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前の旅で覚えたシーマを確認し、

中庭に出しっぱなしにしていて汚れた愛車の一つを洗車。洗車はゆーちゃんの車を一緒に洗ったのをよく覚えていて。予言的中的要素を有している息子が「うまくいくかな?」と聞けば力強く「うん!」という中で、交際候補の女性とも順調な様子で。兄としてなんとしても、成就につなげてもらいたく。と記していると当該後進から入電。愛嬌たっぷりの私の弁慶です。

そんな日を過ごしながら、幼稚園に迎えにいき、そのまま旅行へ「ゴーゴー」。金曜日のスケジュールはできるだけ空け気味にしてあります。

が、有難いことに三週間先までスケジュールが埋まってしまいました。

対面、対話しても、伝わるのはよくてマックス50%と心得る、と教わりました。お世話になっている人は優先的かつ定期的にお会いして、大事に大切にしたいと思います。お店で常連よりも新規を大事にして失敗した、というような話を耳にするわけですが、言ってみれば受けた恩を軽んじて、人間関係そうならぬよう心がけ。

ゴーアラウンドのような、つまり着陸やり直しの様相で、この機だけ旋回しなおし。というように厚木基地の飛行機も鑑賞できて。

大好きなジープと一枚。写真を整理しているとき、この写真から子供も一緒に見はじめました。その場を思い出したのか「僕の前ブーンと飛行機通った」と20日前の記憶もあって。そして一緒に写真を見返して、旅の話をするのも楽しいひと時となり、二度おいしく。

旅の駒を進めて、海沿いの道へ。窓を開けて潮の香りに包まれる車内から、海を眺め「うわーうみ」と。
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パパは最近、目が不自由な人が駅で困っていたのを見て、「上へ行きたいのですか」と聞いたところ「改札に行きたいのです」というので、案内しましょう、と肩を貸しましたよ。
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自転車で倒れたおじいさんも「ゆっくり起き上がりましょう」と手助けしました。
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散歩中、飼われている亀がひっくり返っていたのも助けました。鶴の恩返しはいらないけど、亀の恩返しはほしいね、つまり織った布をはいらないから、竜宮城たるキャバクラは行きたい、という冗談としての話を、このあとすぐに偶然に教示を最近頂いたので、キャバクラに行くことになるやもしれません。
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幼稚園へ送った帰り道、裏道を運転していると、道を渡ろうとしているおばあさんがいるのに、何台も止まる気配すらありません。パパは車を止めてどうぞ、と示しました。いつも人もクルマも譲ります。
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すると、そのお婆さんがパパの車に寄ってきました。道でも知りたいのかと思い「どうしました?」と窓を開けると、
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未開封の飴一袋を差し出してきて「娘が倒れて」云々と説明しだし、手助けがいるのかと思いながら、後ろの車からはクラクションを鳴らされながらしかし気にせず、話を聞いていると、
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その病院の帰りに財布を落として「1,000円助けてください」という話でした。快諾し1,000円渡し、飴はいらないですよ、というと「え、なんで?」と言われましたが、
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知らない人にいきなりもらった飴を食べる勇気もなく、あるいは話が本当であれば大変なことであり、少なくと直近で1,000円に困っているのは事実であり、飴がまた役に立つのなら手元においておけばよく、
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もしくは、話しが嘘だとしても、路上で金銭を乞う行為は他国に行けばざらにあり、やがてそのような光景が日本にも増えるかもしれないと、想像する機会をもらいました。
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困った人がいたら、助けてあげ、あるいはその余裕を持てる人になってほしく思います。もしくはどんな人にも優しい大人になってほしく思っています。
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寄附というものは人間関係がない、その都度一過性のものであり、自らの意思でいつでもできるものであり、つまりはしなくても容易にいい行為ですが、
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やっかいなのが、人間関係がある中での「お金を貸してほしい」という申し出です。これは気を付けなければいけません。返ってこないものだと思い、返ってこなくともいい金額であれば貸してあげるのも一考かもしれませんが、
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人は年を重ねるほどに稼ぐことが大変となり、返ってこない公算が大きくなり、人間関係がおかしくなる端緒として十分なイベントであり、そして悪い知恵がついている人や、ずるいことや性質が悪いことばかり発達した人もおり、相手が年配者になるほどに、お金の無心をされたときは気を付けてください。
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少額であればいざしらず、大きなお金を無心してくる人は、殊更に飛びぬけて責任感がない人ばかりなので、詐欺師であるぐらいに思って、きっぱりと断る、
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ということをできる人になってほしく思います。断り方はいろいろあります。「(貸す、または単純に)お金はない」が一番よいかもしれません。
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あるいは、きっぱりと断れるようになった上で、ビジネスチャンスが眠っていることもあります。よく真贋を見抜いて、考え抜いて、可能性や課題、不確実性を論理的に明確にし、知らなければ勉強し、専門知識ある人にセカンドオピニオン含め数名に納得いくまで聞きもして、
必ず自らで理解をして、本物のチャンスを見抜くと、想像を超えるお金を生むこともあります。
5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM + トリミング

若いときに大きく一発で儲けようと考えることはいいことだと思います。安定という小さい積算された土台構築も行いながら、という前提を忘れてはいけません。パパ分、ボク分と水を取ってくれ。
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小さなことからコツコツという言葉は非常に大切だと思います。湯船に入ると「ふぅ~」。
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そのうえで、大きな仕事にもトライする。大きな仕事になるほどに、要素や人の欲というエネルギーが複合的に絡み、複雑化し、情報処理も駆け引きも、調整も、あるいは大きな組織が絡むと保身や不文律との調整も増えていきます。
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ポルシェを教えていなかったことに気が付き「ポルシェ」を覚え。
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とくに保身する人は侮ってはいけません。保身をするような弱い者と侮っていると、ときにとてつもない破壊のパワーを生みます。つまりはあれもこれも合わせて大きくなるほどに仕事は難しくなりますが、
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だからこそトライすると、それは成長、すなわち社会を知り、ビジネスを学ぶ機会ともなり、ときには人間模様の勉強にもなり、価値あることだと思います。ちなみに仕事が10倍になると、求められる能力は三乗である、と教わりました。10の仕事が100になると、求められる能力は10から1000になるということです。技量も多く磨き、割り切る考えをもっと持たねばなりません、とも教わりました。
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大金は実際に振り込まれるまで、本当にそんなお金が動くのか、仕事が決まるのか、若いときもしくは初心のうちは不安になることもあることでしょう。しかし大丈夫です。必ずある日スコーンとはまり、振り込まれ、大きい仕事もそうやって成す日がきます。
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倍数や乗ではまだまだ経験していなことも多くありますが、少なくとも大きな仕事を何度か繰り返しているうちに、大きく稼ぐという感性も、自然なものとして養われ、それを経験すると言うことは、ビジネスというフィールドで、相手のレベルが容易に分かるようにもなることであり、
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仕事でより無駄をしなくてすむようにもなります。そしてやがては大きく稼ぐことにも飽きて、つまりは面白いと感じず、モチベーションを他のところに求めなければならない日が来ます。
5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM

個人的な欲求や快楽、あるいは自己実現は満たされているので、一切モチベーションになりません。では、どうするのか、は自分で答えを見つけるものだと思いますが、社会に役立つことを目指してほしくは思います。
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そこで止まるのも一つであり、そのような人も多くいます。逆に自らの器を見間違えて、大きく失敗だけをする人もおり、そのような人はその失敗を反省もしないことのように感じます。方や少ないですが、それを糧にし、突き抜けた成果にできる人もいます。いずれの場合でも忘れてならないのは周りの人、ことに家族を幸せする、ということはマスト事項であり、絶対事項であることです。
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パパのお父さん、つまり天国にいるじぃじは一つ赤字の会社を経営しばぁばへ「ママ、この会社は社会奉仕だから赤字でいいんだよ」と言っていたそうです。障がい者の人をメインに雇っていたそうです。1970年頃、という今から半世紀も前に、その後障がい者雇用が法整備されていくずっと前の当時にやっていたそうです。これも余裕の一つかもしれません。
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最近、とある方のブログで動画が紹介されておりました。東京と大阪の違い、という切り口で、東京では救急車が来ても、交差点を渡る人が待たずどかず、大阪は道をあけてくれる、というものです。
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そのような光景を東京で見たことがなく「渋谷のスクランブル交差点、およびその付近の特殊な例だろう」ぐらいの感想でした。
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しかし、最近動画にあったような光景を、さして太くもない道で出くわしてしまいました。一向に横断歩道を渡る足が止まる気配がないどころか、
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救急車がけたたましくサイレンを鳴らしながら「はい道をあけてください」とマイクを通じて声も荒げに歩行者へ喚起しますが、
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遠くから走ってきた自転車も「自分だけはいかせてもらう」という主張に感じるほどに、加速を続けて自らは渡るような人ばかり。もちろん、中には立ち止まって待っている人もいます。
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少し前では、考えられないようなモラルの崩壊を目の当たりで感じた次第です。世の中、冷たい人ばかりであり、それが現実というものです。だからこそ、近くに心の温かい人がいれば、そのような人を大事にしたいところですが、本当に心が温かいのかは非常事態になってみなければ、実のところは分かりません。単なる紳士淑女面の人も多くいます。
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何故、このようなことが起こっているのか、考えてみました。
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一つは余裕のなさ。歩行者がいても狭い道で加速したり、一人ひとりに余裕がなくなっていることは、交通社会でも多分に感じます。
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しかし大阪は東京に比べ経済規模も小さく、余裕のなさ、というファクターが主要点だとすれば、大阪でも同様のことが頻発しているはずですが、そうではなく、決定的な要素とも言いにくいと思いました。
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スマホを見ながら、ゆっくり信号を一人渡る女性。それを待つ車列は20台、バスも含まれ。都会の日常でよく出会う光景です。つまりその女性が不必要にゆっくり歩く分、何十名の車の中にいる「人」が待っているわけです。歩行者優先という権利の乱用と言ってもいい事案かもしれません。
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ちなみに、権利の乱用(濫用)と、権利の逸脱とは似て非なる概念です。乱用は権利や権限の使い方の誤りであり、逸脱とは権限外の行為すなわち権限がないので無権利・無権限である、というように分けて用いる概念とされています。
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余裕がないことと裏腹な関係性もありそうですが、余裕の定義もいくつもありそうですが、余裕の有無というよりも、自己にしか興味がなく、もしくは他者には関心がない状況と言えるかもしれません。
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他方で若者が病院運ばれると「死にたくないよー」と医師に伝えるドキュメンタリーを見たこともありますが、
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総合すれば、無関心がさらに進み、自分のことしか考えない人が多く、是か非かは置いておき、少なくともそれが現実であると受け止めた方がよさそうです。
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近しい人が数年前に、横浜の路上で心筋梗塞が起こり、倒れ込んだそうです。
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行き交う人は誰も助けず、声もかけずだったそうで、体が動かない中で、自ら携帯で救急車をなんとか呼んだそうです。単純なガラケーだったからいいようなものの、スマホであれば電話をかけることもできなかった状態だったかもしれません。
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これからの時代益々余裕もなくなり、他者への興味も薄れ、自己のことだけを考えるので精一杯な世の中になっていくことは、かなりの確率で間違いないことだと思われますが、
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割り切るところは割り切った考えをしっかりと持ちつつ、他方で困った人を助けてあげる余裕と気持ちとを持つことは、よりマイノリティー化していくことでもあり、少数派としての大変さもありながら、それをものともしない強さも持ってほしく。
以下、すべて5D3 + EF24-70mm F2.8L II USM

「パパ、コーヒー、どうじょー」と、余裕を持つ心のポテンシャルは十分に感じつつ、

一人で入ると、ママに来るなという意思表示。そもそもパパよりも、雰囲気や風体からもして、じぃじの遺伝が多そうで、何もかも上と感じる中ですので、根本的な心配はしていませんが、

同じ血が経験したことも受け取り、それをシード権としてほしくも思います。伝えることは、想像以上にハードルの高いことであるとも、思っている中で、

人間関係ある人であれば、お金でときには助けることがあってもそれは小さくし、あとは本人が適正な経済的活動をするように誘うか、お金以外の問題解決を手伝ってあげ、

すべて手助けするわけにも物理的にいかず、相手が手助けにたる人物か、つまりは主観的に好きか嫌いかや、まともな人間か、あるいは人間関係の距離感など自ら基準を曖昧でもよいので持ち、

恩を仇で返されても腹を立てず、というのも、そもそも恩を恩で返せる人は絶対数が人間性または能力の観点から少なく、あるいは恩で返されずとも何もなくてもいい中で、仇となるのはその人にそのような余裕もなく、自らが生きていくために助けられても、助けてくれた人も悪口を言うことで、自らを正当化したりする人が多いのもまた現実で、

つまりは、人助けをするのであれば、何らの見返りを求めず、ケースによってはビジネスとも捉えるときもありつつ、余裕の中でやる人になってもらいたく勝手ながらに思っています。

お金の無心をされて、それがビジネスとなる場合は、また次回。

熱海市街。

熱海の駅も、いつの間にか綺麗で立派になり。

熱海の海と。

あっ電車。

いつの間にやら、鉄道をよく撮るようになりました。

新幹線。

前日にフロントだけ見て覚えたポルシェがリアだけで分かったのはなぜなのか。
後編へつづく。ドライブへ行こう。