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ドライブへ行こうのブログ一覧

2020年10月10日 イイね!

思わぬデジカメ祭りとまさかの四連日な彼女。|立体感は収差が作るは本当か(イントロ)。

思わぬデジカメ祭りとまさかの四連日な彼女。|立体感は収差が作るは本当か(イントロ)。








寝る前の夜に、光の玉を出しながら彼が撮っているのは、



LX買う気満々度合いも伝わって来る「宝物その配置」です。仲間の姫が来るにあたりお宝保護の観点から一旦撤収するようで、のちの再現性を担保するため記録しておきたい考えのようです。ちなみにLX1/18モデルの背面にはアロンアルフアでタイヤが装着され改LXとなっています。そしてデータを拝借してこうしてみれば水平がなかなかに取れています。




そうして朝が来て、雨の送り出しをしたあとは、




カメラを被写体にして、




カメラで撮って、




カメラを使う。公園も行き飽きて、「老人の散歩みたい」と言われようと「ただいま。巨匠帰りましたよ」「クリエイター只今帰りました」「は?」と言われようと、それでも日課として続けようと思ってはいますが、雨の日はカメラとレンズが痛むので、我が子がいないとなお更に使う先がない雨の日のカメラ。




と思っていると、まさかの四連日目、彼女と一緒に帰宅です。「はい並んで。もっと横で二人同じところで並んでよ、お願い」という懇願は聞き入れられず、雨の室内SSを確保しながら、二人にピントが合うようにと多少は被写界深度も確保したくF2.8にするも、最短撮影距離を割るほど「ぐいっとディスタンス」。しかしそれがまた近づいた心の距離感を表しており、嬉しくも思うところです。






こちらが初日。そとに出てみれば女の子達と帰ってきて、そのうち一人のMちゃんが他の女の子たちに見送られながら、お泊りするとフライデーの瞬間。ぼかしても照れている表情が伝わって来るほどです。




「お泊りしたい」とママにメールを打っているところ。




こちらが二日目、散歩から戻ってみると、公園にいるとのママからの共有でカメラを持ち替えて駆け付けたとき。




こちらの写真が外に見に行ったところに丁度来た二人、来宅三日目の下校時。我が子のランドセルを預かり一旦送って親御さんの許可を取ってから来るように促しました。この前日から妻を「おかあさーん」と呼ぶようになり、私は奥で御暇していると「おとうさーんどこ?ここにいたんだ」でしたが、四日目からは「パパ」「ママ」と呼ぶようになりました。間合いの詰め方コミュニケーション力、相手の肩に力を入れさせないブラックベルトに感じます。この日は水泳があるので密会は短めとなり、






四日目に戻りますが、我が子が「宝物を壊されたくないから一旦これを避難させておきたい」という趣旨を話すと「よし、じゃあAちゃん手伝うよ。一緒に片付けよう。はいこれ持って行って、次はこれ!Aちゃんはやく次!」と、漢字も使って泊まりたいメールを親御さんに打つぐらいのしっかり者な上級ハイパーおませさんの采配ぶりに脱帽します。





「妹(分)と遊びたい」と言ってくれこの日来てくれましたが、親御氏からはハイブランドケーキやこの日は高い和菓子を頂いてしまい、気を使わせてしまって申し訳なく思うところです。せっせかと二人の二人三脚でお宝は書庫へ格納されていきます。久しぶりにお宝の一つを借りてコンデジ PowerShot G5 Xで撮ってみれば、「おぉこんなに」とそのボケようと精細な描写力に驚きました。





あったあったデータが欲しかったコダックのデジカメ、「この箱ほしい」「いいよ」と所有権が移転したライカの箱に仕舞われていました。



埋蔵も済んだあたりで、チャンバラしたり、




ハーモニカの披露を頂いたり、はいいのですが、どこか若い二人が同棲や新居の用意をしている光景に先取り特権的に見えてきて、ほんのり寂しい気持ちが先行予約されながら、





刺激を受けて、協奏曲が始まったり、




もう一本ギターを出すも、単独ライブになってしまったり、




カメラもとっかえひっかえしながら、専属カメラマン兼付き人修行をさせてもらいます。




そうこうしていると仲間の姫も到着しました。この日は夜までお預かりする予定です。




二段ベッド簡易ボルダリング的にノーハシゴな登り降り、始めは恐る恐るで私も安全の確保を万全にと考えていましたが、子供達はなんでもあっという間に慣れていきます。無論、三歳になったばかりの姫は、危ないのではしごは至近距離から手を近づけて緊急対応できるよう待機しながら付きっ切りで見守りますが、上手に何度も登り降りしていました。万が一に備え、危ないものは排して、クッションも敷いて環境も作りました。




テントの視察もして、






それにしてもおねえさんです、面倒見がよいこと、手を繋いで階段も上り下りしてくれて優しいことに感心仕切です。



撮ってみたいというので、ライカデビュー。




いつの間にかさっと片手で撮るようになり、しかも様になっており、そしてこのあたりからデジカメ祭りが開催されていきます。




私も私も、とデジカメ祭り絶賛開催中。




合間にPCで仕事をしていると「パパー」「パパー!」と二人の女子が二階のほうから呼んでくれ、行ってみれば撮り合って、





またPCで仕事していると「パパーきてー」「パパーきてー」と今度はもう少し遠くから声が聞こえてきて、有難い時間を過ごします。「こうしてまた一つ、そしてまた一つと離れていくのか」と将来彼女が出来たり結婚したりする頃も想像してみて、寂しさに輪がかかって思っていた彼女ご来宅の初日、二日目は遠慮して散歩に出かけましたが、3日目は長い散歩も疲れてしまい、家で一緒に居たり、公園で一緒に遊んだり、話したりすれば、私にとっても幸せで楽しい時間が訪れるようになりました。重ねて有難いことです。




かくれんぼ30数えて「まーだだよ」と言われているとき。小2で引っ越すという段取りで考えてきておりますが、小1も折り返せば、友達の来宅も増え、家に求められることが変化してきており、先々の行動様式、趣味趣向も変動していくことをシミュレートもしてみながら、子供達が高校生ぐらいになっても楽しく過ごせるゲスト用の空間があるような間取りがいいと思い始めていると「パパ、これぐらいの部屋で頼むよ。学校の近くね」と言われたりしながら、少しずつ探してはいますが、狙っていたところは何年も庭の手入れが行き届いているとは言い難い状態で、動いたところを見たことがなかった塗装もくたびれた野ざらしの日産ノートが置いてありましたが、最近テスラをご購入され植木屋さんを入れながら車庫入れしているところをたまたま通りかかり、まだまだエネルギーを感じこれは縁がなさそうだと、焦らずいい出物を待つことにしたいと思います。




「はい、みっけ」と17:30、ここで我が子の彼女は延長を二回した約束の時間となり帰宅でママがお迎えにきました。またいつでも来てください。大人であろうと、子供であろうと、辛いときもあるでしょう、居場所、拠り所になるのであれば、そうでなくとも楽しい時間がここにあれば、いつでもどうぞと思い。



撮影距離も絞りも露出も構図もすべて相違の適当ですが、絵作りの雰囲気だけでも違いを見てみようと思い、

FE35F1.4+α7R3 仲間の姫と二人、夕食の時間とします。
 



フォクトレンダーウルトロン35mmF1.7+ライカM10-R どうでしょうか、絞りも露出も異なりますが、テーブル天板や髪の様子を見るに黒の作り方とコントラストが僅かに違い、テレビ下の影の色や右後ろのカーテンを見ると極わずかにライカは緑がかり、ソニーは暖色系に振っているかな、というこれら以外は、肌の色は女の子のおでこあたりで比較すると僅かにライカのほうがピンクっぽく、その他は服の色含めほとんど同じかのように色合いが似ているように見えてきます。





EF35F1.4Ⅱ+5DsR



EF35F1.4II 一時期は常用していました。このレンズもやはりよいと感じ、




EF85mm F1.2L II +5D3 収差が多いオールドレンズ的な写りがするレンズですが、これもいい、と主にコントラストの作り方と、影の出方を見てみたいと思いましたが、





1DX+otus85 「立体感を出すためにあえて収差を残しています」と技術者の方が公言しているメーカーがあり、私はそれに疑問符を持ってみています。そこには光のことが触れられていないからです。条件が分からないのに、一律に特定の収差が立体感に影響するとは、若干暴論と表したら言い過ぎか、あまりにも写真を構成する他の要素に言及されておらず、誤解を招くのではないか、と言ったほうが適切か、その方は写真家としても優秀であると付されつつの方のようですが、光学的な技術者目線だけになってしまっていないのか、と考えてみるために懐疑的に見てみるのも一考かもしれません。





RF85F1.2DS+EOSR5 立体感を考えるときにまず大きく二つに分けて考えることが出来ると思います。それは三次元における立体感と二次元における立体感です。そしてこれを対比させながら、1)広義における空間認識能力、2)人は何でどうやって立体と認識するのか、3)眼球収差のアプローチ、4)脳における立体感の情報処理と認識のアプローチ、他にもあるかもしれませんが、取り急ぎ的にこれらにポイントを置いて当たりをつけてまずは雑に考えてみた上で、論文をざっと乱暴にですが読んでみました。




7D2+135F2 2次元においての立体感とは「影」と「奥行きを感じる線および線の重なり合い方、または物体の大きさの認識」よって作られ「ボケ」はこれを補強する。とまずは急場的ですが定義してみて、




D810+85 三次元において人間はときに触ったり動きなども含めてもっと多くの情報を脳で処理して立体を認識しますので定義するのは三日は考えないととも思いますが、二次元の立体感その理解を取り急ぎ進めるために、仮で一部だけ取り上げて「距離と眼球収差の関係性」と「影」によって作られる。と仮に仮定的に考えてみました。





「お風呂楽しかったー」と水鉄砲などで遊んで長風呂を過ごしました。我が子も「誰だお前は」に変身したのを懐かしく思い出しながら大笑いが止まらない楽しさをくれました。




多くはざっくり割愛しながら飛躍しつつですが、レンズの収差は三次元における眼球収差を疑似的に調整しようと試みるものである可能性があり、写真として考えた場合、レンズの収差が立体感を作る、というのはどちらかといえば機材頼り論としてあぶり出されてくやもしれず、他方で共通項は「影」ですから、二次元に落とし込んだ時も立体的に見えるよう立体感ある影を作りそれを正確無比に収差なく写すことは、立体感を感じながらかつ、センサーと被写体の間の空気感も作り出すことになる、とさらに話をワープさせつつざっくり話を進めますと、




結論として「収差あるレンズは、収差により影を疑似的に僅かに輪郭線に強調してコントラストに資するときがあり、これを恒常的に立体感ある写真を形成しやすく」ともいえ、「収差ないレンズは、画素または粒状単位で輪郭線における疑似的影である特定の収差がないゆえ、立体感を作る影の存在を前提としないと平面的になりやすいが、影があればむしろレンズ収差に頼る立体感よりも澄み渡るクリアな空気感ある立体感を作られやすい」と、このようにすべて即席の推察であり考察を多角的に重ねてない中ですが、整理と定義をできる可能性を感じてみました。




姫のパパがお迎えにきて、近々お泊りに来ることも楽しみにしながら、あとは寝るだけの我が家になりました。M10-Rのレンズもアポズミ50に戻して、



こちらはRF50F1.2+RP最近の寝室配備機。 部屋の電灯その光が、このオレンジ色のテント内で拡散し中全体がディフューザーのようになりのっぺりカメラ泣かせになるのですが、いろいろ撮ってみて、この一種の極限的な条件の場合は唯一キヤノンだけが正確にいえばRFレンズが最も立体感を作ってくれます。直線が速い車、コーナーが得意な車があるように、それぞれ得意な分野やより力を発揮するケースが違うのだと思いつつ、





金曜日15時、英語前。ライカの練習をさせてもらう時間。露出ばかり気にして背景があれですが、




露出をいろいろ試して、露出ブラケットがあることも知り、方々少しずつ慣れてきました。




英語後はそのままばぁばお泊りにて不在のため、夜はライカ練習をして過ごしました。





レンジファインダーでピント合わせの練習。等倍拡大で確認。まずはカップ右の淵を狙って、




「電子ビューファインダーが必要か」「それならSLでも、いやここはM型にこだわりたい、そして接眼して撮りたい」と電子ビューファインダーもネットでだいぶ見てみました。






今度は淵の前面を狙うも少し後ろにいってしまっており、レンジファインダーのみでのピント合わせ本当に難しいものです。しかし手振れはだいぶしなくなってきました。背面液晶を点けていると、シャッターが開いているところから一旦閉まるというプロセスが入るため、シャッターが切れるタイミングが遅れることが分かり、このワンテンポ遅れるのも慣れてきたところでしたが、撮りたいという一瞬としてはかなりタイムラグがあり、電子ビューファインダー稼働時もこれと同じ状況が生まれ、一旦今は液晶を消して、よりリニアなシャッターのタイミングを享受してみて、当面レンジファインダーでがんばってみることにしました。



(立体感とはなんぞや)


姫が帰りに父親の車に乗るやいなや「楽しかった。ご飯も美味しかった。カメラ買いにいこ」と言ったそうで、相当にカメラが気に入った様子に、一つプレゼントしようと思い仕入れてみました。おそらくはレンズがせり出たまま一度や二度は転んだりもするであろうということで、「Leica」の文字が入った2010年頃のパナソニックコンデジ、を選んでみました。




(明るさを僅かに変えてみたり)

グレートーンの美しい階調だけでなく、例えば立体感とはなんだろう、そのようなことをもさらに踏み込んで考える機会をくれたのはLeicaです。



(コントラストを極わずかに変えてみたり)

二次元、ここでは写真における立体感で考えれば、それは光と陰影の関係性に最も依存し、次いで主たる被写体と背景との関係性やレンズの性能、画像エンジンの趣向が関係してくることもあろうかと思われますが、それらは依存度としてはその割合は僅かなものであり、




(光の当たり方を順光からサイド光に変えてみたり)

この点、写真を勉強するよりも、イラストレーターのほうがダイレクトに立体感や遠近感を出すための勉強を具体的かつ実践的に詳細に学ぶ機会が多く、と知り、写真の参考になるやもしれないと思いました。



(絞って輪郭をもう少しはっきりさせてみたり)

ダビンチ氏は立体感をどう考えたのか、というあたりも勉強してみたり、非常になかなか楽しく過ごせます。どうでしょうか、最初の一枚よりは立体感が出てきたのではないかと思います。



(背景を変えてみたり、立体感を探るイントロのイントロドン)

和風公園散歩につき「老人みたい」「老人のような生活だ」と家人から言われているところですが、最近「俳句」をはじめてみまして、考える、夜の比喩、カメラ探求これの言語化などどれも言葉遊びも合わせ持っているところ、これに17字で多くを言い表す制約が楽しく、それを家人へ伝えみてみれば「老人一直線だね」といわれ、合わせ買い対象品数百円の買い物をアマゾンでするにあたり「アマゾンで何かいる?」と問われれば「ライカ バリオで検索して、出てきたの頼むよ」「は?」とやり取りする10月来週はもう半ば。




ライカが考える機会をくれた立体感とはなんぞや、




それもまたライカを知る手がかりとして、この先も探求する遊びに興じてみたいと思います。




そして本日まだお泊りから帰ってこず、暇すぎてすることもなく。


Posted at 2020/10/10 16:49:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自宅にて | 日記
2020年10月06日 イイね!

適当すぎる雑テスト( Leicaがくっそ難しすぎる件)|はじめての彼女来宅|Leica M10-R + APO-SUMMICRON-M 50 mm f/2 ASPH|otus |RF85mmDS 

適当すぎる雑テスト( Leicaがくっそ難しすぎる件)|はじめての彼女来宅|Leica M10-R + APO-SUMMICRON-M 50 mm f/2 ASPH|otus |RF85mmDS 











普段つけているレンズを付け替えるのを面倒がっての画角違いですが、

RF85DS(EOSR5)




ZEISS otus85(1DX)





APO-SUMMICRON-M 50 mm f/2 ASPH(Leica M10-R)と子供撮り以外の遊びカメラで最も気に入っているトップ2セットをモデルに召喚して撮りました。




それぞれ左端にあたる「KON」の字あたりにピントを合わせたつもりです。

RF85トリミング。何枚撮っても、手振れ無しでびしっと楽勝に決めてくるEOSR5に現代の進化ぶりを見て、かつ他の二枚と比べて「DX」の「X」がしっかりと残っていることも脱帽しました。加えて別途逆光の葉っぱその葉脈を比べてみたのですが、現状はRFレンズとRFシステムが結果として断トツの解像度だと理解しています。1億画素時代が到来すれば軒並みメインメニューがいれかわっていきそうではありますが、現状解像度はISO800程度までの条件でα7R4と135mmF1.8がRFを上回ることが見込まれ機会があれば仕入れてみたいと考えています。一方で同ソニー番長セットは小口径ゆえ直前で大きく光を曲げなければならないことでフリンジなどの偽色は出やすいものと推測されます。





otus85トリミング。極わずかにブレがあるようにも見えますが、形状や安定に資する重みとバランスがよく比較的安定して手振れに関して歩留まり高く撮れました。「DX」の「X」が白飛びかけている真っ最中という感じです。これは画素ピッチの大きさが原因であると推察してみました。トリミング写真上部のアダプターピントリングあたりに目を凝らしてあるかないか程度の偽色が確認できます。







アポズミクロン50トリミング。首にかけたストラップをピンと張ってテンションをかけながら20枚ほど撮りましたがどうしても手振れしてしまいます。「Nikon」の文字を見るに「これは大丈夫だと思うんだけど」というレベルでこれが一番まともな一枚でした。というほどに高感度も弱い(ライカらしさを十分担保するにはISO800が限界に思い)という中に、室内など十分な光量が確保できないところではSSを上げにくくボディ形状と相まって結果として手振れしやすく、しかしあとあと分かって来ましたが、レリーズボタンを押してからシャッターが切れるのに「余韻もお楽しみください」と言わんばかりに一間あり、加えてホールドと合わせてこれに慣れてくれば多少は歩留まりが上がることを期したいと思います。



ここまですべてF2、ISO800、SS125
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偽色につき、RFは皆無、otusは極僅かに、APO-SUMMICRON-Mは目立ちました。Leicaとotus相手にこれはCANONが大健闘以上と素直に大きく評価してもよいところのように思います。しかも三本中もっとも安価です。近々RF50、otus55、FE50、APO-SUMMICRON-M50、SIGMA ART50あたりでやってみたいと思います。画素ピッチと「DX」周辺における飽和の関係性をみるに2000万画素の1DXが飽和に向かっているのは画素ピッチが大きいからと考えると、高画素のM10-Rの飽和はライカにおける増感アルゴリズムの技術的遅れが原因だと推察します。なお三本とも保護フィルター(Leicaのみ純正の)を装着してあることを付記しておきます。



下記3枚はF2絞り優先のカメラ任せ。

RF





otus




最短が遠いライカは若干トリミング、というように、画角も違えば、最短の相違もあり構図や微妙なアングル違い、マシンの世代もそれぞればらばらと、適当すぎるテストですが、尖っていそうなこちらのカメラ、慣れながら少しずつ方向性ぐらい見えてくるかもしれないと、暇を持て余していると、






そろそろ我が子が帰ってくる時間かと思い、外に出てみれば、女子を5名連れ立って、そのうち一人の「Mちゃん泊まるから」と帰宅してきました。ちなみにMちゃん、自分の家を過ぎて、学校から倍近い距離を来てくれました。






いきなりさすがにお泊りはないだろうと思いつつ、1人男の子はお泊り予定形成中ですが女の子が男の子のお家にお泊りもまずいのではとも考えたりしながら、寄り道していることを心配ないように親御さんへ連絡して、遊んでいくことになり、




電話が終わった後に「自分で泊まること話したい」からと妻にスマホを貸してほしいと願い出ているガールフレンドMちゃん。慣れた手つきで自分のママへ電話して、そのあとメールを漢字も使って「おねがい。本当におねがい。1日お泊りさせてください」「土曜日は1日お泊りします」と2通打っていましたが、諸々各所驚異のおませさんです。






パパがいないほうがいいだろうと察し、強制散歩で出ることにしました。ちなみに写真の世界では「レタッチの是非論」みたいなものがあるかと思いますが、これを笑止千万とあざ笑い失笑する方々がいるはずです。そう毎日顔面レタッチしている方々です。





「私〇〇君のメガネしていない顔も好きだよ」と言われて、本当の僕を好きと思ってくれる人なんだと舞い上がる男性は、冷静さが必要かもしれず、そう言っている女性は多くがメガネどころか毎日画伯級にがっつりレタッチです。





そう考えてみれば、紅潮して「レタッチはするべきでない」「レタッチはするべきだ」と交戦しあう男性が真面目に思えてくるから不思議であり、または化粧している女性という存在は好きなはずの一方で、レタッチはだめだよねと言っていることは矛盾しているかもしれず、




女性を敵に回しそうな表現は慎むべき所業でこのへんにしたいところですが、いいたことは男性はもう少し冷静になったほうがいいケースが散見されるというような気がしなくもないことです。






とはいえ本能から来る高揚感で実態が見えにくくなることは、オールドレンズの曇りのように優しい幻想的かのような味なのかもしれません。









我が子も嬉しそうにMちゃんのランドセルを持ってあげていましたが、冷静に冷静に、と言い聞かせて丁度いいくらいの塩梅その輪郭がやっとぼんやり見えてくる程度のような気もして、若い頃は頃を避けるのは難しく、そして楽しみでもあると思い返すところです。




あとあと「あぁ彼女いるやつだー」といじったりしてしまいましたが、おじさんがあんまり茶化しているのもよくないので、早々に練習でライカのセットを持って散歩へ行くことにします。





トリミング。外で使えばSSを稼いで止められそうです。




シールの部分を等倍トリミング。合焦部分は文字を1ピクセルも滲みなく収差なく鮮明に結像し解像しているだけでなく、文字の退色や劣化までも正確無比に表現している弩級レベルといえるのかもしれません。「ホンダ」の「ホン」は薄くなり、「タ」は半分だけ濃さが残り半分は退色しているところもしっかりと描いているのが分かります。



上記ニコンのレンズを被写体にしたときに気になった偽色。 APO-SUMMICRON-M 50 mm f/2 ASPH条件によってかやはり少々APEあたりに偽色が出るようですが、真骨頂の真髄はそこではないのでしょうから、気にせず使い込んでいくことにしたいと思います。そしてさすがの解像力であり、被写界深度外におけるくすんだ塗装の状態や材質感の表現まですばらしいものがあるように思います。







レンジファインダーのライカM型はレフ機や通常のミラーレスと各所感覚を変え、考えも変えていく必要がありそうです。たとえばこの縦構図を撮るにあたり、左手でレフ機のようにピントリングを回そうとすればレンジな「ファインダーから見えるのは自分の手だけ」になります。ファインダー前に手が来ないように、フォームも変えていかねばなりません。






そしてこのカメラは「カメラのエベレスト」かのごとく、まだまだ各所難所だらけです。





まずそもそもピントをうまく合わせることができません。基本のきからして、激ムズというカメラです。そうやすやすと撮らせてくれません。マップカメラ:レンジファインダーピントの合わせ方




視力低下、老眼、乱視どれか一つでも当てはまったら、ファインダーを覗いてのガチピンは潔く諦めたほうが無難かもしれません。視度調整のファインダーレンズも売っているようですが、よほどの拡大鏡を工作物として設置しないことには根本的解決には思えません。他にもレンジファインダーでは画角感がない、同じくレンジファインダーを覗くとレンズがファインダー内の視野に鎮座し、レンズが邪魔をして構図どころではなく追い込みもできないなど、かと言って液晶のスペックが前世代的で見えづらく、と他にも細かいところはありますが、撮る面白みとライカの絵を享受できるよう、とにかく慣れていこうと考えています。



背面液晶のピント拡大を見て撮るか、別売りの高価な電子ビューファインダーを付ける解決方法もありますが、前者は手振れしやすいベクトルに、後者の見た目は好き嫌いが別れるところですが、シンプルを追求し余計なものは排したいという、アップルのようなライカの考え方からすればせっかくのデザインを毀損するベクトルにそれぞれ寄与することになります。私は液晶でピントを合わせています。




カメラを始めて3年経った頃に影にグラデーションがあることに気が付き、そこからさらに三年かかって今年6月に撮った、RF50mmでのこの餃子を作る我が子のとくに腕あたりにおける影のグラデーションの一枚から、グレートーンに強い興味を持つようになりました。端の方をトリミング。PCでクリックまたはスマホ拡大表示にて概ね等倍の画像で見れます。ほんの僅かに偽色が確認できるところもありますが、プラスチックのプレス凹凸をふんわりボヤボヤすることもなく滲むこともなく描き切り、「7」あたりの小さな結露水滴までレンズ端の方にもかかわらずこれだけの解像力を見せつけてくれます。




グレートーンに興味が強くなり、そして段々とディープシャドウからハイライトへ繊細に向かう豊かなグレートーンの一枚を撮ってみたくなり、




「これはもうライカしかないのではないか」加えてお願いすれば止まっててくれて写させてくれる機会も増えてきたので「これで我が子を撮っておきたい」という欲求が高まっての運びとなりました。「ごめんね、遅くてごめんね、ライカだからごめんね。あっもう一回お願い」とここ数日依頼する機会が増えましたが「逆に嬉しいよ」と返しが来るようになりました




ライカを仕入れてから、同じような絵にならないか、キャノン等他メーカーボディのカラーバランス設定、ソフトでの調整等試みてみましたが、緑が増量のスパイスで青が入っているのかライカ独特の色調そして絶妙なコントラスト、立体感含めライカ調に近づけることすらできませんでした。無論、マイクロコントラストすら調整できるようにソフトも進化しているようで、レタッチが上手な方はこの限りにあらずかもしれませんが「ライカいい」と思う一方でEF24-70F2.8ズームを使ってみても「キャノンもやっぱりいい」と再認識もするようになり、ことにRF系はここまで来ているのか、とも思わずにはいられない性能を各所随所で感じ、それぞれいいところ、突き抜けているところがあり、それぞれの個性を魅力に思う次第です。




薄っすらと極わずかにだけ木漏れ日の光が指しているところに鯉が来るのを待って撮りました。鯉が水の中で優しく柔らかく浮かび上がってくるかのようなこの浮遊感、立体感、なかなかお目にかかれない描写性能のように思います。マイクロコントラストの妙味な味付けなのか、「なぜライカはいい写りをするのか」「なぜそう見えるのか」「何が違うのか」ということを探求していくものまた人生の暇つぶしであり、しらすの鱗のような人生で有難く思うところです。



これらけしてダイナミックレンジがソニーほど広くないにもかかわらず、しかし階調性を繊細に保ちながら人の心に入っていくこのコントラスト作り、これらの「考え方」にどれだけの歴史とその蓄積があることなのか、じっくり対話をしていきたいと思います。



ライカは人も撮りたくなるカメラに思います。




入ってみることにします。




どこで壁タイルが漆黒の世界へ引きずり込まれていくのか、その境界線を探そうと冒険隊を結成したくなるほどの暗部の階調に、



ハイライトとアンダーが共存しつつ、そしてその間の豊潤なグレートーンがレースの質感をどこまでも描き切り、ハイライトの光が麗しい瞳だけをフォーカスし肌感をなだらかで鳥肌が立つようなグレートーンで捉えるような人撮りもこのような陰影でしてみたくなりつつ、




こちらもハイライトにおけるレースの質感が網の目の中までも見えそうなほどにしっかりと表現しつつ、段々と回り込む光が死に絶えていきディープシャドーが手ぐすね引いて待つ影の中に吸い込まれていくレースも最後まで、それでも質感ある存在感を残し、日中屋外スマホの画面だと見えませんが、とこれだけ見てもうっとりするカメラにレンズに思います。すべて取って出しゆえ、暗部の処理がやはり独特の考え方に基づいているのだと思ってみました。



「多くの現像が撮って出しに負けるようになったか、やり過ぎのどちらか」であると、各所で散見され始まったタームに突入した感がありますが、カメラ内現像も日々進化を遂げ、やがてはAIが入り、ビックデータから人々が好むチョイスまでするようになるのかもしれません。なお絞りについて、例えば集合写真、前はこの人、後ろはこの人までとタッチで指定すると最適な被写界深度のF値にしてくれるように将来的になるのではないかと推察してみています。各所思いもよらぬ進化が待っているのだと思います。そう考えてみれば、自動化粧マシン(AI搭載、Wi-Fi搭載インスタ連動)はどうかと思い付き、世界的ヒット定番商品になること間違いなしと思えてきます。




ハイライトとアンダーの境界線が迷子になりそうです。




このあたりでは、蚊の攻撃がもう限界の閾値を越えて、露出がうまく揃えられませんでしたが、香っている金木星を楽しみました。





Leica M10-Rは約4000万画素であり、高画素に分類されるカメラかと思いますが、





最近、高画素のメリットを一つ思うようになりまして、



低画素が暗部たる高感度撮影に強く、高画素が高感度撮影に弱いとすれば、低画素は低感度に弱く、高画素は低感度に強いのではないか、という点です。




高画素は画素ピッチが狭いゆえに、実は白飛びしにくいのではないか、という画素ピッチが広いから1ピクセルごとに飽和が起きにくく結果として階調性が担保され豊かであるという一般的な見解とは逆のものです。ピクセル一つの中に色がいくつもあるわけではなく、1色なわけですので、画素数が多い程に階調性は豊かになり、理論値上のダイナミックレンジが広くとも、画素ピッチが大きければ同一のセンサー上面積に対して余計な壁が少ない分の受光量が増え、光の特性を思えばバケツの大きさと水のように他に代替え的に考えるのは適当ではなく、光が溢れてしまいやすくなり、実は飽和が早く訪れることとなり、



中判や、フルサイズ2,000万画素周辺、あるいは昔のコンデジ200万から600万画素などのカメラ、最近だとα7S系になるのか、このあたりはどうしても白飛びしやすくそれは画素ピッチが大きいからと見受けられ、あるいは理論的には一定の条件においてダイナミックレンジが確保担保されるわけですが実体的な運用としてこの条件をオーバーしやすくゆえにアンダー目に撮っておき、あとで上げるか適正露出に調整するという流れが発生していったかと思いますが、




結果として、画素ピッチが大きいととくにハイライト方面の階調性が損なわれてしまいやすいのではないかと見立て、





高画素は暗所が苦手なわけですが、増感とノイズ対処の技術が向上しつつ、手振れ防止も大きく進化しSSが稼げる方向があり、技術と技量で手振れと戦いながらISOは上げない努力を投入してSSは下げて暗部を取り込み、他方高画素は同じ面積に対して余計な壁がある分、受光が遅い代わりにつまりは白飛びしにくく、露出の軸を暗部に合わせるか明部に寄らせるか、今までは暗部に寄らせていたところを、高画素で今までよりも若干明部寄りで合わせていったほうが、結果として運用の仕方によってはダイナミックレンジが実質的実体的に広くなりやすく、かつ階調性が豊かになる帰着に持って行きやすいとも言えるのではないかと考えてみています。将来的には画素ごとの受光量まで調整できる技術が生まれ、明と暗を同時にいくらでも一つの写真の中でコントロールできるようになり、そもそもダイナミックレンジという概念が不要になるかもしれません。もっともこれら夢の話しもマーケットがあってのことですので、デジカメ市場の岩盤だけはそれなりの規模を維持して残り続けることを期したいと思います。





左にある壁の陰影にうっとりさせられるライカ。本当はM10-RよりもM10モノクロームが「欲しい」と思い、今でも変わらずでありまして、



4,000万画素、カラーフィルターがないことで実質8,000万画素という表現をしているレビューもありましたが、カラーフィルターがあることで公称画素の6掛け程度にまでなることを知りましたが、M10-モノクロームは画素を毀損する物理的機構がなく、それがもたらす極繊細なグレートーンの作例を見てノックアウトされました。しかしM10-Rの作例を拡大してみても負けてはなく、そしてM10モノクロームにカラーフィルターがついたのがM10-Rと理解していますが、多少グレートーンの階調性は劣るところがあっても、十分モノクロ変換も遊べそうだと判断し、グレートーン本丸はまだもう少し先に残しておこうとも思った次第ですが、年内手を出してしまうかもしれません。




トリミング。ライトメッキパーツに写り込む電線もしっかりと描き切り、そしてこの塗装の繊細な凸凹感まで表現するレンズにひれ伏します。





こちらはレンズのピント距離だけ1mぐらいだったか適当にセットして、ノーファインダーという、ストリートスナップにおけるいわゆる「ライカ撮り」というらしいのですが、それで適当に撮ってみましたが、どこか絵になる黒の出し方、これらライカの魅力、その一端の入り口かもしれません。




アポズミクロン50Mによる最短テーブルフォトノートリミング。出先のカフェでもなんとか使えそうです。なお撮影距離を短くするアダプターも売っていますが、いちいち脱着が手間ゆえ、レンジファインダーがメインメニューという宿命が起因してのポジショントークの含有率30%なライカが推奨する「構図なんてあとでトリミングでやればいい」というライカ方程式でいきたいと思います。そしてそれはRF系にも言えることであり、突き抜けた解像と高画素、極めて上質でなだらかなボケ、これらトリミングの時代を指し示していると思います。5DsRが出たときにトリミング前提時代が来るのではと思い「レンズが売れなくなるのでは」と憂慮もしましたが、沼の力を舐めてはいけません、かのようにも思います。




こちらはα7R2+ズミクロン50RというライカRマウントのオールドレンズにて。このレンズ、非常に素晴らしいと感じています。解像力も高く物を撮ればしっかりと質感を捉え、人を撮れば優しく写り、これら相反することを高度に両立し、階調が特段にすばらしく、色乗りもよくコントラストも豊富で、現代の高品位レンズと比べればボケが硬いと感じることもありつつも、当時としては柔らかいボケに該当し、今でも美しいといえるボケでもあり、しかもそこそこ十分に寄れる、とこれが三万円ほどから手に入れることができるスーパーハイコストパフォーマンスな一本ですが、今後はミラーレスの普及とともに相場が上がっていくかもしれません。






カメラ泣かせのオレンジのテント。オレンジ色が内側ディフューザーのように柔らかく拡散しすぎて光の指向性がかき消されのっぺりしてしまいます。M10-R、基本はマニュアルにして、自分で決めることでSSに対する腕を止めておく時間の気構えも作りながら、とりあえず段々と手振れが減ってきたように感じていますが、このときは最終手段たる部屋の灯りを二つ三つ追加で点けて光を増やすでSS1/60ほどもらい撮りまして、何よりまだまだバチピン写真が撮れないので、三ヵ月後、一年後と楽しみながら精進コースとしたいと思います。




こちはらRマウントのズミクロン50R+ソニーのほうですが、上の写真より光量が大幅に少なくてもソニーのおかげでぶれずにいけるので、ライカMマウントこそ、手振れ防止を期したいところですが、






苦労するポイントが多く高くあったほうが濃く長く楽しめるような気もすれば、人生と同じではないか、とも思えてきて。





Posted at 2020/10/06 11:33:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | カメラ | 日記
2020年09月22日 イイね!

コアコンピタンスの内製とアウトソーシング。

コアコンピタンスの内製とアウトソーシング。








ここ数回の記録をざっくりまとめれば、




一代一業とは、成果ではなくプロセスを味わうことこそが人生最上級に楽しいことの一つである、という人生観に腕立てしながら立脚し、守ることだけのすなわち最高級のホットドックそのカラシだけを舐めて腹を満たすかのような辛み成分しかない人生ではなく、「お前も人生楽しんでいいんだぞ」というメッセージを多分に含んでいると解釈し、





子育ては同時に長期的な経営でもある、という恐らくはこの戦後に生まれた概念・感覚たる仕事と家庭を完全セパレートしている考え方では理解しがたいものがあろうかとも思いますが、




他方で、一例を挙げますと当時石川島播磨重工業社殿の従業員氏で「おやじと同じ会社、同じ事業所に就職しました」という若い方のインタビューを見たことがありますが、




20年前後に渡って、社会はもとより、その当該会社という具体事例を見て学び、感じて知り、聞いて理解し、質問して興味を増し、育って感謝し、小さい頃聞いていたTさんは、今は部長なのか、と生きた人事を骨付きカルビで知ることでもあり、そうしてその会社や一人ひとりの集合体である組織やそこにある人生までをも深くまで理解し、いや知らず知らずのうちに会得し、



技術畑であれば、その技術の競合との関係性や、独自性、あるいは壁をこえた苦労話に逸話、営業畑であれば客先や、三菱重工という強敵がいてな、ここの部長さんはなかなかの切れ者な上に人徳者でとときに競合含め、業界について生き字引的な指南役すらいる幼少期や青年期を過ごし、自社だけでなく他社の人事まで20年30年見るようになれば、人の移ろいや育成につき先々どうなっていくのか既視感も持つようにまでなり、あの仕事では辛い思いをした、あの仕事は最高に気持ちよかったと、聞いて育てば各戦跡についてもけして教科書にもネットにも載ることがない道を知り、




もしくは当該企業での出世のコツや傾向、子にとっては上司の上司にあたる後輩の性格や思考パターンをプロファイリングの視点合わせて伝えてみれば親子二代で大企業のトップ層へ登る確度も上がるやもしれず等、ポケモンをみて、ゲームをしながら、あと英語はたくさん勉強したけど、という教育の道程を歩んで来て社会に出たときのケースとで考えれば、戦闘力はまさに達観した大人と子供ぐらいの差があるものと思われ、そしてポケモン組若頭はその差を知ることなく社会に出てから努力ゲームの火ぶたが切って落とされる羽目となりかねないと思います。なおポケモン組という形容につき、大人になってそれに一所懸命になっているケースもありますが、家に帰ってからすることもなく、思いの外人生やることがない、というのが実は人生半ば以降に起きやすい真っ当イベントであることを示唆するのも一考かもしれず、私のカメラ趣味も似たようなポジションです。





既視感というサバンナにおいて数キロ先、蜃気楼の中に佇むシマウマも見つけるほどの視力3.0並みの老眼視点でいえば、80歳まで社を育て、社員の中から後継者を選び、そして死を迎え、その後がどうなっていくのかを見たかのような既視感が私にはあり、これを比較的若年者のうちにグリップできたことは大変幸いなことであると思っておりますが、




いくつものケースがあるゆえ、一概には言えないながら、





本田宗一郎氏は「親族を社に入れない、後継にしない」と明言し、しかし子を関連会社の社長にして、その会社は少々トラブルもあったかと思い、私も従前は家督じゃあるまいしこれが現代的感覚なのかとも思い受け、あるいは自分が社員ならと想像し、一切家族に親族は関わらせないというポリシーで経営をしていましたが、他人にそこまで気を使う必要もなく、その他人の中には「将来独立するため」と思って入社してきてリソースにつき給与をもらいながら盗んでいく泥棒みたいな者も含まれるのは世の常でという側面があったり、いやむしろ既述してきたメリットのほうが大きいことに思い至り、




あるいは日産は初代からして途中で内部的乗っ取りがあった歴史であると形容するべきか、大卒で入ってきた頃は初々しいはずだった者が、いつしか権力の奪取だけを考えるようになり、大きな戸がある定食企業殿のように内部的乗っ取りはそれが尾を引いていくことになるのか、痛切にいうなれば「経営能力なき者の乗っ取り」という意味では「無能な乗っ取り」であり、これを大筋ではそれが起こらないよう「もうたのむよ、うまくやってくれよ」と言われぬようにするのが先代の役目その一つであり、はたまたこれは客先やノウハウを盗んで起業したような泥棒創業につき、会社のヒストリーその起点をぼやかして記載するか、あるいは記載することができず何ら触れていない不自然な会社もまたありますが、ときに参入障壁の低さがなせる業であればその構造までも盗人は内包し後々ブーメランもあろうかと思い、または創業理念からして嘘で塗り固めるほかない中小零細のケースにも当てはまるかと思い、隣国の立国時かのようにのちのちにも影を落とすようになるかとも思いつつ、




という中に、トヨタの親族に恵まれて、親族で核を固め、親族統治も秀逸に、競合他社と比して確固たる芯を持つ組織と文化が形成され、実は組織にとって隠れたる致命的失敗の礎要素となるトップの人間性や機微というものにつきそれがなきよう伝承されていること合わせ、そのデザインとハンドリングをやり切り、兄弟は他人の始まりという言葉もあるほどの世の中に、あれだけ親族がいて骨肉の争いが発生しない、まさに究極のコーポレートガバナンスからして世界一かとも思いますが、



仮説を雑に立てて、日産が80点主義的に故障が少ない生産管理を行い、なおスバルは「最高のメーカー」「二度と買わない」とユーザー評価が両極端の傾向にあるのは独自技術はよい点ながらこの具現化たる生産管理がうまくなく商品のばらつきが多いような会社かと思われつつ、ここに原価低減合わせトヨタのノウハウがときの流れとともに入っていくのかもしれませんが、日産の仮定に話を戻しましてマーケティングも達人級で、シェアをトヨタよりも大きく伸ばしてきたジャッジを重ね歩んだとして、



権略謀議という大きな変動値だけはそのまま等身大的にぶっこんで想像してみることとして、そのようなトップシェアの日産内で数度の権力奪取が起こり、ということがあったとしたら、やはり安定している競合がいる中で社内の士気が下がったり、混乱があったり、客先での信用低下が合ったりする中に、製品企画のプロセスにエネルギーが向かわず、担当のストレスは下請けに向かい、下請けのストレスはユーザーが使う部品の精度に顕れ、結局としての目が市場に向いていないことにもなり没落に向かうのではないかと思い、




いやもっと簡易にトヨタにお家騒動や謀反が続いていたら競合はその混乱をしり目に商品力や販売力の向上に力を集中でき、と考えれば分かりやすいか、そしてじゃあなぜ血筋に関係なく謀反が起こる本質はなんのかと考えてみたりして芯に迫る作業をしてみて、という心臓部のさらに深層的部分にスポットを当てて、そのような視点を一つもってみて、考えてみるのも、また一つなのではないかとも思ってみて、はたまた大きな塚がある家具店は、幼い頃から落成式も出席していた女傑があとを強引に継ぎましたが、何がいけなかったのか、親族に頼ったところが汚点だとすれば、車にタイヤかエンジンは必要ないという議論に似ていると思い、そうではなく、どうタイヤやエンジンの設計がよくなったのか、と考察や仮説を立てて検証してみるのがまずは必要かと思いつつ、




7D2+EF135mm(換算216mm)F2 のF2開放




同 F7.1




同 F8と絞りとボケについてレクチャーしてみて、






でもさ、おやじが言うその要素はこのケースだと当てはまらなくないか?ソニーとキヤノンを比べて考えてみればさ、とか、グロバーバルに見ればさP&Gやユニリーバがありこの事例だと、と




うるさい、お前は社会を何も知らないんだから偉そうに口を出すんじゃない、等虚空をもって偉そうに威圧的要素で論破もどきの器が小さい制圧をするのではなくて、




内臓テレコン+1.4外付けテレコン合わせ、784mm





くそう、なるほど、じゃあこう考えるのはどうだ、



いやでもそれだとさ、とさらに反駁招聘状態となったりするような日が来るのが楽しみです。




しかし議論で終わるのではなく、次は実験、実証です。



ディレクションも含まれたディスカッションで導き出された普遍的要素が見つかったと仮定して、それを応用して当て込みをしてみて、じっさいにそうなのか、コアたる研究テーマと関係ない変動値を他事例を入れて予測排除してみたりもしながら、さらに討議し、




let's do it、その繰り返しが、




そこいらのゾウリムシよりは目に見えにくい、しかしダークマターよりは観測しやすい要素として、




EOS R×EF200-400mm F4L IS USM ×内臓エクステンダー 1.4×テレコン1.4の756mm 1/800 F8でISO5000




同756mm 1/1000 F8でISO2500






EOS R5に変えて 同756mm 1/800 F8でISO4000




さらなる探求の成果が一端だとしても見つかっていくのかもしれません。




アイスを食べながらの大砲ごっこを過ごした後は、





坊主ヘアスタイル希望を抱きながら、美容院へ向かいました。




写真から半月少し経ったこの九月半ば、小学校の友達も遊びに来てくれてプラレールも大活躍のひのき舞台を走れて、



これから約六年間、アウトドアにオフロードと、行くことができれば幸いです。




このブログを記している日からたった20日前の髪型ですが、懐かしくすら思いつつ、




相談の結果、坊主は避けて、しかしベリーショートというのでしょうか、かなり短めにしてもらいました。



と、さらに10日ぶりぐらいに筆を進めると、もう一か月前の出来事になりつつあるこのとき。




我が家のリゲル氏、いろいろ異なる名前で呼んできていますが、ロドリゲス氏、山下?、太郎?などありつつ、最近は「はるひと?」「誰だよそれ」とオリジナルからよりかけ離れた名詞が家族内でじわじわ笑いが来ていました。




経営の特に根幹に関わるような、たとえば社の方針や戦略を考える作業をなぜ戦略コンサルや大手コンサルにアウトソーシングする大企業があるのか。



全社的に説得力を高めるコンセンサスもどきという形を作りたい場合含め、それをアウトソーシングしてしまうのであれば、経営者は不要であり、社長失格だとも考えますが、後継者の中には非常に有能であっても不遇にもトップの素養としては不適任でそれができないケースが常に点在するのがまた世の常であり、そこにニーズがあり、という関係性なのだと思われつつ、




図式としては似ているところがなくもないのが家庭内での「笑いのアウトソーシング」かもしれません。テレビでお笑いを観る、釘付けになる、という行為なのではないかと思わなくてもありません。




やがて、家庭内で笑う、笑わせるということを芸人殿に頼りきるようになり、家族間の会話もそれが多くなり、




家族間での笑いが生まれる会話が少なくなる一方で、家の中で笑うことはさも「テレビをみて」「お笑い芸人をみて」することである、という刷り込みともいえることをもって昭和、平成と歩んできた気がします。





笑わせる、ということにおいて、芸人の世界において先鋭化が進み、プロ中のプロという世界観が形成されていき、日ごろから笑わせることばかり考え、鍛えて、プロ同士で磨き合い、研究を進めているわけですから、



笑いのコンビニ、笑いのファストフード、笑いの創作居酒屋辺りまでグループ化されていき、



家庭内にいるど素人が「笑わせる」で敵わなくなっていき、





家庭内で笑わせ合うことがなくなり、さらには会話まで少なくなっていき、という文化の流れがあったのではないかと総括をしてみました。




そうやってテレビを観る以外では、家から笑いが消えてしまったという俯瞰要素があった気がしなくもなく、さすれば「お笑い芸人の功罪」があったかもしれず、この点を認識反省し、




芸人殿に頼るのではなく、という意識から始めて、家庭内で笑いを生産することに回帰してみようと考えてみるのも一つなのではないかと思ってみる次第です。



笑いのプランニング、笑いの生産管理、笑いの販売まで内製し、笑いのワンストップ戦略です。



しかしそれらよりも狂的に恐ろしいのが「スマホの功罪」といえ、習性にまで入り込んで、




何をするよりもスマホ、何をしていてもスマホ、と片手と視線、そして脳が支配され続ける最新の昨今が続いていくことに憂慮も意識しつつ、この頃連日毎日5匹前後のふ化が見られた時期でした。





悪気はないながらに、子供よりスマホ、子供と会話するよりスマホ、子供の目を見るよりもスマホ、子供を抱いて寝るよりもスマホを握りしめる、という中毒を刷り込まれ、



ゆえにこれを意識して、スマホは置いて出かける、多少リアルタイムな渋滞が分からなくとも、渋滞も思い出くらいに思い、トレードオフ的に、本来の大切なものを取り戻す、という日があってもよいかもしれません。





我が家のGIジョー氏、2歳の頃にここを渡っておじさんに褒められたことはまるっきり覚えていませんでした。




久しぶりにこの公園に付き合ってくれましたが、後ろ姿も成長を思います。



最たるに発がん性物質の一つである、といっても差し支えない糖類を市場へ過剰に供給し続け膨大な成人病を生む各種飲料メーカー群、




夏場に段ボールに汗ひとつ落ちても、長距離トラックのドライバーに買い取りをさせ、実物は渡さず倉庫内で配布したりするそうですが、諸外国では考えられないことが習慣化しており、大人のいじめとも言えそうで、



そういう方々はCMでは綺麗な女性を使い浜辺を走らせて消費者に訴求し、それを家の夕食時に家族に誇り、大手メーカーというベールの鎧も纏いながらそこで働く人はSNSでまたぞろ美しい人生観を展開しているのだと思いますが、




しかし裏ではそのようなことになっているとyoutubeとそこに書かれたコメント群で知り、まだまだ知らぬことばかりですが、



そのような不条理も少しずつ是正されていくことを願うばかりです。




他方で、時に人を極限まで追い詰めるネットでの誹謗中傷という社会問題。




いい歳をした大人が、自分への批判は微塵も許さないながらに、他者が他者を批判するのは批判しつつ、自らは批判し、



などを矛盾にすら思わず、という風潮は段々と変わっていき、



中学生の頃にとある芸能人につき「うちの親戚なんだぜ」という自慢をしていた同級生は、




それから20年ほど経って、ネットの広がりで結果として、在日の血であることの告白となってしまう性質に変わっていきましたが、



今されている書き込みは、これから先あとになって遡及的に誰が書いたか広く分かる日が来るやもしれません。




文章や語彙の傾向、趣味趣向、年齢、性別、地域、行動パターンでだいぶ絞られ、これがまるで地球上の飛行機や風の向きが誰でもいつでも分かるのと同じように、見えてしまう日が来るかもしれません。




誰か分からないから、という匿名性だけで、好き放題人を誹謗し、



もしくは顕名をしていても、あるいはメーカーを批判したり何を言っても許されるということは対面でもないわけですので、それがネットでなら許されるということもなく、今後このあたりのネット倫理とそのリテラシーが進んでいくのかもしれません。




そうまでならないとしても、コロナでJR東西という強靭に固いインフラまでもビジネス上の脆弱性が露呈され、はたまた将来的に家庭において発電と蓄電が行き届くテクノロジーが広がれば、電力会社という岩板も崩れかねないほどに、時代は変わっていくのだと今般思いましたが、



大人ですらSNS疲れという言葉があるほどの中に、子供のときからSNSで繋がっていくこの時代、多くの子供達の大変さも思う次第です。




と、激動が続きながら、ブーメランの性能も向上する昨今、そのようなネットリテラシー教育も必要な時代なのかもしれません。


Posted at 2020/09/22 13:03:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2020年09月22日 イイね!

44歳で13O社経営する男。

44歳で13O社経営する男。














精密なカップ型のセンサーを用いて、緻密に光の通り道を探索していると、




水泳のテストが合格したと喜んで帰って来ました。




「ほらこれも仕舞えるよ」と1人で小さな倉庫の片づけをしてくれている姿をみれば、それもまた成長を感じ、



夜のお出かけです。




パパが小さい頃までは、料金所が有人だったり、都市圏に住む8割9割の人に帰省先があったり、休みが極一極集中だったりで、お盆やGWの渋滞量が80km、100kmなどざらにあり、これへの対処として、前日夜、同深夜、早朝等に出発するのがデフォルトの時代があったような話をしてみれば、「俺も夜中出発のワクワク旅行いきたい」とのことで、そのうちプランニングをすることにして、





我が家にとってのアウトドア指導者ご一家、幼稚園時代のお友達が花火に誘ってくれました。



有難く拝受します。




過去の若い頃私がしてきたことを周りから聞いて、とあること2点について刺激を受けたと言ってくれる友と、先月久しぶりに一杯軽くやりました。



一つは割愛ですが、一つは経営していた当時の現法人数が刺激的だったようで、



現在は綺麗に一社だけですが、最盛時は20社を経営していたところ、




4年ほど前に出会った頃のその友は、実質事業会社1社のプラス賃貸不動産を有するためのプライベートカンパニー1社の都合二社ほどを経営していた環境でしたが、



それがほどなくして7社ほどになり、13社ほどになり、数が段々把握しづらくなってきたと言っていたところに、




年初は45社ぐらいになったと聞いていましたが、お盆過ぎに会ったときはとうとう70社にまで増えていて、8月内には90社になる見込みで社名が覚えられないと嘆いていましたが、




「先週は北海道と鳥取でM&Aしてきて、来週は大阪だよ」と毎日のようにMAに奔走しているようで、近々130社ほどになる見込みのようです。





ちなみに「秘書を募集していて手を付ける気はない」と言っていましたが、現状の彼女環境は女子大生から20代半ばまでの若手で抑えた愛人三人衆体勢とのことで、古参の主婦愛人とは別れたと聞き、それぞれの彼女と例えば出張先たる大阪へ連れ立っての高層階から夜景が見えるレストランや、バースデーを祝うおしゃれな六本木レストランでのこれまたおしゃれにデコレートされたお皿を二人で囲んでいる写真や動画を見せてもらい、どの方も容姿端麗でしたが、それらを執り行う精神的余裕を感じ、方々880hPa並な圧倒的凄まじいエネルギーに凌駕されてきました。なお純肉体的スポーツに関しては飽きてきて「メリットがない気がしてきた」と、一つの悟りその帰着に近づきつつあるようです。






懐かしき、幼稚園の帰りによくみたジープが健在でした。




M&Aにつき、私のケースでは本業の軸たるMAをしていく中に、付帯して集まる各種案件が恒常的にあり「もったいない買っておこう」とライザップ式に手当たり次第なんでも飲み込んでいき、本業に関してはほぼ吸収合併方式として、亜流事業については買った会社3社を合併して一社にしてそこにまた付けて等、再編もしながら場当たり的雑食系でしたが、




これと異なり、友の場合はすべて現在営んでいる事業と同一事業の本業たる会社のみMAしており、先鋭な戦略的といえ、この点極めて優れた理知を持った合理性があり、賢者の選択に思います。大人のM&Aと言ってもいいかもしれません。




車でもカメラでも10台を超えると把握すら大変なところに、いずれにしても130社の経営とは恐れ入るばかりであり、そして今後が益々楽しみです。私と同い年であり、恩人でもあり、大切な友でもあり、体だけは気を付けてもらいたいと切に願っておりますが、人生それぞれにピークがあり、これからそれを楽しむタームとして、と思っていた割には異性関係の精神性についてはすでにピークを越えた感もあります。




M&Aといえば、これはまったくの個人的私見ですが、2乃至3年後内遅くとも4年内を着地ポイントに、誰もが知っているとある日本企業の社長人事やそこから出た方針とその時期、実際の取り組みをみるにつけ、





これも誰も知っているとある外資系が戦略的バイヤーとなっておそらくは世間が必ずやアッという事業売却スキームを組み立てているように見受けておりますが、





M&Aというものは最後まで様々な変動値が絡むゆえ、その成否もまた最後の最後まで変動値であり、確度という概念から脱することはないかとも思いつつ、







このスキームを俯瞰するに、恐らくは5,000億円から1兆円アンダーでのMAになるとざっくり概算する中に、買い手の勢いを見るにこれでも二束三文レベルかと思いますが、売り手はカモにされていると考えます。





売却後は、おそらくはこの日系企業は得た資金でMAをせざるを得ない状況になるかとおもいますが、「おにーさん、おにーさんいい案件ありまっせ、ヒヒヒヒヒ」と糞案件を高値掴みさせられ、売却益をむしり取られるところまでシナリオが確定のような気がします。ここまで含めて米資本vs日系企業のMA鉄板あるあるかもしれません。






「〇〇社、米〇〇社を1.5兆円で買収合意」「そのような事実はない」というフライングの制御から始まり、「買収資金0.2兆円は現金資産から、残りは株式交換と社債の銀行団引き受けおよび市場での新規株式発行で賄うという」というレバレッジ系ストラクチャーなむしり取り作戦に発展していくような気もしなくもありません。



もしくは被買収企業を囲い込むことで、当該バイヤー社が強固な寡占的競争優位性を築くことになり、これまた誰でも知っている企業が事実上主たる販路を断たれるまたはコスト構造が大きく変わり、急速に窮地に陥らせて駆逐する狙いがあるやもしれません。この筋が最も合理性が考えられる気がします。



そうあの企業であればそれぐらい考えかねないとも思われますが、グローバルな先行実験を日本で行うという意味合いも含まれているような気がします。



いずれにしても向こう数十年、そして100年とこの子達が生きていく世界では激動・激震・激変が自然、経済、テクノロジー、アカデミック等方々で続いていくわけですので、





100年生きる力、100年持つ精神力、100年楽しく過ごす心を育んでいけたらと、何度も想いを確認しながら重ねる日々です。





過日、せっけんの追加注文をしました。





せっけん1個264円を10個で2,640円と、送料418円を入れて3,058円。




注文してから気づきました「3,000円以上のご注文、送料無料」。






紅潮含めた高度な熱を発する私の演算処理によれば12個買って、3,168円であり、12個買えて送料無料、



ほぼ同等の金額で2個多く買えたじゃないか、



もしくは100円乃至200円損をしたと考えるべきか、





寝れぬ夜を過ごしながら胃が痛くなるような愚行の失態をしてしまいました。




親がこれでは100年生き抜く力を伝えていくことができるのか、




言ってみたいことは悩みなど傍からすればせっけん2個機会損失事件と50歩100歩ということかもしれません。じぃじと変わったとたんにトイザらスが歓喜のジャンプ台となり、




後日私に「パパ見てて。最高っ」を連呼してくれて心をノックアウトされることになる仲間の姫、その誕生日プレゼントを仕入れて、



「あっみてハイラックス」と哨戒が発動しながら、この日は二人でトイザらスに来た次第でした。



人生など楽しみ尽くせ、と思います。




あれだめ、これだめ、ここにのるな、これするな、小さな大人のダメダメダメなんて聞かなくていい、そう思います。




と、断片的に記すこのとき、気が付けば9月ももう半ば。




年末に向けてアクセルを踏み増してみることにしたいと考えています。




品質重視路線は担保しながら、これに影響がありそうなときは一旦アクセルを緩めることも予定しつつ、




中長期的計画も上方修正をしてみながら、




日々の業績拡大を有難く、そして率直に皆様のことを「すごいなぁ」と感想を抱擁しながら過ごしているところです。



「あっパパみて」とピックアップの力強さを見て、楽しいドライブを終え、



お腹が大きくなったメダカを眺め、その後の稚魚の観察に繋がっていきのかどうか、この頃は不安満点です。



油断ならない実力ある老舗競合もあるため、





弊社も各所のモチベーションからして修整をしながら取り組まなければですが、




これも有難いことに、客観指数からしてみてもある程度急成長を重ねてきていると自覚していいかと思われる中に、



引き続き、その割には際立ってバグが少なく、歪みも少なくということも客観的に見て取ってよい状況かとも考えておりますが、




根本的かつ永続的な課題としては、経営幹部の数と育成が足りず、これはじっと待つところもあるゆえ、



経営観を持っての思考やその采配については、こっそり引き続きサイレントに担当をさせて頂こうとも思っている中に、




社長がよくぞ立派にやってくれていることも大きく、友が西を開拓してくれていることもまた大きな功績でありつつ、




各所業務は若い方々がいなければ回らずではありますが、成長力や規模の割りには経営幹部が不足状態にもかかわらず経営が一応回っているのは、このビジネスの強みであるとも考えています。



いくつかの業界を経営してきて中から体験してきた身として、



時世もあっての事業拡大の簡易性は、これは特筆するべきものがありますが、





このビジネス、この業界、この仕事しか知らないと、その特筆性がなかなか分かりづらく、当たり前となってしまいがちで、



そこに生まれてくる惰性や有難い環境を忘れて「当たり前」に感じ思うことが一つ難敵には思います。



この日は長野営業所の事務所探し。



そしてギャラタイム。




予定を変更して頂き、一週間ずらして近々デスクの搬入業務を巻き取らせて頂きました。



20年、30年スパンで考えた、人材育成というこれも経営の一つです。初ボーリングをしました。




中学生で「お父さん、このビジネスモデルだとコスト構造が弱くなって収益性が甘いんじゃないの?先々の競争力に響くよ、もうちょっとハイパフォーマンスが望める知恵が欲しいなぁ」




高校生で「おやじ、市場の変化がこうして見て取れるから、少し先を見据えてこういう取り組みをしたほうがいいんじゃないか」



と、ビジネス、すなわち社会を知った上で22歳、23歳を迎え、社会に出ていくことを一つゴールとしてのイメージにしていますが、




その間にビジネスの一つや二つ経験してみることも推奨したい気持ちです。




いいことも、「〇〇さんと〇〇さんは仲がよくないんだよ。だから異動っていって」とそうではないことも、大人の世界でも相性というのがあることなどの機微合わせ、色々と伝えていますが、





幼稚園の頃からそして小1になっても「俺、パパの会社大好き」「早く会社で仕事したい、ハンコ押すぐらいしかできないけど」というマインドも持ってくれ、



昼食も作ってくれたりしながら、



自分で作った静岡支店の1年後について途中経過の総括をするための座学もしながら、何より嬉しいのがどういう人がいてその人はなんていう名前なんだと質問が日常的にあり「おれ会社の人、名前聞いたら忘れないよ」と人に注目してくれており、



静岡の長、その人はどんな人なんだ、あの人とあの人は仲がいいのか関係性まで気にしてくれ、かつみんな休憩は取っているのか、休憩時にタバコも吸えている人はいるのかまで配慮もあり、これらは最高級の万年筆で丁寧に一言一句を特筆するべきことかとも思い、有難くも感じ、




「仕事は家に持ち込まない」という考え方や感覚とは540度異なる公私などという別はない一体性という自然の摂理を重視した方向で、



この日も我が子を送り出し、我が家で一番がんばっているという認識な学校もこなして数多くの人間関係もこなしたであろう下校を待ち構えます。




「N君のお父さん130社も持っているんだよ、すごいよね」「なんで?」「いっぱい会社買ってるからだよ」「どんな会社?」「コロナは大丈夫なの?、けどいっぱいあるより、いい会社が一つのほうがいいんじゃないの?」と会話もした6歳夏の終わり。

Posted at 2020/09/22 13:02:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都内ドライブ | 日記
2020年09月22日 イイね!

起業して1年。大手を辞めて年収1憶になった29歳。

起業して1年。大手を辞めて年収1憶になった29歳。









ここを滑った記憶を伝えてみれば「じゃあ俺も滑ってみる」と、SRC造になるのでしょうか、高層ビル並みの耐久性を思います。







若干蚊とも戦いながら、地元の女の子と一瞬の追いかけごっこで湘南を感じ、休憩も入れながら、



「パパ、海のほういきたい」




「あっちょっと待って、幼稚園にあったのと同じ遊具だ」と、ゆるりゆるりな時間、急ぐ旅ではありません、





贅沢にゆっくりと時間を使います。




この子が生まれてから時計や鞄、あるいは美味しい料理や極上なサービスその品質などはとうの果てに、当時のビジネスやお酒、異性感、そして最近ではとうとう自動車まで完全に灯まで消えて、まったく興味がなくなってしまいましたが、時は金なりぐらいに思っていた若い頃を懐かしくすら思うようになりつつ、既に物質としてのプロダクトへの興味は担当替えの引継ぎ完了かもしれません。




この一瞬も幸せなひとときでした。




「階段降りたい」「好きにしてくれ」



「おぉこえー」と何段かはノーブレーキで降りてみて、



まだかなり暑く、そして蒸す日、軽い熱中症が近づいて来たのか、お腹いたい、ということで、少し休んで、



抱っこにおんぶに肩車を駆使しながら、「大好きだよ」「俺も」と会話しつつ、片手で低い自転車を転がして、タコマまで汗だくで戻り、それも幸せな一瞬だと認識しながら「あっランクル軍団、いろんなところのナンバーだ」と聞いて、



我が子は睡眠タイムとなり、一流ホテルのふかふかバスタオル、というのをコンビニで仕入れてみてタオルケット代わりと枕代わりの寝床を作り、




ベンツやらポルシェなど、もう車に興味はなくなんでもいいものの、ああいう小さいのにしたいという要望はあり、それを寝息をBGMにして渋滞で眺めながら、




ゆっくりゆっくり帰路を履行して、




帰宅しました。



「これちょうだい?」「いいよ」と以前私のデスクから持ち去ったUSBのハブ、付けてもらったUSB充電式自転車のライト、いつの間にか理解が進んでおり、その使い方も円滑かつ適正に早々充電していました。



翌朝は洗車業務です。



この自転車で泥がある公園行こうよ、と何度も水を差し向けていますが「やだ、いかない」と、





購入からこれを記す半月ほど経っても、まだ汚したくないらしく玄関保管にもして、泥はけして行こうとせず「サドルは革なんだよ」とバックスキンのような素材なのか、そのような判断もするようになったのかと思わせられながら、大切にしているようです。





BMWのルビーブラックが太陽に照らされたときを想起させるような、光の加減で色が変わり、実になんともいえない、いい色です。欧米のメーカーが設計や仕様、製造の管理をするとしても、具現化する製造はアジアであり、そのアジアにある工場の塗装技術向上を思う一瞬です。と同時にこのようなニッチの狭間でも、頭脳労働やクリエイティブな仕事はグリップして、汗と油が香る仕事はアジアに投げる図式が延々と続いている現実も思うところです。




最近旧社員の女性が起業したのに続き、恩人のご子息が起業して一年経ったと聞き及び、





この方はネット大手に就職し、7年ほど勤めて起業したようで、一年経って月次の営業利益が1,000万を越え、年収も1億円を越え、もうじき30歳を迎える人生の道程を進まれている中でこの運びとなったようです。お祝いとお慶び申し上げる次第です。



SNSも拝見し、野心的な展望や、力強いエネルギーも感じた次第です。




「夜の雷か」と様子をネットでみれば日本でだた一か所だけ一回限りの雷鳴を聞いた夜でした。




その方の起業話しを端緒にして、ネット界隈を中心にした若手起業家、若手経営者のSNSなどを丘サーファーしてみました。全部見るとDVDを並べて、





素敵な一週間前の思い出を見た後は、



夜のショートサイクリングへ。




ネット界隈、見ていて思ったことは、難しい言葉も敷衍して、一見複雑化したような形態が増殖もしているのかと思いきや、




2000年初頭、私がやっていた頃とネット業界につき基本構造や、結局展開される事業成長の方向性という流れも仕様級に何ら変わっていないという確認と、しかし大きくはビジネスチャンスとしてはネット完結系G社F社系とリアル比重A社系に大きく分かれてきたのかとも思い、ここに一つ大きなファイヤウォールがあるかのごとく、商流の分断を思い、G社商流からはA社商流が見えにくい世界観が広がっているとも感じ、いずれにしても根底としては「やっぱアメリカだわ、アメリカすげー」に無論変わりはなく思った次第です。




CV、CPC、CPAなどの言葉も踊るエリア、いうなればその走りも経験しましたが、2000年前半の頃に携わり始め、すぐに月次1,000万円前後の営業利益が出るようになり、私の場合は当時社員が数名程度でほとんどおらず固定費もさしてないので、つまりは26歳ぐらいの男の子が税引き前ですが自由に使えるFCFを手に入れました。



ネット上で広告やプロモーションを展開して、広告の成果は資料請求や無料サンプル請求、会員入会等をゴールとして、プロモーションの成果は実際に売れることをゴールとして、1成果あたり数千円から数万円を頂くビジネスで、24時間、日中は盛大に、あるいは深夜3時朝方4時5時であっても絶え間なく、当時「Becky!」というメーラーで設定したメールを受信すると「フォンフォン」という確認音が絶え間なく鳴るのですが、それがチャリンチャリンとお金が入ってくるように聞こえる感覚でした。




天才のグッカーが一晩でプログラミングを勉強しながら作ったメルマガスタンドを始め自社サイトをいくつか展開も行い、一つに登録すると任意ながらはじめからチェックボックスにはチェックが入っている状態にして、コンセプトが異なるしかし属性は繋がっている数サイトの会員に同時になる仕組みで、会員を一気に数倍増産の囲い込み作戦も進め、スパム感がでないように、正確にはメルマガの解約率が上がらぬよう丁寧にしかし盛大に広告を打って行き、受注した広告やプロモーションをその会員リストへも投げていき、加えて多くの提携サイトやアフィリエリトへも流しました。たとえば1件成果10,000円ほどで頂いて来た仕事を、1件数百円程度でアフィリエイトに下請け的に流すわけですので、一件粗利9,500円が数秒ごとに入っている感覚で、中には2万円頂戴できる案件もあったりしましたが、会員をゴールとするというネットその親和性も非常に高い中に、まだそのような動きも少ないわけの入れ食いですから、これはもう笑いが止まらない状況といえるかと思います。代理店目線にて「成果型のネット広告」に馴染まないのが店舗集客が一つあり、成果が分からない、または把握ができないので固定予算としてみてもこちらのやる気がでず、加えてプロモーションも広告に比べて労多くして利が薄くなり、前者は広告型、後者はモール型ビジネスとその中でアフィリエイト等にそれぞれ吸い寄せられ、住み分けがなされていくようになるのだと思います。




このような仕事、数社分が積み重なり、一ヵ月に1,000万円の手数料として営業利益があっという間に出るようになったわけですが、これが三カ月で飽き始めます。一つは「こんな美味しい状況はいつまでも続かないだろう」と感じ受注単価が先々下がっていくのではないかという見通しが興味を薄弱させたこと、一つはナレッジとして底が浅いと業務に対して感じ、つまりはWEBマーケと広告の書籍をそれぞれ1冊も読めば十分トップクラスな知識量とセンスを持てる業務かと思いましたので、先々競合が増えてゆくゆく大元はG社やF社はいいとしても、その先でちょろちょろ動いていても価格競争が主だった疲弊戦が将来的に待っているのではないかと思ったことと、




最も飽きた要素としてはビジネスそのものというよりも、好きに毎月1,000万円使える環境に刺激がなくなったことです。若かったゆえに刺激の減退が速かったという側面もあるやもしれません。加えて、大手企業の伝統的広告がここまで短期にネット広告へ移行し市場が急速に年々成長し拡大していくという読みができず、あるいはどうせ将来的には電通の下請けになるのだろうという感覚があり、これらのことも興味が引いた原因かもしれません。またはyoutubeやFBなどの台頭など想像もせず、案件単価の向上など思ってもみませんでした。





いずれにしても若い男子に十分なしかし刺激がなくなった経済環境をどうしていくかというと、私の場合は、不動産に価値を変えるでもなく、まだ飲みにもいくわけでもなく、ブランド品を買い漁るでもなく、一つ美容院を遊び半分の勉強で買ってみたあとは本業としてはそこから雇用の増大に舵を切っていくことになり、営業利益を潰して固定費に変えていく作業に取り組んでいくことになります。




先を見据えた事業投資があるわけでもなく、お金があってもしかたないし、暇だから社会貢献のことを考えて雇用を増やすか、という感覚に基づいた作業はあとにして思えば人的リソースへの事業投資ということに分類される行為であり、業績が向上していきますが、その結果としての道中はたくさんの人や組織に関する経験をさせて頂き失敗も重ねていくことになります。たとえば一つ大きな失敗や不理解というものを挙げますと、それは「バカ」という単語を多用するようになることです。つまりは天狗になり、人として奢り、他方でそれが相手に対して「なんでこんな簡単なことができないんだ。大学出てこれ?社会に出て20年でこれ?」と莫大なストレスと憤りを生んでいくことにもなります。このときはトランポリンをベッドにして寝るにあたり、さすがに横はスペースがないと辞退すれば近くに私の寝床を作ってくれて、しかし途中まではトランポリン睡眠に付き合った夜でした。




今でいうところのマウントを取る、フィリオ氏のかかと落としかと思うような優位な立場の上にさらに上から目線、周りを見下す、心の底からバカにする、私の場合は同時に周囲への感謝はありましたが敬意や尊敬は微塵もなくでした。




そうして中年になり今、若手経営者殿のSNSを見ましたが、バカ、ゴミ、くそ、カス、雑魚という表現が散見され、ある方は「バカ、ゴミ、雑魚」の三点セット多用が目につきましたが、私の場合は「ゴミくそカス」の韻が気に入っていました。単語に多少相違があるだけで、何ら変わっていないのはビジネスも天狗への変身という人間性もさして変わらずです。





youtubeを拝見すると理知的なのにSNSを見ると「マウント取るやつ最悪」「がつがつ来るやつうざい」「攻撃的なやつ〇ね」など前置き的にありながら、「いろんな考え方あるの分からないの?」と評している一方で「努力しないやつはだめだ、だから雑魚のままなんだよ」「バカうざい」など毒づきが散見され、多様性の理解が進んできたという割にはヒューマンリテラシーというのか、モラルリテラシーというべきか、が思いのほか現在でも進んでおらず、アンバランスさを感じもしました。




たとえばエアコンの性能は格段に向上し新しい機能の名称がしゃれているだけで本質や実態はさして変わっておらず、



かつそれを取り付ける作業手順やコツ、あるいは作業する人々やその会社の社長も、この20年さして変わっていない、というのと同じと考えてみれば分かりやすいのか、


大まかにそのような二点が「結局同じで変わっていない」と感じた次第ですが、





人を馬鹿にしてはいけない、そう言ってはいけない、言わない方がよい、いや思うこともよくない、怖いことである、と伝えたいと同時に、そう思わなくて済む考え方、理解の仕方があるように、思い至っています。






岐阜から友達が遊びに来てくれていた間、プラレールで遊んだようです。パパは日帰り温泉で半日過ごして久しぶりにゆっくりさせてもらいました。





「人を馬鹿にしない」そのような価値観を伝えていけられたらと、大切なテーマとして今後とも考えていきたいと思っています。そしてむしろ尊敬する人は周りにたくさんいて、それを知るようになると、たくさんの幸福感に包まれていくことも伝えていきたい事項です。





Posted at 2020/09/22 13:02:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | サイクリング | 日記

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「@すぎすぎすぎ さま おぉいつの間に!試してみます。AI消しゴムがローカル依存になって性能ダウンしたり、あれやこれや日々変化すごくてついていくのに必死です(笑)」
何シテル?   11/19 13:12
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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