一昨年ビアンキで碓氷川九十九川サイクリングロードを走り、新島襄ゆかりの
群馬県安中市の安中教会を観てきましたが、

一昨日は利根川自転車道から高崎伊勢崎自転車道へ、更に碓氷川九十九川
サイクリングロードを走って安中市内の新島襄ゆかりの名所を観てきました。
距離的・時間的にロングライドになりバテそうなので、GH8ラダメス丸で伊勢崎
までトランポします。

何故伊勢崎かというと、群馬を走る時は必ず利根川CRを起点にしていたからです。
こちらの自転車道は、「赤城山を眺めながら走れる!」 私的には”日本一の山です
赤城山は、”
五料橋上空、ウルトラライトプレーンが飛行していました。気持ちよさそうです。
高崎伊勢崎自転車道を群馬県道13号線の柳瀬橋までやって来ると、烏川の
向こうに群馬の森が見えてきます。第一の目的地です。
こちらの群馬県立近代美術館で開催中の企画展「生誕150年 湯浅一郎」展
を観てきました。湯浅一郎は群馬県安中市生まれの洋画家です。山本芳翠や
フランスから帰国した黒田清輝に師事し、明るい光の反射や空気感を描きだす
「外光派」の画風がおなじみです。展覧会では風景画や日常的な何気ない女性
の姿や渡欧中にスペインで制作されたベラスケスの模写などを観る事が出来ます。
企画展「生誕150年 湯浅一郎」 | 群馬県立近代美術館
国道17号の旧道を走って、高崎市の城南大橋から碓氷川九十九川サイクリング
ロード入り、烏川を遡上し目的地の安中市内を目指します。
昨年も訪れた安中教会(新島襄記念会)です。
以前のブログ”安中教会”
明治11年日本人の手によって設立された日本初の教会です。この礼拝堂は大正
8年に新島襄召天30年を記念して信徒の湯浅治郎らによって建立された大谷石
積みが美しい、尖塔を配したゴシック様式の礼拝堂です。
安中市指定史跡 新島襄旧宅です。
住宅街のなかにあり木造平屋建の簡素な二軒長屋です。保存状態も良く玄関を
入って奥の間が資料展示室です。渡米、宣教師任命・帰国、同志社設立等、
当時の写真と資料などが閲覧でき、管理人さんから丁寧に説明していただきました。
新島襄は元治元(1864)年国禁を破り函館から国外脱出、米国で学問とキリスト
教を納めます。1874(明治7)年、大学設立と布教という大志を抱き帰国した襄が
真っ先に向かったのが安中であり、こちらで両親と10年ぶりに再会を果たします。
その後の新島襄先生の足跡は、NHKの大河ドラマ「八重の桜」でよく知られる
ようになりましたね。
新島襄先生ゆかりの有田屋さんは残念ながらお休みでした。
醤油味噌醸造業の有田屋三代目当主で社会運動家であった湯浅治朗は、明治
5年日本で初めての私設図書館「便覧舎」を創設し、和漢や西洋の古書や新刊書
など約3000冊の本を一般の利用者に無料で公開した。明治11年湯浅治朗ら
求道者30名が、こちらで新島襄先生から洗礼を受けたのが安中教会の始まりです。

1893(明治26)年火災で全焼したため、有田屋の道路を挟んだ向かいに碑が残
るのみです。
最初に群馬県立近代美術館で観た企画展の洋画家・湯浅一郎は、湯浅治朗の
長男です。湯浅一郎の作品の中には「ISIDRO YUASA」(イシドロ ユアサ) と
サインがあるものがあります。「イシドロ」と「一郎」の音が似ているので、スペインで
カトリックの聖人、聖イシドロ農夫の名を自分の名前をスペイン風にもじったようです。
来週5月13日には日本マラソン発祥の地と言われる安中市では、
侍マラソン大会 安政遠足(あんせいとおあし)が開催されます。
安政遠足 侍マラソン大会
峠コースのゴールは碓氷峠の熊野神社だそうです。

安中文化センター(安中城址)にある安政遠足の碑、真ん中の小さな穴から
眺められるのは碓氷峠方面だそうです。
Posted at 2018/05/06 20:53:53 | |
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