2009年01月31日
偶然つけたTVで
たんぱく質、アミノ酸、ビタミンなど人間にとって大切な栄養が多い麺は
そば>うどん>ラーメンだとフリップが映っていた。
知人が蕎麦(そば)打ち職人さんから聞いた話。
「ラーメンをつくるときには”灌水(かんすい)”という特殊な水をいれます。
灌水はアルカリ溶液で、これを小麦粉と混ぜるとラーメンの麺が出来ます。
しかしその中で有害物質であるアンモニアなども発生させます。
麺自体の味はそもそも味気ないんです。
だからどうしても味の強いスープが必要となります。
塩分や脂がたっぷりのスープ。
この組み合わせがあるので美味しいラーメンが出来るんですが、健康を考えると身体に良いとは言えません。
蕎麦屋の店主が長生きするのに比べ、ラーメン屋さんのご主人は長年こうした味見をしなければならないせいか身体を壊す方が多いんです。」
う~~~む。
そうなのか?
それとも蕎麦屋のプロパガンダなのか?
嘘だというならラーメン職人は、蕎麦屋より健康で長生きして貰いたいと思う。
昔からラーメンは好きだったけど、麺の味、香り、食感を比べたら「蕎麦>うどん>中華麺」の順だな。
食の質は大事なので、選べるなら蕎麦を選ぼうと思う。
Posted at 2009/01/31 21:52:19 | |
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食べ物 | 日記
2009年01月30日
生命保険のサイトをのぞいていたらこんなのが↓
<次のような場合には、保険金・給付金が受け取れない場合があります。>
死亡保険金・死亡給付金が受け取れない場合
契約した保険の責任開始期から一定期間内(2年~3年)に被保険者が自殺したとき
契約者または死亡保険金(給付金)の受取人の故意によるとき
戦争その他の変乱によるとき
災害による保険金・給付金が受け取れない場合
(上記「死亡保険金・死亡給付金が受け取れない場合」の項目のほか、下記に該当するとき)
契約者または被保険者の故意または重大な過失によるとき
災害死亡保険金の受取人の故意または重大な過失によるとき
被保険者の犯罪行為によるとき
被保険者が法令に定める運転資格を持たないで運転している間に生じた事故によるとき
被保険者が法令に定める酒気帯び運転またはこれに相当する運転をしている間に生じた事故によるとき
地震、噴火または津波によるとき など
なお、生命保険会社によって若干取り扱いが異なりますので、詳細は生命保険会社にご確認ください。
******
ということは、無免許運転、酒気帯び運転は、自爆して死んでも保険金が出ないので迷惑なだけですな。
地震、津波でも保険金が出ない場合があるので、海辺の人は逃げましょう!
自然災害は、特約つければいいのかもしれないけど、人為的なもの、無免許や酒気帯びは公序良俗に反するから、無理やり特約をつけさせても無効なのだ!><
Posted at 2009/01/31 09:34:41 | |
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資産整理 | 日記
2009年01月29日

百円ショップにて
三玉で百円のところ半額なので50円。
やっぱり半額セールに弱い主夫なのであった(笑)
Posted at 2009/01/30 10:26:25 | |
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食べ物 | 日記
2009年01月28日
「人間の価値は何を成したかではなく、何を考えているか」
「考えたこと、思考は現実化する」という意味で、これは大事。
もっといえば、”今”何を考えているかだし、どんな感情かも大事だ。
人は”今”しか生きられないのだから。
「引き寄せの法則」によると「内なる自分」と思考の方向が一致していれば「良い気分、感情」で、相反していれば「良くない気分」になるという。
どんなに「理想的で良いこと」を頭で考えても心の中で「でも本当は違う」と思っていたら、現実化しないし、下手すればストレスから病気になるろう。
それゆえ、感情は行動や考えが内なる自分とあっているかどうかのナビゲーターとしてみれば良いとのこと。
「宝くじで1等当てたい!」⇔「でも確率的に無理よね」←これでは、当たるわけが無い。
また、お金があれば全て上手く行くかといえば、そうでもない。
「お金が必要なのは、実は○○のためだった」という本音の部分を認識しないと考えと合致しないから良い感情にはならない=現実化しない。
また、一見願いがかなった様に見えても不幸になる例もある。
気の毒な例では、老夫婦が「(息子に迷惑をかけないように)お金が欲しい」と一生懸命祈っていたら、確かにお金が入ってきたけど、それは息子が交通事故で死んだ生命保険だったという話を聞いたことがある。
まるで悪魔と取引でもしたかのような話だ><
いずれにせよ、感情を押し殺さずにナビとして活かせるようになれば、自分と戦うような日々から開放されると思う。
そして本音と考えと行動が一致したら、それだけで幸福だと思う。
「幸福は、なるものではなく、感じるものだ」という人もいる。
そうならば、一見良くないことでも一瞬で考え方を切り替え、幸福を感じられる人が幸せなのだ。
そして幸福な人には、不幸は似合わないから、良いことが雪崩のように降り注ぐとも。
「引き寄せの法則」、「類は友を呼ぶ」、「笑う角には福来る」全部同じ。
「自分が変われば相手が変わる」という。
これは、言い換えれば
「自分が変われば世界が変わる」ということ。
この世界をどう感じるかは自分次第(成長や気付きなど)ということですな。
それを妨げるのがマスゴミの良くないニュースや学校教育に潜む洗脳なのだと思う今日この頃。
Posted at 2009/01/29 17:11:16 | |
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気づいたこと | 日記
2009年01月27日
昔は「人間の値打ちは何を成したかだ」というのが、与えられた価値基準だった。
でも本当だろうか?
どんなに世の中に貢献したとしても家族や身近な人に迷惑や犠牲をしいて、大きなことをしたとしても失ったものは取り返せない。
仕事優先で家族の一大事にも駆けつけず、後に辛い思いをする人(大抵は父と子)の話はドラマの定番だ。
本来、価値感は人によって違うはずだ。
環境も境遇も考え方も感性も違うのだから。
なのに学校やマスメディアによって、画一的に洗脳させる。
おかしいと反発する者は落ちこぼれ扱いされる。
私も規格外だという自覚はあった。
押し付けられた規格(工員確保が目的だと誰か言ってた)に入らないなら、規格の外で生きればいいだけの話。
ここ数年で自分の基準が変わった。
「人間の価値は何を成したかではなく、何を考えているか」だと。
考えることがやがて形を成すのだから、結果が全てではなく、プロセスや目標に意味があると。
間違った目標(仕事で名を上げても家族が犠牲になったらダメ)でなく、正しい目標(世の中に貢献できて家族も幸せになれる)を設定できるはず。
何かを成すのに何か犠牲がいるという考え方が間違っているし洗脳なのだろう。
間違った考え方は、間違ったソフトウエアなのだ。
教育やマスメディアを通してそういうプログラムを広めているとしか思えない。
人生を経験を積む場だと思えば、この世に無駄なことは無いので勝ち組も負け組みもない。
勝った負けたと騒いでみても100年後には、今の人間は皆死んでるのだ。
結果が全てとか数字が全てというのは会社や組織が人を道具として扱うための便利な統一規格というだけのこと。
ソフトが大事だというのは、何を目指すか、考えるかの基本となるからだ。
人は自分の中に無いもの(気がついていない)は、出せない。
親から愛情を受け、感じて育った人は自分に価値を見出し、人も愛せるが、そうでない人は、自分も人も愛せない。
例えばOS・基本ソフトには”愛”があってもアプリケーションソフトに不具合(バグ、エラー、傷)があれば、それは上手く出力できない(意地悪やゆがんだ表現になる)し、自分では原因も分からない。
そう考えたら、人生ってバグとりみたいなものかもね。
先祖代々からコピーしたソフト(考え方)の傷、バグ、エラーの修正作業^^;
自分では分からないから、多くの他人と接しながら良い点を学び直していく。
でも一番良いのは、ソフトの製造元(創造主?)から直接ダウンロードすることなのかも知れない。
少なくとも人間が戦争の口実にしているような宗教の中には”愛”のオリジナルソフトは無いでしょう。
というわけで、私は宗教には興味が無い。
でも信仰は持っている。
自分も宇宙の一部だから根源の部分では、全てに繋がっていると。
…後日につづく(体が冷えてきたw)
Posted at 2009/01/28 05:47:16 | |
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気づいたこと | 日記