
クルマ・ジャケコーナー第301回は、Carpentersの「Now & Then」(1973)です。
前回の「ABBEY ROAD」に引き続き、これまで見てみないフリをしてきたクルマ・ジャケPart2😅
Carpenters(カーペンターズ 1969 - 83)、もちろんご存知ですね❣
リチャード・カーペンター(1946 - )とカレン・カーペンター(1950 - 1983)のアメリカ・ロサンゼルス出身の(世界一有名な)兄妹のデュオ
!? 2月4日がカレンの命日
急ぎ、私が持ってるレコを中心にまとめてみようと思います💦
(シングルはリリース年や国が少し複雑で、1st,2ndなどの順番は便宜的なナンバーです)
1sアルバム「Ticket to Ride(涙の乗車券)」(1969)
全米150位、全英20位
当初、日本盤ではB面トップに『遥かなる影』が追加され、邦題「遙かなる影/カーペンターズ・デビュー」としてリリースされました
オリジナル曲が多く、5曲がリチャードのリード・ボーカル、全曲でカレンがドラムを叩いてます
仕様違い(シングルジャケ)
発表当初のタイトルは「Offering(オファリング)」でこのジャケ ↓
レコード会社の近所で撮られたというスナップ写真のジャケ・レコ、欲しいんですが高いんですよ・・・😿
シングルは持ってました ↓
2ndシングル『遙かなる影((They Long to Be) Close to You)』(1970)
『涙の乗車券(Ticket to Ride)』(1969 全米54位)に続くシングルで、全米1位、全英6位
2ndアルバム「Close to You(遙かなる影)」(1970)
全米2位、全英23位
日本では、1stアルバムに『遥かなる影』が追加されていたので、この2ndは当初「愛のプレリュード」としてリリースされてます
A2『ラヴ・イズ・サレンダー』とB5『愛しつづけて』のリードボーカルはリチャード
3rdシングル『愛のプレリュード(We've Only Just Begun)』(1970)
全米2位、全英28位
4thシングル『Merry Christmas Darling』(1970)、5thシングル『ふたりの誓い』(1971)、6thシングル『雨の日と月曜日は』(1971)は持ってません😿
3rdアルバム「Carpenters(カーペンターズ)」(1971)
全米2位、全英12位
セルフ・タイトルで、ビートルズの「ホワイト・アルバム」になぞらえ、通称「タン・アルバム(The Tan Album)」(ジャケが日焼けした肌のような色のため)
発売当時の邦題は「ふたりの誓い〜カーペンターズ第三集」(その後「スーパースター」)
このアルバムでグラミー賞最優秀ボーカル・グループ賞を受賞!
7thシングル『スーパースター』(1971)
全米2位、全英18位
元は、デラニー&ボニーの『グルーピー』という曲
歌詞を「一緒に寝る」を「居る」に差し替えるなどして録音した仮歌が完璧だったため、そのままレコードになったそうです
8thシングル『動物と子供たちの詩』(1971)
全米16位
同名映画の主題歌 クルマ・ジャケですね!
9thシングル『ハーティング・イーチ・アザー』(1971)
全米2位
10thシングル『小さな愛の願い』(1972)
全米12位
11thシングル『愛にさよならを』(1972)
全米7位、全英9位
トニー・ペルーソのファズ・ギターソロが相応しくないとして、一部のラジオ局が放送を拒否。後のパワー・バラードに大きな影響を与えたとされてます。
4thアルバム「A Song for You」(1972)
全米4位、全英13位
シングルA面6曲を収録
当時の邦題は「トップ・オブ・ザ・ワールド(第4集)」でジャケサイズの帯(?)付き
帯を外すとこう↓
その後、邦題は「ア・ソング・フォー・ユー」、さらに再発時に「愛は夢の中に」と変わってます
12thシングル『シング』(1973)
全米3位、全英55位
13thシングル『イエスタデイ・ワンス・モア』(1973)
全米2位、全英2位
日本ではオリコン洋楽チャートで26週連続1位!
14thシングル『トップ・オブ・ザ・ワールド』(1973)
全米1位、全英5位
日本でのヒット(1972)、リン・アンダーソンのカバーが米カントリーチャートで2位を受け、アルバム発売から1年以上経ってからシングルカットされ全米1位に!
5thアルバム「Now & Then(ナウ・アンド・ゼン)」(1973)
本日ご紹介のレコ
全米2位、全英2位、日本では1位(101週チャート・イン)!
1973年当時の邦題は「ナウ・アンド・ゼン〜今、そしてあの頃」
初のセルフ・プロデュースによるアルバムで、『ジャンバラヤ』以外はカレンがドラムを叩いてます
曲間のDJはギタリストのトニー・ペルーソ
1stベスト・アルバム「The Singles: 1969-1973(シングルス 1969〜1973)」(1973)
全米1位、全英1位
唯一の全米ナンバーワンアルバム
『Top of the World』と『Ticket to Ride』は新録音
15thシングル『ジャンバラヤ』(1973)
全英12位
B面が『ヘザー』は日本初期盤で、『いつの日か愛に』は後期盤
16thシングル『愛は夢の中に』(1974)
全米11位、全英9位
17thシングル『サンタが街にやってくる』(1974)、18th『プリーズ・ミスター・ポストマン』(1974 全米1位、全英2位)は持っておらず・・・😿
18thシングル『オンリー・イエスタデイ』(1975)
全米4位、全英7位
リチャードが言うに“もっともレコーディングに手間がかかった曲”
1stライブ・アルバム「Live in Japan(ライヴ・イン・ジャパン)」(1975)
カーペンターズ初のライヴ・アルバムは日本限定企画2枚組LP
1974年の5月から6月にかけて行われた日本ツアーの大阪公演を収録
初回盤は2人の和服姿ピンナップ付き!
19thシングル『ソリテアー』(1975)
全米17位、全英32位
6thアルバム「Horizon(緑の地平線〜ホライゾン)」(1975)
全米13位、全英1位 ↑ 二重のビニール袋帯付き
日本では1位!
私的にはなんと言ってもA2『Only Yesterday(オンリー・イエスタデイ)』❣
この年(1975)の全米1位には、オリビア・ニュートン・ジョンの『そよ風の誘惑』、アメリカの『金色の髪の少女』、ウイングスの『あの娘におせっかい』・・があり、ポップスをラジオでよく聴いてました
カーペンターズもこの年、『プリーズ・ミスター・ポストマン』を1位にしてますが、こちらはあまり聴かず・・・💦
1975年9月からの3度目の日本ツアーは、カレンの病で延期に・・・
1人で来日したリチャードは、カレンが過労と食欲不振に陥っていると話すも、当時、その病の恐ろしさは全く知られてませんでした(拒食症)
20thシングル『見つめあう恋』(1976)
全米12位、全英22位
21stシングル『青春の輝き』(1976)、22ndシングル『Goofus』(1976)は持っておらず・・・😿
23rdシングル『悲しき慕情』(1976)
日本でのみリリース(71位)
7thアルバム「A Kind of Hush(見つめあう恋)」(1976)
全米33位、全英3位
カレンの神経性無食欲症、リチャードの睡眠薬依存といった問題が表面化してきた時期のアルバム
カレンはドラムを叩かず、元デレク・アンド・ザ・ドミノスのジム・ゴードンと、ツアー・メンバーのカビー・オブライエンがドラムを担当
2ndライブ・アルバム「Live at the Palladium(ライヴ・イン・ロンドン)」(1976)
イギリスと日本でのみリリース
24thシングル『ふたりのラヴ・ソング』(1977)
全米35位、全英54位
8thアルバム「Passage(パッセージ)」(1977)
全米49位、全英12位
『Two Sides(あの日、あの時)』にアコギで、リー・リトナーとジェイ・グレイドンが参加!
ラスト曲『星空に愛を (コーリング・オキュパンツ)』は、ビートルズの覆面バンドか?!と話題となったカナダのプログレ・バンド「Klaatu(クラトゥ)」のカバー
25thシングル『星空に愛を (コーリング・オキュパンツ)』(1977 全米32位、全英9位)、26thシングル『クリスマス・ソング』は持ってません・・・😿
27thシングル『スウィート・スマイル』(1978)
全米44位、全英40位
「Christmas Portrait(クリスマス・ポートレイト)」(1978 全米56位、全英104位)は持っておらず・・・
2ndベスト・アルバム「The Singles: 1974-1978」(1978 全英2位)は持ってません(アメリカでは人気の低下でリリースされず…)
9thアルバム「Made in America」(1981)
全米52位、全英12位
カレンが生きてる時の最後のアルバム
ほとんどは新曲で、B1『アイ・ビリーヴ・ユー』(1978 全米68位)の他、『タッチ・ミー』(全米16位)、『バック・イン・マイ・ライフ』(全米72位)、『遠い想い出』(全米63位)、『恋のビーチウッド』(全米74位)がシングル・カット
ラスト曲『「ウェディング・ソング』は、リチャードがカレンの結婚式のために作り、挙式(1980)の2日前にカレンがボーカルを録音した曲
カレンが亡くなった後にリリースされた、10thアルバム「Voice of the Heart」(1983 全米46位、全英6位)は持ってません
カレンは、1981年末より神経性無食欲症の治療を続けていましたが、一時帰宅し、リチャードと生涯最後のレコーディングで『Now』を録音
この『Now』は、竹内まりやの『Heart to Heart』(作曲:Roger Nichols アルバム「Miss M」収録)のカバー
1983年2月4日、32歳でカレンは旅立ってしまいます・・・
「An Old-Fashioned Christmas(オールド・ファッションド・クリスマス)」(1984)
全米190位
3rdベスト・アルバム「Yesterday Once More」(1985)
全米144位、全英10位
帯には、
“デビュー・アルバム「涙の乗車券」からラスト・アルバム「ヴォイス・オブ・ザ・ハート」までカーペンターズの20年間の歴史的ヒット・ナンバー27曲全てをリミックス ポピュラー史上永遠に残るヒット曲をいま新たな感動で”
「Lovelines(愛の軌跡〜ラヴラインズ)」(1989)は持ってません
こんなレコも掘ってました
日本のみ編集盤「ゴールデン・ダブル・デラックス」(1972)
日本のみ編集盤「カーペンターズ」(1973)
GEMシリーズ \3,200+サービスレコード(17cmシングル)付き
サービスレコードは『愛にさよならを/ベイビー・イッツ・ユー』
「ステレオ・ラボラトリーVOL.19/カーペンターズ」(1976 ?)
“レコード音楽として考えられる最高の状態の限界に挑戦した特別製レコード”で、『オンリー・イエスタデイ』などを収録
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「Now & Then」/Carpenters(1973)
3つ折ジャケのイラストは長岡秀星の手によるもの
生家から赤いクルマで乗り出す2人
ジャケのクルマは・・・
当時のフェラーリのフラッグシップ「365GTB/4」
1967年のデイトナ24時間耐久レースで歴史的な1-2-3フィニッシュにちなみ「デイトナ」と呼ばれるモデル!
クルマ・ジャケ「Things We Like」/Jack Bruce では初期型が登場してます
初期型は透明なプレクシグラス(アクリル樹脂)内に4灯式ヘッドライトですが、後期型はアメリカの安全基準でリトラクタブル式に(1970-73)
今回のジャケのデイトナは初期型?後期型?
こんな
サイトが見つかりました!
後期型ですね!
リチャードはクルマ好きで知られており、どうしても自慢したかったらしいです😅
この時代のスーパースターとしては普通ですね
それにしても、ジャケの2人のちょっと暗い表情が気になります・・・
↓ コッチの表情の方がいいかなあ・・・
EP『イエスタデイ・ワンス・モア』(1974)
【登場車両】
Ferrari 365GTB/4 (1968-73) 後期型デイトナ(1973)
【自己採点】
クルマ度 8点(初期型と後期型のデイトナ、買うならどっちがいいかなぁ、迷うぅ~😅)
魅惑度 9点(長岡秀星のイラスト3つ折ジャケ❣)
音楽度 7点(「Horizon」の方が好きなんだよなあ・・・)