
「鶴岡八幡宮」を参拝したあと、境内脇から「建長寺(けんちょうじ)」に向かいました。
途中、建長寺の托鉢僧(?)数人とすれ違いました。
あとで建長寺で尋ねたら、プライドを捨て食物や金銭をもらうという修行で、毎日のように行っているとのことでした。
「巨福呂坂(こぶくろざか)洞門(新道)」を通りました。
「鎌倉七口」「鎌倉七切通」と呼ばれる道の一つです。
「巨福呂坂切通」の碑がありました。旧道は私有地で通行はできないようです。
「建長寺 総門」
「巨福門(こふくもん)」とも呼ばれ、1783年に建立された門。
「巨福山(こふくさん)」の額は「巨」の字に点が加えられ、百貫の価をそえたものといい、「百貫点」と呼ばれているとのこと。
「建長寺」は5代執権・北条時頼が創建した、日本で最初に”禅寺”と称した臨済禅を修行する専門道場。
9代執権・北条貞時が中国南宋の制度に倣い「鎌倉五山」で第一位としたお寺です。
三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶ配列も中国の禅宗伽藍様式に倣ったもの。
「三門」
「鐘楼」(国宝)
建長7年(1255年)造られた梵鐘は国宝です!
夏目漱石の『鐘つけば銀杏ちるなり建長寺』
ん、パクリ!? と思ったら、『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』(正岡子規)の方がパクリのようです。
「仏殿」(重文)
仏殿本尊の地蔵菩薩坐像。そして花鳥画を描いた格天井(ごうてんじょう)。
「法堂」
「唐門」(重文)
門前の専用駐車場は1時間\600。拝観は8:30~、\500。
「亀ケ谷坂(かめがやつさか)切通」(国史跡)
北鎌倉から鎌倉駅方面へのショートカットコースだそうです。クルマは通れません。
別名、「亀返坂」(急坂のため亀も引き返した・ひっくり返った)。
「円覚寺(えんがくじ)」
五山二位。JR北鎌倉駅のすぐ近くにありました。拝観料\500
円覚寺には専用駐車場が無いようで、近くのコインPは駅近もありちょっとお高い感じでしょうか。
弘安5年(1282年)、第8代執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した寺で、日本の武士と元軍の戦士が分け隔てなく供養されているそうです。
「山門」は1783年再建。「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇によるもの。
「仏殿」は関東大震災で倒壊し、昭和39年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
境内奥の正続院の中に
「舎利殿」(国宝)があります。
堂内に源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利が入った厨子があるとのこと。
2階建ではなく一重裳階付きの「舎利殿」は、かつては鎌倉時代の建築と考えられてきましたが、室町時代・15世紀前半の頃の建築と考えられているそうです。
遠くてよく見えませんでした~。
通常は非公開ですが、正月3が日と5月の連休、11月3日前後に外観のみが公開されるようです。
「佛日庵(ぶつにちあん)」
8代執権・北条時宗の廟所。拝観料は別途\100
「洪鐘(おおがね)」(国宝)
仏殿脇の小道に入り、急な階段にある「洪鐘」は1301年の刻銘があり、鎌倉時代の名工・物部国光の作。
鐘のあまりの大きさに鋳造を2度も失敗したため、依頼主の執権・北条貞時が7晩に渡って江の島の弁財天に籠って祈願し、3度目で成功したと伝わります。
その成功に感謝して「弁天堂」が建てられまし。洪鐘の向かいにあります。
富士山が見えました。
この後、北鎌倉駅から鉄道を利用し、長谷寺へ向かいました。
1日目(その3)に続く と思います。(;^_^A
Posted at 2023/01/01 20:15:23 | |
トラックバック(0) |
コペン | 日記