
2019年3月、まだあどけなさを思うも、動画を見ると悪い言葉も覚えていて、

「世界一大きいあじさいだ」と言っていたのを思い出す2019年6月の写真。

2019年同焼肉屋さんで待っているときの一コマも懐かしく、PCのHDDが空きました。外付けHDDへバックアップ×2、2019年分の写真整理がほとんど手つかずのまま、一旦格納です。データ転送に36万枚+動画があり、1回あたり8時間ほどかかりましたが、それだけ撮影し、共にでかけ、一緒に過ごしてきたのかと思い返ります。

ライカは何が違うのか、光や陰影のグラデーションを考えてみながら、勉強がてら一年前のKISSMで撮った数枚写真もいじってみながら推察を試みたりしています。

1年経って、そのお兄さんへの変貌ぶりに驚きます。前夜にみつけた天空の池「水なくなったかも」と朝の屋上チェック。水将軍ならびにあめんぼに慄き速やかに退却。

寝ぐせも愛おしく朝を過ごします。

カットもして、種も全部取ってくれ、私の分も用意してくれ、

子供の服も、私の服も毎日整えてくれるママの優しさを撮っておこうと一枚。

お見送りをして、

この日はママと中華を食べにいって、帰りは独りFUJI散歩。

暑くて公園は行かず直帰です。

我が家の坊主、帰って来ました。7月の初旬から5時間になるそうで、私の空き時間も確実に増えていきます。加えて遅れを取り戻す分、夏休みも少なめになるのだとか。宮古島ぐらいはいきたいものですが。近年の人気ぶりを思うと予約は難しいのかもしれません。

モノクロにレタッチしたり、モノクロで撮ったり、光の勉強中、そのつもりもどき。

最近、ブラインドを調整して優しい光が回り込むメソッドに気が付き、協力をもらい一枚。そのうち背景も整えて撮りたいところですが、そのうちといってやらないのが世の常と。

ベッドルームへの寄り道のあとは、

よっこら、

せいせいせい、

我が子が見つけた天空の湿地帯へ。

前夜に「はしご登ったところ行きたい」「いいよ」と行ってみれば「あっパパ水がある」「なにー」と退却し一日様子を見てみようと、翌日朝も水が引かない様子に午後になって「パパまた行ってみよう」とそして「まだあったら掃除しよう」と提案を受けて天空に来てみました。

天空の土埃を粉砕し、勢いよく排水業務成功です。

ドラゴンクエストの定義によると、天空人とは「夢の世界の住人の末裔である」とのことで、「うわーすげー水が流れてる」と眺め「あっKくんちだ」と見つけ、しばし天空人を満喫します。

さらに高いところを四発エンジンで飛ぶ天空人達を眺めます。

天空人、次は排水で流れ出た土の清掃業務現場へ入ります。

業後の天使は英語教室へ。

天空人見習いの業後のアフターファイブは光の勉強です。

この宵のお風呂は「パパが子供の頃の先生の名前シリーズ」質問でした。

すみれ組だったことも申し添えながら、もう今では60代後半ぐらいになるのか幼稚園の大好きだったみやがわせんせいの話しをして、

あとで写真見たいと、話は展開していきます。

お風呂からあがり、夜風に当たりながら今度は校長先生の名前を聞かれました。わだ校長先生くらいしか覚えておらず、

「俺の校長先生はね、頭にワックスつけて七三にしていて、眼鏡もしていて3つのはなの話しをしてくれたんだよ」

「なにそれ?」と「入学式のときに話てくれたんだけど」と説明がはじまり「一つ目の花がね」と続いたところで、「あぁ話ししてた」と私も思い出しました。

入学式での校長先生の話しをしっかり聞き、それを覚えていて偉いと伝え、校長先生も「そのような生徒がいてくれれば『心に花が咲くぐらい』とっても喜ぶと思うよ」とも説明しました。

そういえば作年末に仲間と〆会として夜に家族カラオケに行ったのですが、途中で抜けて外の空気を吸いに行けば、「CA風のおねーさんと飲めるイベント中のお店」にて店前に立つパイロット姿のお兄さんが呼び込みをしていました。

お互いに知っている顔なので挨拶程度の会話をして「なぜパイロットがいるんだ」という質問へなっていくわけですが、

先日、社へ行く散歩道でそのお店の前を通れば「あっパイロットのお兄さんがいたお店だ」とこれもまた節々覚えていて、改めて「CAと飲む喜び」とそれを求める男の人がいることを説明しておきました。そういえばJ社へ長年お勤めの方から応募がありました。零細へ求職活動が及ぶ、中の空気、その気圧が伝わってきます。

ばぁば亭に、既に稼働も履行したラジコン含むお泊りグッズも持って、英語のお迎えに行った後は、

「いいなぁ俺もKさんに会いたかったなぁ」と無類の人好きに育っているとこれも節々感じながら、会食のお土産にばぁばが買ってきてくれたうなぎを食べて、ママの分も届けて、

自転車のお兄さんと軽い接触をして転んでしまい、それも勉強と、消毒薬とバンドエイドで三等衛生兵が治療を担当し、

同隊員うなぎを辞退してあり、楽しみにしていた松屋殿のカルビセットお持ち帰りを買うのに付き合ってもらい、「とっても美味しいうなぎなんだけどさ、パパは安いこっちのほうが好きなんだよ」と説明しながらはじめて入る牛丼店に興味津々の様子でしたが、

これはメインミッションではなく、まだ帰るわけにはいきません。

当時39歳ぐらいだったのか、おじさん臭漂うSはもう少し歳を取ってから乗りたいと思っていましたが、子が生まれてから代車で来てハンドリング含め極上に気に入ってしまい「安全」を第一にも考えて購入した車です。言語の発達とともに「シロ」「シロクルマ」「白い車」「GLがいい」とGLのほうに乗りたがり、こちらは敬遠されてきた結果、なんとかせめて幼稚園へ行くときぐらいはこれにしてよ調に、消極的に幼稚園年少の頃には送迎専用車化していた、私にとっては感慨深く思い入れも厚い一台です。

「懐かしい音」「懐かしい匂い」と聞きながら「うわっハンドルかるっ」とS400がいよいよ引き渡しのときとなりました。

「車の趣味はぜんぜん違うよね」とママに指摘されるほど子には人気なくでしたが、私の場合は今まで乗ったどの車よりも運転しやすく、かつショートのS400は前後50:50でBMWにも引けを取らないハンドリングをもたらし、各所絶妙の味付けに大変気に入っていました。自動運転での大阪、名古屋も疲れ知らずな半自動運転でサポートまでくれました。

車検が切れて気づけば半年、バッテリーも上がっていましたが、またハリアーが息を吹き込んでくれエンジンもかかり、ローダーに乗せられていき、一部始終を見学し、

予定していたラジコンの時間、

並びに「大丈夫、泥が跳ねないようにゆっくり走るから」と自転車の時間。このときは自転車移動や引き渡しを思いフットワークの軽量を重視し、かつ夜間適用を考えEOSRPにEF50mmF1.4のセットです。F1.2と比べて0.2の差が、夜間のAFに大きな差を与えることを思いつつ、バッテリー切れ点滅もなんとかしのぎつづけ、

そしてお別れの時間。「ばいばーい!エスクラス!」と寂しそうに声をかけたのかと思えば、

見えなくなりそうになると「あぁ俺が一番嫌いな車がやっといなくなった」と、言ってくれます。何度「売ろうよ」「売れ」「早く売れ」「いつ自動車屋さん持って行ってくれるの?」と聞かれたことか。

矢継ぎ早に少し前はGL、直近はG、Sと三台のメルセデス殿が無くなり、無事に我が家のシェアトヨタ殿100%となりました。無論、とうとうラダーフレーム率も100%のランクル70、タコマ、FJクルーザー、ハイラックスサーフという珍事構成事態です。

車両売却費用は私の可処分扱いとして、事業投資へ回させて頂き、ここ数か月ママに借りてきて5ブロック分と合わせて、約6ブロック分が300%で回ってくれる予定で、ここ最近の新規投資分だけで二か月ほどで4×4分ぐらいは稼いでくるはずの計算ですが、毎度計算だけで戻って来る気配はありません。引き渡しの立ち合いも済んでこのあとお泊りにいきました。

カメラの稼働もめっきり減る我が子がいない時間を過ごした翌日の土曜日の日中、使っていないラジコンをさっぱりサバサバ無欲ママが可動可能チェックをしながら断捨離PJを1人もくもくとキックオフしていましたが「勝手に捨てない方がいいよ」と申し添え、四十肩からくる睡眠障害で精神的な疲れもあって、今のボリュームに諸々の感覚が慣れるまでは休憩がてら一旦事業成長も軽くブレーキをかけようかと考えてはいますが、

いやいやあと三乃至5ブロックほど7月に投げてみようかとも思案中です。さらに追加するやもしれずも合わせて最近の投下10ブロックとして4×4中古換算で約一か月分で賄えるではないか、ということも鼓舞にしてみようか、あとママから許可は出ているライカ分も、と思いながら、向上してきているFCF分と合わせた投下を消化できるのか、過ぎてしまえば何事も答え合わせは1+1のごとく簡単ですが、1秒先の未来は誰にも分かりません。そしてこれもこれも毎度計算だけで戻って来る気配はありません。レンズを探していてまさかしまい込んでないよなと思い、引き出しの一つをみれば、パパ同い年比で明らかに精神年齢が高そうに思えた中年は、

陰影階調の勉強です。

空いたHDDへ溜っていたカメラのデータをPCへ移行しながらの時間潰し、階調コントラストの勉強で撮ってみます。機種やレンズにより、どのような傾向があるのか、露出設定も相当に適当、雲がある晴天の自然光のみゆえ都度明るさも変わり、合わせてかなりの参考程度ですが、経験値を積んでみます。1DX+EF35mmF1.4

EOSR+RF50mmF1.2

α7R2+Carl Zeiss Milvus 1.4/50 ローパスフィルタレスゆえか白字に偽色が確認できます。EFマウントレンズゆえキヤノン機でもそのうち試してみたいと思います。

ESORP+RF85mm F1.2 L USM DS

A7M2+Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4 ZF.2

A6500+Sonnar T* E 24mm F1.8 ZA

A7R3+Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA これも偽色が認められます。しかも2色も。

EOS KISS X7 + EF85mm F1.2L II USM

FUJI X-T1+VoightLander ULRTON 35mm F1.7 Vintage Line Aspherical VM

そうこうしていると「20時にパパが来て」という指定の時間になり、ばぁばのところへお迎えの撮影協力。

「ここ立って」と光の境目に立ってもらい、次は「横向いて」と目線も大切な要素と知り、まずはやってみる精神で、

「もうちょっと左向いて」等、陰影の調整もしてみて、

これは難しい、しかし面白い、と一瞬のことですが協力してもらい研究です。これは蛍光灯の光なので、夕日でかつ木漏れ日が回ったような光の中の黒バックにてトライアンドエラーをしてみたくなってきます。

【のむたん先生写真塾】「
こうしなければいけな理由。CANON-1DX Mark III」というタイトルの1DX Mark IIで撮られた写真、やはりそこら辺のど素人は無論のこと、並みの写真家とは大きな川が流れるほど一線を画する写真に見入ってしまい、これをスナップでやってのけてしまうコミュニケーション能力、内面を感じさせる空気の作り方に、それを写真のためにこだわりしかし造作もなくやって、その世界で登り詰めるわけだ、と思いながらただただ草や雑踏を大量生産に撮るだけのスナップ、気持ちからして逃げているかのような隠し撮り街スナップなどと比して被写体からして、発想からして次元が違う、ということも思いながら、素敵に思い毎度参考にできていないながら、トライしてみました。

ちなみに野村様殿、草木もかなり抜けてすごみを思いますが「こんなかっこいいカラスみたことない」という【のむたん先生写真塾】
何か感じたらシャッターを切る。お腹空かしたカラスの視線を感じてシャッターを切った!!!感じて撮ると写真は大きく変わる!!!。同じように撮ってみたくなります。そして先般はF1.8、前日はF1.4の反省を活かし、EF50mmF1.2をつけてお迎えです。

のむたん先生写真塾の影響で、こうしてモノクロームにしてみたり、ライカにも興味が出だし1DX3も興味が強まり、しかし方々の作例を見るとライカはやはり以前に出した結論たる「子供向き」ではないという、システム環境ならびに描写との両面から思えて、気になるレンズだけにしてSONYあたりにつけるにとどまるか、

もう少し思案しながら、今ある機材もさらに使い倒せるよう、EOSR5も考えねばなりません。が、子の成長とパラレルに、使用頻度が減り、やがてはほとんど使わなくなる機材をどうするのか、これが悩みどころです。

アルバムに貼られたいくつかの航空チケット中には「JAL、座席がA1、A2って書いてある。ふざけやがって俺もファーストクラスに乗りたい」と言われたり「あっプロペラ機だ」「とうあこうくうって?」や私もよく子供の頃に連発して聞いた「これだれ?」とアルバムを眺めれば、今撮っている写真も40年後ぐらいに同じようにこの子の子が興味津々に見る日が来てもらえることを期して、それにしてはボリュームが凌駕気味ですが、我が親も方々出かけた先や公園ひとつ見ても、遊ぶ写真を何枚も撮ってくれており、こうしてみれば同じように撮っていてくれたんだと、40年を超えて気持ちがシンクロするようでもあり、

約40年の時を越えて並んだ我が子と私との卒園アルバムの自作な絵。「どうやらパパのほうが卒アルの絵はうまかったようだな」「そのようだね」と象の絵にかないませんが、数少ないそして唯一の戦績に数えたいと思います。なおあじさい組だったのは記憶から忘却でした。

以前に我が子より注意するときにつき「パパは言葉が強すぎるときがある」と注意されたことがある一方で、「パパはさ怒ってもちゃんと説明してくれるから怖くないよ」とこのとき前夜のお風呂で言葉をもらいました。

そして説明します「でもね小学校に入る少し前から、ちょっとだけ強い言い方にしようって意識しているんだよ。学校にはいろんな子がいるから、変なことを言われても傷つかないようにトレーニング。そういうのを耐性っていうんだけど、言葉や心のインフルエンザ予防みたいなものかな。ちなみに満三歳が過ぎるまでは一度も叱ったり怒ったことないよ。話してもまだ分からないから。」「ふーん、でも大丈夫だよ、俺そういうやつぶっとばすから」とお風呂をあがり、自分を思い出せば傷ついたことなどなく、同じように思ったものでそう心配はいらない様子ですが、己を守るために好戦的なそのような精神構造もとくに若い頃や経営者入門編は有用であるとも思い、

「幼稚園のときにね、パパが子供の頃みたいに命令したの真似したんだよ。「スコップ取ってこい」って自分が遊ぶために持ってこさせた」「相手はなんて言ったの?」「『了解しました!』って言っていた。あと物を盗んで来いって命令した」と秘密の暴露を聞いて、三つの話しをききながら、眠りにつきました。