
小雨フル梅雨ノ日。

学校終わりのあと「ママの誕生日プレゼントビールにしようと思うんだ。一箱」と聞きながら、最近はいつも自転車で行くゆえ久しぶりとなる車で英会話へ送り届け、

公文のバックで行った英会話へ迎えに行き、

英会話と次の公文の合間にばぁばにも加勢をもらってビールを仕入れて、

一息入れる用に買っておいたセレクト可、パックのぶどうとオレンジジュースではなく、公文へ持っていくのはペットボトルのお茶がいいと自販機で購入し公文に送り届け、

頃合いを見て公文にお迎えに行けば「パパ、そろそろ終わるよ?これから先生にチェックしてもらうところ。どこいる?」「もう下にいるよ」「わかった。終わったらいくね」と可愛い声で電話がかかってきて、ついこの間まで「まんじゅう。おいしいまんじゅうたべたい」「はいちゅう、しゃんこ、あっちとりいくー」と片言で言っていた赤子だったのにと不思議に思い、いや生物や人間の設計図を偉大に思い、

帰宅して全部で18本ぐらいかママにプレゼントを渡しダース、箱の単位を改めて勉強し、

美味しくお洒落なイタリアンがお休みだったので、最近よく行く懐かしい風情が香る焼肉店で夕食とすることにして、

家の奥で電話していると、私を呼びに来て「もう寝るけど話してていいから横にいて」という小声とジェスチャーにてパパの手を引っ張って布団まで連れていき、電話の話し声を子守歌にしながら腕の中で眠りについて、「横で話せ」という要求は間々ある中に、少し前はお若いマネージャーへ「数字を意識する、数値で会話する、数字で考える、数字で判断する」という話を、まるで校長先生が担任の先生を叱咤激励しているのを見るかのように、横で声を殺し笑いながら「おもしれー」と囁き聞いていましたが、多くの大人のレベルを知ることは「社会なんてそんなもん」程度に自信にも繋がるのではないかと思い、他方で数字で考える、といっても専門職でなければ四則計算とその駆使で大方足りるのに、それすらしない人が大勢いるのがまた社会の程度、大人という存在という理解を小学生からしていくことも一つ意味があると思い、

土曜日となる週末、自転車のサドルをはずしたから見ろという視察が命ぜられ、

旅の準備を整えて、

道中の車中、シートを履行補助者にしてがっつり昼寝も納品し、

この日は逗子ICで土砂崩れも起こり、東名系の一部や小田原厚木道路が大雨により全面通行止めの中、

工事で小田原以降が通行止めになっている西湘バイパスへ車が集中し、濃い渋滞となりました。

「あっ懐かしいステップ」とメルセデスのステップを指さして、まだ2019年の高波から復旧工事中となる西湘PAで「はいパパ」とデカビタCを買ってくれ、

4km二時間という平均時速2キロになるほとんど動かない渋滞、停車中はサンルーフから写真も撮ってくれたり、運転席に座ってみれば、ドアミラーの調整や、車高の上げ下げなど機器の確認を行い、隣のご老人がほほ笑んで手を振ってくれたり、その他案外に笑いが生まれる楽しい時間となりつつ渋滞を過ごし、

汽水域の引っ越しかのごとく、河の流れが強靭な頃、熱海で発生した土石流のニュースをママがスマホで見つけて知り驚きました。お見舞い申し上げます。

発災翌々日には当該山の不動産登記を取得した方がいて、旧所有者・現所有者がネットで公開され、情報が拡散され早々とまとめサイトが生成され、それをグーグル殿が関連候補で社名すら示唆してくれて、所有権者としての民事上の責任は山を持つことの怖さを思いつつ、これに加え、これだけの被害が出たゆえそれなりに公的な厳しい処遇になるのかもしれませんが、他方でネットによる時代の怖さを思うところです。

魚拓も後押しするデジタルタトゥーの時代。事実上、刑事罰よりもその後に生きていくに厳しい罰がまん延する時代ともいえ、刑事罰の意義とはなんなのか、たとえば殊に執行猶予がつくようなケースでは、明らかにそれを公に批難中傷とともにさらされ、かつそれが生涯残ることによる後の弊害のほうが処罰として厳しいとも考えられ、事実上司法制度よりも個々人の感情のほうが重い罰を与える権能を有しているかのような社会環境になっており、検索すればいつでも現在級に「人の噂も七十五日」が通じない世界となり、

他方で民意がネットを通じて大勢が動く時もあれば、桜の会のように「放っておけばおさまる。次の話題が炎上する」という鉄板ワークフローかのごとく、沈黙さえすれば過ぎ去っていくことも常態化がさらに進む、かのようにも思い、つまりは決定的な影響力というものを我々民は持つことが引き続きできずの中に、

あるいは方々なんでも動画が上がり、または犯罪でもないのに一方的な正義感に基づいた動画で吊るされ、夏の日も雨の日も路上に立ち続けたり凄惨な現場に身を入れて処理してくれ、風呂も入っていない者やクスリで唾液垂れ流しに荒れ狂った者を身を挺して取り押さえてくれたりして同じ人間として過酷なストレスをぶつけられ我々に治安を提供してくれている警察官殿も動画を高圧的に撮られ晒されその正当性をまたいがみ合い、堤防なき情報の洪水が延々と続き、総合的な結局的に、インターネットというものは民が民を苦しめ合うツールという側面も如実化が色濃くなっている点を思わなくありません。

人はなぜ生きているのか。

その答えは、人それぞれなのだと思いますが、本来的に「生きている目的」などなく、理由をつけたがる人間の性と、意義があるはずであるという傲慢さなのだと思うところですが、

しかしあてのない散歩が三日か三カ月で飽きてつまらなくなり、誰の役にも立たない日が1週間も続けば虚しくなるかのごとく、

人生という旅においても、目的や目標がなければ飽きやすく、意義がなければ虚しくなりがちかもしれないのかもしれません。

ただ走るよりも、今日はあそこまで行ってみよう、綺麗な花を見つけよう、42.195km走れるように目指してみよう、そうして皆へ夢を与えられる存在になろう、など目的や目標あるいは意義を見いだせたほうが、人生のふりかけ増量で楽しみや張り合いが増えるように思います。

そう感じる者として「人生とはyoutubeを見るためにある」「人はyoutubeを見るために生まれてきた」状態になっていますが、大切なことは、生きていくのは大変なことである中に、人はただただ苦しむために生まれてきたわけではないと思い、苦しみをいかに軽減し、それを仲間同士助け合って生きながらえ、あるいは会社という器は苦労や悩みを含めた楽しみや張り合いを増量しながらも、単なる苦痛を少しでも軽減する装置なのではないかと思うところです。

ノンアルコールのパインモヒート。「うげ、まずい」とハーブが少々きつかったようでした。

先にフルーツの森を頂いて、

我が家の鉄人、この日も料理提供の際はその説明をする機会を頂き、人生初の上席にプレイヤーとしても、育成する立場としてもすばらしき方に恵まれてお仕事を教えて頂き、お忙しい中に焦ることなくそうした時間と機会を下さるお人柄にも敬意を思いひれ伏しながら、ホスピタリティ合わせそれも有難く頭が下がるばかりです。

そして一週間前、
系列の宿へ泊まった際に我が子自らこっそりお願いした、サプライズの仕込み「ママ大好き」なメッセージ付きケーキの登場です。

仕込んでからの一週間、二度ほど「ケーキなんて用意してないからね」と言っていたので「普通ならわざわざそんなこと言うと勘ぐって気づかれる。言わない方がいいよ。鈍いママだから気づいてないけどね。」とやり取りもして、機微の隙間を会話してみて、

夜のコーヒーで夜食を頂き、温泉へつかって、人生の反省を試みました。

夜が明けて、

「こっち座ると」親の横ではなく、両親を向かいにして1人で座り、

私たちの茶碗蒸し2つをホールドして平らげて、「どう、こうして素敵な料理を素材の仕入れからして、作ってくれる人がいて、それぞれが一級で、いつも綺麗にしてくれていて、飲み物まで用意してくれる素敵な別荘だと思うんだよね。本当の別荘はそりゃ大変なんだよ」「なんで?」

「パパは二つ別荘を持ったことがあるんだけど、仕事が終わって夕方に東京を出発すると暗い中に到着して、蜘蛛の巣にびびりながら電気をつけに中に入ったり、何か盗まれていたり、そして掃除したり、始めの何回かはそれも楽しいけど、そりゃもう大変」と説明したところでママから「えっパパ二回目っていつ持ってたの?」「20代終わりの頃かな」と一回も行ったことも連れて行ったこともなくだったので、ママは完全に忘却のようですが、一つは皆でよく行った海の近くで庭石やら、湯沸かし器を盗まれていたこともありました。セキュリティがしっかりとした電鉄系別荘地であればまだ安心かもしれませんが、被害届だしたり、工事の手配したり、疲れを癒す温かいお湯が出ないので冷たい真水のシャワーを浴びたのも思い出です。そして「いかないと勿体ない」とその物件へ心理的に引っ張られ他へ行く自由度が事実上減ることもまたデメリットに思うところです。それに比べて非常に安価といってもいい負担で、蜘蛛の巣もないし、掃除もない、いつでもどこでも自由にいけて、美味しいご飯までついて、数年に一度はリフォームもしてくれる別荘、という心情的定義となってきたのが定宿です。大好きな汁物、パパの洋風スープも飲んで、

LXと2度目の朝風呂、

お風呂を上がったら親が拭いていた頃がいつの間にフェードアウトで過ぎ去っていったのか、自分で拭くのが普通となり、

チェックアウトの時間です。

ずっしりと重い玩具が詰まったリュックを背負い、箱根、梅雨の空気を感じながら、

「若くて可愛いおねーちゃん秘書にしようかな」と呟いてみると「離婚するの?」と聞かれ「しないよ」と答えながら、

現社の収益性を一般不動産の収益物件換算すると、収益構造を半減させるほどの事業投資構造に変容させたにもかかわらず、不動産資産100億円を軽く超えるほどの利回り環境と同等に皆様の知恵と努力にて、ほぼ事業が生み出すキャッシュフローのみ事実上無借金にて3年4年を数える頃には育ったと思えば、同じ少ない元手でスタートした場合、不動産ではそのほとんどが借り入れを軸とした外部資本に頼らざるを得ず、装置産業たる不動産の効率がいかによくないとも思うところですが、一般事業は不動産の比でないほどにメンテに手が掛かり、エネルギーを要し、かつ目まぐるしく環境が進化する時代に安定性が低い中に、

他方で、不動産収益の安定度や、賃料未納者が発生したとしても一般事業に比べストレスフリー級に手が掛からずを思えば、某則武地所のような致命的リスクも内在しつつゆえ十分にこれに気を付ける必要もありつつ、一部そして少しずつ換価していくことをそろそろ一考かもしれず、

しかしその一方で、数十年後に重い課題や悩みを残すことになるケースも散見され、あるいは一般事業というものは雇用を増やしたり、社会貢献性がより高い場合が少なくなく、それへのやりがい、生き甲斐という意味でも、一興がある分野に思い、

もう一昨年ぐらいになるのか、物件ドライブと称して、アパートの管理を通勤先にして日々の暇つぶしを夢にしようかとも考えましたが、よくよく想像してみるとそのような生活も3日で飽きそうで、これも内心で廃案となりましたが、しかし暇つぶしが主眼ではなく、40も半ばを過ぎようとしてくるとゆくゆく残されていく人々を思うという視点が深まり広がり主眼となり、また考えや感覚が変わってきました。

すばらしき尊敬する理想の上司に人生すぐに出会えた有難みを思いながら、この日は「これとこれも頼まれましたので、〇〇万円になります」と会計業務までもさせてもらいました。「おにーさん、この飲み物頼んでないですよ」と言いがかりのクレームもつけてみて、

無事におにーさんに清算をしてもらい、

今は箱根の帰りにセット級になっている立ち寄り先のトイザらス、パパも毎日ばぁばの仕事先の近くにあった西武百貨店の玩具売り場へ学校が終わってから電車に乗って一人で行っていた小1を思い出しながら、これもそう遠くない将来行かなくなり貴重な今だけのひと時と思いながらナビもセットしてもらって、

雲の中なのか、霧に包まれた、何度通ったのだろう箱根路を下りていきます。

そしてLXレクレーションです。

新緑小雨降る中に、虫の心配せずを思えば雨もいいものだと思い、

ママはシート、二人は荷台で寝そべって、しばし景色や止まっている車について語らいながら、

しっとりとした空気を楽しみました。