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ドライブへ行こうのブログ一覧

2017年07月04日 イイね!

鼓動で感じた旅。 その4 太平洋、東京湾、新潟、谷川、茨城、東九フェリー、朝焼けに夕日、雪景色

鼓動で感じた旅。 その4 太平洋、東京湾、新潟、谷川、茨城、東九フェリー、朝焼けに夕日、雪景色





         RX100 (無印)






洋上における優雅なエンタメ施設。これで時間を多分に潰すことにもなりました。






婉麗、いやエレガントと言った方がフィットするかのような、船上パーティーにも適したメニュー群。今は新しいメニューなのやもですが、これが案外に沁みる温かい食べ物となります。




出航して間もなく、関西と九州を結ぶ阪九フェリーとすれ違います。東九フェリーは原則として荒天でなければ太平洋側を航行し、阪九フェリーは瀬戸内海を航行するようですが、瀬戸内海は海上保安庁からふくそう海域に指定されており、できるだけ太平洋側を航行するようにとの采配もあったり、あるいは瀬戸内海を大型船舶が運航することは、より航行技術が求められるようです。という勉強にもなり。




今や退役したことを知った「おーしゃんいーすと」の船内図ももう見れず、



昼夜、陸地を遠目に見ながらの航行が続きます。




ベッドは妊婦に譲り、ソファーベッドからの心地よい眠りから覚めると、洋上の天空ショーが始まっていました。



乗船して「いいね、これは」という興奮が終わり、ほどなくして到来する暇な時間。その合間に素敵な洋上の非現実感を思います、



旅をしている実感を味わいながら。



船に乗る仕事の人は、大変です。帰宅もままなりません。とも想像してみながら。とたまに見える船以外は太平洋に体を向けると、大自然と向き合うだけの瞬間も感じられ。





ピンクに染まりながら重なり合う稜線群。日本へ航路を取ったはるか昔の大航海時代の人々や黒船のペリーもこのような光景を見たかもしれません。



太平洋側を航行して徳島に着きました。



1時間ほどの停船でしょうか、この間に歩いていける近場のファミマへ食料の調達にも行きました。



船上ピクニックランチをして、



翌朝の東京湾着へ向けて、船の旅もじっくり楽しみます。



東九フェリーとすれ違います。こちらも退役した「おーしゃんのーす号」、カジュアルフェリーです。「おーしゃんいーすと号」はスタンダード船で、船室構成が異なる二種類で運航されていましたが、今はシンプルフェリーのみの構成で東京、徳島、北九州を結んでいるようです。時代の流れなのでしょう。



広がる雲も、いつもとは違って見えます。洋上の風を感じながら。




南西から流れる雲が速いか、船が速いか、競争です。



家人はこれを、私は横で男の本能に従い脱衣麻雀に精を出し。




スロットの戦利品。




眠りにつき、目を覚ますと、煌びやかな港に街の対岸が見えて来て、見入っていると東京ゲートブリッジです。




いよいよ東京湾に到着、旅の終わりを思います。帰ってきた安堵感と早く家に帰りたい帰巣本能の一方で、旅が終わってしまう、まだ帰りたくないという心残り。





車のエンジンを付けると、ナビがどこかで止まったままです。どこかと思い見てみれば出航場所近くでした。



下船。東京の地に久方ぶりに足を降ろし、懐かしい光景に見える心境です。港から離れるほどに、帰ってきた実感が増しながら、こうして西日本一周フェーリー付きの旅が無事に終わりました。





DSC05942
中一日体を休めて、この日は恩人の墓参り。常磐道から、美しい夕暮れとともに、富士山が見えました。茨城からも富士山が見えるとは知りませんでした。それにしてもこの日は綺麗な夕日でした。同じ日のみんカラブログを探しにいけば、綺麗な夕焼けが見られるかもしれません、と思い、のちほど徘徊してみます。




ママを通じて感じる旅、次は新潟です。



このときは同じように見えますが、代車のアクティブハイブリッド7、Mスポです。



そもそも暇つぶしに加え、ママがいろいろな食べ物を頂き、空気や雰囲気を味わうことも胎教のごとく大切だと思いましたが、加えてより快適な胎内環境を整えたいと思えば、母体たる家人を旅に連れ出すことで、開放的な気持ちで十二分な気分転換をもたらし、それが結果としてお腹の子供にもよい影響があるのではないかと考えました。家人の体調もよく見ながらの数々の旅路でしたが、つわりがなかったこと含め、かなり安定していたほうではないかと思います。



田園ビューが美しい月岡温泉に泊まり、




代車ゆえ自分のクルマでもないのに、写真を撮り、




こちらは内装が黒でしたが、これが違うだけで私も気分転換になり、



次は群馬を目指し走っていると、雪が降りだし、




雪景色を見ながらのドライブも素敵に思いました。




関越に入り、



みんカラをやってもおらずなのに、やはり今と同じような写真を撮り、



関越を抜けるとそこは別世界でした。




谷川に一泊して、美味しい輝く白米を食べて、




ママを通じて感じる旅、オーラスその前に、




パパは渡米しました。年末までには一度戻ります。


つづく

Posted at 2017/07/04 11:40:58 | コメント(4) | トラックバック(0) | 生まれる前の旅 | 日記
2017年07月03日 イイね!

胎児で行った旅先の記録、その3  熊本、霧島、宮崎、黒川、高千穂峡、門司、オーシャンイースト

胎児で行った旅先の記録、その3  熊本、霧島、宮崎、黒川、高千穂峡、門司、オーシャンイースト





         RX100 (無印)









デジカメが刻んだ時間によると19時59分。20時の最終便に間に合い乗船です。




家人と、そして当時はまだお腹にいた子供との旅の記録。西日本一周中、長崎県多比良港というところから、熊本を目指し長洲港に向けて有明フェリーに乗ります。




有明海。気持ちいい、雲仙の風呂上りな夜風。普段は夜の船に乗る機会もないということも合わせ、旅の中でも印象的な一瞬です。




45分間、あっという間の、心地よい漆黒クルーズ。兼運転の休憩時間、でした。





小一時間クルマを走らせ熊本市内の繁華街周辺、かと思います。すでに22時、簡単に食事を済ませ、大人しくそのままチェックインし、休みます。




そして翌日、これから長期的な補修になると思われる、熊本城、当時の勇姿です。




天守閣は2019年には補修を完了させる予定とのことですが、細部までの補修は2036年までかかるということです。「大林組、復興への第一歩




当面はお目にかかれないであろう、熊本城天守閣からの眺め。




紅葉している木々も綺麗です。春は桜が綺麗なのでしょう。



せっかくなのでもう一枚。熊本地震では、工場などが点在する関係でデジカメ業界にも影響があったそうです。まだ仮設住宅に住んでいる方が4万人以上もいるという話しも聞こえてきます。被災した方々に改めましてお見舞いを申し上げます。




旅の成り行きで前日や当日、あるいはギリギリ決める宿。大きな助っ人がスマホという時代です。





SAでとんかつを頬張り、霧島方面を目指します。山を切り開いたところに新鮮なアスファルトを敷いた九州自動車を快適に走ります。




霧島PAにて一休み。ドライブの旅は、各地のPAやSAに寄るのも楽しみです。子供が1歳、2歳の頃は1時間、2時間休憩したのを思い出します。ゆっくり歩いたり遊んでいるとあっという間でした。 




午後二時、霧島周辺い到着しました。霧島神社に寄ってみます。






この日の宿がある霧島市街を目指します。空と雲が綺麗で印象的なドライブでした。




素敵な宿に泊めさせてもらい、翌日起きれば桜島の噴煙が地面に落ちていました。



エリアごとのニュースや天気を見るのも、旅情を思う瞬間です。




朝が来て出発です。




2017年夏休みの予定が具体的に決まり埋まり、そして一部では拡充予定にもなっています。今回、これら一連の写真を発見したことにより、我が家の夏休み計画も若干の修正が入りそうな予定となり、何が転機になるかわからないものです。





宮崎をうろうろしながら、



ネコも撮り、



青島神社へ。




この一年半後に訪れたときも同じ写真を撮っていました。相違点は光りと画角、そして意識です。意識して撮ったことにより、翌々年撮った一枚は覚えていましたが、この一枚は意識して撮っておらずでまったく記憶にありませんでした。





次にむかったのはクルマを走らせ、この回の旅、主たる目的とした一つ、高千穂峡に到着です。




平たく言うと、ここから日本が始まったとされている地です。古事記、日本書紀、その神話上での話ですが。




手漕ぎボートから鴨に餌もあげ、写真も撮り、次に向かいます。



と、その前に近くの高千穂神社にも寄って、お参りを致します。続日本書紀にも名前があるという1900年とも1200年とも続くとされている神社です。この周辺は日本の始まりその地であるとされていることからか、かつては554社もの神社があったそうです。なぜあと一社で555にしなかったのか、実はしていたのか。





日本の始点で、感謝を思い、健やかな成長を祈念させてもらったあとは、もう一つの主たる目的地へ向かいます。




この一枚もまったく記憶にないほどの適当撮りですが、ロケーションは異なるものの先日適当に撮った一枚ながら自身としては斬新な構図かと思っていたところ、同じような構図で、発見したときには成長を感じずな一瞬が到来した一枚です。




という風合いで、過去の自ら戒めをもらいます。写真だけでなく、生き様に考え方も。人生後ろを振り返ると、楽しい思い出に風情と、そして反省も付きまとってきます。




子供が見れば喜びそうな光景、を撮っている同じ遺伝子配列。




新しい天孫降臨が起こるのか、かのような迫る雲に向かった登坂。



早く宿に行きたいところですが、ところどころクルマを止めて、




あまりにも幻想的だった光景を撮れていませんが、撮っていました。フリッカーに上げたいところですが、日付がどうも気になります。



音を立てて強い風が吹く中に、ひと気もなく、不思議な空間の中で、この日の太陽が沈んでいくのを見届けました。





そして到着です、熊本県阿蘇山黒川温泉。家人が泊まりたがっていた、我が家にとっては伝説の温泉地帯です。「『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』において、温泉地としては異例の二つ星を獲得する名湯。」とも紹介されています。





温泉宿が一体となり盛り立てているため、宿間でお風呂が入れるお湯巡りができたり、





食事も美味しく量も多く、ホスピタリティも十二分頂き、部屋も施設もお湯も素敵でした。部屋にはお風呂が二つあり、熱めと温めが用意されている風合いです。今でも五本の指に入るほど、素敵な温泉であり、旅先の一つに思います。なかなか行くには大変な場所ですが、とくに東京からでは。




お名残り惜しく翌朝のご飯を頂きチェックアウトしたあとは、終盤に向かい旅の続きです。これは由布岳でしょうか、今年の春先にも見た懐かしい光景です。




別府辺りにもゆっくりと二泊ぐらいしたくなってきます。



お腹の中で見て、三歳になって「うわ~きれい」と万歳しながら見た光景です。




妊娠中は万が一に備えて、お腹に負担が掛からないようにする専用のアイテムを使いました。シャンプーの香りで一度「うっ」と思ったことがある他は、つわりもなく、このような旅もできた次第です。




「加藤君、見ようよ」。加藤君とは「4×4マガジン」の動画に出て来るアシスタント氏で、「加藤君、加藤君、どうやらスタックしてしまったようだね」と私が編集総括の物まねもしているのですが、この動画の名詞が「加藤君」になってしまいました。




加えて「うぃぃぃ」「そんなの関係ねー」も覚えてしまいました。「西岡徳馬、ブーメランパンツ姿で小島よしおと「そんなの関係ねぇ!」全力披露 『新 ハミングFine』WEBムービー「汗かいても関係ねぇ」」という同氏のCM勇姿がyoutubeで展開されており、これを見て覚えてしまいました。



という成長もして、お腹にいた頃の写真も見て、写真データの発見とともに、生まれた頃の写真も見返してみれば、





DSC05321
その成長を喜ばしく思うとともに、二度と帰ってこない時間であるという思いと入り混じり、感慨深く思うところです。





旅はまだ終わりませんが、東京に向かいます。車で走れば1000km少々、走り続けて13時間、休憩を挟めばそれ以上の道のりを、




この旅三度目となる、フェリーで二泊かけて東京まで戻ります。




東京、四国徳島、北九州を足掛け三日、時間にして途中徳島での停船も含め、36時間ほどかけて運航する、東九フェリーで船の旅がオーラスです。




長旅を供にしてきてくれたクルマもしばし静かに一休み。




船室に向かいます。



ビジネスホテルの様相ですが、シングルプラスソファーベッドのツインだったように記憶していますが、これでも特等室です。二泊東京まで人が二人で8万円、クルマがLサイズ5万円だったかと思います。という価格ながら、コンビニで仕入れたディナーに朝食が十分豪華に思う船の旅。






なお、ネットで確認してみると、私たちが乗船した「おーしゃんいーすと号」は2016年1月に引退したようで、今は新しい船でカジュアルをさらにシンプルにした装いで運航しているようです。個室でも変則的ルールもあるようですが、当時の半額ぐらいで乗れそうです。この特等室、という時代を感じる文字ももう見ることができなくなったようです。左の部屋、先頭の部屋に乗船をした思い出があります。




出航です。








つづく





Posted at 2017/07/03 16:57:43 | コメント(3) | トラックバック(0) | 生まれる前の旅 | 日記
2017年07月02日 イイね!

お腹の中で旅行した記録、その2 西日本一周へ 土肥、清水、豊橋、伊勢、姫路、広島、博多、長崎

お腹の中で旅行した記録、その2 西日本一周へ 土肥、清水、豊橋、伊勢、姫路、広島、博多、長崎





         RX100 (無印)








秋の草津を楽しみに、再び。



このような写真が撮りたかったわけではなく、どうやってもピンが手前になってしまい、AFの特性や、あるいは暗いところでなぜぶれるのか、もしくは明暗差などまったく知識も理解も、そもそも興味もありませんでした。




この日は長野を目指して。絞り、SS、ISOという三大要素、言葉すら知りませんでした。APS-Cという言葉も知らず、あるいは数年後ボケ味がどうのとレンズを試すようになるのですが、この時は背景のボケなど気にしたことは一度もなく、また見入ることもありませんでした。車のハンドリングに乗り心地、興味ない人からすると同じかのごとくなのでしょう。







どこぞのPAにて。一時期は長野もよく通いました。善光寺周辺や軽井沢へ蕎麦を食べに。あるいは白馬に本を大量に持っていき2週間滞在し昼はバーベキュー、お風呂は日帰り温泉巡り、夜は蕎麦屋で一杯やってという毎日。そして毎朝起きるとロッジ内に虫の死骸やら。虫が苦手なので、私にとって安らぎはありませんでした。加えて、今にして思えば、本を大量に持ち込んだことに、意味が見出せません。という失敗経験も。



光芒という言葉も知らずでしたが、それが撮りたかったのだと思います。月のうち家にいるのは4日、5日程度、という頃もあり、夏休みなどそれぐらいのスケジュール感も可能なわけですが、子供の体力でいつ頃ついて来られるようになるか。思いのほか、遠くない先か。しかしゆくゆく部活でも精を出し始めれば、これも儚い夢となる可能性もあります。






この日は、長野の渋温泉へ行ったようです。雪の日に鉄道の旅でも行ったことがありそれも風情があって、かつ楽で、好印象な旅でしたが、やはりクルマで行こう、となったらしく。狙った邪推も邪念もない、極めてナチュラルな日の丸構図。




今であれば、もっとこの反射を活かしたり、寄ってみるか、どう撮るか考えみるのも面白く。



この日は西伊豆の土肥。行先で箱根に飽きた周期であるのが伝わってきます。と同時に後日のウォーミングアップも兼ねています。





本格的な意味での飲みを卒業したあとの旅情最盛期は中一日おいて、「暇だからやっぱどっか行こうか」とまた温泉へ、という期間もありました。秋田に山形など東北方面も行きましたが、いったいどれだけ旅行をしたのか、思い出すことは不可能級かと思います、というほどにこの人と、人生一緒に歩んできているわけですが、お互い若い頃はこのような人生になるとはまったく予想もせず、目指してもいませんでした。





翌朝8時40分。フェリーに間に合うように早めに宿の朝食を済ませてチェックアウト。西伊豆は土肥からフェリーに乗って、駿河湾を跨いで清水へショートカットします。



駿河湾フェリー。客観的には旅行の数が多いように見受けられますが、本人達は旅も飽き飽きとしている中、私は大概のこともやり尽し面白いと思えるものもなく、どう暇を潰すか、課題です。




仕事はしていないわけではありませんが、この頃は平日に定例の会議を入れるようにしつつも、頭が仕事道具と思っていたので、電話で済ませ、仕事道具がどこにあろうとも仕事はできる、と高をくくってもおり、また道を開いてもすぐに後進が「やりたい」と仕事を取っていくので、すぐに暇になり、副業をすればそれもすぐにうまく行ってしまい結果として時間があまる、という循環でしたが、宿では次から次に電話に追われてはいました。





どうやったら霞が掛かる富士山がもっと写るのか、などと考えることもなく、ただ撮ったら終わり、という感覚で、事後的に素人が弄れるものではないと思い込んでいましたが、



今では事後調整で、多少は浮かび上がらせることもできるようになりました。事後をその場で「こう撮れば、あとでこうできる」と想定もできるようになりました。



乗船完了、胎児の頃にも陸海空を制して、いろいろな音を聞き、香りを嗅ぎ、空気を味わい、多くの食材も食べて、磁場も変えましたよ。




清水に渡ればハマーの走行会とすれ違い。なかなかの迫力でした。最近は、中年周辺以上には懐かしき、子供にとっては目新しいであろう「4×4マガジン」プレゼンツな「ウィンチでの救助方法」などのyoutube動画を食い入るように見るようになり、ママから「こんなの見て面白いの?」と聞かれています。野暮な質問です。





清水から東名に乗り、名古屋へ。今にして思えば先駆けを目撃し。



夜は台湾ラーメン。まだ初心者の第一歩ぐらい、シェアして食べていました。




ちょくちょく出かけるものの、必ず帰る。熱田神宮などを観光して、翌日は一気に帰路へ。



中伊豆。




ここの料理は一歩二歩抜きに出た美味しさだと思います。



仕事としても尊敬に値する職人技と、デザイナーかのようなメニュー開発に発想力。生みの苦しみを感じます。



見たところ、これは港北PAかと思われます。この頃に乗っていたメインカー。頻繁に入れ替える枠のクルマと交互で乗っていました。




この日はまた草津方面へ。




このような写真を撮ってどうする気だったのか、何になるのか、



それは今でも同じですが、何かが満たされるのでしょう。残すという安堵安心。



どこをどう走ったのか、



草津から嬬恋あたりを抜けて、立科へ向かいました。



一般道を南南西に行くイメージです。



シャドウで黒く潰れた銅像を四年の歳月を経た今、上げてみました。あと一歩後ろで木を全部上まで入れて撮るか、もっと近寄るってわかりやすく木を見切るか、と今思い。写真をはじめて機材の描写力が気になる頃は、銅像だけを切り取りがちのような気がしつつ、しかしこのころの写真を見返すと、何も考えていない日の丸も多いながら、先入観がないので斬新に感じる構図もあったりして、刺激になる一面も。少なくとも機材がどうの、という気持ちが微塵もありません。






翌日は紅葉を見て帰巣本能に従い。




そして胎児としてはメインイベントとなる、思い付きで、このとき三回目となる西日本一周コースへ、妊婦と。




一泊目豊橋泊。誘ったものの「いかない」ということで、私一人夜の社会科見学キャバクラへ。何のかは分かりませんが、市場調査として、どのような客が来るか、あるいは地方の自動車事情を聞いていれば「ウチタントほしいら」という名言を聞いた現場に遭遇。



豊橋半景。



愛知県伊良湖から、伊勢湾フェリーへ。




伊勢へショートカットを目指します。




伊勢神宮へお参りし、周辺を観光。このとき二度目か三度目にして、はじめて伊勢うどんを美味しいと思い始めました。都心でも食べられる讃岐系に慣れていると「なんだこのやわらかいのびたうどんは」という感想になりやすいですが、それを越えると美味しさが見えてくるように思います。




どこへ泊まろうか、換言すればどこまで行ってしまうか、車内会議しながらのドライブ。



このときは姫路で一泊することに。以前は倉敷や広島あたりで一泊しました。その日適当に泊まるところを決めていく無計画な旅です。



たしかこの時は姫路城の大改修で見られず、早々に姫路をあとして、



写真によると兵庫県龍野市あたり、事故渋滞の回避か、なんのために一旦降りたのか思い出せず、




広島に到着して、広島焼きを食べました。結局的にここのが逸品に思います。




私は広島の血が入っているゆえか、広島焼きのほうが好みですが、じぃじが作る大阪焼きは独特な薄さでこれが際立って美味しく、ばぁばが口を出して厚くすると美味しさが減退する不思議を思いつつ、ばぁばが作る具材が豪勢な大阪焼きも美味しいとも思い、これらを引き継ぎたいと思っています。



閑散とした中国道か、オーソドックスに山陽道か、あるいは大回りして山陰道ルートか、このときは九州の温泉が恋しく、手っ取り早く山陽道を目指して進軍再開です。はじめて西日本一周ルートを周ったときは、神社をめぐる旅として、伊勢から熱田や豊国を経て、出雲へ行ったりとジグザクに西日本を通りました。





道中のPAがどこだったかは忘れましたが、この写真を撮ったのはよく覚えています。「このようなところに住んでみたい」と思わせる、儚い田舎の景色でした。




関門橋。




渡ります。





九州へ上陸です。左回りに、九州一周を目指します。




港あたりに飛行機と絡めに見に行き、



福岡市内へ。血気も旺盛な土地柄、と思いきや、皆さん合流などでも早めに車線変更し、そして譲ります。はじめは意外に思いましたが、血気が盛んゆえトラブらないように、自然とそうなっていったように考えを帰着させてみました。京都も走りにくい、と聞きますが、そうは感じたことはありません。




チェックインして、



評判のもつ鍋を頂きに。大変美味しかったです。沁みました。




翌日は、



天満宮ともう一ヵ所ほど観光して、




次は最も支えをくれている一人でもある後進の出身地、長崎を目指します。同世代でちょっとがんばっている中での平準的な世界観に憧れて、そういう立ち位置でみんカラをスタートしようと思い、




カメラネタでも、旅ネタでもない、今でもトータルPVがぶっちぎりとなっている「BMW 760LI(F02) V12気筒  試乗」という記事において、他人のクルマかのように記してしまっていましたが、この6000cc、ツインターボ付というのに乗っていました。これはもう、ドドンパとしか言いようのない、運転した後進は「ワープ」と表現していましたが、別世界の乗り物級で、車に何を求めるかで変りますが、私の主観では同程度プラスαなライバルのチューンアップブランドよりもぶっ飛んだ性能だと思います。ちなみに個体が少ない中に、この内装色、素材の組み合わせが気に入り、特別にジャパンから譲ってもらいましたが、リンク先の取材はじめ、日本の媒体ではほとんどこの個体が使われました。エクセレントな整備をしてくれての納車でしたので、まったく気になることなく乗れました。






どのような加速域からでも、スーパードドンパの加速を見せます。怒涛の0-100加速と、100-200の加速感、あるいはそれ以上でも、が同じである、という想像です。高回転型では味わえない、大大排気量の溢れるトルクと過給のなせる技かもしれません。BMWのV12エンジンは傑作と言え、エンジン屋を名乗る本社前にも飾ってあるほどに、特別な存在であり、実際にそれを実感するほどに思います。需要やブランド力合わせ、値落ちを気にすると乗れない一台ですが。





後進お勧めのお店へ。一時はメルセデスへ改宗していたところ、F02の750を買い、さらにこちらに乗り換えました。これだけのドドンパはそうないと思います。そして他のドドンパと異なり、静かでこれ以上ないほどにジェントルに感じました。というクルマでも毎日のように東京箱根間を往復していると飽きるので、買い替え枠を設けます。これによって飽きることが延伸され、結果としてメインカーに乗る期間が長くなり、節約につながる、という計算です。




一度目の西日本一周は黒いGL550で日本海側から広島に抜けるあたりで大雨の山で行き止まりに合い、二度目が黒い750LIで帰路は四国を周ってドライブを通しました。三度目がこの760Liとなり、この三度目の記憶がすっかり抜け落ちていました。ひどいものですが、母体やらへの配慮などに気が回っていたのだと思います。




という車両構成で行った道中、BMWでは言われることはありませんが、メルセデスだと「あっベンツだ」と発する地方の子を何度か見て「ベンツのブランド力」というものを思いました。親から「あれはベンツだから云々」と伝播しているのでしょう。ブランド力を塗り替えるとは、大変な時間と労力がかかるものだと思いました。とはいえ単なるブランド信仰のヒエラルキーは交通社会においては薄らいでいるとも感じます。広島に続いて、長崎での路面電車を見て、この長崎での路面電車区間は少々走るのにコツがいるように思いつつ、



後進の生家もなぜか見て、それが今では感謝しきりの存在ともなり、



長崎観光をしていきます。帰郷する度に買ってきてくれる長崎のカステラ、他のでは満足できなくなり、美味しくてすっかりはまってしまいました。




日が沈んできました。足を早め、



急な坂も下ります。




雲仙のあたりで、日帰り温泉施設を目指します。



閉館間際の時間、急ぎました。




雲仙のお湯で旅の疲れを流したあとは山を下ります。写真を見ると、通った道とその光景に心情も思い出します。



この旅二度目となるカーフェリーへ。この日のうちに熊本へ渡ってしまおう、という合意がうまれ



島原から熊本へ車で走れば220kmの道のりをショートカットです。なぜ、この頃にみんカラをやっていなかったのか、というほどの記録ぶり。


「成田行こうよー」と言うものの子供が熱を出した週末、もう治ったようですが、どこへも出かけることなく、ママへのバースデーなプレゼントブログとしても続きます。


つづく


Posted at 2017/07/02 19:05:26 | コメント(5) | トラックバック(0) | 生まれる前の旅 | 日記
2017年07月01日 イイね!

乳児、その前の旅路。 その1 宮古島、箱根、伊豆、草津、岐阜・飛騨高山、北海道・函館、登別、小樽

乳児、その前の旅路。 その1 宮古島、箱根、伊豆、草津、岐阜・飛騨高山、北海道・函館、登別、小樽





         RX100 (無印)









2013年4月26日、金曜日、午前10時32分、宮古島へ向かう機内にて。





今回はカメラの売却も考えているため、RX1 R用のSDカード追加発注はせず、古い記録メディアを漁っていると、お蔵入りどころか、完全に忘却していたデータを発掘しました。





みんカラをはじめる1年前、子供が生まれる9ヶ月前。つまりはこの頃には、すでに妻に子供が宿ったあたりになります。




子供が生まれる前までの、4,500枚たる写真の発見。当時、別段写真をやっているわけでもない割には多いほうかもしれませんが、子供が生まれてからに比べれば格段に少ない枚数です。





思ってみれば、子供が胎児として旅行した記録。






子供が生まれて以降のデータはダブルバックアップする念の入れようですが、




それ以前のは、まったく適当で、古いパソコンに取り残されているであろう、データもたくさんありそうです。宮古島は以上です。





5月11日(土)の箱根。まだ妊娠が分かっていない頃、









検査薬を持っている家人の写真によると五月末頃に妊娠が分かり、6月2日(日)、子供が宿ったのを知ってはじめの旅行。草津の帰りから軽井沢へドライブ。この頃は、中古車枠を作り、コロコロ車を変えていました。気分転換です。





6月7日(金)、箱根ではじめて泊まった富士屋ホテル。一人部屋から出かけて行った家人が戻ってきたときにドアをノックされ、少しだけ開けた年季が入ったドアの隙間から覗き私が「チェンジで」、と言うと「チェンジできません」という学生時代からの付き合いでもある、粋な夫婦の小ネタをしたのを覚えています。





この頃は、SNSもみんカラもやっていないながらに、誰に見せるでもなく、旅の記録はしておきたい、という心理があったのか、記念撮影以外も時おり撮り残していました。






あるときの箱根は5枚だけ、別のときの箱根は20枚、30枚、と撮る写真の枚数にむらがあり。





三浦半島に寄り、サバを食べた箱根の帰路。



6月16日、また箱根。





家人と出会ってから17年を数えるあたり、二人で数限りなく旅行もしてきましたが、行先の収斂もだいぶ進み、パターン化して落ち着きました。





7月は私が一ヵ月渡米していたため、加えて母体も考えて旅行もせず写真はなく8月8日また箱根。



なぜ、これを撮ったのか、広島を本拠地として展開するブランドの靴。この頃はこれに凝っていましたが、数年後ニューバランスにご執心となるは梅雨に露知らず。





8月10日(土)、一日挟んでまた箱根。平日も日帰り温泉に行ったり来たり、も合わせて、相当数箱根の往復はしてきたような気がしますが、小田厚で捕捉された経験はゼロです。今後とも気を付けたいと思います。



から伊豆の北川温泉で一泊して、8月12日(月)の帰路。アコードから入れ替えたBMWのツーリング。中古ながら買ってすぐにMスポのフロントリップを擦って落ち込んだのを覚えています。



8月17日(土)、名古屋で一泊して、




珍しく水平が取れている一枚を撮り、岐阜は、




飛騨高山へ泊りに。



箱根が飽きると、少々遠出、そしてまた箱根という大きなうねり。




間に時おり入れる、9月1日、草津など、という仲秋。




9月7日、中伊豆。





9月14日、熱海あたりで一泊し、恐らくは会議の結果、




9月15日、台風が近づいているにも関わらず、行こうか、ということで、伊豆は下田方面を目指し。




なかなかいい写真を撮っています。被写体の力として。




同上。




渡米がなければ、平日は日帰り温泉か、飲み歩き、週末は旅行という年度だったような記憶しかありません。




荒れ狂う海に、轟音を立てる風の中、




台風にも関わらず、このような形で旅を20kmは伴にしたバッタと出会い。



黒の5シリーズ、すっかり忘れていましたが、またクルマを入れ替えたその箱で箱根に行って蕎麦を食べ、



綺麗な富士を見て、帰ったらしい日。







9月23日(月)寒川神社に寄ったあと、これはたしか箱根。




秋を度アップで撮り、




9月29日(日)、谷川温泉。




10月5日、箱根の老舗旅館。まだクルマを大事にしていた頃、この旅館のロケーション的に、塗面への樹液汚れがあまりにもひどかったので、それっきりになりました。ピントのピの字も何も考えていない、気にもしない、今気が付きましたが「コンデジを持っている意味が分からない」カメラ中年でした。





10月8日、北海道は、




函館入り。




登別。今この光景を子供が見たらびっくりするのではないだろうか、と思いこの写真を見せるも、淡泊な反応をもらい。



蕎麦を食べに数時間ドライブし、






翌日は観光地も周って、




小樽も泊まり、ここら辺りで所有不動産でトラブルがあったと連絡が入るも気にせずで、




お金の勉強、これを行い、




そういえば一応の一応レベルで仕事もして、




札幌人お勧めのジンギスカンを食べて、そのあとは家人とともにキャバクラへ行きました。



この頃は、何らの知識もなく、雰囲気だけ撮っていたように思いますが、こうして写真を見ていると、根本的に写真が好きではあったような気がしてきます。





札幌の朝。




小山に登って街を眺め、




途中、キツネにも遭遇したらしく、




海鮮を食べて、



羽田に戻り何気なしに記念撮影したのだと思うのですが、今見るともう見ることができないANAジャンボがバックに。子供が生まれてくるまであと三ヵ月少々。


つづく

Posted at 2017/07/01 23:25:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | 生まれる前の旅 | 日記

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「@すぎすぎすぎ さま 2千円でしたよね?たくさんの野菜にコシヒカリ1キロまで。大盤振る舞いの過給すごい!我が家はお洒落な野菜をどう使っていいわからない(笑)とまだペンディング中です(^_^;)」
何シテル?   06/17 23:05
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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