
クルマ・ジャケコーナー第216回は、チューリップの「もっと幸せに素直になれたら」(1985)です。
チューリップ(TULIP 1971 - 89, 97 - 2008, 12 - 13, 16 -)、ご存知でしょうか?
チューリップは第33回
クルマ・ジャケ「銀の指環」/チューリップ で一度で取り上げてます。
大宮ソニックシティでの「TULIP 50周年記念ツアー“the TULIP”アンコール公演」参戦記念として、持ってるレコ・CDを中心としてまとめてみます。
1stシングル『私の小さな人生』(1971.7.5)
幻のデビュー・シングル(超レア盤! もちろん持ってません😿)
メンバーは財津和夫、末広信幸、宗田慎二、吉田彰の4人で1stシングルとしない場合も多いようです。
2ndシングル『魔法の黄色い靴』(1972.6.5)
メジャーデビュー曲、というかこれが1stでいいかと。
メンバーは、前列左から
財津和夫(ざいつかずお 1948 - )Vo,G,Key
吉田彰(よしだあきら 1948 - 2024)B
安部俊幸(あべとしゆき 1950 - 2014)G
姫野達也(ひめのたつや 1952 - )Vo,Key,G
上田雅利(うえだまさとし 1950 - )D
当時、クラスの女の子が夢中になっていたのを薄っすら覚えてます。
まあ、このグループ名と曲名ですからねえ、全く興味もてませんよ(笑)
でも、私の周りでは好きになる男子が結構おり、聴かせてもらううちにイイなあと。
1stアルバム「魔法の黄色い靴」(1972.6.5)
帯には“ブリティッシュ・フォークの武者”(;^_^?)
A4『ハーモニー』、A6『私の小さな人生』が好きです。
A3『千鳥橋渋滞』(作詞:阿部、作曲:姫野)もいいですね~
「TULiP TiMES」と大判ポスター付き
3rdシングル『一人の部屋』(1972.9.20)
“もっとも売れなかったシングル”なんだそう
2ndアルバム「君のために生れかわろう」(1972.12.20)
帯には“「チューリップ優位の法則」を君の耳で確かめたまえ!!”(;^_^???)
「チューリップ新聞」付き
4thシングル『心の旅』(1973.4.20)
『魔法の黄色い靴』、『一人の部屋』が売れず、背水の陣で作られた曲。
はしだのりひことクライマックスの『花嫁』(1971)を意識して作られたんだとか。
リリースから約5ヶ月後にオリコン1位に!(唯一の1位)
ディレクター・新田和長の意見で、録音当日にボーカルが財津さんから姫野さんに!この話は先日のライブでも財津さんが話してました。結果、大ヒットになったのですが、財津さんは、当時は相当複雑な気持ちだったことでしょう。
『ALICE / Tulip INTERVIEW』(1973)
非売品レコ。3ヶ月デビューが早いアリスがA面
どうすれば手に入ったのか、どのくらいプレスされたのか不明です。
1973年3月30日 東芝EMI第一スタジオにて収録ですから、『心の旅』リリース少し前のお喋り。
財津さんを中心として、四谷や白金に住んでる、舶来の楽器も買ったなんて話してます。
1stベスト・アルバム「TULIP BEST 心の旅」(1973.6.5)
『心の旅』の大ヒットを受け、新曲も入ったベスト盤。ベスト盤といってもヒット曲は1曲だけ。
でも新曲の『僕のお嫁さん』『道化者』『二人で山へ行こう』『風よ』『夢中さ君に』『田舎へ引越そう』はいずれも素晴らしく、大好きな曲たちです。
ポスター付き
「ラブ・ジェネレーション・ライヴ・コンサート」(1973)
「ラブ・ジェネレーション-全国縦断ニュー・フォーク・コンサート-」の初日、日本武道館に於ける実況録音盤(1973.5.1)
トワ・エ・モア、赤い鳥、杉田二郎、オフコース、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、はしだのりひことエンドレス、アリス、りりィなど、多数のバンドが出演
チューリップは『夢中さ君に』など4曲演奏し、このレコには『魔法の黄色い靴』『心の旅』の2曲のみ収録されてます。
ドラムにボーカルマイクが設置されておらず、曲目を『早くおいで』から『どうして僕は寂しいんだ』に急遽変更したんですって。
5thシングル『夏色のおもいで』(1973.10.5.)
松本隆の職業作詞家デビュー曲、そしてメンバー以外が作詞した唯一の曲(この時点で)。
南沙織もカバーしてます。
「夏の感情」/南沙織(1974)
“♪ きみをさらってゆく風になりたいな きみをさらってゆく風になりたいよ”を2回とも“なりたいな”と歌ってます。
1stライブ・アルバム「LIVE!! ACT TULIP」(1973.12.1)
渋谷公会堂(1973.9.23)における実況録音盤。
ジャケでスポットが当たってるのはタッチー。帯の写真で大きく写ってるのも、インサートで一人大きく出てるのもタッチ―。
シュン(安部)の“あの日のおもいで”によると、「当日は、楽屋にいろんな人が来てくれました。ガロの大野君、かぐやひめの3人、オフコース、バズ、あべ静江さん、カメラ小僧のしのやまきしんさんやたくさん来てくれました。」
豪華写真集付き
6thシングル『銀の指環』(1974.1.020)
3作連続、姫野さんボーカル。クルマ(?)ジャケなのです。
クルマ・ジャケ「銀の指環」/チューリップ、ご覧いただければ幸いです。
3rdアルバム「TAKE OFF(離陸)」(1974.4.5)
『セプテンバー』、『青春の影』収録。
安部・姫野コンビの『明日の風』、『サンセット通り』、『あの、ゆるやかな日々』そして安部さん作詞作曲の『ハートせつなく』もいいですねえ。
(ビートルズを意識した)大判ポスター付き
7thシングル『青春の影』(1974.6.5)
この歌が一番!という人(特に女性)も多いのでは?!
助手席のお方様もそう(;^_^A)
4thアルバム「ぼくがつくった愛のうた」(1974.10.5)
タイトル曲以外に『私のアイドル』、『ここはどこ』などを収録。
助手席のお方様の嫁入り道具(;^_^A)
28頁デラックス・アニメーション・ブックレット付き
↓ エミリー
8thシングル『ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜』(1974.10.5)
財津さんは「好きな曲だから自分が歌いたかった」そうですが、ヒット狙いで姫野さんボーカルに。
9thシングル『サボテンの花』(1975.2.5)
18年後、TVドラマ「ひとつ屋根の下」(1993)の主題歌としてリバイバルヒット(ソロ名義『サボテンの花〜ひとつ屋根の下より〜』として)。
5thアルバム「無限軌道」(1975.4.5)
『サボテンの花』、『人生ゲーム』収録。
A4『たえちゃん』(作詞:不詳 補作詞:財津、作曲:財津)は博多に伝わる春歌がモチーフだとか。
放送コードに触れる歌詞(個人名と学校名、卑猥と受け取れる単語)があるため、歌詞カードは空白に。

「TULIP Anthology 1〜Rare Tracks〜」(2000)には歌詞が聞き取れる無修正バージョンが収録され、歌詞も記載されてます。
10thシングル『悲しきレイン・トレイン』(1975.7.20)
B面『さよならのプレゼント』は安部さんボーカルの唯一のシングル曲(オリジナルアルバム未収録)。
「D.J. ALBUM」〔宣伝用見本盤〕(1975)

↑ レーベルには「TULIP DJ COPY」
いやあ、このレコがジャンク箱から出てきたときは驚きました!ファンの間では数千円で取引されてるというお宝レコ
「'75全国縦&横断ライブ!アクトチューリップ」のスケジュールが、9月24日<水>渋谷公会堂~12月24日<水>中野サンプラザまで載っており、
A1『悲しきレイン・トレイン』の発売が1975年7月20日なので、その頃に配られたレコと思われます。
『夏色のおもいで』『ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜』は入ってませんが、『風よ』『私のアイドル』などが入ってるのが嬉しいですね!
6thアルバム「日本」(1975.12.1)
A6『あのバスを停めて!』(作詞:安部、作曲:姫野)は財津さんと姫野さんのユニゾンで歌われる名曲。安部さんのギターソロも👍
10分を超える組曲『甲子園』も好きなんですが、ちょっと可哀そうで・・・
11thシングル『娘が嫁ぐ朝』(1976.4.20)
これも大好きな歌(たくさんありますが💦)。
1stカバー・アルバム「すべて君たちのせいさ All Because Of You Guys」(1976.6.5)
アビーロードスタジオ録音のビートルズのカバーアルバム(A1,B8を除く)
ちょうどWingsがレコーディング中(「スピード・オブ・サウンド」?)で、姫野さんがピアノで『レディ・マドンナ』を弾き、ポールがベースを合わせたとか!
12thシングル『風のメロディ』(1976.9.5)
シングルとしては唯一の財津・姫野共作曲でツインボーカル曲。
オリジナルアルバム未収録(アルバム「メロディ」用に制作されましたがシングルを売るために収録せず)
7thアルバム「MELODY」(1976.9.5)
A5『あの娘は魔法使い』(作詞:財津、作曲:財津・姫野)も大好きな曲
2ndライブ・アルバム「LIVE!! ACT TULIP Vol.2」(1976.12.1)
札幌真駒内アイス・アリーナ(1976.8.1)での録音が中心。福岡九電記念体育館(8.28)でのライブは「1976 COMPLETE LIVE チューリップがおるけん、博多たい!」(2008)で聴くことができます。
↓ 友人がコピーしてくれた3枚組CD-R(;^_^A)
13thシングル『ブルー・スカイ』(1977.6.5)
財津さんの好きな“悲しみの象徴としての青空”をテーマとした代表作。
8thアルバム「WELCOME TO MY HOUSE」(1977.8.5)
A2『僕はライオン』はシュープリームスの「恋はあせらず」を引用した曲。
A3『博多っ子純情』(作詞:安部、作曲:姫野)は、漫画「博多っ子純情」の作者・長谷川法世に許可を得て曲名に。ライナーノーツなどに長谷川氏のイラストや文字があります。
2ndベスト・アルバム「チューリップ・ガーデン」(1977.11.5)
『魔法の黄色い靴』~『ブルー・スカイ』までのシングルAB面を収録した2枚組LP。
ジャケットの花柄模様は、レコード会社のトイレの壁紙を撮影したものだとか?!
当時買ったレコです。
14thシングル『WELCOME TO MY HOUSE』(1977.11.20)
シングル唯一の英語詞曲
1stソロアルバム「宇宙塵」/財津和夫(1978.5.5)
財津さんのソロデビューアルバム。
チューリップを宇宙路線にし、やがて・・・のアルバム?
1stソロシングル『二人だけの夜』/財津和夫(1978.5.20)
チューリップのライブでも演奏されたことがありますが、ソロの曲を演るのは・・
15thシングル『夕陽を追いかけて』(1978.6.20)
♪ いつからだろう 父は小言の
たった一つもやめてしまったのは
いつからだろう 母が唇に
さす紅をやめてしまったのは
長生きしてねのひと言さえも
照れくさく言えず
明日は出てゆく日
9thアルバム「Upside-down」(1978.9.5)
全曲の担当楽器がクレジットがされてますが、吉田さんがベースを弾いたのは11曲中5曲のみ。この時期には吉田さんの脱退は決定していたようです。
16thシングル『約束』(1978.10.20)
『夕陽を追いかけて』に続き、財津さんらしい曲。
3rdライブ・アルバム「LIVE!! ACT TULIP Vol.3 鈴蘭&田園ライブ!!」(1978.12.1)
鈴蘭高原での1回目のライブと田園コロシアムでのライブを収録したアルバム。
17thシングル『虹とスニーカーの頃』(1979.7.5)
『心の旅』以来のオリコンTOP10入り。ライブではよく「久々のヒットで救われました」という風に紹介されます。
10thアルバム「Someday Somewhere」(1979.7.20)
シングルカット曲無し(ちょっと地味な)2枚組LP。
『神様に感謝をしなければ』(作詞:安部、作曲:姫野)を先日のライブで演ってました。
表ジャケはみんな笑顔ですが、もう一人の自分に手をつなぐ吉田さん・・・
このアルバムを最後に、吉田さんと上田さんが脱退。
吉田さんは音楽界から身を引き珈琲店を経営。上田さんは新たに自分のバンド「Tony」を結成。
2ndソロシングル『Wake Up』/財津和夫(1979.12.20)
『虹とスニーカーの頃』と同時期に財津さんのソロもヒット。
『娘が嫁ぐ朝』の続編ともとれる曲。
♪ 涙をふいたら行きなさい
あなたが生まれた家をうしろに
白い吐息はずませて通ってた
学び舎への道 今日は嫁ぐ道
落とせない荷物はあなたの心
そして微笑んだ あの人の写真
“あの人”は亡き妻ですね・・・
第一期 (1972 - 79)を一つの区切りとし、Part 2 に続きます。
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございます。m(__)m