2018夏岐阜の旅、最終話。

刈谷SAにて子が寝ている間、TOYOTA博物館で引き取り納車された愛車のサブカーLSをレンタカーのFJ車内に路駐し、写真を撮って暇つぶしです。

可動するシートベルトに至るまでなかなかに精巧な作りです。

そしておはようアフタヌーン。つまりは前節は挨拶、後節は時を示すとすれば、おはようモーニングとは朝に起きて挨拶をした、という意味になり、これら正確な使用の普及に命をかけてでも努めていきたいと考えたいです。

過日、日帰り温泉へ行く際に「Aちゃん、こんなにもよくあっちこっち連れて行ってくれるパパでいいね」という客観性も少しはある自画自賛な会話の端緒から、

私の父である「M夫さんはどうだったの?」という質問へつながり、ちょうど我が子と同じ5歳の頃に離婚することになったのですが、それまではよく連れて行ってもらったと思うことを伝えれば、M夫さんとNばぁばが「なぜ別れたのか」という話の流れになりました。

M夫さんはそれはもう女性が大好きで、当時の女優とも浮世を流すほど、あるいは母が入院中に、5歳の私を連れた父は愛人も連れだって旅行を慣行した昭和癖があり「きれいなおねいちゃんと旅行いってきたよ」という私の裏がないリークで物事が発覚することになるのですが、

このような異性関係が基で、竹を割ったような性格の母はある日私の手をつないで豪邸を出て、風呂無しアパートの生活となっていく離婚をすることになり、しかし20畳のおもちゃ部屋有から飴一つ買うのに苦労するという経済的環境が大きく変わっても5歳児の多幸感的なマインドとしては何ら変わることもなく、いかに愛情というものが大切なのかを学んだイベントにもなったように大人になり思いましたが、

車中子供へは簡素にM夫さんがたくさんの女性と付き合って、ばぁばがそれに怒って別れた、というようなシンプルな説明をすると、

「まぁそれは両方が悪いな」

という一蹴発言、ばぁばに話せば笑っていました。ちなみに仮の仮にパパとママが離婚したとしたらどっちと暮らすかという質問は「ママ。だって料理も作ってくれるし、洗濯もしてくれるから」というスーパーぱぱっ子とは思えない驚愕の回答を頂きつつあとでママが大喜びしていましたが「ママと暮らすと玩具買えないけど、それでもいい」とダメ押しもありつつ「けどみんなで暮らしたい」という本旨は子供のころの私も一緒でした。

ある日の降園車中では、

「がまんって必要なの?」「パパはあんまり必要ないと思う」というやり取りをしました。「がまんしなさい」と言われあるいは誰かが言われているのをよく耳にもするのか、幾度と聞いてきます。

我が人生や日々を振り返り、知っていることのしかも初歩的な説明を毎日受けてただただ座っていなければならなかった小学校授業という我慢は辛いものがあり、その我慢の結果何を得たのかよくわからず、そのほかは我慢というものをあまりした記憶も感覚もなく、自由にやりたいことをやる、やりたくないことはやらないか、「自分がやられていやなことは相手にやらない」という単調なロジックは整理の上で、それが得意だったり好きな人に任せる、ということが大切かと思い、

この世にすべてが思い通りになる人など一人もいないが、しかし欲しいものや望む環境があるのであれば、努力は必要だと思う旨を伝えました。

「原始時代ならパパはAちゃんに獲物の採り方を教えるけど、今は資本主義といってお金主義と言ってもいいけど、漁や狩り畑をやらなくとも、お金があれば魚も肉も野菜も食べられる社会の仕組みになっていて、

だからお金の稼ぎ方というのをパパはたくさん教えていこうと思っているよ、けれどお金の他にも大切なことはたくさんあるからね」と話し、概論の手始めとしては「景気がいいときは景気がいいときなりの、不景気のときは不景気なときなりの稼ぎ方がある」と序論も入れてみたりしていますが、不景気を通り越して、経済が破壊されていく過程においては大きなチャンスが生まれてくると思いつつ、私も未経験のため動向を注視し続けながら考え続けなくてはなりません。

車中の光景から警備員氏のお仕事が見え「パパもあのお仕事上手なの?」という問いに、「パパはあのお仕事は上手にもできるけど、やりたくないかな。だって手が疲れるし、ただただ手を振ってるだけだからつまらないし、一日が長いし、誰とも話さないし、自分が楽しいと思える仕事をしたい。けどあの仕事が楽しい、得だと思う人もいると思うよ、そしてあの仕事しかできない人もいる」と言いつつも、

私も思ってみれば、パソコンを打つために「指を動かすばかりの仕事」になっており、削がれ残った僅かな役割だけの仕事が楽しいか、と問われれば現状はかなりの疑問符がついているかもしれません。ダイエー創業者故・中内氏は会長退任のあいさつで「楽しい日は一日もなかった」と語っていますが、幾ばくかながら分かる気がしてきます。

「あのお仕事もそうだし、あそこのコンビニの店員さんもそうだけど、みんな一生懸命生きているんだよ。生きるために仕事しているんだよ」そして「みんなは本当は仕事したくないんだよ、大人のみんなだよ、ほとんどのみんな」と付け加えてみました。

「そうなの?」と、意外性を思ったところで、正確にはほどほどにほどよくあるいは自由にやりたいときだけ仕事するのがみんな理想なんだろうけど、朝から晩までみんな決められたところに行って、決められた仕事をたくさんして、好きでもない人に頭も下げて我慢もしてお金をもらいクタクタにもなって、もう嫌だというほど仕事をしているのが社会、という趣旨で実態その側面というものを伝えてみています。

事実は異なりますが幼稚園で「Aちゃん家はお金持ち」といわれる機会もあるようで、毎朝あるいは参観でもよそのおうちはパパがほとんど来ず、など合わさってパパとOちゃんパパはほとんど仕事をしないか、ほんのちょっと仕事して僅かに豊かな経済性を有しているという認識を持つようになりこれを最近は不思議がっているようです。

「パパは会長だからいっぱい稼いでいるの?」「会長だからってわけじゃないよ。みんながやらない、あるいは社内においてできない仕事をできるようになったから稼げているのかな」将来は会長になりたいというので、担任をやらないと園長先生になれないように、社長をやらないと会長にはなれないよ、と伝え、会長というわけではないのですが、過去は十余名の零細社長を育成し、ということもあったのでそう呼ばれていた名残もありつつ程度の話しですが、

「なんでパパはちょっとだけ仕事してたくさん稼いでいるの?」というダイレクトな質問には「ものすごいいっぱい勉強したからだよ、とくに社会に出てからたくさん若いときはとにかくたっくさん本読んだよ」「毎日?」「そうだよ、本の部屋あるの知ってる?あれを全部読んだ。あの本が全部頭に入っているよ」「ベッドの横のも?」「そうだよ、それでもあげた本もたくさんあるからもっと読んだよ」

「本をたくさん読んだだけでなく、若いときはたっくさん仕事もして、50年かかって知ることを、10年で学んだじゃないかなと思うようになったよ。社会の仕組みをしって、あるいは無駄なことが何かわかるようになった気もする。見ていると無駄なことにものすごい時間とエネルギーをかけている場合が少なくないように思う」と例えば頻繁な飲み会、冗長な会議、実現が伴わない打ち合わせ、あるいは方向性が間違った努力などもその一つに数えたくなります。どうしてみんなはお金を欲しがるのに、こうして稼ぐことと関係ない、あるいは無駄なことが大好きでやりたがるのか、非常に不思議に思う30代までを過ごしました。

仕事において稼ぐのには関係のないという意味で、無駄なことをしなくなったから、どんどんしなくなったから時間が余ってそうに見えることと、

「パパの仕事はなんだ」という質問へは、「仕組みを作ることかな」と答え、手や足を一生懸命生に動かしていると忙しそうにみえるけど、Aちゃんはパパが今何を考えているかわかる?わからない、というわけで「頭の中は見えにくい、わかりにくいから、考えることが仕事の場合は忙しいのが見えないだけだよ」そうやって何をかんがえているのかと言うと

生き物であるお客様のニーズを常に考え、無常の変数値も多い需要を読み、みんなが仕事しやすい環境を考えて、そしてそれを作ったり、手先が器用な人や、字を書くのが得意な人、人と話すのが得意な人など、それぞれいいところをみつけて、その人に合う仕事をお願いしたりしているよ、といくつかの要素を説明をしてみました。社が大きくなるほどに把握することだけでも増えていくので小さじ一杯スパイス少々の脳では疲弊も増量しますが、

この間の話しと繋がっていくんだけど、最大のコツは「いいところをみつけて、仕事を任せお願いし、そして感謝も尊敬もすることかな、だからまずはいいところを見つけてみて」と、じゃあママのいいところはなんだというので「けして人のことを悪く言わない人で、あるいは死ぬときはパパと一緒というぐらい、肝が据わっているところかな」と答えておきました。

「お金を稼ぐのが苦手な人も世の中にはいっぱいいるから、そのような人に稼ぎやすい環境を作ったり、あるいはお金が稼げないからと言って得意分が違うだけだからどんな人でもばかにしちゃだめだよ。みんな一生懸命生きている、人も、動物も虫も、生きているものはみんな一生懸命生きているんだよ、これを生存競争と呼びます。だけど一人で戦うのは限界があるから仲間が大切云々」と、前は「環境を作る」あたりにとくに「ちょっとAちゃんには難しいな」という感想もこぼれたこともあった話も、何度もしてみていますが、遊具も誰かが考え設置してみんなが遊ぶ、これを環境と呼び、会社の総務部や営業部もしかり、誰かが作ることを話してみたりしています。

「ありもだんごむしも?」「そうみんな持って生まれたもので一生懸命生きているんだよ、得意なことも違うし、中には獲物を捕まえたり身を守るために毒をもっている場合もある」「おとこもおんなも、若い人もおじさんも、ありもたんごむしも、鳩も雀も、みんな一生懸命生きているんだよ」

過日はグランピングの帰り、アプリを使って事前予約し待ち時間短縮という高機能が使えない情報弱者な我が家は、回転寿司に寄ろと思えば90分待ち、しかし番号はあまり進んでいきません。パパも回転すしを今日食べたいとは思うけど、ここで90分も待って食べるのは時間の無駄だと思うし、そこまで待って食べるほどの価値がない思う、と協議開始です。

ドラえもん9個みて、90分待ってでも食べたい、という主張に、今日はたくさんAちゃんの求めにも応じてきたし、旅で疲れたから、家でママのご飯食べたい、家に帰って同じ90分使うなら旅で疲れた体を休めたほうがいいと思うと応戦しました。

じゃあなんでみんなはあんなにたくさんの人が待っていて、いっぱい待ってでも食べるのか、

平日は朝から晩まで仕事して、アプリ組もいるかと思いますが、中には休日はこうやって1時間2時間待って食事をする。安さを求めるだけならばほかにも選択肢はあり、あるいはこうして待っている人の中には日々どこかでクレームが発生すれば「人生の貴重な時間使っているんだ、どうしてくれるんだ」と時間の貴重さを訴えて吠え出す方もいろうかと想像し、しかしそのような人でも1時間はたっぷりスマホを見ながら待つのはなぜなのか。

「週末だから家族でご飯にいこう。おばあちゃんも一緒の家もあるかもしれない、兄弟が多い家もあるかもしれない。4人家族でご飯にいって、少しいいところへ行って一人3,000円かかったとすると12,000円となって一万円札が必要になる。ところがこの回転ずしだと一人2,000円程度で済むから千円札だけでご飯が終わる。」という仮説の一つは、ファミレスのほうが下手をすると安くすみますので、決定打としての論拠にはなりにくく、

休日はこうして回転ずしに並んでまで食べたい、という多くの人がいる、これが社会というものなんだよ、という事象が発生している事実の説明に留まるべきか、

そうこうして未踏ゾーンであるスシローを飽きらめ、たまたまあったカッパ寿司やくら寿司も溢れんばかりの人。ドコモやトヨタに納税し、私がドコモの社長であれば値下げに昇給を多大にしてしまいそうですが、それもせずプールや上納に勤しんで、しかし一方で納税者にソッポを向かれると、ダカールラリーで名をはせた三菱自動車も、ワークス一員なのか三菱石油も没落し、一票を軽んじる者は万票に泣くかのごとくな状況になり、時代の趨勢を思いながら、今このときや支持されている回転寿司やスシローを軽んじてはならず、

私にとってのプレミアムプラチナスペシャルゴージャスVIPエグゼセット来丼です。

これらは他方で見方を変えると「待ってでも食べたい」というお店を運営し、それが静岡も幼稚園の近くも、群馬やあちらこちらにあって、そういう経営をしているのもすごいね、と話してみると、

「お金があまりない人に見向きもされないお店もあって悲しいね」という社会へのあるいは経営への評も聞きながら、

「明日行こう」との約束通り、「ちゃんと回る」という条件付きのスシローへ昨日月曜日に行ってきましたが、早めの入店ですぐ入れたものの、平日にも関わらず17時半を過ぎたあたりからまた待ちの列。「みんなそんなにお寿司が好きなのか」という質問にどう答えればいいのか、

ここ最近、はま寿司、くら寿司、スシローという軌跡にてお店へ行った感想としては店舗による差異もあるかと思いますが「スシローが一番お寿司が美味しい」と思いました。我が子は「ペッパーいるから浜すし嫌いだけど、浜すしが一番美味しい」とメニューの豊富さでは浜すし、など好みで分かれるかと思いますが、

銀座本店のコースもたまに、あるいは頻繁にランチにて久兵衛殿に行っていたタームもありそれはそれで美味しい世界かもしれませんが「スシローで十分に美味しい」と思い、むしろ気楽にいけて、座ればすぐ食べれて、面倒もなく、美味しくて、

接待やら、特別なお祝いや、激減していくであろう同伴などニーズはなくならないと思いつつ、経済の斜陽合わせ、スシローのクオリティというものは街の寿司はなぎ倒し、これに留まらず多店舗展開している本来カテゴリー違いなはずの久兵衛、すきやばし次郎も倒していくほどに、回転寿司業界に留まらず、寿司業界のイオンあるいはユニクロごとくさらに業界激震か、と思わせる美味しさに思いました。

スシロー509店舗(売上1,729億、営業利益117億)
はま寿司505店舗(1,185億円)
くら寿司453店舗(同1,325億円、営業利益69億)
一店舗あたりに直してみますと、

(1店舗あたりの年商平均)スシロー3.4億、はま寿司2.3億円、くら寿司2.9億、はま寿司の無理な出店マインドが見えてくるように思いますが、スシローという強者がいる中に、ボディブローが今後効いてくるような気もしつつ、

「なぜ人々は並んでまでも回転寿司に行くのか」

「人はなぜ生きているのか」級に暗中模索で、これを知りたいという探求心を連れ立って今週末に届くクラウンに乗って、スシローに通うライフスタイルで我が子とともに、体で理解できるようになってみたいと思います。というように、感性を勉強する端緒や、部屋や公園ではしない会話をたくさんくれる車の旅にドライブ。

道中遠州森町でお土産のお茶も仕入れお気に入りの小山で体も動かし、お姉ちゃんと小一時間遊んでもらった記憶もある静岡SAなどでも遊びご飯もして静岡おでんもつまんでみて、この旅、オーラスは駿河の湯で旅の疲れも味わいつつ流し、またこれからも日々多くの会話をしていくであろうドライブを楽しみにしつつ、

TOYOTA三昧ともなった、一昧目FJクルーザーレンタル、二昧目FJクルーザー群との戯れ、三昧目トヨタディーラー立ち寄り、四昧目「FJクルーザー購入(電話注文にて確定)」、五昧目さなげアドベンチャーフィールド、六昧目プラドオフロード、七昧目ランクルオフロード、八昧目FJクルーザーオフロード、九昧目トヨタ博物館、

そしてトヨタ壱拾昧目「FJクルーザーでの旅」というトヨタ尽くしの旅。往復1,167kmをFJクルーザーの中で過ごしました。

この思い出も懐かしいと感じる領域に、きっとすぐに突入していくのであろうときの流れを思いながら、

「ランクルだよ」と目が行く車種がまるっきり変わった子供の影響をこの先も受けながら、

数年後の車種構成は基本維持か、大きく変貌か、若干変遷か、もしくは収れんかまだまだ分かりませんが、ホイール探しの日々は続きつつ、

リゾート日帰り温泉&スシローエグゼクティブツアーは当面増えそうな予感もしつつ、

この旅のあと納車となっていく今では私と家人、大のお気に入りとなったFJクルーザー大切にしていきたいと思います。

過日乗らせて頂いたAMGを「羊の皮をかぶった狼っていって、見た目は仏のようだけど中身がすごい」と説明しましたが「狼の皮をかぶったライオンでもいいの?」と、AMGのオーラぶりを思えばけして羊ではなく、こちらのほうが的確かもしれず、

バックファイヤーのような音を聞けば「自転車が倒れたような音がするね」と子供らしい表現とも出会いながら、

あるいは少し前の静岡旅行ではモーターボート(無免許可)を運転する機会にも恵まれ、この夏はどのような会話に体験になり、どのような思い出が残ることになるのか。

この頃はFJクルーザーが待ち遠しかった夏の中盤のようです。
つづく

Hちゃんも到着で大喜びの、

過日行ってきたグランピング。

人類の未来はこのような生活に帰着していくのではないか、

このトレーラーで十分生活できる、あるいは平日は平均よりグレードを下げたマンションで暮らし、週末はトレーラー+自然という生き方もかなりありではないか、

という素敵なひととき、また数か月後になるのか一年未満を目標にUPしたいと思います。

自由に気を使うこともなく、こうしてまたいでみる有難い環境も頂き、

年少登園動画を見れば懐かしさが花丸で、最近は登園降園動画を増やしていますが、FJのグラウンドポジションも見つけ、

朝目覚めるほどにどんどん少年になっていく顔つきをみながら、いよいよこのタームにてで見納めとなる夏服も始まりました。この業界を極める、と思いつつ、他の事業もしたい、と日々考えながら、お迎えにいき、

Gでの動画はこのポジションとなり、我が家の会長氏との本日の経営議題。1)回転寿司人気の秘密およびスシロー集客の要因、2)グアムで約束した事業について「総合して全部やっちゃおうか小学生になったら」を話し合いながら降園ドライブしてきました。

そして遅めのセレブ飯を食べていると、そうだ年末年始はアメリカへ行こう、NYへ行こうと思い立ち、これから調整可能か諮ってみたいと思います。