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ドライブへ行こうのブログ一覧

2016年01月06日 イイね!

イルミネーションを撮りにドライブへ行こう。 よみうりランド



新春は有り難いことにいくつかの会食のお誘いを頂きました。忌憚なく疑問に思っていることを質問させてもらおうと思っています。



30歳の頃、面談をしているときに「質問が重複しますが」を、「じゅうふくしますが」と言い、横から間髪入れずに「ちょうふくです」と教えてもらいました。慣用化で許容されてきているようですが、30年知らずに生きてきた、あるいは学校で習ったはずのことも興味がなく忘れたわけです。「感謝申し上げます」と言ったときは「感謝はするもので言うものではありません」と教えてもらいました。教示と教授も慣用化が進むのが早く感じています。20年前は「教授」は名詞であって「ご先生を頂きまして」と同じだから不適切である、と教わった気がするのですが、ご教授を頂くが多数となりました。慣用化が加速しているのはネットの影響でしょう。いずれにしても、知らないことだらけで生きています。教えてもらうことは本当に有り難いと思います。言ってくれない人のほうが多いですから。言う勇気、言う強さ、ときにはさりげなさと優しさも。




どれだけ物を知らないのか、数値化をできると思っています。答えから言うとだいぶがんばって雑学王になったところで、世の中を知っているという、既知率は0.00000142857%未満です。つまり世の中の99.99999%のことは秀才でも年配者でも博士でも知りません。変数が一つしかない簡単な数式は割愛しますが、考え方は次のニュアンスです。宇宙は果てしないですが、現代では人口はだいたいはっきりしています。たとえば何人の名前が言えるのか。10名、20名、だとして1億2千万分の20、あるいは地球規模で言えば「70億人分の100人」のような数字になるはずです。


その人のことをどれだけ知っているんだ、という深度まで含めて考えれば、さらに知らないことだらけのように思います。一生学んだところで。同じように植物や会社の名前。10社、20社、がんばって50社言えたとしても日本だけで300万社あるとして、の知れた数字です。これも世界を思えば、知らないことのほうが多くある中で、しかしより知っている人が10社多くか倍言えたとして、この0.0・・・13と0.0・・・14のこの0.0・・・1差が大きいのだと思います。裏を返せば、差がつく差がその程度、だから自分が食べていく程度ならば人生楽勝だとも思っています。すべての人が真に努力をする世の中であれば、努力家も悲鳴をあげる、生存競争の競争力は絶対効の相対的関係。加えて0.00000142857%未満をどんな知識で構成するのかも大切と言えるでしょう。

知識は点はおろか、面積ではなく、体積である、と思う中、後進に改めて伝えてみれば覚えてくれていたり「名前だけたくさん知っていても何にもならないです」と、言われてみればその通りと感じたり。




法人数ということで、数値でひとつ面白いと思うのが、アメリカは日本よりも当然に法人数が多いながらに、大企業の定義も異なるながらですが、大企業と中小、零細の比率が日本と同じところです。これが面白いと思い、主に先進国と区分される諸外国を調べてみれば、各国だいたい同じ比率で誤差1~3%程度。区分の定義を統一して、統計を取るともっと数字は近づくのではないかと想像しています。面白いものです、そして一つの答えも示しているのでしょう、97~99%が並み未満であり、ここから抜け出す壁があり、0.3%~0.02%が極みやさらに極みであり、と思ったり。




子供にとって質の良いコミュニケーションのトラフィックや愛情を増やそうと、実家からほど近いところへ越しました。おかげでこの年になって写真のアドバイスを親から受ける、とは夢にも思わず、カメラ俺のほうが詳しいし、とは思っても「言ってることも間違ってない」と思ったり。同僚とグダグダ話すよりも、ときとして知恵者との会話のほうが成長に繋がります。




共にでかける機会も増え、車中いろいろな会話もします。政治や経済、家系に料理。政治やら小難しい話は昔から親から振ってくることが多く、難しい質問としては「これからの伸びる政治家は誰だとみている?」で、恐らく息子である私を磨き高めようと意識しているのだと察しています。しかも未だに、と思いつつ、親としていい取り組みだと思います。しっかりと私も親としてそんな会話も、十分な話堪えある相手として磨き続けたく思っています。




民主主義。この根幹は多数決ではなく、世界には学べる環境がないところもあり、あるいは自由に好きなことを学んではいけないとする国もあるわけで、好きなことを好きなだけ学ぶことも自由である、ということが重要であるというのを大前提に、個のナレッジだと思います。



学校では多くの人が民主主義イコール多数決として教わり世に出てきますが、その前にナレッジなくして本来は成り立たないと思います。



ぽんぽこ村に橋を架けるため、多数決を取ります。とその前に、その橋が必要なのか、みんなのお金をここへかけるべきなのか、他に優先することはないのか、議論します。お金がたんまりあって橋を架けるのか、架けないのかだけを考えられればよいのですが、他のことも考える必要があります。




議論するには、橋がある場合とない場合での利益衡量や、橋にはどんな種類があって、あるいは強度はどうなのか、過去の降水量からするに洪水にも耐えうるものなのか、いや学校や病院を先に作るべきなのではないか、など、一定の知識や考えを議論し合う必要が出てきます。




正確に言えばここで「議論に耐えうる」知識や知見が必要になってきます。その前段では橋を作るのによりいい技術の議論もあるわけです。知識も考えも議論もなしに倒した木を橋とする技術では、程度が低くなります。




欧米では民主主義が発達してきているので、移民やスラムなど多くの貧困層を除けば幼少のころから議論を意識して知識を学び、そして実際に議論する土壌が育っています。議論のトレーニングは換言すれば知識を活かす選択肢を大きく増やすことです。ハイレベルなMBAでは学術書を日に一冊頭へインストールしたうえで議論を行うそうです。生粋の攻撃性あるDNAにより負けん気は人十倍で競争環境にさらに拍車がかかるのでしょう。日本はこのようなトレーニングをする教育機関がないに等しい状況です。子供の頃から仲良くしようね、ばかりで、せいぜいしても「話し合い」。




個の知識があり、次にそれぞれのコミュニティでの議論があり、多数決へと繋がっていきます。



個の知識が議論できる土台として十分あることを前提に、そして議論があり、という関係を教えずに、多少の話し合いをして多数決を取りましょう、ということしか教わらないケースが多くあるように思います。ゆえに民主主義とは言うけれど、勉強する本当の大切さが分かっていない、あるいはいい成績、いい学校へ入るためだけの勉強になっているケースが多いような気がします。



ビジネスというものも、世に出て多くの支持を得るという多数決原理に裁定されるまでのそのプロセスは多数決に向きません。これも学校で教えてほしいものです。



学生を卒業し、あるいは若い人はビジネスの場でも、会議でもしようものなら「決を取って決めてみては?」と、多数決で決めればいい、という風潮を持った人も少なくありません。



経験を積んで100万円稼ぐビジネスプランな能力の人1名と、10万稼ぐ能力の人2名で、どのビジネスプランにするのか会議を開き、多数決を取れば、おのずと10万円しか稼ぐことができないビジネスプランが採用されることになります。ビジネスの場では、お金を稼ぐだけでなく、解決する技術力の高低や、多くの人に馴染むネーミングを考える能力なときもあるわけです。



一人のより優秀な、もしくは能力がある人が先輩として、または上司として、残りを引っ張り、よりいいビジネスプランを実行し、そして育てても行くわけですが、育てることに関心が薄いか弱い場合もまた多く。



民主主義は万能ではなく、政治の世界や国家のシステムにおいて非常にたくさんの修正もなされている中で、若い人がいきなりビジネスで多数決だ、いやそうじゃない、なぜならなば、と丁寧に伝えることも大切だと思います。ビジネスに限らずスポーツなど競争原理と多数決原理はときに相反関係となるわけです。ということも小さいうちから教えようかと。



子供が1歳を数える頃には、だいぶ会話が成立するようになりました。「ティッシュ取って、ゴミ箱へ捨ててきて」「リモコン取って、そっちじゃなくてもう一つのほう」「パトカーどれ?、トラクターどれ?」から「食べ終わったらお皿ママに渡してきて」と少しずつ複雑化もし。多いほうなのかは分かりませんが、1歳過ぎる頃には名詞で200~300ぐらい、動詞なども含めればプラス100程度の単語を覚え理解していました。単語あるいは概念はコミュニケーションツールだけでなく、考える道具なので、その数も質も重要だと思います。単語や語彙を雑に扱えば、思考も雑になり粗くもなります。




2歳をまだ数えていない今は、万両に千両の違いもわかり、クリスマスローズや、「伊豆でもらってきた万両がどれか」も識別し、一度二度教えると見たこともないマイナーなキャラクターでも覚えていくようになりました。おどろくのは半年ぶりに話題に出したことの些細なことでも記憶が残っていることです。誰と出かけたのかや、どんな出来事があったのかなど。さらには65年の歳月を超えて、お祖母ちゃんへデジカメの使い方を教えるようになりました。


よりいい方法やいい成果もあるかと思いますが、これは私を地上げした地上げ屋さんのおかげです。この奥さんの教育がかなりすばらしいものだと思います。教えてもらいました。どこにどんな縁があるか分かりません、そしてときには掘ってみるものです。詳しくはまたいずれ。





これから子供を作る予定な方、あるいは親戚で生まれてくる方に、教えてもらったこともたくさんありつつ、そんな秘訣や魔法の言葉もあるように思い追々共有したく思ってます。座学だけでなく、それなり以上の人にたくさん質問もしてきました。



私は仕事をセーブしています。かなり。それは子育てのためです。満三歳を迎えるまで、と思っていましたが、最新の研究では満五歳まで、たくさんの愛情と、とにかく五感から全方位的に脳を刺激し脳細胞とシナプスを増やしてやるのが今の役目だと思っています。脳内物質の出方や出る量、そのレセプターなど遺伝要素も多いながらに、できうる限り最大値化し、あとは本人が努力さえすれば、という土壌を作ってあげたく思っています。土壌を作り、次は土台。





ニューロンは胎児中に作られ、シナプスは2~3歳まででその数がピークを迎え、脳細胞は3歳で80%、6歳で90%が形成される、と言われているわけで、ここまでで基本的な素養がある程度決まってしまいますが、20代でも脳細胞もシナプスも増えるとこれまた分かってきているので、20代までは伸びしろが多くあります。いずれにしても、三つ子の魂百までと言った先人はすごいわけです。


なお私見ながら人を育てる、成長させる、すなわち変えるということは、一面として言うとシナプスを変えるということであり、すぐ元に戻るとはシナプスが強化されていた従前から通り慣れたところにまた電気が流れやすい、ことなんだと思っています。大人こそいろいろな刺激でシナプスを変えないと、能力が実は変えにくい、ということになるわけです。ちょっと話し合いをして、ではそろそろ決を取りますよ、というシナプスを社会人になってから変える無駄。




不必要な糖分は与える必要がない、という考えもありますが、私はお菓子もそこそこに、できるだけ果物などを自然な糖分の形として多く与える環境にしています。本来脳は一番カロリーを消費する器官であるところ、それが成長しているわけです。どんどん脳の栄養である糖分も供給してあげるべきだと思っています。なおおかしよりも果物のほうを重視しているのは、食物繊維と糖分を同時に摂取することで、急激な血糖値上昇を抑制することにより未熟な内臓器官への負担を減らし生涯負荷を減らしてあげて、かつ腸内環境も整いやすくし、加えて将来的な舌の記憶を勘案して、という理由です。ヨーグルトは三種類以上を混ぜて食べさせています。腸内の細菌環境が人格にまで影響するという研究もありますが、それよりも健康を重視した結果です。




乳幼児のときに母乳だけで育てる派には反対です。たくさんの母乳を与えることも大切でありながら、母乳がたくさん出るようになっても、その総量というものは絶対的に上限があります。欲する限りミルクもあげることで、摂取する栄養価の絶対量・総量が増えることになります。そもそも母乳が絶対だとするのならば、江戸時代の人がもっと体の生育がよくてもよかったはずですが、そうではありません。世や社会を歴史を見渡すと、何事もそこによりいい答えやヒントがあるのだと思います。


何よりも母乳だけで育てようとしているお母さんを見るにつけ、精神的に追い込まれたり疲れたり、あるいはやせ細ったりやつれたり、そんなこともけしていい影響を与えないと思います。出来た余裕を他のことにエネルギーを使ってあげたり、愛情を注いであげるほうが大切だと思います。

お母さんというものは片付けたがるものですが、1歳数ヵ月あたりまでは、一切のおもちゃを仕舞ってはいけないとも思っています。また早期の歩行はO脚を招くともされていますが、遺伝的要素のほうが強く、それよりも足の裏からの刺激を重視したほうがよく、早期に歩くようになるコツもあるのかと思っています。それらはまたいずれ。




もちろん子供は可愛いゆえに、立派に育ってほしくも願っていますが、子供を立派に育てることは私自身の社会貢献だとも思っています。多大に社会貢献する人間に育ってほしい、万の雇用を生む人になってほしい、とくにこれからの日本を思えば、大切な役割だとも思っています。

IQを先行して高める教育をしても8歳で追いつかれるという研究もあります。大切なのは「やり抜く力」あるいは非認知能力だとする考えもあり、一定の説得力があると思います。より表情が豊かな子に育ててあげることも大切だと思います。




日本語は1万語覚えないと円滑な対話ができないそうです。比して他の言語のそれは2000~5000語だそうです。十分な到達点で日本語4万語に、英語1万5千語。日本語を母語とすると、母音の課題も生まれつつ、日本の語彙数を経験すると他の言語はハードルが高そうに感じるわけですが、どれか一つ欧米語をマスターすると源流が同じゲルマン祖語系はマスターしやすいとよく聞きます。ちなみに知り合いの香港人は30歳の頃には5~6ヵ国語を操っていたのですが、覚えるコツは自分が好きな分野からはじめる、すなわちその彼の場合は「下ネタ」と言っていました。キャバクラへ連れていけば日本語で「だ・ん・ち・づ・ま」と練習中の日本語を話し、おお受けのコミュニケーション能力。繊細な日本が世界に誇る文化です。子供が覚える語彙・単語数


盛り込みすぎました。


おまけ



ブラジル某所の2016年元旦。地球の裏側から女の子がメールで一瞬のうちに送ってくれました。これとて便利な時代です。大雨で市中水浸しの停電。こちらが何十万枚を高額な機材で四苦八苦して撮ろうとも、スマホ一つでこのセンス。敵いません。特段にこの子にはカメラのセンスを感じます。電源管理一つ大変そうな上に、治安上カメラを持っていると危ないかもしれませんが、この子にはカメラを持たせたかった。次回必ず。世界各地の写真をこのセンスで撮ってきてもらいたい。


家族といろんな対話をしながら、ドライブへ行こう

Posted at 2016/01/06 14:51:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 都内ドライブ | 日記
2016年01月05日 イイね!

よみうりランドにドライブへ行こう。


マツダデザイン、鼓動。



Visit Japanということで、外国の方も多数いた、よみうりランドへ。




本物のレーシングカーを撮ってみたくなります。



猿のお芝居。写真中、外国人旅行者のビデオカメラ1名がいた他は、デジイチ3名のみ。デジイチ市場縮小を感じるひと時。他にも大きな公園や子供が主体のところでもコンデジはおろか、スマホで済ませるユーザーが大多数派。中国マーケット頼りもそろそろ限界か。



羽田、成田発の航空路近くだけでなく、調布飛行場の離発着多し。



なんでも流し撮りをやってみる傾向。



LED全盛時代、だんだん見なくなってきた電球という味わい。



証券系の友人より年始の挨拶メール「申酉騒ぐ」相場環境だそう。



諸説ありつつ今年の干支たる「申」の字は、草木が十分に伸びきった時期で、実が成熟して香りと味がそなわり固く殻におおわれていく時期を意味するそうで、



そもそも、干支の字はすべて庶民に字を広めるための当て字だそうです。
観覧車、頂上付近から新宿の高層ビル群もよく見えました。



ランチにビールをいっぱい、たくさん歩いあとの五臓六腑に染み渡る至福のひと時です。
加えて、干支の文字はすべて農作物の成長過程を示してもいるのだそう。



よみうりランドのアウトサイドなフードコート。豚汁、おでん、スパイシーチキン、焼きそばを頂きましたが、非常に美味しくビールとも相性ばっちりでした。なお井の頭公園内のそれは動物のエサにもならないほどのお味かと。よみうりランドは他にも味噌専門のラーメンを誘致したり、いい努力をしているように思いました。



銀座松坂屋ロマネコンティ6本セット1,000万円也も即完売、だそうで、相変わらず余っているところでは経済の賑わいも感じ、などなどとってもためになる年始メールをくれるよな、と家人とも内容を共有。




このメールの主は非常に勉強家で常に生きた情報を集め続け、私としてはブレーンの位置づけです。「さすがブレーンだよ」とある日話題にしていると「どうせ左脳担当だろ、俺は右脳担当だ」なんていう仲間もいたり。



こんな写真を撮っていると、




飛行機が、と絡めて。飛行機に引っ張られると風景として妥協するところも出てきたり、両立するにはやはり構図を決めて待ちが必要なようです。観覧車付近で絡めたかったのですが、なかなかタイミング合わずで断念。



イルミネーションのライトが点灯しだしました。




つづく


遊園地にドライブへ行こう
Posted at 2016/01/05 17:32:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 都内ドライブ | 日記
2016年01月02日 イイね!

一人で散歩



綾瀬はるかさん




意気揚々




運動会




エンプロイメント





お惣菜




甲子園




乙女心




カレーライス




丁稚奉公




戊辰戦争




色恋沙汰



魯粛さん




歯は大切に



虹色




惚れた


思いついた単語、丙だけ語彙なし、ドライブへ行こう。


Posted at 2016/01/02 22:16:36 | コメント(3) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2016年01月01日 イイね!

初詣にドライブへ行こう。 まずは氏神様から


年越し。そして新年。2016年になりました。あけましておめでとうございます。
過去のことがまた一つ、昔話になり鮮度も落ちていきます。ゆえに常に新しい努力も重ねて、と年始早々戒めながら。



三世代で氏神様へ初詣。まだ紅白歌合戦がやっている時間、少し早めに到着。もう少し大きくなれば海外での年越しや、あるいは私の親も年ゆえに、ずっと続く何回もある機会とは思わないで噛みしめて。噛みしめると言えば若いころから家人に「なかなかないことなんだから、有り難いのだから、感謝しなよ」と小姑のように言われ続けた以心伝心。




宇佐神宮を総本社とする、八幡神を祭る近所の八幡宮。もう少し歩くとさらに大きな神社があるのですが、そちらは1時間以上も並ぶということで、こちらへ。

ちなみに宇佐神宮はときの天皇が伊勢神宮よりも重要視をしたときもあり、あるいは邪馬台国九州説の一つの根拠となっているところでもありますが、地面を掘り起こすとなんか出てくるのではないかと思っています。とくに宇佐神宮は本山のほうで立ち入り禁止エリアが多く、なんかありそうな気がしています。そういうところ多そうですが、文科省はもとより、宮内庁はなかなか認めませんね。その理由も察しますが、あまり最近過ぎると文化的摩擦が大きいだけで、遅かれ早かれ日本人はみな大陸から来ているのでいいのではないかと。



もう少しで2015年が終わりを告げるように、お焚きに火が入りました。
天皇制、皇族、あるいは一度は大きな帝王にまでなった王族が残る国。世界的にも少数派であり、定義によっては世界最長でもあり、なわけで、これからもずっと大切にしてほしい礎であり、文化の一つだと思う国民の一人です。

この神社は非常に気遣いがよくてびっくりしました。弓打ちに、お祓いも年越しの参拝者全員にしてくれ、さらにはなんと温かい飲み物まで。ご近所の喫茶店プレゼンツだそうです。家人に話すと「あぁあそこの汚いコーヒー屋?」というので、そんな言い方はないだろう、と言うと、「まぁ美味しかったけど」と。女性は清潔感が気になるようです。



この日は写真係にビデオ係、でまともに参拝できませんでしたが、心の中で祝詞は伝えつつ。祝詞は若いときから親に叩き込まれています。信仰心は強すぎれば、ことに一神教の場合、排他性を生むので戦いになりやすいですが、ある程度のもしくは緩やかな信仰心というものはあったほうが社会生活上円滑さと治安の維持につながると思います。とくに日本やタイを見るに、仏教はそのような方向に働きやすいと思います。持っているおもちゃを置いて1歳の子供が神棚に手を合わせ、テレビに仏様が出てくればおじぎをし、それらのときは鳥肌が立ちました。なんでも伝えていくと吸収していきます。私も教わってきたことを伝え。性善説か性悪説か、人間社会を挫けずに生きる上で役立つそんな話もまたいずれ。




だんだんと人も増えてきました。
その昔から弾圧に起因して隠れでキリスト教の方などもいましたが、日本人は基本ほぼ全員が、世界的にはマイノリティたる、元々は仏教徒のはずです。あるいは具体的な信仰がなくとも、まだ知らない間に仏教徒に属している人も多いと思います。江戸時代はお寺で戸籍管理をしていた関係で昔は「うちは浄土真宗○○派だよ」などと家ごとに必ずあったはずなのですが、近年は「無宗教です」がだいぶ大勢を占めるような気がします。どこかに属していても「無宗教です」で通す方もいるようですが。恥ずかしながら私も多くの日本人が属する、クリスマス、初詣、山岳信仰、なんでもありの多宗教です。多宗教と記すと三マタ、四マタのように、より節操なく感じるから不思議です。



ときには武力も使いキリスト教が地球を支配しつつある大勢を思えば一時的なのかもしれませんが、英語圏の若者でも無宗教という人もぽつぽつ増えているそうですが、ご存知の方も多いかと思いますが、基本的に海外で「無宗教」というと、変人扱いされるか、ときには危険思想だと見做されます。こいつは何を考えているかわからないぞ、と。多宗教なんていうと、何をされるのか。



キリスト教圏であり、かつ先進国の雄たるアメリカでは、聖書と整合性が取れないダーウィンの進化論はあまり教えないか、スルーするところもあります。つまり教えない。この時代に我々多くの日本人からすると意外なことかもしれません。



劣等生の一因にもなってしまいましたが、私は歴史というものを中学からずっと学生の間は、学問に内在する歴史以外は、ほぼ学びませんでした。時の政権や権力にこんな都合よく作り替えられ学ぶ価値はなく、かつ考古学者や歴史学者などが半ば妄想レベルで適当に調べたことなど信用ならん、と思っていました。



しかし、歴史の醍醐味は、点と点を実証し、論理で線として繋げ、ときにはどの時代も変わらない人間の本質や機微というものを想像で当てはめ、肉付けしていくと、それなりの精度でときの政権や人々の暮らし、文化の起因やその意味に必然などの実像というものが浮かび上がってくるのではないかと、今では思い、もっと学んでおけばよかったと後悔しています。



日本がなぜ日本というのか、あるいは英語ではなぜジャパン、フランス語ではジャポンとなぜ言うのか、も知ると面白いものです。ぜひこちらのyoutubeをご覧いただけたらと思います。
中国方言 ニッポンの発音」これがシルクロードで伝わっていく過程で、あるいは伝わった向こうでジャパンやジャポンになったのがよくわかります。この動画の正確性は不明確ではありますが、狭い日本でも本気の方言になると何を言っているのか分からない地方もあります。広大な中国ではなおさらであり、その雰囲気が掴めるだけでも面白いと思います。



海外へ行くと、自国や出身国の歴史や文化を話せないと恥ずかしいといいます。理由は簡単で、人が会い、または集まれば「今日はお天気がいいですね」とまずは自然と一番無難な天気の話しになるのと同じく、多くの国や文化から集まった大陸系ではおのずと「お前のところはどんなところだ」「この風習はどんな意味があるんだ」「日本ってこんな歴史あるんだろ?」という話題になりやすいゆえなわけです。答えられないと「こいつから話を聞いても役に立たない」と情報ソースとしての信頼性が大きく傷つくことになるのでしょう。


ちなみに海外へ行って一番苦労した単語が、現地のビジネス英語も流暢に操る駐在な後進も含め「ガムテープ」でした。ベビーカーは英語でストローラーといい、和製英語と英語が時として分からなくなり、ホームセンター(も和製英語)でガムテープの英語が出てこない、盲点でした。というほど、英語に強くないですが。子供からすると父方の祖父は数か国語操り、現地に行けば二週間でだいたいどこの言葉でも話せるようになった言語能力を私は引き継げなかったようですが、子供には引き継いでいるような「行こうか?」というとゴーゴーと答える隔世遺伝。




海外に行った際、または国内でも外国の人から、その文化を知りたいがために聞くときは、まず何名かに同じようなことを聞いていきます。その中から信頼性が高く、教養もあり、かつ社会をよく知っている大人な意見を持っている人を見つけていく過程を取るのですが、そのほうがより適確な情報ソースを得られることになり、文化理解の正確性が増します。



西暦というものも、かなりいい加減です。そもそもキリストが生まれた年に不明確性がある上に、西暦が常用されたのは、西洋でもかなり最近と言ってもいいぐらいの出来事であり、しかも常用されるかなり前に、あるおじさんが「こんな暦でやろうよ」と言い始めたのがきっかけにすぎません。それを早々と自分たちのものにして、日曜日も、そして今や土曜日も休みが当たり前で、なぜこの日が休みなのか何も考えず笑っていいとも増刊号、は終わってしまいました。



どの文化や、どの宗教でも気候風土による文化や宗教の違いは大きくありつつも、他方で類似性もある中で、一番の共通点がはじまりは「おっさんの嘘」だったのは同じなのだと思います。天照大神が天から降りてきて、我はその子孫なり、ゆえに統治をするが言うことを聞くのだぞ、と統治の力を強めるためにはじまったことなのだと思います。面白いのは東洋でも西洋でも、龍、ドラゴンと架空の生物が似通っている点です。



いずれにせよ、歴史が進めば、ことに先進国では国家や政府はそのようなことをしないように、政教分離をしましょうということにもなりました。元旦は与えていたコンデジのレンズを数ヵ月前は舐めることもあったところから、はぁはぁして拭く成長の瞬間に立ち会えました。




日本人の宗教アレルギーは、戦後生まれたように思います。そもそも同一性であることをよしとする民族というベースが新興宗教や海外からの宗教を異端とするわけで、異端扱いされたくないという村人心があり、そこへきて仕上げに天皇陛下が「ごめん本当は人間だった」と人間宣言というものをしたわけです。信じてきたこと、あるいは万歳と言って死すら怖くないほどに脳を洗ってきてもらった事項が嘘だったとなれば、少なからずや、いやうすうす気づいていたとしても、はっきりと言われるとショックもあったのではないかと想像します。キリストはいたか分からない、すべての超能力的話は嘘であり後進が勝手に作ったものである、と仮にバチカンが宣言するようなものだと思います。わざわざ宣言させられ、少なくとも一連のすべての行動が崩れた象徴的出来事として。父親が完敗宣言をするようなものでしょう。




ここで一旦宗教あるいは神、もしくは脳を洗ってきたもらったことから解放され、何かの精神的支柱を失い、戦後はたくさんのアレルギー反応があったわけですが、その最も大きい一つとして、あるいはどこかDNAに刻まれているのかもしれませんが、まだその文化的ショックから立ち直れないでいるのかもと想像しています。



出だしはおじさんの嘘であっても、論理的に「ゆえに神はいない」という帰結にも直ちにならず、ゆえにその存在は私にも分かりませんが、少なくとも毎年行われる初詣にはじめる儀式など、それが何百年、何千年と続いてきた中で文化が織りなしてきたこともまた事実であり、少なくとも大切なこの国の文化であると思っています。と思えば手を一瞬だけ合わせる人がいますが、祝詞を心で読み上げれば5~10秒かかるのですが、一瞬な人が多いことを見れば、もう少し文化を大切にしてもいいのではないかとも思ったりします。換言すれば少なくとも立ち振る舞いとして、大人としてもっと味があってもいいのかなと。



月を卵に見立てて、風見鶏の鶏が産んでいる一枚にしたかったのですが、これもあれも、家族みんなすたこらさっさで落ち着いて一枚として撮れず。な一年のスタート。写真を撮りにきているのではなく、初詣に来ているのであって、というのは重々の承知ですが、もうちょっと撮りたかった。




近くにも関わらず、帰りに少しでも体を冷やさぬようにと数百メートルのドライブが、2015年のドライブ納めとなり、2016年ドライブはじめとなりました。
そういえば、家系としては宮司でもなんでもないながらに、母方の実家は神社を有しています。私からすると曾祖父、子供からすると高祖父がやり手でマッカーサー氏でひっくり返るまで、代々荘園経営をしてきた財産を貸し付けて、神社まで担保で取ったやり手だったようで、死去すればお蔵いっぱいに証文がでてきたとか。その負けん気の強さの血は玄孫、つまり子供に受け継がれ、その子からすると曾祖父は近衛兵もし、身体的特徴を受け継ぎ、家人の健全性と真っすぐさ、家人方の祖父の箱根駅伝区間賞をたくさんとった運動能力を受け継いでくれているといいのですが。ちなみに皇族の玄孫でなんとか田さんという人と友人が付き合っていましたが、捨てられたようです。おかげで婚期を逃してしまったような。など家系の歴史を思ってみる正月もいいかもしれません。




年初めから暗い写真ばかりもなんなので、元旦の快晴で一枚。さすが一期一会システム、カメラを持って富士山でも撮ろうかと屋上に出たとたんの出会いANA。やり手だった会ったこともない先祖様が残した家訓に「人の死で食うべからず」というのがあります。ようは葬儀屋はやるなと。お坊さんが人の死で食べても不幸にならないのは、修行しているからであり、そのための修行でもある、というのが付帯した教えです。誰かがやらねばことですが、家訓は無条件で守ろうと思い、そして守ってもほしく記しておきます。祖父からは「とある宗教だけはやるべからず」の家訓をしかと承っています。




なんだかピンボケ、まるで私の人格のよう。家訓、大切なものだと思います。良家、銘家は家訓があるだけでなく、その内容もすばらしいのでしょう。どちらでもないながらに、受け継ぐものは受け継いで、一代で一つは家訓をつけ足してもいいようなので、何にしようかな「スナックも悪くない」にしようか勘案中。とも思いますが、先祖様がどれだけ苦労してそれぞれの時代を生き抜いてきたのかと思えば、ちょっとした悩みや、時代の厳しさで負けている場合ではありません。とも思います。



もう一枚、と思い屋上からさらにはしごを登って一つ努力を重ねた夕刻、三つの飛行機雲と富士山。後ろを見れば濃い藍色からピンク、そして薄紫と美しいグラデーションな東側でした。望遠担いではしご登ったので広角なしで撮れずでしたが。



元旦の日中は引きこもり決定で、三人で乾杯。「安いのだけど」と言うので、「年末仕入れたもう少しいいのは?」と聞けば「冷やしてない」というのですが、このとき飲まずしていつ飲むのと思いつつ、今年はキヤノンのボディが更新されそうで少しそわそわしつつ、オールドレンズの検索なんかもはじめてしまって、オールドレンズとソニー機は相性がいいと見て困惑中。2016年写真をもう一歩上手になりたい次第です。どんな写真が撮れるのか、皆さまのところで勉強も刺激頂きながらお新香食べて精進します。

「あぁ~美味しいな」と茄子のお新香食べて言ってしまい「私が作ったのでない」と怒られた元旦。
皆様にさらなるご多幸が来る1年となりますよう。


2016年もたくさんドライブへ行こう

Posted at 2016/01/01 19:27:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣ドライブ・散歩 | 日記

プロフィール

「あぁー美味しかった~、日清のちゃんぽん。玉ねぎ大山盛りで頼みたくなるほど、聞いてみれば淡路島産だそうなママが入れてくれた玉ねぎがこれまた最高でした!昨夜の伊勢うどんぶりのご飯、自分で頼んだんだけどまた麺類(^_^;)」
何シテル?   07/27 15:27
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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2025.5/22 VNレヴォーグを見に行って、結局昨夜我が子が自宅で調印式を執り行って ...
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アウトバック契約後、メインマインドはアウトバックながら、なぜか旧型VMレヴォーグに強い興 ...
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