
2月に行った
中伊豆の旅路。

どうも写真が少ないと思っていたら、一台丸々データを見逃していました。

カメラの台数が多くデータ管理が煩雑化しているのは間違いなく、あるいはたまにしか使わないカメラだと時系列が管理しにくく、雀の涙二粒分の脳には泣き所です。

このカメラデータを整理だけしてGW後半の旅へ出発しました。

GW前半は飛行機、後半は結果として飛行機そしてたくさんの思い出。

明日から幼稚園に備え、昨夜遅くに帰宅しました。

人生常にその瞬間が最上に幸福と感じて生きてきましたが、

たわいもなくSAの公園で遊ぶ瞬間に、やはり最上のひと時を思いました。

平たく言えば人生で最良のGWであり、ときの流れを感じ味わい、楽しい時間でした。

2歳前後だったか、幾度となく頼りなく駆けていたこの足柄におけるサイドビューはマリオポイントの、
過去を思い出しつつ、その都度楽しいときの流れでしたが、走る安定感も幸福感も100%増量です。

100%ってなに?と「
忍たま乱太郎勇気100%」の主題歌で疑問に思ったようで質問を受けました。国語的な意味を説明し、200%という場合もあり、あるいはファクタリング手数料は表面上5%の運用は一工夫して10%にしているよ、というところまで説明してみました。

買掛に売掛も単語だけ言ってみましたが、まだ興味はなさそうです。それよりもスタックごっこに集中力を連れ立ってもらう時期、どうぞどうぞ土だろうが、泥だろうがだらけになってください。

写真は2月、文章は2月と最近やら入り乱れ思い出雑記帳という機能を分かりにくくしてしまっている単独犯の主犯ですが、消えゆく記憶、少しでも残しておきたく、思い出のタイムトラベラーとして学習デスクの引き出しが散らかる一方です。

GWの旅では私が口ずさむキセキを聞いた1日目は「何百円、何百円、何百円」と真似をしていましたが、

二日目は「何十年、何百年、何千年」と口ずさむようになり、私が「時を」と言えば「こえよう」と応じ、掛け合いで過ごすワンフレーズのひと時もありました。ドアの開け方パターン1です。

2月に撮った35mm。

4月に撮った50mm。画角に構図も違いますが、何より光が違うと、こうも違うという比較になったように思いました。

そうこうして宿に到着です。

2月と4月、あといつだったかデータの煩雑さも手伝って泊まった本人も記憶が混線しながらこの宿、三回連続同じ部屋となりました。

35mm、50mmとっかえひっかえで撮影、すなわちこの子を1秒でも記録していきたい親心、がどれだけあろうとも、

この道具がなければ、作ってくれる英知とメーカーがなかれば、絵に描いた餅にもならない、という意味でカメラとそのメーカー様様です。

前回掲載した50mm。

そして35mmでも撮っていた己にデータ整理で気づきました。

ビールを注いでもらいながら一枚、50mmでは撮りづらい写真を35mmで。このあとママにも注いで、

お風呂へ。笑顔を引き出す力、それはシャンプーの泡で真っ白になってお化けとしてコミカルに近寄る努力のようなこともときにしながら、

お風呂も35mm、50mm両方で

それぞれ立ち位置も買えて、どれだけ撮るんだ、というときは続き、

何度かジャンプしても、髪を意外と濡らしていない入湯技術と、ここでも同じシャンプーの泡技法により笑顔を引き出していますが、つまりはこの間泡だらけの顔面に裸で撮影会という涙ぐましい努力という滑稽な瞬間だったかもしれません。

本日に至るまでこの半年ほどか口癖の一つは「サスペンション効いているよ、ほらみて」です。

「なぜ太陽は宇宙にあるのか」「宇宙の向こう側はどうなっているのか」あるいは高校入試に受かった甥っ子へ電話口に第一声が「心配していたんだよ」や、

もしくは先日「おじぎをし過ぎると気持ちが飛んで行っちゃうよ」など発してきた中で、

一番感慨深かったのがパパとママがやがて死んで星になったら「宇宙船に乗って逢いに行くね」という言葉でしたが、

このGWは車中、とある人が緊張したときの癖を話題にしていたとき、話を聞いていた息子が

「パパ、緊張はだれでもするんだよ。だからせめちゃだめだよ」と、指導をもらいました。節々に人を擁護する発言をすることを思えば、器としても楽しみです。

食事を済ませ部屋に戻れば、デザートがあったと戻り、散歩もして、

風呂に入って子供が寝れば、大人の時間。カメラ遊びです。

朝が来ればまたお風呂。パパ見てみ、空がきれいだよ、

と教えてくれ、

そしてやはり私は専属カメラマンとして随伴し、

しかしそれができるのも、この子が小さいうちであると思うと、この子が中年になり、私が老人となっても、SAで写真を撮りまくっている奇異な光景を現実化してみるのも悪くないのではないか、という儚い夢。

腕に伸びるハイライトの線、も面白いのではないか、

35mmでも洗車を撮っておこう、

その後ろ姿も、とゆっくりお風呂も入ってないようなほどに撮っていますが、意外とゆっくりお風呂もさせてもらっています。声に動きは撮れませんが、たくさんの瞬間を一緒に楽しみながら記録できる、これが連続性をもって撮り続ける動画と異なる写真のよいところその一つかもしれません。

こちらがヘトヘトになるほどの回数、あるいは一回あたりもこちらが先に根を上げても「もうちょっと入ってる」と私より長風呂のときもあり、

次は大浴場行こう、はたまたGWの旅ではホテルの湯舟、朝風呂二回などかなりのお風呂好きなのは間違いなさそうです。

少し肌寒い日もあったGWとなりましたが、SAで温かい肉まんを買えば、

「こんな寒い日にこんな温かいのを食べれるなんてうれしいなぁ」と発し、表現に表情も豊かに育ち、のびのびとも育っているように見受けています。

α7R III顔認識で、そのまま

駆け寄ってくる子供でも、AFが追い続けてくれるので構図を固定したままでも撮ることができます。

が一長一短、起動速度や場面によってはまだレフ機に一日の長を感じる場面もあり、

加えてボディに各種ボタン類の堅牢性・耐久性は不安な面も思います。

私は扱いがけっこうハードなほうだと思いますが、たとえばRIIのボディはいつの間にか僅かに歪んだのか、メディの蓋が開きづらくなり、ボタンも一つ怪しくなり、

あるいは二台持ち出しが多いですが、つまりは一台をしっかり保全しながら持つわけでなく、剥き出しが多いボタン類のなせる技なのか、RIIIが知らないうちにボタンのカスタマイズ設定がされていたり、

私はAF-Cを常用しますが、コンティニュアスAFが使いものにならない暗い場面など、即座にMFを使いたくともレンズによってはこれができなく、

加えていうなれば防滴性能はまったく安心感はなく、プロが過酷な現場や、移動含め稼働が頻繁な領域において、まだ多くのプロの現場にて使用に耐えるものではないような節も感じれば、youtubeなどでプロがSONYへ転向しているのは、メディアとしての有用性と合わせて総合して鑑みると実はいわゆるステマなのではないかと思わなくもありません。

とうとう防滴性能ゼロであろうラジコンも進水式を迎えました。

それを言えば、トヨタなど見せ方がもっとも上手であり、

昭和のCMは必ずと言っていいほど、芸能人もしくはなぜか白人とセットでクルマの宣伝をしていましたが、後段の効果も絶大だったのではないかと考えます。

日本人が持つ、コンプレックス、舶来主義は厳然と横たわっている気もしますが、

その点、今の街を見れば、若い女性のファッションは経済斜陽化とファストファッション台頭の合わせ技か、地味な様そうも増えつつ、女性らしらすなわち後天的に作られた色気などが後退し、女性よりも人間性が前に出てきている印象も受け、

男女の人間模様も様変わりしてきている社会的変遷を感じてみれば、この子が成人する頃にはさらにどのように変わっていくことになるのか、トリミング。いずれにしても学生結婚するぐらいの勢いで、社会に出る前によい出会いをしてほしいと、今から刷り込んでいます。

次の目的地に到着しましたが、安眠遂行、邪魔をしないため

カメラでひと繋ぎ。

30歳の頃、中学の同窓会へ行けば、女子数名が実は親が経営するスナックの手伝いを中学生のときからしていた、と聞けば大人の世界に見て触れて「どれだけ俺たちを子供扱いしていたんだ」とショックもありましたが、

一方で普段から仕事の話が家庭での話題になっていたのに加え、よく母親がビジネスの場や夜の接待その席まで中高生である私をよく同席させてくれました。今にして思えばなかなかできることではありません。

3歳の頃から音楽やスポーツを教えることは私にはできませんが、しかしできうる限り、ビジネスや経営の話はしていこうと考え、

契約の立ち合いをしてくれればコーヒーを入れてくれようとしてこぼしたのもすでによい思い出となり、面接もちらっとですが見たこともあり、GWは大阪へ関西営業所を見せにいくことも旅の目的その一つとしました。

友の愛人を私がおねえさまと言えば「違うよ、おねえさんだよ」と気遣いもみせました。

このとき二回目となる
サイクルセンターへ来ました。
つづく。