【なぜ私がガイガーカウンターを持っているのか!?】
今回、飛行機に持ち込んだガイガーカウンターは
私としては2台目のガイガーカウンターで、
スマホ一体型のガイガーカウンターです。
ガイガーカウンター付きのスマホでした。
最初に購入したガイガーカウンターは、
そう。【3.11 東日本大震災 福島第一原発水素爆発】の時に
ベラルーシ製のガイガーカウンターを購入しました。
時間を2011年3.11に戻します。
「3・11の津波」のTV映像をかじりついて見ていたksは
「行かなきゃ!」
と、単純に、そして純粋に思いました。
一日、津波の映像にかじりつき、
心の中では 「行かなきゃ! なにか出来ることをしなきゃ!」
と心の中で 叫んでいました。
ただ、心の中では
「俺一人で行っても、何が出来る!? 行くなら、少しでも助けになる家族3人で!」
と考え始めました。
ただ、この時点では まだこの気持を家族には言っていませんでした。
翌日の3.12に見たのがこれ!
この時も、
「行かなきゃ。 行くなら 少しでも 手が取れる 家族3人で!」
「でも、放射能はどうする? 娘は女性で、まだ中学2年生だぞ。
親としてどう家族を守りながら現地へ行くんだ?」
と考え、ネットを使い、必要なモノを調達始めました。
◯放射性ヨウ素をブロックする 安定化ヨウ素剤(ヨウ化カリウム)
◯放射線を測定するガイガーカウンター
「安定化ヨウ素剤」は、ネット上で薬の並行輸入業者が扱っていましたが、
すでにこの時点で、日本政府から
「ネット薬局の安定化ヨウ素剤は一般には販売せず、全て福島に送るように」
と通達が回っていて、我々民間人が日本語サイトでは購入することが出来ませんでした。
なので、アメリカのサイトから直接 「安定化ヨウ素剤」と「プルシアン・ブルー」を
アメリカのファーマシーサイトに発注し、輸入することにしました。
ガイガーカウンターも すでに品薄で、使い勝手の悪い大型のモノか、
測定精度の低い簡易的なモノしか日本語サイトには残っていませんでした。
なので、ベラルーシという国に腕時計型ガイガーカウンターを発注しました。
(USドルで2000ドルしました)
↑
時計の9時の位置の丸い窓が 放射線検知センサー(ミューラー管)で、
6時の位置の表示が放射線(ガンマ線)強度で、
東京の地上では0.02~0.05μSv/hが標準的な自然放射線です。
この腕時計型ガイガーカウンターは測定精度も高く、0.01μSv/hから測定できます。
測定ログも時計内に蓄積できますし、
警報値を設定しておけば、万が一 放射線が高いエリアに入ると、
ピーピーと警報を出してくれます。
付属の取説はロシア語でしたが、
ネット上には英語版の取説もあったので、使うことが出来ました。
安定化ヨウ素剤やベラルーシからのガイガーカウンターが揃った時点で、
家族に切り出しました。
「3人で 行かないか?」
娘は、一言。「行きたい」
ワイフは大反対。
・「なんで私達が行かないといけないの?」
・「募金や義援金じゃだめなの?」
・「放射能はどうするの?」
・「行きのガソリンはどうするの? 隣のガソリンスタンドも5時間並んでいるよ!」
と大反対です。
ただし 、その後、見つめ合って、
娘の「行きたい!」の一言にほだされて、
ワイフも納得し、家族3人でいくこととなりました。
我々に何が出来る??
ただ単に何も考えず行って、言われるままにボランティアの手伝いではなく、
僕たち個人が出来ることは何なんだ?
腹をくくったワイフは 逆に積極的になり、 整体師としての現地で役に立つつもりでいます。
俺には何が出来る??
使い慣れないTwitterを使って現地の情報を探してみました。
そうすると、
宮城県南三陸町のある小学校に200人の避難者がいて、
水、電気も無く、お風呂に入れず困っている。。。のツイートが有りました。
お風呂に入れない。。という情報に対して
「ドラム缶風呂を作って持っていこう!」と 思いました。
でも、東京で ドラム缶風呂を作ったとしても、運べるのは1個か2個が精一杯。
一個だけじゃ足りなよね。避難所には200人もいるんだよね。
なので、
一個だけ東京で作って運び込み、現物を見せ、
後は現地で 漂流しているドラム缶を拾って、
発電機とサンダーで 現地でドラム缶風呂を作って増やしちゃお! 作戦で行くことにしました。
まず、ジェットスキー仲間のツテを頼って、ドラム缶を一個頂き、
ガレージで ドラム缶風呂を作り始めました。
娘にも、ドラム缶風呂作りを手伝わせさせましたが、

娘には こう、説明しました。
*
************
娘よ、お前が
被災地の現地で、(中2の)女の子が火花散らして
ドラム缶を切り始めれば
「俺もやってみる」という現地の協力者(大人)は必ず出てくるはず。
一人より二人、二人より3人。。。
現地で動く、手を出してくれる人を捕まえて、
たかだか1家族3人の機動力を何倍にもするためには、
彼らを動かす感動が必要。
その為には、ちっちゃな女の子が、彼らの目の前で、
火花を散らしながら ドラム缶を切れなくてはいけない!!
娘よ。
お前の行動を見せることが 現地の消沈した大人たちを動かし、
協力者を捕まえ、たかだか1家族3人のボランティアのチカラを
何倍にもするんだ!
*************
娘も、この説明には納得し、
初めて扱うサンダーや、
ドラム缶が残留ガソリンで爆発しないように、
水で満たしてから刃を入れることなどを真剣に聞いて
彼女もモクモクと作業をしました。
俺は何が出来るんだ?
Twitterには
「車は津波で流され、自転車さえ、瓦礫を踏んで みんなパンクしてしまう」
という情報がありました。
俺は「自転車のパンク修理が出来る」と思い
バイク仲間に 持っているパンク修理キットをたくさん頂きました。
東京消防局にはボランティア登録をし、
警察署には 今回のボランティアで出向くこととその内容を説明し、
妻の整体師の技能や、お風呂を作る(=衛生設備の作成)プランを説明し、
なんと、福生警察署管内では 民間人として初めて「緊急車両通行証」を交付されました。
当時、東北自動車道は 自衛隊と警察、医療関係者以外は通行出来ず、
この「緊急車両通行証」を持つものだけが通行出来たのです。
準備が整い、トレーラーにドラム缶や医薬品を満載し、
東北自動車道を宮城県に向けて北上しました。
丁度、福島西のインターに差し掛かった時に、
腕時計のガイガーカウンターの警報がピーピー鳴り始めました!!
福島第一原発からは64kmも離れてるのですが、
通常の10倍近い0.28μSv/hの放射線量です。
う~~ん。ニュース報道にはありませんでしたが、
ここまで放射能物質は流れてるんですね!
事前に安定化ヨウ素剤は家族で飲んでから出発してたので良かったです。
僕は現地で、瓦礫でパンクした自転車の修理を始め、
ワイフは整体で、硬い体育館の床で寝起きして 腰が痛くなった人たちの介抱を始めました。
他のボランティアの方が、避難先の小学校に残っていた習字セットを集めてくれ、
半紙は無かったので、救援物資のダンボール箱を割いて、半紙の代わりにして
娘達が避難している小学生を集めて習字大会をして 楽しみました。
習字をした小学生は
素直に、
「元の南三陸に」
「未来を信じて」
そして 娘は ずばり 「生きる」 と書き上げました。
そういったみんなに とても感動しました。
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