
データのつまみ食い。

ときに記憶のトランクルームたる当該ブログのために、ときに急ぎで頼まれた写真整理鈍行特急便のために、データを時系列の観点からお通しをつまみ食いするかのごとくしているので、どこまで整理したのかカオスとロストがオーブントースターの中で入り乱れ、

記憶力も加齢とともにステルス化してきているので、気づくと前に整理したデータを「時代は回るよ」を聞きながらまた整理しているときも稀にあります。

写真整理、早く春から夏へいきたいところですが、GWもまだ消化していません。

若いころは、自らに「我は大器晩成型である」と、目の前が大器ではない言い訳としてよく「そのはずだ」と付け加えて言い聞かせていましたが、

振り返りますと、私の場合は記憶力のピークが30代半ばだったように思います。

20代は30名前後の会社でうろうろしていましたが、30歳のときに一気に社員100名超の会社へと成長したときに、

面談の雨あられが激増し、つまりは人的トラフィックが土石流が押し寄せるかのごとく激増したのに合わせて、ここで井の中の蛙のその餌であるゾウリムシ程度ながら、私の脳も一気に覚醒したかのような感覚がありました。

追いつかない管理職の穴埋め含め100名超と少しずつ毎日面談するだけでなく、些細な会話や日常会話も重ねていくわけですが、誰に何をどこまで話ししたかも合わせ一言一句をすべて覚えており、あるいは自ら出した細かい指示も常に脳内でタスク管理され、リマインダーなど必要もなく会議の議事録も脳内にファイリング書庫となり、随時来る報告も整理され、

さらには持ち込まれる投資案件やヘルプのキャバ嬢含め、多大に外部とのやり取りもするわけですが、指名嬢とのメールやり取りはメモ代わりだとしても、その他は一切のメモも必要ないままに、一言一句記憶に留めていました。写真の頃は「ぱぱとだけの秘密な自転車のエスカレーターに行きたい」と、まだ二人だけしかしらないサイクリングコースでした。

ところが40歳を越えたあたりから、そしてここ1年は急激に記憶力が悪化してきました。「わたし記憶力ない。覚えてないのが特技です」などという方との触れあいもありましたが、

はじめは記憶が欠如する恐ろしさ、というものを体感し、その中で生きている方はすごいと感じたときもあり、しかしこれも慣れるものだと知りました。

ここ数年はインプット、とくに読書は視力の低下、老眼、子育てでの気力消費などを理由に遠ざけてきましたが、少しずつアマゾンでの書籍仕入れが復活してきました。

脳科学者、中野信子氏によれば、40歳からさらに脳が成長するタイプ、40歳を境に脳が劣化の一途を辿るタイプがあり、かつこれらの差が激しいと著書ではなくラジオで知りましたが、残念ながら私は後者のタイプのようです。

自分なりに使っているつもりではありますが、日に日に劣化を感じずにはいられません。

体のほうもポンコツ化が進み、業務譲渡もして気が抜けた夏あたりよりは四十肩で鈍痛快適ライフを過ごしています。

四十肩というものはなってみて分かりましたが、肩のぎっくり腰かのような痛さで、歩けないわけではないのでこの点はいいですが、ちょっとした物を取るしぐさ、服を脱ぐ、ことが困難なときもあります。頭を洗うのも痛く、ある日は寝静まった夜に一人で服が脱げずにお風呂を諦めた日もあります。

寝がえりによる激しい鈍痛発生により、1時間ほどで目が覚めてこれを繰り返してしまうこともあり、快適な睡眠カムバック、が悲願です。加えて痛いほうの肩をカバーするせいか、肩全体や背中のコリが増してきます。

飛び抜けた天才は別にして、庶民レベルのうまくいったほうの会社10年分の成長を、椅子にへばり付いて毎日深夜まで業務を、おじさんが歳を忘れて、1年でやった無理が体にきたようです、と分析していますが、

歳も考えずに少々仕事にのめり込み過ぎたことと、常日頃から適度な運動、柔軟体操をしておくべきだったと反省していますが、反省したところで仕事が趣味であり、趣味に没頭してしまう適性は変わらないようにも思います。

脳をはじめとする内臓器官、並びに筋の弾力性低下など、ポンコツ道をETCで潜り抜けたかのようなスムースさで利用中ですが、

他方で、20代では三日に一回3時間しか寝ないという労力を投下してまで、30代は飲み歩きながらでしたが、これら人生の時間を使い、400名超のグループまで育てたところ、40代は今のところゼロからほぼ飲みMAなしで1年で300名まで肉薄しており、満二年で1,000名は順調に進みそうな気配でもあり、満三年で3,000名までがんばりたいと思っていますが、

ではこのペースを私の場合20代で出来たのか、と振り返ってみると、世間知らずや物事の間違った理解により、余計なことばかりして、いらぬところにエネルギーや時間、あるいはコストも多大に掛けてしまい「まぁ無理だろう」というのが結論で、針の穴に糸を通さねばならないのに、足の親指ばかりに力を入れるかのごとく、分かっていなかったと思いますが、

つまりは脳も体力も気力も大きく劣化してきているのに、より効率的に生産性を持てるようになったということは、経験値がものを言っているということになろうかと考えてみました。

考え方ややり方が大きく変わった面もありますが、しかし変える必要のない要素もあり、その点はやり方ややることが分かってしまっているので、一切余計なことはせず、悩むこともなく、淡々とあとはやるだけという減退している体力勝負ですが、それも減退してもなんとかなるレベルのことしかやらずとも、出来ているわけですが、

なんといっても多くの方々その能力の賜物でありつつ、加えて一事務プレイヤーとしてはパソコンにインターネットという百人力なツールのおかげも大きく、我がパソコンに関羽と名付けてもよいものなのか、NECお客様センターへ確認をしたいと考えていますが、雪斎にすべてきではないか、とご教示を頂くことがマッチをすればぎんぎらぎんに火が見えるかのように容易に想像できます。最近子供の十八番が「ぎんぎらぎんにさりげなく」で、幼稚園のK君と「またカラオケいこうね」と約束してきたようで、時代を思います。

私はいま仕事でAIを使う機会を頂いています。「パパ離れていて」と、一人でパンを買った夜。

AIは「なんだこれは!すさまじい成果を出せるではないか!!」という感想とともに、ほぼ同じ性能であるという前提のもと、あるいは同じものをとしてもいいですが、皆がAIを使うとどのようになるかといえば、インターネットも、パソコンも、あるいは料理人が使う包丁やフライパン、それらと同じくAIも使う人によって大きく成果が変わってくる体感を得ています。

そして普遍的な重要な要素は何一つ変わらないとも感じています。

もう10年前になるのか友が「ロボットが労働するようになったら、すべての人が働かずして生きていけるようになるのではないか」という問いかけをしてきましたが、私は「残念ながらそうはならず、技術論を持ち出さなくとも、資本の論理で説明でき、結論は貧富の差が広がると思う」と反論をしました。

ロボットをAIという単語に置き換えても、同じ結論になるような気がし、そしてそれを体感しているかのような衝撃を感じています。甥っ子も部活を通り過ぎた年輪か、そろそろ旅行を一緒にできる日を楽しみにしています。

仕事にいくパパのボタンをつけてくれる朝もありました。AIにより、ブルーカラーあるいは単純労働が姿を減らすか消すか、と言われていますが、真っ先になくなった仕事はウォール街のトレーダーというのが皮肉な話で、とそれらしく聞こえる雑誌の座学で得たような話もありつつ、

多くの局面が変わっていくかとは思いますが、より先鋭化していくツールを使い格差の格なほうへ少しでも行って頂けるように、弊社へ来て下さった、中には人生かけて大きな会社から転職して下さった若い方々へ多くの経験値を獲得しておいてもらうことも、やはりそれぞれの先のためにも大切であると思案を新たにしつつ、過日は24歳殿に、はじめての出張を大阪までしてもらいました。

春の頃はまだレンズへの興味が残っていました。夜は7乃至8年かかりましたが、カメラは機材としては4年前後で卒業です。

声をかけられたほうからすればたまったものではありませんが、毎夜10余名以上を引き連れて、接待が仕事かのような部隊、具体的にはMA部隊ですが、これがあったので、これを中心に社会勉強、場数を踏めとばかりに高級店で「キャバ嬢も道具として使い交渉相手を口説く片手間で女も口説け」と言わん調に豪遊です。それだけ稼ぎ、飲み連れるということは、思い返すとなかなかのエネルギーに思いますが、同時に一切不要なことであると、いま思います。失敗の経験値です。

年中になり、名札を嬉しそうに見せてくれた始業式もありました。

最近の車はブレーキを踏まないとエンジンがかからない、と油断しているとこのようにエンジンをかけ、アクセルまでふかします。ドアが開いていればPに入る機構の車種や自動ブレーキも増えてきましたが、FJクルーザーで万が一シフトがDに入っていれば一大事です。勝手にATは触らぬよう、よく言い聞かせましたが、回転数が上がったエンジン音でかなりびっくりしたようで、一応は安心しています。

私が見た中でオフィスの内装が最も立派だったリーマンブラザーズという会社が無くなったそのショックな時代、飲食店からすれば、こんなに大勢で飲みに来てくれてありがたやという世の中が経済状況にも関わらず、出禁になる店もあるほどに、激しく汚い飲み方もしていました。それだけエネルギーが溢れていたという言い訳もしたいところですが、これも失敗の経験値です。根本的には奢りだと思います。すべての人に敬意を持つ気持ちが微塵もありませんでした。

お酒は減り続け、とうとうここ半年ほどは晩酌もしなくなり、飲みの席も月に2度あるかないか、旅先の夕食もほとんどコーラで、できたらお酒は飲みたくありません。

三月から取引がはじまった顧客から4月に頂いた、大阪分の明細書を記念に撮った、通過点たる嬉しく有り難かった日。

若手の方、その出張では、まだ小さい零細ながらな弊社ですが、全社横断的な取り組みのために、経験値も積んで頂きたい考えの基、次のフェーズに向けた環境構築実施のお願いをいたしました。

今月末で295名超になる見込みですが、目標は来年末ながらに、しかしこれから満一年ほどと若干の前倒として内心では目指し、1,000名に向けて中旬には環境がかなり整う運びとなり、ギアを変えてアクセルをいよいよ踏み増します。コーヒーを淹れてくれた朝。

業容が拡大するスピードは倍増していきますが、一人ひとりの負荷は大幅に減りこれを維持できるように十分な人員と、量でカバーするだけでなく知恵を盛り込み、この知恵については大阪の友が自然発生的に実施してくれていたので、これを東京にも移植を行うところ、この友にも多大の盛大に感謝です。

社内呼称Nシステムという友が一緒に仕事をしてくれるようになり早々に発案してくれた取り組みで、収益性は上がり、そしてここにきて、私が作った基本形を大幅に進化させてくれ、また大いに可能性を高めてくれたわけでして「人」というファクターの重要性に思いを重ねる次第です。

「やりたければ、やればいい、やりたくなければやらなくていい」という若い世代の感覚と、「やるべきだ、よりよくするためにがんばるべきだ」という年配者の感覚、そしてその間の世代、

論調をざっくり稚拙に整理すればこのような風合いかと思いますが、そもそも何事も当然にやりたければやり、やりたくなければやらないわけですが、しかし一見クールにも感ずるこの感覚は、

あるいは「今の若者は幸福度も高くそこに何か問題があるのですか」というホットアンドクールに、

私は甘えもあるのではないか、と思ってしまいます。つまりはこれだけ恵まれた環境というのは過去の努力が作ってきたものであり、その享受だけをしていると勘違いが生まれてしまうのではないかという考えです。

ほんわりと記し具体性が欠落していますが、他方で歴史は楽観主義である、という論説にも懐疑的な意見を持っていますが、確実にGDPの減退すなわち所得は減り労働は過酷さをまるでゆでがえるかのように増しており、確実にこの軋轢は大きくなる方向に向いているところ、そこをなんとかしたい、と望む若い方が集まってきており、これらに応えていきたいと考えつつ、

我が子に思うのと同じく、望むのであれば同じ生きるなら苦労や不安ばかりだけではない人生を歩んでもらえるよう微力ながら私なりに尽力したいと考えます。

社会構造上しかたがない面もありますが、命を救う医師が、若者やこれからの人達の命を削っている側面もあろうかと思います。一方で医師は賠償リスク、あるいは感染リスクが付きまとう職業であり、そういわれてしまえば反論も難しくなりますが、

医師会、あるいはそれ以上に製薬業界はこれはもう巨大かつ強固な既得権益ですから、たとえば腎臓はとうの昔に豚を介してクローンを作ることも可能だそうですが、透析に関わる人たちの仕事を奪うためなかなかに実現されにくい環境もあるなど、あるいはテクノロジーが権益に勝てない局面は多方面でありますが、しかしこれも時間とともに大きく変わっていき、

大儲けしている処方箋薬局も、やがては外圧も含めAmazonの力合わせ、壊滅状態になるのか、AIが問診してくれれば内科医不要論も生まれてくるのか、自民党や倫理員会が踏ん張るのか、いずれにしても製薬会社は出来立ての石焼き芋状態が続き、しかしグローバルな競争では合従連衡は進むと思われ、

この日なぜか途中から封筒という名の私の財布も新調され、

と、思いきや、若者のスマホコストは毎月平均6,000円前後だそうですが、これに新調する機種代は入っているのか、

毎月6,000円、年間72,000、10年で72万円を医療費に費やす若者の絶対数は少ないながら、やりたいことであるので、ということでゲームやポケモンにお金かかるのはしかたない、と言いつつこれにはお金を投下し、しかし携帯各社はもうけ過ぎではないか、という論調もありつつ、

むしり取る相手が政府なのか、社会保障機関経由なのか、携帯会社なのかな差しかないといえば、歴史上の構造にさした変わりなく、などということもよくわからないまま、社会貢献という搾取か詐取かに合い続け、個として生産性は伸びないまま、市場は縮小し、社会コスト負担は増え続け、

そこをどう泳ぐか、知恵や知識はクロールや浮き輪かもしれません。

過日はばぁばのところへ三泊四日泊まりに行き、まだ泊まりたいというのをなんとか説得してご帰宅頂き、さんまを食べたいとのことで一尾たいらげ、毎週金曜日は英語教室のあとにばぁばのところへ泊りにいくルーチンとすることに決定がされ、

めったに見ないアニメのレアキャラまで名前を憶えている記憶力は、そのうち私の外部記憶装置としても期待したいところ「当機は羽田空港国際線ターミナル25番に向けて飛行しています」などと、飛行機ごっこのアナウンスもいつの間にか進化をみせ、あれもこれも合わせ、あっという間に成長していく瞬間が連続して訪れ、それを有り難く幸せなことであると感謝しつつ、時の流れには権力以上に逆らえませんのでこれに従う毎日です。

ある日の春、久しぶりに山梨方面へドライブです。
つづく