
広島のマツダ本社の【マツダ・ミュージアム】に行ってきました。
せっかく東京から広島に行くのだから、いろんなところに寄り道しながら
行ってきたksです。
コースは東京→広島県尾道→しまなみ海道→愛媛県今治→
松山観光港→フェリーで広島県呉→大和ミュージアム→マツダ本社→
山口県錦帯橋→姫路城まで下道→ここから高速道路で東京まで
というルートで行きました。
マルビ(○貧乏)のks家は、お金は無いけど、心には余裕があります。
いろいろ寄り道しながらの遠出です。
八王子インター手前のコンビニでコーヒーをチャージしてたら、
ライダーさんにご挨拶して、写真を撮らせて頂き、八王子インターから圏央道→新東名高速に入りました。
(豊田ジャンクション) 風力発電 たくさん!
(長島スパーランド) 降り口渋滞を横目で見ながら通過!!
(山陽道を広島方向に!)
(広島県尾道からしまなみ海道を通って 愛媛県今治に向かいます)
途中の島のお土産屋さんは、カープ関連のお土産が多し!
(しまなみ海道の途中の島 ”大三島”に続く、【多々羅大橋】↓
この「多々羅大橋」が見える公園にはちょっと思い出があり、
後ほど、後述します。
そう!この公園の砂浜の前の海の透明度の高さ!
この海岸はちょっと思い出のある砂浜なんです。
だいぶ前の話ですが、
僕は このビーチで開催されたジェットスキーのレースに出場しました。
もう30年も前の20歳代のころ、
僕はジェットスキーの国際クラスで転戦していましたが、
30歳前にレースは引退し、
その後、結婚し、娘も生まれました。
ジェットスキーは(娘も含めた)家族とレジャーとしてジェットスキーで遊んではいましたが、
やっぱり、レースのマネごとっぽく乗っていたので、
娘もジェットスキーをそれなりに(レースっぽく)乗れるようになっていました。
(ま、娘は モトクロスの方が 本業でしたが。。。。)
僕がジェットスキーの国際クラスから引退してから10年以上経っていましたが
娘が物心ついてきたので、娘の前でレーサーの僕の姿を見せるために
12年ぶりにレースにスポット参戦しました。
一度引退していたので、国際クラスから、国内クラスへ降格しての出場でしたが、
娘の前で 生でレースシーンの親の背中を見せれてよかったです。
そして、そのレース会場が この多々羅大橋の前のこの海岸でした。
↑スタート列の手前から2番目のネイビーブルーのマシンが僕ですが、
走っている映像が遠すぎて、ちょっとわかりませんね。。。^^;
娘の方も、16歳未満は船舶免許が取れないので、公式の大会には出場できませんが、
地方の草レースには 大人に混じってレースを走る度胸はついていました。
この翌年の2008年には、娘と一緒に USAののアリゾナ州レイク・ハバスで行われた
ジェットスキーの世界選手権を家族で見に行きました。
ジェットスキーの世界大会を見に行く。。というだけでなく、
僕としては 併催される世界から集まる13歳以下のジュニアクラスの下見を兼ねて行きました。
実は、僕としては ジュニアクラスに アメリカに参戦するのは、日本人で他にはいない!と思っていましたが、
なんと、行ってみると、日本人のジュニア選手が参加していました。
その選手とは
【小原 聡将(としゆき)】選手でした。
小原君は当時娘の一つ上の13歳で、すでにレース会場では アメリカ人と同化していて、
いろんな大人たちの中で、レース順を調べていても、アメリカ人から声をかけられる存在になっていました。
小原君以外にも、世界中からジュニア選手が集まっていました。
下の写真は イギリスから参加してきたジュニアの選手です。(娘と同じ11歳)
この後、小原君は レースでも認められ、ドバイの王様に迎えられ、 小原くんのお父さん(お父さんもレーサー兼メカニック)と一緒にドバイに移住し、
レーサーとして世界を転戦する様になり、
世界チャンピオンにまで登りつめました。
(日本人は誰も 小原君のことなど しらないけど。。。)
いや~~! すごい話ですね。
ま、娘はここまでは 届きませんでしたが、
娘もやっぱり なんとなく、世界に目が向くようになり、
今は大学を1年休学して、オーストラリアの農園で働いて収入を得ながら暮らしています。
さて、話を多々羅大橋に戻します。
さて、この
多々羅という地名は、古代製鉄の「たたら製鉄」に由来します。
そう、「もののけ姫」に出てきた「たたら場」と言っている
実は、今回の旅のメインである、広島のマツダや、呉の戦艦大和を作った造船所など、
鉄鋼業が興る背景は、
古代の「たたら製鉄」における、当時の日本の半分の鉄を作った
この中国地方の背景によります。
歴史って、意外なところでつながっていますね。
マツダミュージアムの中の説明のなかにも、
この「たたら製鉄」を紀元とした広島地方の製鉄関連産業の発祥には触れた説明がありました。
さて、この「道の駅 多々羅しまなみ公園」の「しあわせの鐘」をワイフと一緒に鳴らして
今治に向かいました。
しまなみ海道を渡って、今治、松山を観光し、
その途中で松山にある、「ケン・マツウラ レーシングサービス」の工場前で記念写真をパチリ!
実は、この敷地には地下工場があり、地熱が安定しているので、精密な加工が出来、
世界のF-1の70%のチタン・コンロッドは、この地下工場で製造されているという、
すごい工場なんです! \(^o^)/
ボクも この工場の門の前まで行きますが、
半地上の事務所以外には 工場は 地下に潜っているので、見えません。
マニアでないと、この敷地は ただの 丘のの一角に事務所がぽつんとある 贅沢な事務所にしか見えません。
でも、このドライカーボン製郵便受けに しびれます。
下のコンロッドはヨシムラのSBNと鈴鹿8H耐久マシンのチタン・コンロッドで ケンマツウラ製です。

オンリーワンで世界一を走る企業です。
松山観光港から、CX-5としては 初めてフェリーに乗って広島の呉に向かいます。
海沿いには、「日新製鋼」や 多数の造船所が!
まさに、「現代のたたら製鉄」ですね。
呉港に近づくと、自衛隊の艦艇が見えてきました。
その先には、大和ミュージアムが!!
し、しか~し、 大和ミュージアムは 火曜日は休館日でした!
え~、こういったところで、休館日があるとは思わず来たのですが、
がっくり!! _| ̄|○
潜水艦あさしおを展示している「海上自衛隊呉資料館」も休館です。
でも、退役潜水艦と言え、実物を展示しているのに、
潜水艦の中に入れる様になっていないのは、
日本って馬鹿ですね~!
ただ、(入れない潜水艦に)展示するだけで 人が来ると思ってますから。。。
**みん友さんより情報あり。***
この潜水艦、「鉄のクジラ館」というそうで、部分的に入れるそうですm(_ _)m
休館で何も見えなかったので、隣のスーパー ゆめタウン で
「海自カレー・潜水艦味」を買って帰りました。

↑潜水艦味の海自カレー 食べてみましたが、コクがあり、とっても美味しかったです。
さすが600円のレトルトカレー!です。 (本音は500円くらいにしてほしいけど。。)
僕は海外ではソ連の潜水艦の内部に乗り込めました。
さて、大和ミュージアムでは何も見れなかった呉港を後にして、マツダ本社に向かいます。
マツダ・ミュージアム見学の予約時間より早く到着したので、
向洋駅前のお好み焼屋さん「ひらり」で、お昼ごはんです。
↑僕も広島お好み焼きを自宅でつくるのですが、この最初の生地が うまく焼けないんですよね。
焼くコツを聞いてみると、 鉄板の温度を低くすると うまく薄く均一に生地が広がって焼けるそうです。
こんど、自宅でやってみます。\(^o^)/
【マツダ広島本社 マツダミュージアムに入りました!】
本社受付兼マツダミュージアム 受付
商談の外国人もたくさんいらっしゃいました。

さすがマツダ本社、 受付のみなさんも 美しい方々で 固めています。
マツダミュージアム見学で最初に上映されるムービーには
「たたら製鉄」の説明も入っています。
お決まりの「日本車で唯一 ル・マンで優勝した チャージ・マツダ 55号車」
ただし、僕は いつまでも このチャージマツダの優勝にすがっているマツダに
ちょっと残念です。
僕は 下記のPVをまとめたセンスがいいプロデューサーに興味があります。
この動画、マツダが作ったのではなく、マツダマニアの方が作ったモノです。
すごくセンスが良く、マツダも こういった方を雇うべきだと思います。
↓↓
そして、早く、メインの展示が
「過去のマツダ」
ではなく、
「今と未来の マツダ= スカイアクティブーX」に置き換わることを期待しております。
頑張れ、マツダ! \(^o^)/
マツダ本社を出て、
お決まりの宮島
山口県の錦帯橋
また広島市内に戻って、原爆ドーム
帰りの高速代がなくなってきた マルビ(○貧乏)のks家は ここからはずっと下道で東京に向かいます。
(改修終わった 白が眩しい姫路城)
道路に左に、動物の形に刈り込んだ 植栽発見!
ヘロヘロになりながら、東京に到着しました~~! \(^o^)/