
ママが自転車で最寄り駅まで荷物を運んで見送ってくれ、電車に乗り、

バスに乗り継ぎ、

この子が生まれるまでは意識すらしたことなかった一つ、ドクターイエローは、この新幹線基地で2回、旅先の名古屋リニア博物館から一回、神奈川圏央道あたりで一回の計4回見たことがあるのを思い出したり、

あるいは何度この子と羽田に来たのだろうと思いながら、

一泊目の宿泊地となる
羽田に到着です。

往路は飛行機、帰路は長丁場青森から車となるため、念のためしっかりとシートベルトがかかるよう、クッション製の軽量簡易型ブースターシートを持参です。
2024春休みの沖縄旅行で
泊まった以来2回目となるヴィラフォンテーヌ、チェックイン手続きをしてもらい、

一応の最上階が割り当てられ、景色を眺め、

一息ついてから、夕食へ出かけます。

帝国の中のトッドを見つめて、

パパのミスリードで間違えて一度モノレールの改札を入ってしまいながら、

羽田着の人々や仕事帰りの方々でそれなりに混雑していた京急で数駅、

エネルギーのリードをもらい、

スノーランナーというトラック系車ゲームに出て来る「デコトラって現実にはほぼ走ってないね。なんで?」「デコの意味は?」「飾り?」「そう、デコるには何が必要?」「お金?」「そう、昔はトラック野郎一番星って映画があったほど、デコトラにまでお金回すぐらいトラック運転手って儲かったからたくさんいたんだけど、今はそんなに稼げない仕事になっちゃったのかな」と話しながら、

「あれ、おかあさんは?」とお声がけもらいながらの、ご要望たる元祖ニュータンタン麺に来ました。
この日は麺をたくさん食べるとのことで、餃子は一枚。
今春沖縄旅行のときもここに来たのを思い出しながら、美味しい夕食を済ませて、「あそこでお客さんいるのなんて珍しいからびっくりしました」と言われつつホテルへタクシーで戻ります。

この運転手さんは「90分から2時間待って、近くのホテルまで」と言われ思わず表情に出てしまいお客さんに嫌な思いさせるぐらいなら、そもそも空港には着けない方針だそうで、色々な考え方、やり方、戦術があるのだと知ります。

この夜はスノーランナーにご執心ですが、帰路ではゲームやyoutubeなしを約束しての旅となっています。温泉に入り、最近はまっているサウナにも付き合い、布団の中で「給食のカレー話し」とかあと何を話しのか忘れてしまいましたが眠りに就きぐっすり寝て、

でも寝足りない、朝5時半過ぎ。私はこっそり朝風呂をもらってきましたが、着替え分等、自分で圧縮袋から出してまた真空にするまで手慣れた様子で整えて、

「幼稚園のころはどんな寝癖があっても、一切気にせずそのまま堂々としていたんだよ。それもまたかっこよくてさ」と話ながら、ちょっと寝ぐせが気になりつつ、

お風呂上りに二人で飲んだ牛乳の清算を伴うチェックアウトをしてくれて、

ターミナル循環バスに乗って、まだ人が少ない早朝の羽田第一ターミナルへ向かいます。

旅先でお風呂をあがるとき、まず我が子が先に粗拭きして、次にバスタオルへ向かい本拭きをしてもらう手順のため、脱衣所へ先に行かせて私はあとから出るのですが、備え付けのバスタオルがあれば、それを持っていて待ってくれたり、この日もサウナで肩もみしてくれて、背中は洗ってくれて、最後は体を拭いてくれてまでして、なんとまぁよく出来たせがれだと思う次第です。

搭乗フロアのエスカレーターを降りると、朝早くにお弁当を売っているかどうか分からない売店までちょっと距離があったので、荷物を置いて「パパがお弁当売っているか見て来るから、ここで荷物見てて」と、先行して私がお弁当を買い、

次に我が子が買いに行き、

「焼肉弁当にした」とお弁当を買ってくれば、あれ?と思い、

何も示し合わせていないのに、2人でまったく同じのを買っているから笑えます。

「小さいなぁ」「青森は需要が薄いのだろう。新幹線もできたし」と搭乗する機材を眺め、

スイッチを充電しながらスマホをしていると、

あっという間に搭乗時間です。

機体へのボディタッチといういつもの儀式もすませて、乗り込みます。

手慣れた様子で自席を整え、

前はほぼ閉めた日よけと窓の間に挟んだiPhoneで動画を撮っていましたがそれはしなくなり、

誰しもが毎度思うであろう、よくもまぁこれだけ作ったものだ、という感想とともに上空へ。

安定飛行に入ったところでwifiも自分で繋いで、

朝食の時間。
前日手配で窓とその隣というセットが最後残っていて取れて、並んで座れました。

数年前にアウディ引取へ
羽田から山形空港までのフライトでは、別々の席に座ったあの機内、数列前にCAさん目の前でちょこんと終止いい子で座っていたあの光景、を思い出しながら、鳥海山を眼下にあっという間に到着です。

この数日前に「飛行機乗りたい」と言っていたので「そうだ!」と思いついたこの旅、「あぁスープ楽しみ」とも言っていたのですが、途中揺れが大きく機内サービスが早々に中断されてしまい「飛行機乗りながらスープを飲むのが楽しみで飛行機乗ったのに・・・」「また次回を楽しみにしよう」と残念に思っていたところ、頂戴できるもう終盤か飛行機の子供用模型とともに、CAさんが「何か飲みますか」と聞いて下さりスープをくれました。最後尾でゆっくり頂きながら降機します。

青森寒っぶ。気温は13度で、この日の東京より10度近く寒い気候。

目的地は新青森駅ですが、ネットでは空港新青森間連絡バスの記載がありましたが運航休止になったのか、案内で聞くとダイレクトにはいけないようで、

20~30分ほど待って、青森駅行きバスに乗りました。

青森駅で奇跡の運転手さんに会います。

すれ違う女子高生ぐらいの二人組へ「新青森はどのホームから乗ればいいですか」と聞いたところ「秋田方面です」と教えてもらい、もう出発しそうな様相だったので走って駅舎端まで行って秋田行きのホームへ階段を降り始めると、階段を登ってきた交代後の運転手さんが「新青森は大館行きですよ」と突然のいきなりお声がけ下さり教えてくれ「新青森行きたいのですが」と念のため確認すれば「大館行きです」と、なぜ分かったと思い、あとで見ればどちらでもいけるであろう中に、早く出発するほうを教えて下さったのか、女子高生も正しく、またわざわざ気遣ってお声がけくれた運転手さんも優しく、青森の温かを思い、

「何これ、自分で開け閉めするの?」「青森駅はまだ都会だから車掌さんによる自動だけど、もっと田舎に行くと乗り降りする人少ないから、冷暖房の効率をあげるために自分で開け閉めするんだよ」と、あやふやなしったかで説明し、
電車に乗って、新青森駅に到着です。

昨夏、我が子がママの実家に行っていたときに山形経由でみちのく一人旅をして、この新青森駅が道中一つ宿泊地となり、

この辺りを散歩したり、乗ってきた電車も撮ったりしていましたが、こうした位置関係で走っているのかと知ったり、

まさか我が子とここに来るとは思わずで、

つのだじろう氏の画風を感じつつ、ねぶたに負けないような表情で一枚撮って、

新青森駅周辺、昨夏何周か練り歩いたのでトヨタレンタカーの場所も熟知していて、スムースに5分遅れで到着です。

ここ最近、ママから「しなくていい往復」とか「暇つぶし大変そうですね」と言われながら、
東京←→大阪、
東京←→京都、
東京←→静岡と、トヨタレンタカー片道goを、行った先で帰りも(できるだけそのまま同じ営業所から)乗れるように予約して、往復goにして遊んでいるのですが、

「片道goで暇つぶし東京青森間一般道往復PJ」を企てていたところ、そうだ飛行機乗りたいって言ってたし、片道なら子供に負担少なく、週末を使ってささっと一緒にいけそうだと思い、声をかけてみたところ「行く、行きたい」と相成った運びの旅です。

この日は5/25でヒカキン味噌ラーメン発売の日。しかも発売時刻10時を少しすぎたぐらい。「セブンあったら寄ってよ」と言われていたのですが、ファミマに寄るパパ。忘れてました。ごめんなさい。でも後日ママが都内セブンで2個ゲットしてきたので、助かりました。

ナビチェックをすると大間は往復6時間で諦めて、じゃあってことで「煮干しラーメンと煮干し+背脂ラーメンどっちがいい?」「煮干し背脂がいいかな」というので、我が子にナビを入れてもらえば「うごっ3分かよ」という近さ。時間はまだ10時半ながらお店はやっている様子で「どうする?」と協議するも、食べようということになり向かいます。

そして「中華そば ひらこ屋」さんに到着してみて、驚いたのが10:30過ぎで3人待ちでした。もっと驚いたのが営業が朝8時から。

もうじき人間関係が20年となる、青森出身の元キャバ嬢現お姉様から教わった、ラーメン店。「Sはパパの友達でさ、もうじき20年ぐらいの付き合いになるかな。その人に教えてもらったお店だよ。」「どこで知り合ったの?」「夜のお店だよ。当時キャバ嬢。そういう人間関係もあって悪くないものだよ」「うん」「ここ青森出身で、東京で働いてたけど、東京を通り越えて、今は南国に行っちゃったよ」「なんで?」「東京に疲れたんじゃないかな。かと言って青森だと仕事がないのかも」とそのままを小学生の我が子へ会話しながら、3人待ちをします。

他のラーメン屋さんや、同級生が経営するお店、親族が経営するお店も教わっているのですが、どれも4.2以上の評価みたいな感じで、それもすごっと思いながら、営業時間がディナーのみ等あるので、次のタイミングでまた行こうと話しながら、

「なんだろうこれ?、たまねぎかな」「脂じゃない?」と我が子のほうが理解力があるようで着丼し、
自分で写メで撮っていました。私はプラスしょうがを頼みましたが、

「これを食べることを目的に青森ドライブも有りだな」と思うほど、美味しく頂きました。細くて丸い手延べうどんを想起させる麺で好き嫌いが別れる一つかもしれませんが「これなら東京で勝負できるどころか、いい戦いができるだろう。東京のそこらへんの有名店より美味しい」と思う味でしたが、東京を一度撤退しているようで、甘い世界ではないというのを思った次第です。が、美味しかった。

次の目的地「三内丸山遺跡」が近そうなのでスマホでナビセットを整えてくれている間、

この他にも止まっているのですが駐車場の偵察をしてみると、仙台、埼玉、福島以外の三台はオール青森ナンバー。地元に愛されているお店のようで、私達が頂いている間に外まで合わせ8組待ちぐらいになっていて、おいおいまだ11時過ぎだぞ、と青森人がどれだけラーメン好きなのか驚嘆し、

次の目的地、三内丸山遺跡に数分で到着です。

50年近く生きてきて初めて来る場所。そうそう来ることがないわけで、ましてやこの子と一緒に来ることはもうない場所かもしれないと思って、大切な時間と認識して周ります。

思いの外、竪穴式住居や土器など、あれやこれや興味津々に見ていました。

「6,000年前にこうしてここでコミュニティがあったんだな」と簡素な説明だけ試みていると「わぁ縄文時代の住宅展示場だな」と斬新な切り口をもらいます。

「ここはミサワだな」とか、右手に見えるもう少し簡素で小さい竪穴式住居を覗けば「ここはタマホームだな」なんていいながら、

あと臭い臭いを連発しつつ、家づくりなこのタイミングで見て思ったのが、

「うわぁ軸組なんだ」です。車輪と同様に、なんたるに古い歴史な軸組工法。

柱と梁があって屋根をかぶせ家を作るという基本形が6,000年前からここまで形になっていたとは、と思いました。しかも「縄文尺とも言うべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性が考えられる」そうです。現代の今、私ではこれらを作れず、そのような知恵もなく、あるいは整った部材と道具をホームセンターで調達してDIYするより品質がよさそうで、縄文時代当時の叡智に敬意を深めます。

あれは高床式倉庫で虫が来ないようにしたり、風通しをよくして腐りにくくする知恵だったそうだ、

ここにこんな太い柱があったことから、

敵が来ないか高い所から確認していたのか、ああいうのがあったと推測されているんだって「見張り台?」と要約と語彙に負けて、

あれは村役場とか村長の家だったのかな。他にも縄文時代のゴミ捨て場などを見たりして、
つづく