
有難いことに、とうとうこの日が来てしまいました。

2局取材も来てまして、インタビューは口下手ゆえ丁重に辞退させて頂きましたが、後頭部は全国放送を数度頂き、という意味でもよい記念となる入学式を頂きました。感謝致します。

これから六年間お世話になる小学校の入学式や教室の確認等、なんだかんだと午前中いっぱいかかり、どのような人生の出会いがあるのかも楽しみにしつつ中学は敬愛する母校へ受験を目指したい考えですが、帰宅すれば子供サイズを意識したギター到着です。黒好きが選んだ、フェンダー風。

早々に「きらきら星」でタメシビキ。

この日もう一つ記念すべきこととしては、自発的に捨てる玩具、売る玩具と前日あたりから言い出して片づけをしていたところ、この日リビングから玩具(レゴ除く)がほぼ一掃されたことかもしれません。お兄さんとしての成長を感じました。なお孤児施設で育った方からのお話を参考にして、寄付をするのは取りやめと致しました。思いのほか充足する環境のようであり、かつ使い古した玩具の寄付は歓迎されないと判断しました。

「パパ、レゴ一緒に作ろうよ」の号令に、「パパの代理としてママがやる、従ってパパがやるのと同じである、法律的に」との返答してみて、法律というもののまやかしを思いながら、

レゴのオーナーより恣意的な意図を感じる「パパは指示役、Aちゃんは説明書を見て伝える役で、ママは組み立てる役ね、みんな裸になってやって」と有難いブリーフィングも順調に進んだところで、

「お金ください。1万円です」というママからの要望に冗談交じりで「ほらAちゃん、アルバイトのおばさんにいくらでもくれてやれ」とあえて粗暴な表現でいえば「10分1万円です」と労使交渉が入り、「かまわないから、くれてやれ」と満額回答を促す形にて拝受致し、

クライアントからの「いつ完成なのか」という見込みに関する問いに

約500ページ、800工程を越える説明書に基づいて「1日10ページずつできて50日、1日2ページずつなら250日、1日50ページずつやっても10日はかかる計算になる。だからご要望の2時間はもとより、次なる要請の3日間でも難しい」と後半作業速度が加速することは除外した簡易概算見込みを伝えたときの表情。

「ちゃんと作るように」と情報も集め考え抜き、具体性も溢れヴィジョンも内包された士気が上がる指示をしたあとは、適宜報告をするようにと「指示をして報告を受けるだけ。仕事はそれだけ、それが指示する人の役割だ」と告げて現場を一旦離れ、これら私にとってはすべて子への社会勉強の会話なつもりとして、レゴ着手です。

玩具があったところには搬出待ちの僅かなミニカーを残しつつギターが置かれ、玩具が山盛りになっていた周辺も一掃され我こそがこれからここを占有するという主張かのようにアンプが整えられ、景色の一変に嬉しく切ない成長を感じます。

在居室が多くなるので体を動かすことも意識しながら、西に居る友発案の新しくそして強固ともいえる、この一年取り組んできた新サービス。これがお客様より強い支持を頂けさらに敷衍し、近々同業他社様よりスイッチングをしたいとのご意向に本社からオファーを頂き、昨日も支社長のところで夜分までお打ち合わせを頂いたようですが、これらスイッチング需要も拡大しており、

友の功績に感謝はもとより先見の明と読み、潜在的需要を感じる敏感さに敬意を思う次第です。この点について戦略的投資、すなわち目の前の利益が増えるわけではなく、むしろ利益は減り目先から固定費が増えていく性質であり、かつ品質向上も見込めつつという先行投資を行ってきたことは競合が追い付けない状況を生んでおり、

しかし油断はできずお仕事が増えたところで安堵してしまっては品質が下がりますゆえ、さらに品質を拡充していけれるように投資に向けてアクセルを踏みます。無論、仕事が減少すれば、イコールそれはリスクの拡大にもなりますが、ここは勝負どころと積極策を採用し、需要の先行きや土台の固さを見極めながら攻めの経営を続けます、

このような中ではありますが、お若い方々の士気も高止まりを頂いているようで、皆様に感謝ですが、特段にムードメーカーがいてくれており、この方にも敬意を思いつつ、しかしながらお若い方々について親御氏が心配しているという声も届き、この点自宅勤務も増やしながら対処していきたいと考えています。あるいは危険な情報が入り、またはそう判断されるときは速やかに安全を確保するため事業のストップもあり得、今日も陣中見舞い程度しかできないながら顔を出してまいりましたが、いずれにしても入学式と同様に、我が子と同じように考え、大切なご子息ご息女をお預かりしているという内心も常に抱えています。

4/7の朝7時。まだ寝起きに開口一番ベッドの中で「パパ、また雪国行きたい」と年始に旅したときの会話が始まりました。

「はじめにどこ泊まったっけ?」と聞かれ、「えっとはじめは山形の銀山温泉かな」といえば「違うよ、その前に泊ったじゃん、お風呂狭かったところ」

「あぁそうだ、那須塩原に泊ったんだ」「おれあそこのホテル好き、泊まったところ全部好き。同じようにもう一回行きたい」となかなかに鮮明な記憶力を聞けば、まだ小さいながら本人なりに何気ない旅行でもこうして覚えていてくれて、あるいは旅したその瞬間ごとに、この子なりに感じた瞬間の連続があったわけだと思い巡らせば切なさもあり、

「よし行こう、今度の冬に行こう」と伝えれば「で、銀山温泉の次がどこだっけ?」と年始の旅路その確認が続き「次は秋田田沢湖のホテル、次の日にスキーして、雪がすごいところ走って乳頭温泉泊まって、次の日が新潟」と説明を重ね、

「そこでAちゃんがさぁ『道の駅ない?』って言い出して「この辺はないなぁ」と言ったとたんに在ったんだよ。パパびっくりした」と懐かしいうんこが漏れそうだったこと含めた道程と旅の思い出に会話が一花咲きました。

「おじさん、おばさん、がーんばれ!」とジャングルジム解体工事の現場でいつの間にか現場監督に出世し鼓舞の歌をもらい、ジャングルジムの解体工事も済み、リビングがあっちもこっちもすっきりして、ジャングルジムのパーツで椅子を作り、ソファの上にセットして高見の見物体制を整えた我が家のエンペラー鎮座環境の完成です。

「ばぁば?」と勝手にいつものように電話しだし「パパはまだ昼寝してるよ、このあといっていい?」という会話が聞こえてきたあとに「ねぇパパも一緒にっばぁばのところ行かない」とお誘いを受けるも、

「パパまだ昼ご飯食べてないんだよ」と返せば「じゃあオムレツ作ってあげようか」と、オムレツを焼いたあとは「ベーコンがダンスしてる」と三年ぶりぐらいな懐かしい表現を聞いて、味見もして「うっめベーコンうっめ」とお昼ご飯も作ってくれ、

「いや~美味しいな。もう食べちゃったよ。もっと食べたいなぁ」と空いたお皿を見せれば「いくらでもつくるよ」とのことに「ほらばぁばのところにいかないとだからまた今度お願いするよ」と辞退しつつも「大丈夫、食べてからばぁばのところに行けばいんだから、待ってていま作るから」とおかわりも作ってくれて

一緒にばぁばのところへ行き、そのまま昨日は結局一人で泊まってくる運びとなりました。随所に小学生となった成長を感じる連続の春。嬉しくも、切なさも同時履行で連続します。

オムレツのおかわり完成です。新入学、コロナウイルスがやっかいな邪魔をしながらですが、人生いろんな経験があってと思い。そういえばそのコロナウイルス、国の某機関で遺伝子解析が進み、とあるウィルスをベースにとあるDNAが組み込まれた人造ウイルスであり、恐らくは自然を装うためということなのだと推察しますが最近コウモリに一度感染させた痕跡も見られ、これら徐々に判明していると、しかるべき機関の方より連絡を頂き、米国と連携しながら情報交換もしているとのことですが、米国のように強い態度を望みつつ、世界中の亡くなった方々にお悔やみを思い、今日食べるのにも苦しむことになった方々の辛さも思い、某国につき許すまじき行為であるとも考え、はた迷惑すぎる話では済まないレベルと認識したく、まずは六月に一旦終息が見えて来つつも、その後小さな山が地方に派生したりしつつ我が国おいては概ね小康を保てるのではないかと期しながら見込みますが、完全に安心できるのには1年から一年半はかかるのではないかと予想します。

人造であるゆえに、どこまで何が仕込まれているのか、解析を網羅する必要があり、本当の意味で安心できるのはその解析が終わってから、または問題が確認された上でのワクチン開発が必要となり、世界的に小康状態が到来し、慣れが生まれても、本当の意味で安心できる日は少し先、具体的には最低1.5年程度先になりそうと解釈または理解すれば、

社会と人は向こう1.5年も止まって死ぬわけにはいかず、コロナがまだ遠くでも今月食べる物がなければ生きることを放棄しなければならずの人も社会には確実にいて、多くの人が生きていかねばならずゆえ、こうした現実を前提として少しの間は折り合いもつけて付き合っていくことが必要になってくるのかもしれません。10年後20年後今の若い方々が「あのときは大変だった」とこれだけの情勢を切り抜けた思い出話をする日が来るのだと思い、それを楽しみにしたいとも思いつつ、放射能が飛び散り空間を漂うよりかはましかもしれず、あるいは疎開先にも追いかけてきた爆撃に比べれば、大きくまし、といえるかもしれず、先人はみな生き抜いてきて、いつの時代も生き抜くことに必死という要件は具備も装備もする必要があるのかもしれません。

いずれにしても、なおもってデータによれば通常医療が受けられる前提で若い方の致死率は0.2%程度、アビガンや至急開発される薬などでこれをインフル程度の0.02まで落とせると見込んで、致死に至ってしまう若い方は基礎疾患ある方が多く占め、さらに極僅かRNAウイルスにアレルギーかのごとく特異的反応を示す方が含まれる考えられ、とすれば大多数ほとんどの若ものにはやはり深刻な危険性は考えづらく、医療崩壊は避けなければなりませんが、どの道中期的な社会的蔓延の危険性も続く中に、手で顔にウイルスをつけないために手洗いとマスクはしっかりとこれを行うことを忘れずに、過大に慄くばかりでも致し方ないように思わなくもありません。

翌日のお昼にばぁばを連れて凱旋帰宅。マッサージも執り行い、

きらきら星も披露して、家に誰かが来てくれる、嬉しそうったら、ありません。なお個人的に元来から苦手であったSAのトイレにある「エアータオル」。あれはウイルスを勢いよく飛散させるので、今般「清潔な日本でもまだよくないところもある」と米国の大学よりの指摘をみて、拡散したい思いが募ります。

そしてパパが陣中見舞いに行っている間はまたばぁばの家。

迎えにいけば「ばぁばん家の子になることにした。今度泊り行くからね」と自宅が外泊扱いになるらしく、

今宵も大盛り上がりだったババ抜き、ジョーカーを引けば悔しくて私のところへ顔をすりすりしてくる可愛さもきっと今のうちだけだろうと思いながら受け止めて、夕ご飯もご馳走になり、

なんとか帰宅にいざなって、ギターのしらべ。「パパあのギターも大人用?の割りには少し小さくない?」という
アーニーボールミュージックマンギターへの指摘に「よく分かったね、そうあれはネックもボディも少し小さめ」と説明し、手に吸い付くと形容されるネックを持つ一本です。開放でも鳴らないほどにネックが捻じれていますが。

「たまにはママの横でまじめに作るか」と紙飛行機を折って、明日はトランポリン、レゴ、ギターを一緒にやる約束をして眠りにつきました。