渋沢栄一翁ゆかりの施設を訪ねて
深谷には煉瓦積み建築がアートになってしまった建物があります。渋沢栄一翁の
喜寿を記念して世田谷区瀬田の第一銀行保養施設に建設された誠之堂です。

設計は田辺淳吉、白っぽい生焼け煉瓦と黒い焼過煉瓦のモザイクが美しい施工
になっています。1999年保存のため当地に移築される。いわば故郷に帰ってきた
煉瓦です。2003年には国の重要文化財に指定。
私の煉瓦コレクションは、日本煉瓦製造上敷免工場の刻印煉瓦です。
左;明治期の”上敷免製"刻印 右;昭和初期の"日煉”の刻印
日本煉瓦製造の煉瓦刻印は時代ともに"上敷免製”~"日煉”~"日本"と変遷
しました。

上敷免工場の脇を流れる備前渠用水路に架かる備前渠鉄橋は、明治28年煉瓦
を運搬するため深谷駅まで敷かれた専用鉄道の遺構です。現在レールは撤去されて
遊歩道になり当時の面影はありませんが、深谷寄りの福川に架かっていた鉄橋は河川
脇のブリッジ・パークにほぼ当時のまま保存されています。
どちらの橋梁もイギリス人鉄道技師ポーナル設計による現存する最古のポーナル型プレ
ート・ガーター橋です。敷設されたレールには、" S J C " "1894"年 の刻印がある。
ベルギーのジョン・コッケリル製鉄所(Société de John Cockerill )製です。

私が今まで観たレールでは最古級のレールです。さらに上敷免工場の敷地内には同
レールとおぼしきレールが野積みされていた。操業当時敷設されていたレールと思われ
ます。いずれも明治政府の帝都近代化に大きく寄与した煉瓦生産を知る上で貴重
な遺構です。
2006年日本煉瓦製造は自主廃業しましたが、不要になった煉瓦を敷地内や備前
渠用水路へも廃棄したのだろか。この刻印煉瓦はこの川底で採取した(拾ってきた)
貴重な煉瓦です。
「あかね通り」とは、日本煉瓦製造上敷免工場の専用鉄道線跡に造られた遊歩道の
名称です。名前の由来はこの線路から全国へ運ばれた煉瓦の色からでしょうか。
Posted at 2021/03/04 20:26:14 | |
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