の進化含めたIT、そしてAIという要素が大きくなっていく点は相違点として勘案しておくことも必要かもしれません。




カルフォルニアGDP2.7兆ドル、日本のGDP4.9兆ドル、経済規模は国と州との、この比較をどう感じるか、国同士よりも、州と我が国を比べたほうが等和性のようなものを感じますが、




現在もそしてこの先も米国の経済的植民地支配を受けていると言っても過言ではない敗戦国である我が国において、





わざわざ合衆国の州に編入されるとした場合、米国のメリットととしては、全体の総和としての国力が強まることに加え、税収も増加し米国のいわば営業利益が増えることとなり、日本の経済圏、その通貨発行権も手に入れられ、



日本としてのメリットは全省庁を軸にした現政府および不毛な公的機関・諸制度という間接部門の合理化をすることが出来、この国または州の経営効率が20乃至30%は向上し、コストカット効果が期待できる面が考えられます。




他方、現在の状況で州に編入された場合、アメリカ側のリスクが大きいのではないかと考えられます。




一つの州としては巨大すぎ、イニシアティブに大きく影響をもたらす勢力となりかねません。




ところが、人口3,000万人程度、あるいはアメリカは人口が増えていますから、諸州と相対的に見て日本の人口が4,000乃至6,000万人となる頃には各州もそれぐらいの人口になる100余年後あたり、州に組み入れるにはほどよいサイズ感となってくるものと思われ、



一つの被害妄想的な考えかもしれませんが、日本の人口減という事象は、壮大な編入計画な可能性がゼロではないようなお告げのような気がしてきたら、どうするか考えたい様子です。





1人産んだら3,000万円絶対必ず全員にプレゼント」プランという政策への最大の反論は財源です。




しかし私はこの反論が不思議でなりません。




内閣府発表によると、一人あたりのGDPは約410万円で、GDPというものは年次により変動し10年スパンで見ただけでも大きく変動する場合もあるので、一人あたりの生涯GDPという値を正確に推計していく難しさはありますが、





20歳から65歳までの45年間、仮に年間400万円の生産性を維持したとすれば、





一人の人が一生涯にもたらす生産性というものは、18,000万となり、



つまりは1人の人口が増えその人が成人して以降労働を終えるまで生産性は約束され固いものとなり、その状態をいくらでも増産でき、あるいは途中で政策を変更したり、つまりはコントロールでき、




絶対に上がる固い生産性という信用が生まれるのですから、1.8億の生産性に対して、国債を発行し3,000万円つけるぐらい、何の問題もなく、固い確実な将来フローという絶対の信用がある以上、いくらでも資金調達できるはずなのが金融の理屈であり、かつこれを細かいことを抜きにできるのが政策であり、




つまりは絶対に発生するキャッシュインのごく一部を長期返済で国債発行することができ、




本来生まれるはずがなかったGDPが生まれてくるのですから、やらない理由はないぐらいの理屈に感じます。




リスクとしては、出生率がさして変わらなかった場合です。現状毎年生まれてくる100万人へ、3,000万をばらまいて終わることになりますが、一人目は一千万、三人目は3,000万、10人目から5千万と累進方式とするもの一考かもしれません。




3,000万円手に入るなら、小さな不幸は多数発生していくことも予想されますが、「あそこの家は3,000万振り込まれた」「車を買ったらしい」やがて「評判」だけでなく「口コミ」や「10人産んだら大富豪」という合言葉が出てくるかもしれません。確実に生む人が増えそうです。GDPには政府支出4割も含まれ、これに国債発行分も含まれることになるので、国債を発行し3,000万円を給付すれば、即時に国のGDPも向上をしていくテクニカルな、いやからくりを仕込めることにもなるのではないと思います。




なお一人あたりGDP400万、一人あたり収入300万、これを実際の労働人口6,000万人で敷きなおせば、GDP800万、収入600万円、その差200万分の価値が労働した結果、どこかに行っており、それぐらいが妥当であろう、という教育の成果も手伝ってのことと思いますが、





200万円×六千万人という四則計算を誰かに計算頂きたく存じます。もう一つ大きな反論があるとすれば、5,000万人を越える分の労働がない、従って人口が減ることはむしろ好ましい、という時代の変遷かもしれません。




私は経済に関して専門的知識すら有していないので、穴だらけであるか、将来に対する信用が間違いないのならば、その信用に対する20%前後の負債を作ることに問題がないのが金融の理屈なはずである等、仮の仮に筋が間違っていないとしても、このプランがおかしい可能性があるのか、基礎とするGDPなどの概念を用いたことか、もしくはGDPという概念そのものがあうあふやである可能性もあるかもしれません。





新潟からの帰路、買い物、




食券、


受付、




呼び出しシステムの貸与を受けて、



レゴはママに指示ですが、この程度は繋げて、





等々、なんでも一人でこなすようになれば、またそれも嬉し寂しく、







荷物も満載に




FJクルーザーでの旅路な一年前でした。






このあと4,000km増えてから、まったく走行距離が伸びない一年後になっているとは、このとき想像していませんが、今でも特段にいいクルマに感じています。



帰りにじぃじのところにより、仕入れた玩具を披露し、


新潟、ご先祖様へのあいさつな旅を終えて、この写真を見た





1年後の最近「あっ懐かしい、久しぶりにこれであそぼ」と仕舞ってある場所も覚えてて、ささっと出してきて懐かしく思いながら見てました。




一年前のこの内装も懐かしく。



Posted at 2019/09/19 15:37:40 | コメント(0) | 新潟ドライブ | 日記
2019年09月19日 イイね!

FJクルーザーで行った新潟の旅。2018年秋

FJクルーザーで行った新潟の旅。2018年秋





2018年の9月





ちょうど一年前の今何時?そうねだいたいね、となる、北の酒場通りからかなり南に位置する東京、2018年9月。昨年の写真整理が止まっており、1年前を二か月前にUPしたきりでしたが、最近では写真データの配布が「一年遅れ」が周りの方々にも浸透してきたこの頃です。







当時我が家はFJクルーザー一色でした。




振り返りますと作年2018年末9月初日は箱根で迎え、次いで九州までFJクルーザー運搬業務を行って、






参観もあったり、





上位校の学園祭があり、そこに工作品を見に行けば、FJクルーザー阿蘇山ドライブが印象深かったらしくそのときの絵があり、





今ではすっかり行かなくなってきた、まだ補助輪の中に、玩具屋へ一緒にサイクリングへ毎日のように行ったり、




この翌春にあっけなく補助輪が取れる日がこのあと来るわけですが、この愛くるしい補助輪スタイルと、あのカーブでのバランス具合がもう見れないかと思えば、これは特段に寂しく感じる事項の一つであり、






FJが生活へ馴染み始めた日々を過ごし、



9月下旬はリュックを担ぎながらシャッターを開けて、




FJクルーザーのカギを開けて、




ドアを開け、




エンジンもかけて、




道中ばぁばが持ってきてくれたお味噌汁「あぁいい香り、FJピクニックー」と喜んでいたと思えば「シートに垂れてない?」と心配もしつつ、おにぎりやたくさんフルーツももらいながら、





ばぁばの故郷、新潟へ向かいます。



東京から新潟まで、1歳の頃はすべてSAにPAへ寄り都度チャイルドシートのベルトもはずしながら、休み休み行ったのも懐かしい思い出ですが、そこまでではなくとも、体を少しでも動かさせてあげたく、急ぐ旅でもありません、入念にSAに寄ってゆっくり進みます。撮る、撮らせないの攻防戦をしたり、




ガラスハッチ開閉確認の儀を開催したり、




次いで全開の儀・後部の部、このときは「宇宙人いるのかな?」と中締めご挨拶いさつをもらいましたが、




我が家のニッサンリーク事件」もあった中、






最近の中期的疑問テーマとして「悪いことをしても刑務所に入るときと、入らないとき」の相違に関し継続的に質問を受けていますが、いうなれば可罰的違法性についての論点ゆえ、中期的に理解していく事項かもしれません。



ここ最近は違法性には高低があるという概念を刑法犯と行政犯の違いの説明をしてみながら伝えてみています。平たくいえば、ティッシュ一枚盗むことと、人を殺すことはどちらが悪いのか、という話しであり、ちなみにティッシュ1枚は財物に当たらず構成要件を満たさず、従ってそもそも犯罪が成立しないという判例もあったような気がしますが、理論面よりも実際の運営としてはケースバイケースで玉虫色になることもあると思われつつ、子供の世界に落とし込めば注意で済む案件と、叱られる案件の差異のようなものかもしれません。




切り口としては刑法犯は概ね刑務所に入りやすく、行政犯は悪質性や違法性が高い事項については刑務所に入ることもあるが、概ね罰金やまたは科料で済み、もしくは行政手続きとしての反則金や違反金等過料で終わることが多いものの、実際にどれぐらいの被害が出たのかも大切な要素として考慮され、難しい言葉で結果無価値、対義して行為無価値という概念もあると話をしています。




刑法犯は、法律で定めなくとも、例えば人を殺す行為は元来的、道徳的に悪いことであり、このように刑法に定められたことは違法性が高いと考えることができ、





一方で、行政犯、たとえば道路交通法における速度違反というものは、50kmで走行する行為自体は元来的に悪いわけではなく、50km以上出してはならないと定めて初めてそれを越えれば違法となり、




このような差異から刑法に比べて違法性が低いといえ、しかし200kmで車を走らせれば高度な危険性が生まれるため、状況や場合によっては悪質として殺人未遂とされ、違法性が高くなり、



つまり可罰的違法性が高いとして起訴されて、200kmオーバーの場合、実際は被害がなければ執行猶予あたりの判決になるのかもしれませんが、刑務所に入ることもあると伝えてみました。




学生の頃に、総会屋対策を筆頭に商法で有名なK保利弁護士という方の事務所へお伺いし、今にして思えば贅沢な時間かと思いますが一対一でお話を頂く機会があり、




もう25年前ほど、当時も何もかもがぶっ飛んでいる方でしたが、学生相手の私に真昼間からウィスキーのストレートを飲みながらの歓談に加え、失礼ながら挙動にだいぶアルコール依存症を私は見受けましたので、とうに他界されていると重ねて失礼な話ながら勝手に思っていましたが、三年ほど前に「いやいやまだご存命です」とイソ弁の方からお伺いしたこともありました。




このK弁護士は年収でいいますと、億はくだらなく、10億以上と昔から言われており、あるいは案件によっては事務所としてそれ以上を一発でフィーとして稼ぐことも、お金の溶鉱炉も所有していそうな気もしつつ、あると思います。



かのような人もいるかと思えば、今の時代、稼ぐのに苦労している弁護士を始め法律家も見受けられる中ですが、法律家でもないにもかかわらず、幾ばくか法律で稼がせてもらったかもしれません。25歳前後の頃には学んだ法律を基礎として手掛かりにし、社会の仕組みはまったく知らないがゆえに、手法は演繹的に考えて、はじめてのMAと再建を行い、再建費2,000万円までつけてもらい、約二か月の三か月かからず単月黒字に立て直した経験につながり、Y銀行法務部部長とやり合いましたが、法的知識でも自己評価ながらまだ若く機微がないゆえに論破していたのではないかと思いますが、その10余年後は東京地裁異例中の異例でごく一部の弁護士しか知識も事象の認識もないような事案を二回も経験させてもらったり、知識というものは大いなる武器になりますゆえ子には今から十代が終わるまでに学術書1,000冊は読み、パパも都度同じテーマを一冊読むから読後の議論をしよう、と、算数にやがて数学など基礎も大切にしながらだと思われますが、推奨を始めています。





入念にPAに寄ってきたところで、タイヤにホイールを綺麗にする足元の身だしなみ。まだ写真整理も着手できていない本年2019.05.01のGW。忘れもしません、バカ論を解禁した日です。子には「バカがいる」という話しや「馬鹿」という単語を使って話をしたことなく来ましたが、あるいは40を超えた頃より人を「ばか」にしたり「お前」と呼ぶことに抵抗を思うようになりましたが、夜のアクトシティ散歩のときに信号無視の車を見たのを契機に「世の中には馬鹿がいる」「どんな人が馬鹿なの?」「やってはいけない薬をやる人、故意過失を問わず信号無視して車を飛ばす人、あるいは人を殺す人」などとはじめて馬鹿という言葉を軸に説明をしたことがありますが、あまり頭脳の高低については話題にしてこなかったところ、最近はどうしたら頭がよくなるのか質問をよく受けます。




「読むことは人を豊かにし、話すことは人を俊敏にし、書くことは人を確かにする」。この言葉とともにこれを三本柱として、文字を覚え、文が書けるようになれば作文を認め、次は論文を書いてみて考え方をまとめる力をつけ、加えて、とにかく学術書を1,000冊読むこと、youtubeは2倍速でたくさん見ること、議論をたくさんすれば頭がよくなると伝えると「テレビは頭よくならないんでしょ?なんで?」という質問を受け中にはいい番組もあるが、基本としてテレビは頭がかなり悪い人でも楽しめるように作られておりくだらない内容が非常に多いこと、あるいはニュースというものは悪いことばかり垂れ流すが、これは理由があり1)人は他人の不幸が好きであること、だから悪いことばかり目が行き田中さんが今日このようなすばらいいことをしましたとニュースでやっても誰もみないこと、しかし逆にいいところをたくさん見つけられるようになるとジープが好きなだけ買えるようになる、2)恐怖を与えられると購買をしたくなる、つまり儲けるために怖い事件事故ばかり放送しており一定の注意喚起にはなるがニュースの価値も怪しいものである、と伝えると、



「でもさ、Aちゃん達には番組作れないから、テレビ局はすごいよ」という視点。「たしかに。しかもそれでたくさん儲けているし、すごいよね。けれど頭がよくなりません、という話しだよ」と、そしてその見方が素晴らしい旨も会話した夕食時の稀なテレビの時間も最近ありました。





学術だけでなくビジネスセンスも磨いてもらいたく思いますが、たとえば弁護士の方々が業務を営んでいく大変なところは、企業法務でなければ、原則としてリピーターが生まれにくい、という性質を有している点ではないかと思い、




医師や医院であれば、皆さん勝手に定期的に病気になり、または慢性疾患もあり、よほどクオリティが低くなければ放っておいても再来があり、あるいは医療費は国が扶助に補助もしてくれ取りっぱぐれもなく、もしくは自由診療でお金持ち相手に効率化も可能であり、果ては先端医療で条件を整え1粒2万円×1日三回×90日分とこれは製薬会社行ながらその高度な診察料があり、これらいくらでも収支を安定させることもできる一方で、多くの場合、裁判沙汰や弁護士の介入が必要な法的トラブルは、人生一回あるかないか、ない場合も多分にあり、もしくは刑事事件で国選ではたかがしれており、民事では原則としては一部例外的なケースを除いて公的扶助もなく、これが企業活動となると、契約行為が不特定多数的に日常的恒常的に多くコンプライアンスの要請から生まれる需要や、予防法務的にリーガルチェックもあり、何かと仕事があるかと思われる中、







つまりは企業法務系でなければ、口コミが頼りの、コストに労力が嵩む傾向がある新規顧客獲得の連続であり、という性質が内在している中に、米国の医療現場も見た上での私見ながら「米金融業界の見誤りで司法制度改革をするも日本では訴訟社会とならず」、結果弁護士の余剰化もあって、大変な状況の弁護士の方も見受けられる印象です、とこられの話もしてみよようと思います。2歳、3歳、この四歳となぜかお墓掃除は一所懸命にやってくれました。





ばぁばの実家にも寄って、お米ももらい、このあたり一帯の土地に田畑はどうしていくのか、地方で起こっている問題を間近に感じます。なお、不倫を含む不貞とは憲法13条幸福追求権に基づいて守れられた基本的人権であり、かつ積極的な権利であり、中略しつつ、従って一夫多妻制は憲法が予定する制度である、と知り合いの弁護士と飲みながら結論に至った冗談交じりの会話をした若いときももあり、さらには国家の不作為で一夫多妻制度がないことは違憲状態と考えられ、国賠訴訟の準備を進める人がいるはずである、という普遍性が高い談話はまだ早いかもしれません。





田中一刻氏という彫刻家の方が生前、母へ下さった仏像の一つです。今でも大切にしています。同氏はみなしごの子供を世話していました。小学生の頃、その中に混じって遊んだ記憶があります。





さて、一夫多妻制でない我が国は記述のとおり、明らかな違憲状態となっているところ、国賠訴訟を提起した場合は、却下がなきことは当然に、棄却もあり得ないと確信しますが、極度の司法消極主義に立ち、仮に「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する事項」として国に裁量権を認め、敗訴した場合も見越し、すなわち司法の限界も視野に入れ、






「日本(にっぽん)を変える!腐りきった国を変える!」これはもう立法の側になるしかない、というのが3年前に記した一夫多妻党という国家天下を語る会に繋がっていきます。具体的な政策まで話し合えば、憲法上保障された権利を国民が確実に具現化できるよう各種の生活補助金支給案など、和民においていくらお酒があっても足らなくなる事態となり、今にして思えばN国党の存在を予知できておらず、選挙戦において浮動票を持っていかれかねません。



というアプローチとは異なり「むかし王様がいました。王様はルールを作り、ルールを実行し、ルールを破った人がいたら裁きもしました。これを権力といいます」、続けて




「今はルールを作るのが国会であり、ルールを執行のが行政でありたとえば警察もその一つであり、『この人は刑務所行ったほうがいいかな』と決めるのが司法と言って裁判所であり、立法、司法、行政という三つの権力を分けることを三権分立といい、三権を分立しないで一人の人が権力を持っているとジャイアンみたいになる、と子供へ説明もしてみています。





ばぁばと大浴場タイムのあとは、



部屋風呂コース開始です。




何度も入ることになりますが、一回当たり平均30分の、




至福のとき。




一旦あがって、



またお風呂。



もちろん30分コースで、途中、ちょっかいも出してみますが、


この子のお風呂好きは独走状態で誰も付いていくことができません。





そして夕食のしらべ。食前酒を頂いて、




ゴールまで遠い持久戦のあとは、




髪の濡れぐらいから推察してもうひとっぷろぐらいあって、帳が降りてくれることになります。



静寂到来です。



そして我が家の太陽も目を覚まし、




朝食のしらべです。



こうしてみていると、こちらの旅館にまた行きたくなりますが、




今月は5インチジムニー売却の旅、タコマ引き取り納車の旅やBBQなど予定が既に入っており、



こちらのこけしと来月当たりの再会を目指したいと思います。




位置について、よーい、と私が言って、



「どん」と子供が幕を切り、役割分担をしてきています。





そしてお風呂です。




波状攻撃の絨毯爆撃が落ち着いたあとは、



大人の一息を入れて、



これはもしや、



二つ並べることができるではないか、とドラムの原形を築き、




お出かけの準備をして、



FJクルーザーを回してもらいます。



ばぁばお勧めのお菓子屋さんで発送お土産を仕入れる向こうにも、



FJクルーザー。



そして新潟空港までドライブをしてみることにしました。



錦鯉発祥の地、新潟県




ばぁばがママのビール用と仕入れてくれた燕三条の世界レベルな鍛冶技術から生まれたステンレスのコップ、今では私のコーラ用として愛用しています。



写真データを整理していて「なんて4歳のときも可愛いんだろうか」と見入ってしまう馬と鹿な親ですが、つづく
Posted at 2019/09/19 15:35:01 | コメント(0) | 新潟ドライブ | 日記

プロフィール

「@すぎすぎすぎ さま 色々な解決案があるのですね(驚)半沢さん近くのスナックママさんと仲良くなれそうだったので秘密のバックアッププランも考えておきます(笑)あぁそぼろちゃんの座布団になりたい(笑)」
何シテル?   07/06 23:58
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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