5月

ついこの間のような

「
自分で考えて誘ってみたダブルばぁばとの箱根小旅行と祝初登校。|久しぶりの25mmを持ち出して」等のGWからしてもあっという間の半年、いやお正月がつい先日だったかのようなこの一年。あと二ヵ月とは思えず、同種の声が今年は一段と多かったように感じる世相です。
9月

時空のメリハリとして記憶の間仕切りとなる、お出かけも少なく、カメラは増量してデータ管理のおざなり指数が向上し、飛び飛びの、

方々、時系列が入り乱れながらですが、少しずつ記憶を記録にして整理しておきたいと思います。

記録媒体としても活用をさせて頂いておりますみんカラ殿、有難く感謝を致しつつ従前からの懸念事項としては、20年後にサービスがあるのか、という論点であり、滞留長時間傾向と直帰率が低い点がPVの低さをカバーして評価されていくのか親会社兼最大の流入先となるヤフー社の方針にのみ左右され、事実上ヤフーコンテンツの一つもしくは部署の一つとなっているようにも見けられ、仮にサービスの停止など別のSNSへ記録移転の必要性が生じたときに、隅々いけるのか、つぶやき系の「ナニシテル?」はどうなのか、

近年急伸しているSNSも散見される中に、みんカラは定位安定的なトラフィックデータとなっているものの週末や夜のUP状況を見ても肌感覚ながら明らかにみんカラにおける更新・アクティビティの減少も感じ、恐らくはみんカラピーク時の1/10以下、主たるSNS平均の1/数百以下程度になってきているのではないかと推量し、むしろ人的交通量のほどよさと、そして自動車を保有していることがハードルとなるユーザー属性のみんカラはたとえば「愛車の写真をいくらUPしても」相互に自慢的行為には感じず、他のSNSでは1枚でも愛車をUPしようものなら「おれ車もってるんだぜ」的に「いやらしさ」が付きまとい、こうはいかず、食べログとFBで美味しそうな料理のUPをした差異しかりかのように、この点一つにしても方々居心地のよさを思いつつも、しかし他のSNSと比して自動車所有がマスト条件ゆえ1)世帯当たりの保有台数が少なく人口が多い都市部のユーザーを取り込みにくい傾向があり、2)学生等を始め若年者がとにかく特段に少なく従って級に平均年齢も高いものと推察され、3)クラシカルSNSの色合いがシステム、ユーザー相互ににじみ出ているゆえ、そもそも相対的に競合新規SNSに新規会員が行き、ただでさえ貴重で数少ない新規ユーザーが続きにくい空気があると憂慮され、既存ユーザーも「田舎の実家的」にホームのような位置づけながら他のSNSが日常的となったり、そもそもSNS転居したり自然減は避けられずの中に、残っている会員活動の固着化が見受けられ対流・流動性は低下し、言うなればリアルとパラレルで、村化、過疎化、そして限界村落化あるいは築古マンションもしくは町内が空き家化かのような方向に歩んでいる節もあるような気もしていますが、この先もみんカラ様にお世話になりたく方々の活発化プランをお願い申し上げる次第です。このときはスイミングの帰り道、手放し運転ができるようになり、

岐阜から友達が来たときは、パパ1人で都下へ向けて公園散歩に向かいました。

日々、こうして我が子との時間が減っていくのかと戦々恐々としながら過ごして、

気が付けば我が子が選んだ車に囲まれるようになったことも不思議に感じます。

長野の支店物件探し、その後は整備のお手伝いをしてくれました。

1ビューあたり、だいたい社長が二人視界に入ってくるというあたり、アイコン化はいいとしても、ちょっと「俺が俺が」すぎる様相も感じつつ、「えっこの社長悪いの?」「そうだよ、あんまりいい社長じゃない」と説明したいきなりステーキお肉は美味しく思い、従業員殿のサービスとそのマインドも素晴らしく思い、改善点だらけはまだチャンスだらけに思え、もったいなく、まさかと思い「これがサラダバーでしょうか」と他意なく確認してしまった貧相なプラットフォームには空となったボウルが並び、子供向けのドレッシングが見当たらない中に、種類も2つなのか3つ程度なのかそれからして分からず、そしてどれが何味か分からず、子供のサラダに辛いものを掛けてしまってはと心配にもなり、ファミリー層を意識していないかのような環境では、集客は厳しいものと考えられ、

9月20日シルバーウィーク中の21時頃でこの状況でした。事務所の準備に二回目となるボーリングを楽しんで、からっとした長野で秋風の中、お風呂に温まりながら「一日仕事して(ときに遊んで)、お風呂して、大人はこうやって一日過ごすの?少し大人の世界を見れた気がしたよ」と感想を聞いて、仕事して帰宅が午前2時か3時という経験もして、

翌日は八王子ハードオフドライブへ。前日の日帰り出張での疲れも残っているのか、しばし寝入る我が子が起きるまで、スマホで写活して待機します。

老眼には泣きそうになるこの車タコマは、その目立ついで立ちも老衰している気力には重たく感じています。一方でランクル70は四隅が分かりやすく老眼にも優しい仕様に、高い車高は四十肩時にはきつくもありましたが、MTと合わせてクラシカルな雰囲気など何もかも特段に私も気に入っているので、ランクル70+ミニあたりという組み合わせにしたいと実は内心感じているおじさんがいて、

しかしタコマを手放すことは承諾しないであろう我が子と、涼しくなってきたあたりで、初秋夜のコンビニ散歩ドライブにも出かけました。ロードノイズは激し目です。

健康で元気でいてくれることが何より有難いと認識致しつつ、風邪気味になろうものならもう可哀そうで替わってあげたくなりますが、今のところは今秋風邪もなく、未だに家では裸族を通し、学校やお出かけでは半そでを希望しママと衝突しつつ、

私の方は日中、人件費が増大していることも露知らず、することもない中に、カメラをいじって時の経過をぐっとしのぎ、いや友と仲間が作った次なるステージへのプランを聞けば、これだけの人材をよくぞ発掘し、信頼関係を作ってきたもんだと見上げる敬意を思い、お若い方の成長にも目を見張り尊敬を重ね、これらも大いなる幸せではありますが、

我が子が帰宅すれば、この子と過ごし、写真を撮ることぐらいが直接的実感的喜びなところ、お若い方々と接点を増やさせてもらいそうしたダイレクトな幸福感ももっと頂きたいと望みつつ、

そしてときに特段のエンターテインメントを通じて、笑いを提供してくれるこの子に敬意と感謝を深め、

「生まれてきてくれてありがとう」は毎晩抱きしめながら伝え、あなたを尊敬しているよ、とも時折伝え、今のパパと比べても多分に立派であり、同い年比では何一つ敵わなく、とも伝え、重ねて身近な方々こそ尊敬の対象であり、そして尊敬する方々というものは実は周りに実際溢れているとご教示を下さった弊社の神様にさらに尊敬を深めることばかり賜り、これにも感謝を深め、

1人の人として、出会えてよかったことも伝え、それは周りの方々にも思い、

三歳の頃ハワイへ向かう機中「パパとママも死んだら星になるの?」「じゃあ宇宙船で会いに行くね」が最も忘れられない感慨深い、この子が発した言葉として記憶に残っていますが、ここ1年ほどは「パパが死んだら俺も死ぬ、だから死なないでね、長生きして」が多くなり、

寝床は常に変える方向性で、このときはソファにクッション+送風機を用いて寝床を作り、このあとトランポリンやテント、ソファーセット総出バージョンでパパも寝れる仕様にしたり、週末のお泊りは基本路線に、お泊り先でも同じようにこしらえてるらしく、これら「いつもとは違う」という脳への刺激を欲し、かつ保守的ではない攻めのエネルギーを感じ、その若々しいエネルギーをうらやましくも思いつつ、朝起きると鼻をつけた状態で我が子が目の前にいたり、二階から掛布団と枕をもってきてくれたり、優しさもくれながら、

画像も弄ってくれる日々があり、正確に思い出せば「神妙」という言葉を使っていましたが、ヘアスタイルにつきあれ坊主にしなかったんだといえば「僕はしんみょうにいいました。短くしてください、Tさんは言いました、長いほうがいいんじゃない?、でこうなった」とバリエーションが増えたのか面白い説明をしてくれた日あり、そのヘアスタイルへ後日パパが同じにしてもらえば、パパのほうが似せるパターンは初めて聞いたと言われたほど、6歳とか年齢に関係なく我が子を尊敬し、つまりは敬愛ということになるかいやそれ以上だと思いながら、

学校に行っている間は写真散歩で時間を繋ぎ、この写真を見て「たくさんの銀河みたいだ」と評してくれ、

猫にビットコインかのごとくな私にはもったいブツの準備も家から出ずに整いつつ、本丸すらも現物を見ることもなく注文し、という時代性を感じ、

「はい、パパはここに寝てね」と施工管理も万全に、

雑草や雲、葉っぱを撮って残りの人生を過ごしていく追加機材も届いたり、

当時買った時の喜ぶ気持ちも伝わって来るかのような、これだけ綺麗に大切に、保管し残しておられた方々の人生を思ってみたり、

ゆえに受け継いで大切に使わせて頂こうと考えて、新しいレンズ達も仲間入りしました。写真から三ヵ月後ぐらいの最近、この自作棚には自転車がコレクションされることになります。

年内福祉事務所を立ち上げられるか、目途を思ってきましたが、もう少し先になりそうです。主には私の体力的余裕のなさかもしれません。が、たった1万3千円で健康的になれ幸福感や充実感も増すような方法が見つかったので、もう少し様子をみてから展開させて頂きたいと考えています。
10月

16エリアに配置される拠点となり、コストコントロールもエネルギーを要する状況に、社において新しい制度や仕組み、マネジメント層の育成が急務である状況は、

10年ぐらい前の友時代から私をそう呼んでくれることになった「火の中でも水の中でもボスが行けと言えば、いきまっせ!なんでも言うてください」と勇気も鼓舞もやる気も生きる力もくれる有難く頼もしい友に、そしてこの友が仲間としていてくれることに救われ、ちなみにグレイシー柔術もやる筋肉モリモリ男の友が「我ががボスボス呼ぶ男が実際会ってみたらこんなやさ男でみんなびっくりしまっせ」とも言われますが、

その友に全国の事業所を束ねてもらい、仲間は引き続き最たるに重たいトップの役職を維持したまま、全体の把握に努めつつも財務と営業面に特化してもらい、という分業分権化、仲間にとっては軽量化を進め、

我が友が、全国を四分割にして統括者をそれぞれ作っていくという、次のフェーズというべき段階へ進む運びを賜りますが、これも有難く想い、そしてトップとして負荷高くも業績を伸ばして来てくれた仲間へも無論敬意と感謝を思いながら、苦労をたくさん背負わせて抱きしめさせてしまい、もっと早くに負荷軽減の最適化としてこうして取り組んでもよかったかもしれずと反省も致す次第です。

この日は虫取り社会科実習だったような気がします。

ご自慢のリュックでご帰還です。

到着していたLeica開けずに待って、我が子に開封を託し、ライカデビューとなった10月2日。私もレンズ交換をしてみようと手こずっていれば「あぁパパ、あんまり強引にやると壊れちゃうよ」と心配をもらい、

1枚1枚撮るのに時間を要するため、かつ撮る喜びは撮る側の自慰的都合に過ぎない中に、いつかは「いい写真」という成果で返していきたいところですが、被写体には「まだ?」やしたいことを手を止める、見たいもの行きたい方をがまんする待機という不要な負荷を与えやすくライカとなってからは自然な笑顔が消えてしまうことはウィークポイントに数えたいこともありますが、1日1枚から5枚程度と撮る枚数が少ないのもあり、このライカのみRAW+JPG記録として現像をすることにしてみました。

ピントにブレ、ホールド性も懐古的、旧々々世代ぐらいと思わせる数世代前のAPSより劣るノイジーなセンサーとエンジン、液晶を付けているとワンテンポ遅れるという意味では使えない機構ともいえる液晶ビュー、100万円以上するカメラでかつハイスピードレンズを販売しているメーカーなのに1/4000までのSSという所業、ピント機構に今や合理性の欠片もなく、殊にまともに構図など作れるわけがないレンジファインダー等合わせ初めての感想は「ライカすげー」どころか「なんじゃこりゃ、とんでもないのを買ってしまった」でしたが、あとで知ることになるFUJI開発者の方が1999年クリスマスにライカを初めて買ったときの感想が「レフ機に慣れ切った者にとって、なんだこれは、とんでもないのを買ってしまった」が感想だそうで、そしてその方はその後10台のライカを買うことになっていきます。「魔性がある」と考えるのが合理的といえるのかもしれません。そして魔性、そのコアを知りたくなっていく「今日もレイカさんで」と本指名しそうになるという恐ろしい図式ですが、実際の嬢よりは資金的には軽微な気がしてきます。

お泊りに行ったばぁばの家から公園に向かったと連絡が入り、なんとか落ち合えた日。ここはRF1.2頼りで出かけ、

次の日は買ってもらった靴と予備も携えて、

私はカメラの予備も携えて、お願いしておいた奇遇にもこのセットと同じぐらいのブツなしかし使わせて頂くこともないギターが入ったと連絡を受けて、つまりは合わせて10月の無駄使いクラウンの新車ぐらいか家人の顔色を気にしながら引き取りにお伺いするも、諸事情をお聞きして楽しみにさせてもらいそのまま使ってもらうべく決済だけしてお預けして、

楽しいドライブが続きました。

その瞬間、その瞬間、有難い時間であると内心で確認をしながら、α6500

M10-Rこのときはまだ液晶を付けているとシャッターがワンテンポ遅れることをしらないので、このSSでぶれるってどうしたら、と慄いていた頃、そしてワンテンポ遅れることを知っても、液晶をつけているときのシャッター音は被写体に「撮影が完了した」と認識させたあとにまだシャッターが動いているので被写体ブレも生じやすく、この点の対処は「はい3秒はまってくださいよ」ですが、これも笑顔が消える待機要素であり、総合して難しい、ということに難儀しています。

悩みつつも、α6500ではなく、M10-Rを持ってお店へピントをぐりぐりしながら追いかける修業入店。

帰路は246多摩川を渡っているときに、橋の終わりが見えてきた頃に白ばいが斜め後ろにいるのに気が付いて、何度も後方の確認もしていますから、ということは死角にずっといたと思われ、普段から飛ばしませんが、しかし我が子が話しかけてくれてそれに答えることに集中力を割いていなければ前に車がおらずだったゆえ知らず知らず惰性で多少は10kmプラスα程度法定速度を越えていたかもしれず、我が子に助けられました。このままいけば次回も5年更新を頂けそうです。なおメルセデスGLに乗っていたときは、スピードが出る車ゆえだと思いますが三郷のあたりではマークXなどの覆面によく煽られました。あおられたから飛ばしてよい正当性はなくという理由はともかく違反したらアウトです、という理屈もあるのでしょう。

そしていつまで四駆好きなのか、

カメラ好きという意味では人のことをとやかくいえませんが、夜はLeicaとotusを比べてみたりテスト撮影をして個性を探っていく作業。デスクは落書きです。アポズミクロン50mm f2 ASPH

otus55mmF1.4

「こちょこちょしないとあとで取り返しがつかないことになるぞ」などと誘われますが、同じく取り返しがつかないことにならぬよう我が子を撮るために何も分からないところからスタートして方々機材を試してきましたが、子供の記録以外で一番気に入っているのが、中古2万未満NEX-6と数年前に中古1万程度で買ったAF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8Gという組み合わせです。

なぜこのセットが好きなんだろう、と自分でも考えてみたときに、持った時のバランスのよさもあるのですが、

「赤い傘の女」と題して4コマ漫画ならぬ4枚組写真を同セットで撮ってみたときに、これだ、と思いました。

どうでしょう、昭和感、フィルム感がでるから、出しやすいからではないか、だから気に入っていると思ってみた次第です。

この日は同セットで通してみました。

少しの間、モノクロを探求してみることにもして、SONYを使う機会もまた増えたりしつつ、

「ちょっと待って、もうちょっと。ごめんもうちょっとまって」「パパはやく・・・」「あっごめん。露出がだめだった。もう一回」とSSから露出の出直しを三セットしながらライカで一枚。ライカ社はレンジファインダーを正当化する根拠の一つと考えられるポジショントークとして、構図なんか作っていては決定的瞬間を取り逃がす、構図などあとでトリミングでいいのだ、と言いますが、速写性を根拠に出すと例えば鬼の起動から兎のAF、虎のシャッターを押すまでが天と地ほど速いキヤノン等が理屈では有利になり、ライカ社はあまり速写性をメッセージとして打ち出すよりも、描写性で伝えてくれた方が分かりやすい気もしつつ、

一枚一枚丁寧にやったつもりがピントが合わなかったり、ブレたり、ノイズでディテールが崩れたり肌が綺麗でなかったり、動かないまでも合焦待機中の揺らぐ我が子にピント集中していると背景がごちゃついていたり、それでも暗部を味方友軍に取り付ける方法や絵の作り方に魅力があり、ときに情感に訴求され、

このカメラとなってから、撮影枚数はまるで昔のカメラのように激減しましたが、撮るだけでなく写真をあとで見る楽しみ合わせ増量したように思います。その他広く多くの楽しみや快楽、その欲求すらも大幅に滅失し、草臥れてきた人生および生命力には有難い魔性です。後年の晩年元気でいられれば、ライカ一本持って妻とゆっくり旅するのが人生の目標です、と思わせてくれる魅力を持ったカメラです。