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2015年06月24日 イイね!

私の愛車遍歴シリーズ 第3回 (後編)

私の愛車遍歴シリーズ 第3回 (後編)94年式 Golf III CLi 続きになります。

しかしこの頃は銀塩カメラだから「クルマの写真を撮る」という意識が無いのですよね。また撮っても焼き付けることなく..ネガを探せばもっと写ってるかもだけど、ネガもだいぶ捨ててしまったし。
残念です。



ということで、拾い画ですが全貌を


エンジンは1800cc,88馬力くらいだったかな(その後LCIで90馬力超えになった)。上級グレードはGLiといって2000ccのエンジンだったけど、見た目の違いはバンパーが塗装されてるか否かだった

乗り心地は直進番長的に高速での安定性は高かったけど、カーブではまだ「インの後輪が浮く」癖が残っていて、一歩遅れて沈み込むような挙動は後席に乗った娘達が酔いました。

安全性を評価して買ったはずなのに..イロイロ目覚めてしまったクルマでもあります。
①初めて「プロショップ」というものに足を踏み入れた
Intech Auto Projectというショップが近くにあった。覗いてみると店長さんとおぼしき方と常連のお客さん2人が談笑中...ジロって見られてイヤな雰囲気でしたね。でも後日その輪に加わることになるのですがw。ここではCOXのペダル、Gillletのマフラー(あまりにうるさくてはずした)、消耗品の交換などをお願いしました。ディーラーのメカの人も遊びに来る、不思議なお店でした。

COXがまだ都築にあったのですが、BPR(Best Programming ROM)というのを出してたので、ROM交換しました。工賃こみで10万円以上したけど、体感上は何も変わらなかったですね..
その後COXは箱根の方に引っ越して、おしゃれなお店になりました。

②初めてサーキットを走った
VWとCOXが協賛?で「VW Sports Driving」ってのを開催してた。ヘルメット+手袋でフリー走行20分を3本走れる(講習会やプロドライバーの同乗なんかもある)。富士と筑波を走った。
上級グレードでVR6ってのがあったのだけど、10分も走るとオーバーヒートのランプが灯いてピットに戻ってボンネット開けてた。

③パソコン通信で情報交換
インターネットが無い時代ですよ! Nifty Serveの「VW Audiの部屋」というグループに入って、イロイロ情報交換。当時は仕切る「シスオペ」っていう方がいて、ネットの礼儀作法を教えてくれました。
4800bpsのモデムで、毎月1万近く電話代請求されてたなぁ。

④オフ会 初参加!
そして上記グループのオフ会が「道の駅鳴沢」で開催されました。97年かな?
ネットの掲示板でやりとりする人と実際に合う...当時としては画期的なことで、みんなその不思議な出会いに興奮&感激してました。

ま、今に繋がる下地がこのクルマとの出会いでできたことになります(笑

最後の頃はバンパー塗装したり(自前でw)、VWのロゴ塗ったり、いろいろ小モディで楽しみました。
しかし筑波サーキットを走った後でATのショックが大きくなり、ATF交換しても治らず..
6年間という中途半端なお付き合いとなりました。






Posted at 2015/06/24 22:38:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記
2015年06月19日 イイね!

私の愛車遍歴シリーズ  第3回 (前篇)

私の愛車遍歴シリーズ  第3回 (前篇)日本車の安全対策向上に「NHKスペシャル」という番組は大きく貢献したように思う。

89年12月17日に放映された「死者半減・西ドイツではこうして成功した」というのは、ヘリコプターによる救急搬送体制や、事故現場にメーカー(ベンツ)の担当者が急行して破損状況をチェックする様子、Audiの衝突安全性などを紹介、官民一体となった取り組みで成果をあげた状況を報告した。


この時、「う~む、こういう国で作ったクルマって安全だろうな...」と感じた。

翌90年4月14日に放映された「第二次交通戦争・なぜ日本で死者が減らないか」というのはもっとショッキングな内容で、カローラの輸出仕様と国内仕様では重量が違うという実験比較から入り、分解していくとサイドインパクトバーの有無やフロントフレームの強度が全然違うという告発があった。
ここでゴルフⅡが登場、ドアはロックしなくても外から機械で引っ張っても開かない、強度が国産車とぜんぜん違うという事実を紹介した。

この2本の番組は、私の心象として「ドイツ車=安全」という「すり込み」をされたと思う

この後「安全は金にならない」と豪語していた国産メーカーも安全対策を強化していくことになるが、それでもエアバッグやABSなどの安全装置はオプションや上級グレードのみに着くようなレベルだった。

そして94年、ある日の朝刊にVWの全面広告が載る。「VWは安全装備に差をつけません。全車に助手席エアバッグとABS標準装備」というもの。
当時は子供がまだ小さく「交通事故ごときで死ねない」と思ってた私には、かなりの説得力のある広告、8年乗ったCIVICシャトルの調子が悪くなってきたこともあり、さっそく最寄りのディーラーへゴルフを見に行きました。

今思うと店長が対応してくれたのですが「まずは乗ってみてください」との事でウィンカーの位置も知らないのにさっそくの試乗...まぁ当時のCIVICと比べたら申し訳ないのですけど...やられました。もう鉄の塊にのってるような剛性感というか安心感、ハンドルはちょっと重いけどガッシリ、乗り味が全然違いました。「これがあの安全なドイツ車かぁ」と感嘆した次第です。

店長の薦めで一番安いCLiを選択(たしか240万円だったから、今とあんまり変わらないかも)、その場で妻に電話して「ごめん、やられた。これ買いたい」と契約してしまいました。

こうしてドイツ車遍歴が始まりましたとさ...後編に続く


Posted at 2015/06/19 23:03:24 | コメント(5) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記
2014年01月29日 イイね!

私の愛車遍歴シリーズ 第2回

私の愛車遍歴シリーズ 第2回愛車遍歴...
と言って始めたけど、実はそんなに遍歴していないことが判明しましたw

残りは数回かもしれませんが続けたいと思います。






2台目のクルマはシビック・シャトル、「ワンダーシビック」と呼ばれたシリーズでルイ・アームストロングの「What a wonderful world」の歌が流れるCMは、当時としてはすごくオシャレでした。

ワンダーシビックは83年に発売され、ホンダ社初の日本カーオブザイヤーを受賞してます。85年9月にマイナーチェンジされて、私が購入したのは86年モデル。

エンジンは1500cccで3バルブのSOHCと言う変わったバルブ構成、ミッションはそれまでのホンダマチックから普通のロックアップ機構付4速ATになってました。

買い換えた動機はとても不純、翌年から関西方面への転勤が決まっていたのですが「向こうで買い換えると関西のナンバーになっちゃうなぁ、横浜ナンバーのままでいたいなぁ」と....
関西方面の皆さん、ごめんなさい。

あと、その年はプロジェクトでメチャクチャ残業して(家からマットレスと毛布をオフィスに持ち込んでた)、キャッシュで買えるくらいの貯えができたこともあります。

二人目の子供も生まれたところだったので、室内の広いクルマが欲しくてシャトルを選びました。今から思えばユーティリティビークルの走りのようなクルマでした。乗り降りもしやすくアップライトな着座姿勢は視界もよかった。ボディカラーは当時としては珍しい色でしたが、乗ってる間は同じ色をみかけることは無かったです。

横から見るとバンパーがやたらはみ出てましたね~、マイナーチェンジ後にビックバンパーになったからかな。ホィールは替えてます。


走りはいたってフツーでした。90馬力でしたが車重も900kgで見た目よりも軽快に走ったと思います。

初めてオーディオを意識した?車でもあります。サンスイのカセットヘッドに換えて、スピーカーもクラリオンのコアキシャルに換えました。でもデッドニングなんて知らなかったなぁ。
今でもクラリオンってあったっけ?

特筆すべきは(ホンダ車の定説を崩すように)まったく故障しなかった事。8年乗りましたがバッテリーを一度交換したのが大きな出費でした。しかし最後はフロントシャフトのブーツが切れて、そのままにして走ってたらゴトゴト異音が...修理に30万円くらいかかると言われて乗り換えました。また最後の頃はボディが相当ヤレてきて、ギシギシ、カタカタいってました。

子供の成長とともに、まさにファミリーカーとして活躍したクルマでしたね。
Posted at 2014/01/29 21:22:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記
2013年12月15日 イイね!

私の愛車遍歴シリーズ 第一回

私の愛車遍歴シリーズ 第一回「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE」というテレビが楽しいので、自分もちょっとやってみようかなと...

と思ったのですが、昔のアルバムをひっくり返してもなかなか愛車の写真が出てきません。




実は前車のMINIに乗るまでは、クルマを撮ったことなんて殆ど無かったし、3年前の引っ越しの際に写真を整理したし、子育て時代は子供の写真ばっかりだし。

ようやくクルマが写ってる写真を見つけても、家族の後ろに写ってるだけ..もっとちゃんと撮っておくべきでした。

ということで第一回は
「原付 HONDA R&P」 と 「HONDA スーパーシビック」の2本立てです!

っていうか、この写真しか無かった...


ライダーは現在29歳になる娘の若かりし頃なので、目線無しでいきたいと思います。

どちらかと言うと、このバイクが愛車の原点かも知れません。大学3年の時にそれまで乗っていた中古のスーパーカブに代わり、新車を買いました。空冷4ストローク2バルブOHC単気筒エンジンを5速マニュアルで走らせます。

原付の割にはデカイのでスピードは出ませんでしたが、荷物もいっぱい載るし楽しいバイクでした。これで茨城から横浜まで何度も往復したなぁ...

社会人になり、結婚してからも乗っていたのですが、最後はクラッチが壊れて廃車となりました。

そして後ろに見える赤い車が初のクルマ、スーパーシビックです。妻が妊娠したので通院のためにと購入、8,000kmしか走ってない中古を47万円で買いました。当時としては高かった~。
フロントのタイヤハウスの下がグジュグジュに錆びてて、剥ぎ落してFRPで穴を塞ぎました

なんか3ドアがカッコイイと思っていたのでいろいろ探し廻って買ったのですけど、子供が産まれたら妻は子供を抱いて後席に乗るようになったので、助手席を暫くはずして乗っていたのを思い出しましたよ。

あんまり運転フィールは覚えていませんが、ブレーキがあまり効かないでヒヤっとした事が何度もあったように記憶してます。

運転もヘタで、信号待ちで都合3度前のクルマにぶつけましたが、いずれも許してもらいましたw

でも、妻が産気づいたのが午前1時、雪解けでところどころ凍結した横浜の坂道をスリップしながら病院まで...当初の目的どおりに役割を努めました。

次回..続くかな?ww
Posted at 2013/12/15 22:33:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記

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何シテル?   06/17 10:09
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