
「パパとママは渋い名前つけるなぁ」

そう自分の名前を評価していることを知り、

お気に入りの腕時計をつけて、

ママばぁばのところへ三泊の旅路出発の儀。な日でした。

荷台のネットを張るのも合わせて自分でやると整えます。

抜かりなくスタンドもセットで携えギターを持参。

久しぶりのドライブらしいドライブに「あそこの橋で起してね」と睡眠モードに突入し、

起す前に付近コンビニに寄れば目を覚まし、

私が自宅で炊飯器保温のやり方をOJTで学ぶことになる三泊が開始です。

パパはここで帰宅して、

あとの記録はママに託します。中学生の甥っ子がときを同じくして始めたアコースティックギターを触らせてもらい、あとで聞けばチョッパーに刺激を受けたようで帰って来てから見様見真似だけしていました。

ヘルメットもかぶらせてもらい、アライ派だった私がうちはバイクだめだよといえば「パパ乗ってたんでしょ?」「でもだめ」とこれだけはダメ事項として、

可愛い甥っ子の一人にママがプレゼントさせてもらった自転車、大切に室内保管している様相を知ればそれも色々な意味で嬉しく、

JKのときもあった可愛い義妹たる叔母さんが仕事でまだ帰らない中のピザ「俺の家族だから、大切な家族だから取っておく」と取り置き推奨をしていたそうで、なかなかの男気を感じ、

じぃじやお兄ちゃん二人からも遊んでもらい、お風呂も入れてもらったり、有難い時間を享受させていただきました。このような環境や状況に深謝致す次第です。

甥っ子も、我が子もすくすくと竹の子のように育ち、気が付けば健やかに年齢を重ね、一人は高校生で180を越えたのか今では私のことを「守る」と言ってくれているらしいですが、この甥っ子が15年前まだ三歳ぐらいだったときに自動トランクオープナーをリモコンで開けて「内緒だよ、あれはロボットに変身するんだよ」と言ってみたことが懐かしく、

私や妻、可愛い義妹も40を超え、お義父さんにお義母さんあの昔な頃は40代初頭で初めて会ったときと同い年くらいになれば感慨深く、みんな歳を重ねていくことに寂しさも実感する次第です。

そして陽気なこの男が生まれ、

生きるということは、どのような人、どのような生物でも、生きとし生けるものはすべて例外なく、その大変さ、辛辣さ、厳しさもあるわけですので「いるだけで救われる」という言葉をもらえば、それは私も同じく、この子の存在と存在感に心の栄養をもらう日々です。

毎晩毎晩「生まれてきてくれてありがとうね」と伝える前に、「ねぇパパ?」「なあに?」「好きだよ」と言ってくれ、癒しのシャワーをくれます。まだ緊急宣言対象前の片田舎ちょっと公園に寄って、

90歳を越える曾ばぁばのところへ遊びに行ったようです。

「ほれ、いいよ、早く書いてみ」と、いつも地面だけでなく玄関にまで落書きをさせてくれる我が家にとっては世界一優しい曾ばぁばにも恵まれて、

ママの叔父さんが若い頃乗っていたバイク、この日は珍しく天日干しなのかいまでは基本室内保管で、消防士という仕事柄かどこもかしこもピカピカに磨き上げれており、毎々驚く次第ですが、そういえばまだ2歳ころだったかはしご車に乗せてもらったことも懐かしく、

87歳差ぐらいになるのか曾ばぁばから想像するに「気持ちいいほっぺだなぁ」とむにゅむにゅやられているところか、この表情がまた素敵な一枚に思い、

頻繁に会うパパばぁばとじぃじと一緒にみんなで住みたいと、最近はよく言うようになり、友達にも会いたがり、会えばずっと一緒にいたがり「とにかく人が大好き」「人と一緒にいることこそが楽しい」「人生と人生が触れ合うことが人生の喜びである」かのような様相に育ったのではないかと感じ、その根底はこの先もこの子の個性として続き、それに紐づいた役割を持つ日が来るのかもしれません。

「しゃぶしゃぶ食べたよ」はこれのことか、とあとで知り、

その頃パパは約束のランクル・ナナマルでのお迎え予定だったところ、なんとバッテリーが上がっており、

滅多なことでは高速を走ることもなくなったFJで向かいます。

楽しい時間の連続であったであろうところに水を差すようにパパのお迎えの日が来ました。そして愛しい我が子に会えました。三泊いなくて長かった。

史上初となる温泉のように湧き出るゆえか原油マイナス相場に一役買うガソリンの消費量も減り、我が家も一気に減退中の懐かしい感じすらするひとときのドライブを楽しんで、

家族三人、我が家へ向かいます。

「ママー!パパが二本もギター買ってるよー!」と一本は稟議を通したはずであるもののクレームが来ないか心配しつつ事後承認が問題なく通り、「これは音が軽い感じだね」との評価を聞き、

フジコ・ヘミング氏に憧れて
カンパネラだけをひたすら
52歳から7年練習した漁師の方を目指してみるか44歳思ってみて「これもいいね、素敵な音」とやんわりとした評価を聞きました。なお
9名のピアニスト、カンパネラ聞き比べ。

我が子が不在中、お掃除ロボットと一緒に掃除していた際に少々破損してしてまったレゴをみて「いいよ、ママに直させるから」と寛大な心で容赦をもらい。

前は怖がっていたお掃除ロボットほとんど稼働せずでしたが、久しぶりに見てみれば興味津々の見張り役を買って出てくれて、翌日もお掃除ロボットパーティーでした。

寝る間際に「日本はお金持ちなの?」という質問。100兆円はどれぐらいか、という説明に「1億円が100個で100億円。100億円が10個で1,000億円。1,000億円が10個で1兆円、その1兆円が100個で100兆円」と説明してみると、なかなかなボリュームに思えてきますが、実際にはこのさらに4倍以上が毎年一般会計、特別会計および電気や通信、郵政やJRにJALなど実質は予算としてみてもおかしくないものを含めれば、さらにそれ以上のお金を持ち、あるいは資産としては年金の運用資金とされているものや、自国他国の国債もカウントするべきか、

「アメリカはもっとお金持ちなの?」「ぜんぜん比べ物にならないよ。20倍でも利かないんじゃないかな」と説明し、

朝が来ました。

「これ、俺のコレクションだから」と若干並べてあるミニカー類、レゴの他は玩具はすべて使っていない和室へ自主的に移動した、まだ登校できない世情の小学校一年生。このまままずは延長延長と秋口まで一直線に緊急事態宣言の発令状態が続くか、7月前後に一旦解除の自粛気味が続いてまた感染者の増加基調が発生し再発令となるのか、あるいは夜の街など一定の業種は営業自粛のまま限定解除か、我が国の特異的数値が続きそのまま低迷してくれるのか、それぞれを想定しつつ、いずれにしても自宅での学習環境をゆっくり整えてつつも、あの初々しい空気を感じに早く学校に行かせてあげたくも思います。

我が子に引継ぐまでは、私も私のコレクション初級を眺め、

お泊りからの帰路ドライブ「ばぁばのところで焼きぞば作ったり、小祭りだったよ」「こまつり?」「小さい祭りのことだよ」と、ママいわく誰もそんなことを言っておらずだったとのことに、どこで漢字の読みを意識するのか疑問が生まれつつ、

続く車中の会話「トヨタも車を作るの減らすんだって」と伝えてみれば「ベンツは?日産は?スズキは?」と質疑に繋がり、そういえば何をしたら捕まるかという質問を以前受けた際に「粉飾決算」も例示的に発した時突然小声になり「知ってる、知ってるよ、ニッサンでしょ」と言ったときもおどろきましたが、そのような日産が一番きつかもしれないとの話から、

販売のサービスについても話になり「トヨタが一番いいかな、日産はあまりよくないところが多いと思う」「なんで?、スズキはどうなの?」と会話は続き、

「この度は自動車をご購入下さりありがとうございます、と、おうお前さ買ってくれてありがとな」とどちらが嬉しかったり気持ちよかったりするか、次もまた買おうって思うのはどっちかな、と聞いてみて、

「社員教育っていうんだけど、会社がしっかりと教えて、それをやってくださいってお願いしていくんだよ。トヨタはそれをちゃんとやってきて、日産はあまりやらなかったのかな」と話しました。そして「スズキは?」と続きます。

Aちゃんは将来社員教育できるかな、と言ってみれば「問題ないよ、余裕でいけるよ」と聞きました。

「じぃじは世界で二番目に優しい」「じゃあ一番は?」「パパ」という会話をくれるも、やはり世界一やさしいじぃじが段ボールの室内コースをグレードアップしてくれていました。
約一年前の5歳のときに「パパ、トヨタは一日何台RAV4を作っているの?」「トヨタはなんでそんなに大きくなったの?」「トヨタの社長ってどんな人?」と、パパはその質問がとても嬉しく、そして興味を持ったポイントや具体性、質問内容が本当にすごいと思った感想を、そういえば伝えていなかったので、今更ながら伝えました。経営という観点でなくとも単にビジネスや社会勉強としてであっても大人でも疑問に思う人は少ないかもしれません、と評価すればさらに立派を思います。おかわりも含め、合計20杯はお茶を淹れてくれました。

そういえばランクルバッテリーについて「エクストレイルのバッテリーは?いま誰が持ってる?」と昨年末に新品のバッテリーだけはずしてもらいレッカーされて売られていった
エクストレイルの情景を覚えており、このような些細な細目まで記憶にあることを驚き、

30分もお風呂に入って真っ赤な茹でダコ気味になりました。

これも今だけしかできないと思い、この日は私も一緒にばぁばのところに泊まることにして、翌朝メダカの水替えを楽しみに寝ることにします。

数か月前から転職サイトに会員登録をしています。毎朝毎日多くの会社からスカウトやオファーなどのご案内も頂戴したりするわけですが、最終学歴はハイエンド系の高学歴部類に入る自動車学校卒という飲み屋ネタ調に、学生時代のエピソードとして仮免を一人リーダーシップを発揮し留学も視野に入れながら計画性をもって取り組んだ武勇伝があるが奥ゆかしさ謙虚の行間を察してもらうためにあえて記載しない私を知ってほしいというメッセージとして相手の忙しさなど想像もせず、保有資格は原付というハイスペック登録です。

大手商社様、大手SIer様などからスカウトを頂く日々ですが、代理店任せなやっつけ仕事の条件設定もいい加減か、あるいは内容は見ないでリスト組成をしていることが伺い知れます。

数年前からは「年収1,000万円以上のエグゼクティブ求人サイト」かのようなところにも「どのようなオファーがあるのだろう」と思い登録しています。

無論、これらは悪戯ではなく、転職を視野に入れつつ常に世の中を知っておきたい、世にはどのような仕事やビジネスがあるのか、今世の中ではどのような仕事や役割、ビジネスが求められているのか動態を常に感じておきたい、という向学のために求人情報に接することにしています。

IT系やアナリスト中には「この時勢にジュエリーの販売か」と思いながら、届いた求人リストに目を通します。とある求人は多少文言は変えて記載しますが「クライアントへマーケティングの提案・コンサルティング、未経験者OK給与21万円。先輩に教わってすぐに独り立ち」「信条はマーケティングは人柄です」。マーケティングとは名ばかりのパッケージングされたその一部の販売なのかもしれませんか、率直に「なめてんのか」と幾重の意味で思ってしまう未熟で不勉強な私がいました。

即席でマーケティングと唄っている事柄やメニューを仕込む、かようなビジネスやナレッジにもまだ不慣れで無知の無も顧みないスーツに靴一つも洗練のせの字もない、営業殿が来て意気揚々とそして延々とニーズとずれたところで単なる「売ることしか考えてない」トークを「マーケティングとは」「御社の場合」と聞かされる相手は面倒に思うものなのかもしれないと想像してみたり、

あるいは本当のマーケティングを売るとして、短期間のうちにさした予算を使わずに一か月に数千万の利益が出せるような実力があったとして、一か月20万円ではその会社に応募しようとも思わず貢献をするわけもなくと思いますが、もしくは実力があれば「それを21万でやってくれない?」と言われても、当然やる理由がなく、

あるいは相手に「1,000万円や億の価値がある物を21万でどう売ってくれない?」と言われれば、当然にお話にならないところ、労働や能力の対価となると平気で安価で「買います」と広告を打ち、

ガリガリガーリーと唄いながらガーリックライスをむさぼり豪快におかわりもして、もしくは話が戻れば、未経験者がすぐ一人でいかされるクオリティの仕事ぶりをさせる会社が「信条、人柄」を唄うのか、根底からしてちぐはぐのような設計に思えてなりません。

はたまた、私も若い頃は飲食店や宿について「ここは美味しい」「美味しいけどこれが惜しい」「味はいいけどサービスがなっていない」などと勘違いしていたと今では深く思い、かつ自分の仕事ぶりは立派だと間違えて思い込み、偉そうに評価をしていました。今では稚拙で幼稚で恥ずかしいことという心象です。

無論、顧客の総合的な満足感というものは常連、リピーターの創造に大切なファクターにも思いますが、それが数百万円の自動車、数千万の住宅を売る仕事であっても同じくそれぞれが皆さんギリギリに、望むと望まざるに一切関係なくご本人が持って生まれた中で一生懸命に生きていらっしゃるのであり、いちいち数百円や数千円の一生懸命やっている商売や商品にしかも食べログなど悦に入ってネットでケチをつけるのは、少し出来た中学生でもしないことであり、大人のすることではないと思うようになり、自分が逆の立場であれば幅広い不特定多数をすべて満足させられることはない中に好き放題言われたまったものではなく、数百円でいちいちケチを偉そうにしかも匿名でつけられる、そういう商売をするのは控えたいとも思うようになりましたが、あるいはファミレスであっても、人手不足に繁忙で一生懸命にやってくれているところに一時間料理が出て来なくとも感謝を思うようになりました。

先に記した器が小さいゆえに思う求人事例は、それと同類かもしれません。一方でそのような求人があり、応募者もいて、それで成り立つ会社やビジネスがあり、それがまた社会と、大人になるに従い理解をしていくことも子供にとってプラスになっていくのではないかと思う次第です。

一人でばぁばのところへ行くようになり、緊急連絡先メモをポケットに入れておくため私の電話番号を三回ほど伝えたことがありましたが、番号も覚えていて、じぃじに折り紙もレクチャーし「うわちっさ」と少し前に履いていた靴に足を通し、

この姿がまた異様に可愛く、小さめの靴に「あしいた、あしいた」と言いながらギター侍で帰路に就きます。

twelveや、あるいは曜日も曜日ごとに認識してすべていつの間にか覚えてかつ発音よく、

「これは音がかるっ」と新しい一品を触り、いいギターのほうはその作りをみれば改めて「うげーーすご。うっへー、やっぱこれはすごいや」とまじまじみてジャラーンと鳴らして「やっぱこれはいいおとだね、高いだけある」と感性の勉強にも恵まれて、

私は中庭でギターをつま弾いて、ギターにとってひじ掛けは邪魔以外の何者でなもないと知り、

早く弦交換したいと言われてますが、ギターのメンテも少しずつ覚えて、

最近二人で寝る和室の布団で「パパ、これ傷つけたくないんでしょ?布団の上なら大丈夫だよね?」「Aちゃん好きに弾いていいよ、傷つけてもいいよ。」「えっなんで?」「だってAちゃんがこのいいギターに触れたり弾くことのほうが大切だから」「分かった。でも、傷つけたくない」「また買えばいいんだから好きに弾いて、傷つけてもいいからね」と会話したあとは足し算や21ひく3は18、などと算数をぶつぶつ念じる時間がはじまりながらあっという間に眠りにつきました。毎晩秒での寝つきのよさはママ譲りです。

そして、もちろん目指しているのはギターのせどりです。

翌朝はパパの仕事を手伝ってくれることになります。
つづく