
九重ホテルで迎えた、静岡モーニング。

梅雨の頃には決まっていた、夏休み第三プラン。UPするのに年の瀬が垣間見えてきた気もしますが、気にしないことにします。

なんと人生とは、楽しいかな。

たくさんの苦労、失敗を乗り越えて白米も在る、という気がしなくもなく、かのごとく。

台風五号が近づいている浜名湖を見ながらの朝食。前夜からナガシマスパーと天候で悩みつつ、結局九重ホテルに小田原評定の結論が下り、道中に車から予約をしましたが、案外に満室気味でした。

夜22時。ご協力を賜っている社長氏から電話が入れば「残業がんばってるねー」と激励をもらう、さび付く中年の体。

私は就職というものをしたこともなければ、選択肢どころか「就職のしの字」も考えたこともありません。学生の頃から旗をあげてみて、ビジネスをやってきた口です。

ゆえに「残業」という概念も感覚も、社会に出てからこの18年間、少なくとも自己に対しては、まったくありませんでした。

この歳で若い頃の残業時間というものを30日計算でしてみると、月に約468時間の残業をしていたことになる概念をはじめて思いました。一ヶ月720時間から、一ヶ月の睡眠時間、計算すれば24時間ぐらいでしたが、加えて一日2時間移動と私用の雑務に使ったと多めに見積もって、一ヶ月約636時間労働していたことになります。

さすがにそれだけ仕事をするのはもう無理ですが、引き続きいい出会いに縁を頂きながら、仕事にのめり込んでいます。

どうしても夜でもいいから面接したいと21時からの面接。さらにこの面接を待ってでも、面接してください、と22時過ぎの面接。

待ってますと面接をした若者19歳。

面接をしてから毎日のように今度は電話をくれるようになりました。「Aです!採用どうなりましたでしょうか。」

さらには、毎日のような電話で、何度も何度も電話をもらいました。「どうしてもそちらで仕事したいです」
「3ヶ月してからまた来て下さい」
と言えば、
「3ヶ月したら採用してくれますか?」そのようなやり取りもしました。御社ということばすら知らない今年高校を卒業したばかりの青年です。

という若きエネルギー。取り込み中に電話があり、あとで折り返すのを忘れていれば、夜21時頃にも電話が鳴ります。A青年です。

見どころを大いに感じ、根性を思い、今時にしては珍しい気持ちよさとハングリーを感じました。

一日でも早く仕事したいと訴えるので、「じゃあ今から、契約しちゃいますか」と言えば「行きます!」と、ある日の22時から契約をしました。

買ったのは根性です。

採用し、翌日から仕事をすれば、気持ちいい子である、と周りからの評判も良く、一所懸命に仕事して帰れば、

翌朝、連絡も来ず、仕事場にも来ず、連絡取れず、で「そのようなものかな」と思えば、ほどなくして

「寝坊しました!」と気持ちよい挨拶で電話があったと報告を受けました。

周りからもそれも気持ちよいとよい評価になっているようですが、その日が終わればこの青年の高評価、好印象を同じように今時珍しい根性とハングリーさを周りも感じたようです。

「採用どうなりましたでしょうか」と毎日のように電話くれる青年は、実はあと二人います。

まだ検討中ですが、案外に高度成長時代とは違うながらの、しかしどことなく似ているような気もする、ハングリーさが若者の中にあるのかもしれません。

学歴もなぜに弊社のようなところへ、と思うような京大、慶応、早稲田の方もきて、仕事もはじめています。

先ほどの青年には学歴はさほどないかもしれません。あるいは過去数百人採用をしたこともあるなかで、最も見所も感じました、と言っても過言ではなく、先々がどうなるか別にして、そのように感じさせてくれる青年と出会えたことはご褒美のように思います。

という風合いで、ペースアップしてきて3,000名の雇用を作ってみたい目標としては、現在残り2971名。つまりはお盆明けから今日現在内定までを含め29名となりました。

来月からさらにペースアップをして今年の終わり頃には目標残2900の雇用まで行きたく、おちおち旅行もできなくなりましたが、応募が止まらず仕事がたまる一方です。

日に7乃至8の応募をもらい、多いときは10応募。面接だけで週に30名をこなすようになりました。

道を切り開いてくれた、神のような存在の求人担当を下さっている方と出会い、これがなければ底上げもなかったと思われます。この神様は事業の上方修正をもらたしてくれただけでなく、次のやり方も垣間見せてくれました。

「男たるもの45歳から55歳が最も脂が乗る」とご教示下さった方や、「あなたは41歳から55歳までが一番仕事の運気がよい」と言ってくれた人生の先輩などから有り難く伝えてもらったことがあるものの、加齢して気がかりだったのが、体力よりも「人が集まってくるか」「人が寄ってくるか」でした。

あるいは現場の気持ちを理解できるのか、ということも心配でした。もしくは、最も心配だったのは、とくに若い人と親密になれるのか、引き寄せられるのか、自信がありませんでしたが、まだまだもうちょっとはいけそうだと感じています。

ある日は北陸から出て来てくれ面接した若者と寿司を摘まみました。

寿司屋で待ってもらったまま、私はまた面接もう一本。その日も22時からの面接が最後でした。という日もありました。人生のドラマを感じつつ。

今般スタートアップした事業は、立ち上げ当初に入念にモデル計算して以降、あとはそれをひたすら信じて細かい計算はせず、個別の収益も気にせず、ひたすらに積み上げに集中してきました。

という辺りで計算をしてみると、2月、あるいは遅くとも3月末には1200万の営利がでるようになると見込んでます。6掛けにみておいても毎月700万ほどの営利まで、着手からわずか半年でいけそうです。その後はさらにペースアップを計るので当面は営利ベースで毎月1.5から2倍の成長となりそうですが、その先の規模になったときのビジョンが描き切れていませんが、何とかなると考えています。

という風合いに計算が狂いました、よい意味で。前倒しで、来月は50名採用をしたい構えですが、いけるかどうか。そして来春には100名ペースまでいける望みも少しずつ形が見えてきたような、欲が増しているような、気もします。

譲って譲って、さらに譲ってきた方向性とは真逆に、一生現役、80歳まで面接も続けたい気持ちです。

人生、一通り俗的な道も歩み、車や時計、お酒や遊び、などなど傍若無人は通りすぎたと思い、あるいは死後の光景も見たかのような顛末も目の当たりにし、これらの階段を登ったとも思い、この段での心境でどこまでいけるのか、という楽しみもあります。

求人は化け物案件といわれているそうで、さらに特異的成功事例として媒体社内でも話題となっているとのことで、一枠では大手企業も抜く応募ぶりで、とはいえ総数ではまだまだ大手にかないませんが、

次の仕組み作りも垣間見させていただきイメージができました。その結果、この事業でアクセルを踏んでも大丈夫であるという確固たる自信も生まれました。当初に想定していたよりも素敵な形かもしれませんが、一つひとつ、一人ひとり丁寧に有り難く対応させていただくことは忘れずにしたいと考えています。

ある夜は面接予定を入れずに、会食二つをこなせば、どちらでも弊社ビジネスのアイディアをもらい、話題の中心として頂き、お一方は国家を動かす頭脳ながら、このような下々の商いにまで、ご意見をお寄せいただき、それがまた「なるほど」と成長スピードがあがってきたゆえに出て来た課題がクリアできるアイディアであり、可能性が広がる、有り難いひと時ももらいました。

キャバクラという初耳のところへいっても、熱く業界を語ってしまい、あるいは顧客にいかにほれているか、という子供の運動会が終わったあとの飲みもしました。

という日もありますが、いずれにしても、ほぼ毎日帰ると子供の寝顔を見る日々。という意味ではやっとパパらしくなりました。

私がいま行っているビジネスは二つのことが成長のキーになるような気がしています。

そのうちの一つからご協力を賜っている会社は、競合への納期を遅らせてでも、弊社へ優先して納入頂いたとあとで知ったわけですが、今度は大手からの発注を断って、弊社一本にして下さりました。しびれます。そしてこのようなことも初めての経験です。

子供の友がいる岐阜へ到着しました。

この旅のあとに寝込むことになり、ベッドの中で快方に向かいながら、少しずつ御盆明けから、スマホで応募者情報を見出し、

少しずつ面接が入り始め、ほぼ毎日1人ペースとなり、確実に毎日ペースとなり、

毎日3人ペースとなり、前回のブログあたりでは土曜に3名の面接を頂いたと記していますが、週末も6名、7名の面接をもらうようになり、

朝起きると応募メールが2乃至3通届いており、そのご対応をしていると、電話やメールでまた応募を頂くという朝が来るようになり、段々上昇傾向にある求人活動。

幼稚園に送る途中にまた電話が鳴り、駐車場に止めるとまた電話が鳴る。メールも来ている。そうして日中も立て続けに電話やメールを頂戴し、面接や打ち合わせをしていても、立て続けに応募電話が入る。週末には翌週日中の予定が面接ですべて埋まってしまう盛況を頂くようになり、面接は一週間待ちをもらうようになり、

気が付くと零細の零として異例ともいえる、1日に10名の応募者と丁寧にやり取りしながら、7~8名の面接をこなし一人2時間かけていた面接は1.5時間に減らし、過日の面接者数名との事後的なやり取りや、内定者とのやり取りも重なり、日に30名とのやり取りをしながら、ご協力を頂いている企業様とのやり取りもあり、誰が誰だか分からなくなる日々です。同じごとく広がり続ける取引先への対応は後進が担ってくれ、日々新しい愛車で飛び回ってくれています。

これもそれも、ご担当を下さっている方の、お知恵とご協力の賜物であると、あるいはこの歳で仕事において感動というものを頂くほどに、驚くほど親身なご対応を下さり、十二分な成果にも繋がり、社の成長も加速するというものですが、そこに他社様のご担当が入る隙がなくなっていくのを感じます。この方のとあるおかげでのお陰様で、さらには収益性がよい仕事だけをできるので、戦略上優位性を築くことができたのではないかと気が付くようになりました。

基本的にクルマを運転中はクルマを止めて電話を折り返します。電話がそれなりの時間がかかることと、応募者の方についてメモを取るので、止めての電話は法令上の要請に加えて実務上も必須です。

一度だけ渋滞中にクルマが止められそうになかったのでハンズフリーにて「15分で折り返す」旨だけの対応を運転中にしました。「運転中に電話しちゃ、パパだめだよ。危ないよ?捕まるよ?」と後部座席の三歳の子供から檄が飛んだこともありました。なお今は五年更新、次回は今のところゴールドになる予定ですが、若い頃は携帯にスピード違反と、年に何回も免停になっていました。

歳も重ねた近年は普段から歩行者がいれば急ブレーキにならない限り、止まり、あるいは譲る運転をしています。その光景が当たり前に登園中も目に入っていってると思われるので、おだやかな運転、ゆずる運転がスタンダードとして根を張ってもらいたく思っていますが、

息子のタイプだと若いときはスピードを出してみたくもなると予想しているので、サーキットに連れて行き200キロオーバーの世界や、限界を越えた挙動も教える日が来るのだと予定しています。

昔は同じく1日に7名、8名面接しても、それは3次、4次面接でしたが、思ってみれば、どれだけの応募者と1次面接をさばいてくれていたのだろう、などという感謝を今になって思いました。当時は「もっといい人材見つけられないのかよ」としか若輩者たる私は思っていませんでした。

という中にも、今は楽しくてしかたがありません。面接も楽しいですが、いろいろな個性と出会うのも楽しいですが、その中でさらにいい出逢いや、面白い縁が生まれていくのが、これまた楽しく思います。

私も今まで経験をしたことがないような程に、「まいった」と仕事が順調すぎ、子供へ幼稚園の帰り車中にて「パパ仕事が順調すぎるよ」と報告をしたことがありました。

「会社大きくしていいですか」と聞くと、前は「大きくなったら」という形容詞がついていましたが、最近はその形容詞が鳴りを潜めて「Aちゃん手伝う」と言ってくれます。

そして続けて「Aちゃんが仕事の仕方教えてあげるね。まず手紙をたくさん書く、あとコピーを取る、パソコンを上手に使う、メールを書く、車をいっぱい運転するんだよ、以上」とご教示を受けました。

問い合わせへの応対メールでパソコンに向かっている姿や、プライベートオフィスができる前は契約書を自宅で印刷したり、コピーを取る地味な姿を見て、覚えていたようです。

さらに「あとね〇〇をいっぱい買うんだよ、Aちゃん聞いているでしょ」と、私が業容の拡大とともに、仕入れなければならないとある名詞を挙げました。ご指摘の通りであり、そしてご指摘の通り、よく話を聞いているようで。

他にも日々会話が楽しくなっています。「パパ髪伸びたね、短くしておいで、ぼさぼさでかっこわるいよ」と言われ、切ってくれば「かっこよくなったよ」と。最近はジムショに誘ってみれば「本当にいっていいの?やったー」と喜び、一緒に向かうばぁばに「パパの会社はね、ちょっと狭いんだよ」などと説明し、「パパはおっきい会社も持っているんだよ」とばぁばから説明も受けていましたが、このうさんくさいジムショへたくさんの面接者が来て、そしてぞくぞくと仕事することを決めてもらっています。

前回アップした子供も歩いたあの廊下が、まさかあれだけの面接ロードになるとは、思いませんでした。

あるいは「世の中すべてのものは変わっていくんだよ。それを諸行無常と言います」と教えました。
「パパもママも老いて、あなたは成長し、あるいは天気も変わり」と説明すると、「ヨーグルトフラッペが出たのも?」と会話をした夏の終りも懐かしく思い、「そうすべては変化をしていきます」と答えました。

少しずつですが、支払業務については3%の手数料をつけて、外注をすることにしました。会社を作り家人とばぁばへ。という家業チックな取り組みは、実ははじめてです。事業全般はもとより、経理にも親族を用いたことがなく来ましたが、これからは核心部分については身内で固めていったほうがよい気がしています。

太陽があれば、惑星がいくつもある、かのような関係性に似ているのかもしれませんが、一つ核がしっかりしていると、周辺でもビジネスが成り立ちます。仕組みとして、副次的な仕組みの部門だけで毎月3000万円の粗利がでるようになります。もしくは年1億ぐらいはでるようになるサブカテゴリーも派生します。

これら合わせて、なかなかにエキサイティングな人生の旅路がはじまりました。
つづく