昨日戻りました。
出発10月、帰国12月 そしていきなり年末。
グルッと回りましたが、真夏の国あり真冬の国あり結構オールシーズンでした。
今回はことのほか長かったのです。
でも、ある程度無事に戻れたのでヨシとしましょう。
中東A国到着早々、事務所の電話と電気がブッ壊れたので、修理をしてもらいました。
業者曰く、朝イチに来ると言っていましたが、実際来たのは昼イチでした。
しかも業者ではなくその弟の親戚の友達という謎の人が来て直していったのだけど、
感電しないのが不思議な作業風景、且つ感電の危険などどこ吹く風的な笑顔がステキ。
この辺が中東を感じます。
今回は劣悪な環境にある中東A国駐在員が、日本での治療を要する病気を患って
しまったので帰国するよう辞令を携えて行きました。
フツーは大本営から帰国セヨ!の連絡がきたら、皆もろ手を挙げて喜びます。
ケツ紙でさえ困る国にはいたくないでしょうし・・・気持ちは良く分かります。
ただ、今回の駐在員は別物で頑として日本に帰りたくない!と言い張ります。
この中東A国がたまらなく好きなんだそうです。
私:「日本に帰ってゆっくり治して、また戻ってくればいいじゃないか」
彼:「治ってもまたココに戻れるとは限りません!」
(完治後5年~7年は渡航できない規定になってる)
私:「でも死んだら元も子もないぞ」
彼:「わたしくをこの地で死なせてください!」 (超真剣)
私:「オ、お前、そんな無茶言うな!」
まー、ほとほと手を焼きましたが、
嫌々やってきた次の駐在員が現れて渋々帰国した次第。
空港で恨めしい眼を向けて出発ゲートに入っていく姿が印象的だった。
彼は常に温和で笑顔を絶やさず「ははあ、なるほど」、「やっぱりそうですよね」などなどと
人の話を良く聞いているように見えますが、実際は私と同様他人の話など聞いてるフリして
ハナクソ程も参考にしないタイプです。
自分を見ているようで怖かった(苦笑)
そんな彼も大本営付きのエリートさんなので、数年後は私の上司になってるかもしれませんけどw
さてさて、独立中隊付けの私は中東A国からB国へ陸路(バス)で越境します(格差を感じる)。
実際はこのルートは近道なので選びましたが初です。
他の行商仲間からこのルートは「家畜も金属探知機で調べられる」と聞いて
その警備の厳しさを想像しましたが、結構アバウト。
全体的に中東独特のガサガサと雑な感じで販促グッズのボールペンを没収とか
お約束な因縁はありましたが何とかスルー。
中東B国→アフリカA国出発で空港に一昼夜留め置かれ心が折れそうになりましたが、
アフリカB国では空港に二昼夜足止めを喰らい発狂しそうな感じを残しつつ、
中東C国に戻り→中東D、E、F国で腹を壊して、東南アジアA、B国で真夏を堪能しました。
最終的には自分が何処にいるのか分からなくなり、帰巣本能で気が付いたら成田でしたw
発生した諸般をトータルで考えると常人では精神が分解するスケジュールでしたが、
今回は行商マイスターでもキツかったです。
Posted at 2013/12/10 15:03:54 |
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