
この日も...、天気予報が良すぎた...。
またまた、「連~れてっての御方が・・」・・以下省略
都道府県の魅力度ランキングが6年連続最下位となった茨城県。 千葉や埼玉に行っている場合ではありませ~ん!・・・と今回は茨城県「古河(こが)市」訪問です。
古河市は、関東地方のほぼ中央、茨城県の西端に位置し,国道4号や東北本線が通り,栃木・埼玉・東京の方とのつながりが大きい大都会?です。
まあ,下総国→千葉県→茨城県に編入という歴史もあるようで..。
普段,群馬方面に行く途中に通り過ぎるだけで,立ち寄るのは初めて。
渡良瀬遊水地(地なんですねえ,池だと思ってました)の南東岸と言えばわかりやすい...?
ちょっと寒かったですが,オープンで。
自宅から約1時間のドライブで,最初の訪問先「雀(すずめ)神社」に到着です。
ちょうど「どんど焼き」が行われていました。
ダルマは底に粘土で出来たおもりがあるので,それを切り取ってから燃やすとのこと。

ちなみに,この重りはヘッタと呼ばれ,達磨大師の教えで底力・安定力を表しているとか..。
渡良瀬川の改修工事のため境内地が縮小され、社殿も約50m東に移転したとのことです。
大きくはありませんが,拝殿から左右の神楽殿?と社務所?に渡り廊下でにつながっていて立派に見えました。

社名の「雀」は「鎮め」(しずめ)が変化したものということで,間違っても麻雀の神様ではありません。(^_^;)
境内すぐわきの階段を登って渡良瀬川の堤防に上がると,すぐ下にゴルフ場(古河ゴルフリンクス)があり,遠くには日光連山がきれいに見えました。
次に「永井寺(えいせいじ)」を訪れました。

小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取ったことで知られている永井直勝が開いた曹洞宗のお寺とのことです。
次は「頼政神社(よりまさじんじゃ)」です。
「永井寺」と道を挟んですぐのところにありました。

源頼政が平氏に敗れて平等院鳳凰堂にて自害した後、従者が頼政の首を持ち帰ったところ、この地で急に岩のように重くなったため、塚をもうけて祀ったとの伝えがあります。
同じ伝承が、茨城県龍ケ崎市の頼政神社にもあるそうです。
この神社も渡良瀬川の大規模な河川改修工事で移転されているとのことです。
「頼政神社」にお参りしたあと,「永井路子旧宅」におじゃましました。
ここは直木賞作家の永井路子さんが3歳から約20年間を過ごした旧宅です。
土蔵づくりの店蔵と和室からなっており、店蔵は江戸時代末期の建造と言われており、古い商家のおもむきを残しています。

お茶屋さんだったそうで,大切なお茶を守るためのこんな分厚い扉がありました。
市のボランティアの方がお茶まで入れてくださり,中庭にも降りてしばしまったり...



ごちそうさまでした。お茶がホント美味しかった。
次に「旧武家屋敷」を探します。
これがなかなか見つかりませんでした。
ウロウロしていると、「七福神めぐり」の旗を掲げたお寺や神社があちらこちらに..。

「7000歩で歩ける 古河七福神めぐり」として、2時間程度で歩いて回れるようです。

3,4か所は通りかかったと思います。
「旧武家屋敷」はホテル山水の前にありました。


立派な塀が続いていました。
お次は,「古河 長谷観音(はせかんのん」です。
戦国時代に古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源であり,明治初年に廃寺となり本堂も破壊されましたが、大正3年に有志の寄付により元の地に再興されたそうです。
なんでも「日本三大長谷観音の一つ」として奈良,鎌倉の長谷観音と並び、「三長谷」と呼ばれているとのこと!
その由来として、一本の楠から奈良・鎌倉・古河の長谷観世音像が彫られたとも口伝されているそうです。
奈良,鎌倉と並ぶなんて、古河やるなあ~!
「長谷観音様は、古くより安産、子育虫封じ、開運厄除、出世観音様と言われ、霊験あらたかなることは広く世に知られ・・・」ているそうで,この日も大勢の人が祈願に訪れていました。
家内安全をよお~くお願いして,「古河長谷観音」を後にしました。
次は「鷹見泉石(たかみせんせき)記念館」です。「古河歴史博物館」のすぐ前にあります。
古河藩家老,鷹見泉石の最晩年の居宅が公開されています。


また、隣に,古河出身の女流南画家・奥原晴湖(おくはらせいこ)が晩年に用いた画室が移築され公開されています。

ここでも,市のボランティアの方がとてもていねい対応してくださいました。
次の「旧古河城 乾門」に向かう途中,「鮒甘露煮 ぬた屋」さんに寄りました。
1897年創業といいますから,もう120年以上もの歴史あるお店です。創業当初,主に鮒のあらいを出す川魚料理店で,古河地方では、あらいを俗に「ぬた」と呼んだため,屋号が「ぬたや」となったそうです。
鮒甘露煮は添加物を一切使わず、一つの釜で8時間以上、秘伝のタレで煮る逸品中の逸品!ということで,一番小さいのを1つおみやげにいただきました。
「旧古河城 乾門」は、その「ぬた屋」さんの近くにありました。
古河城二の丸御殿の入口にあった門で、明治6年、古河城取り壊しの際にこちらに移築したものとのこと。
古河城の遺構がほとんど残っていない中、貴重なものですね。
現在は福法寺の門となっています。
お昼は「肴町 米銀(こめぎん)本店」でいただきました。
仕出し弁当を古河駅・小山駅ビル,道の駅まくらがの里こがなどに出しているお店で,創業文政年間から190年間、お米と真剣につきあってきたという名店です。
いちおしメニューをいただきました。

ご飯はもちろん、とんかつが美味しかった!
ただのお弁当屋さんではありませんね。
店の前に「史跡 古河藩使者取次所址」の石碑がありました。
お隣のお休み処「坂長(さかちょう)」も素敵な感じでした。
日差しがあり,それほど寒くなく散策できました。
いやあ,古河市,思った以上に見所が多かったですね。残念ながら「古河歴史博物館」「篆刻美術館」「古河文学館」などには入りませんでしたので,また訪れたいと思います。
皆さんもぜひ,茨城県古河市に行ってみてください!
・・・あ、帰りに、権現堂公園(埼玉県幸手市)の「第10回 水仙まつり」に少しだけ寄りました。
埼玉県はホンの少しだけです。

