
NDロードスターがメガヒットになるか否か。供給体制やグローバルな枠組で展開されているマーケティングの戦略も関係するので軽々には言えないが、今度のロードスターは日本やマツダというローカルな問題でなく自動車の未来に関わる希望の星だ。
欧米とくに依然として懲りずに世界のどこも真似のできない超ガラパゴスの交通体系に依拠するドイツ流では未来に明るい展望を持つことが難しい。1989年のデビューで文字通り世界を変えたNAに匹敵する変化をもたらすことかできるか。
課題は残っているが、今度のMX-5、マツダロードスターは"クルマはこれでいいんじゃない?"を明るく分かりやすく提示した。それだけでもう十分なんですが、この間ちょっと試乗しただけで、もうあとから後からあんなとこんなことが記憶の底からふつふつと湧いてきて止まらない。
まだ正式発売後の試乗リポートまでには時間があるので、この機会に過去36年のライター稼業で見聞きしたあんなことこんなことをロードスター絡みで書きつらねることにした。メルマガで日記風にね。
ちょっと紹介したくて転載したけれど、いつものように超長いのであちこち中略、後略、前略で切り詰めてもなおこの長さ。
まあ、読み飛ばしてみてください。
もちろん
メルマガの講読は大歓迎です。
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■伏木悦郎のメルマガ 『クルマの心』
第127号 2015.2.7
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●為にするのではなく、書くべきことを書こうではないか。
『絶望は愚者の結論である』ふと頭の片隅に残る言葉が浮かんだ。現代はインターネット
で検索すれば容易にその言葉の世界に近づける。”絶望は愚者の……”その後に何て続い
ていたか。分からなくても、そこまで入力できれば大抵の場合ゴールに迫れる。
キーボードを叩くと、案の定。断片だけで辿り着けるということは相当な名言であり、
歴史に名を残す人物の発言だ。ベンジャミン・ディズレーリは19世紀のイギリスの政治家
にして小説家。晩年にヴィクトリア女王からビーコンズフィールド伯爵(初代)の爵位を
授かり、二度の首相在任を果たしている。英国初にして唯一のユダヤ人として歴史に名を
刻み、他にも数ある名言ともに記憶されている。
ここまで馬齢を重ねてきて言うのも何だが、本当に世の中知らないことだらけである。
物事を知れば知るほど、それ以上に知らないこと分からないことが増える。分かったつも
りが一番の問題で、その状態が真実を遠ざける。遺された数々の名言を挙げることは控え
るが、世界は言葉で出来ているというのは一面の真実で、目に映るモノ以外は言葉で理解
する他に手立てはない。
大事なことは己の無知の自覚であり、それゆえ言葉にはセンシティブ敏感でありたい。
まあ真剣度を問われるとたじろぐところだが、長いこと文章を生業としてきた。自分なり
にそうしてきたと言う他はないだろう。
とにかく思いついたままやってみて、なりゆきに任せる。賢い生き方とは思わないが、
それでなんとかかんとか生き延びてきた。過去十年はその前の十年とは好対照をなす困難
の連続であり、現状維持に疑問を抱いて自ら変革することで前進を企てるも、世の大勢は
変えないで逃げ切りを図りたい高齢化社会に深く入り込みつつあった。
自分を騙して寄らば大樹が上策だったかもしれないが、それで世のため人のために役立
てるか。三十余年の長きにわたって生きてこれたのも、支えてくれる読者あってのこと。
そこに使ってくれる編集者、出版社への感謝が加わればまだしもだったかもしれないが、
共に生きた彼らも年をとって、時代の変化にともなう制度疲労に抗いようもなく身を任す
ばかり。誰も責めることはできないが、このまま朽ち果てる訳には行かないのは当然だ。
●僕は、NDロードスターは再び世界にLWSの意味と価値を問うと思う!
マツダの4代目となる新型ロードスター(ND)がいよいよ発売までのカウントダウン
を迎えた。待望久しいとはこのことで、先日のPre-prductionモデルの試乗を期に一気に
臨戦態勢に入った感がある。
現行NC型が世に現れたのがちょうど10年前の2005年。この間にリーマンショックに端
を発する世界的な恐慌状況や東日本大震災という歴史的な大災害をはさみ、温室効果ガス
による地球温暖化や資源エネルギー問題も複雑さを増している。
プリウスが登場し、COP3(国連気候変動枠組条約第3回締結国会議)通称京都会議
から18年。今年は昨年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次評価報告書
に基づいて具体的な対応を迫られるCOP21が年末のパリで開催され、併せて京都議定書
第11回締結国会議も同じ花の都で開かれることになっている。
中略
プリウスがライバル。未来のロードスターは、20年に満たない短期間で世界中に浸透し
たエコカープリウスの価値を、LWS(ライトウエイトスポーツ)という古くて新しい形
態で凌駕する。一気に世界の価値観を変える勢いで。いまや名のある世界の都市でその姿
を見ないことはないプリウスと商品性で肩を並べ超えて行くぐらいの気概をもって。
●皆と同じでは存在している意味がない。僕の足跡が未来に貢献できたら幸せだ
昨年4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)でのベアシャシーの展示
によって一気に火が着いたNDロードスターへの取材熱。それは現行NCロードスターの
発表発売以前から『かくあるべし』と断じていたイメージに沿うとの直観が原動力になっ
ているのだが、何でここまで熱くなるのだろう……我ながらつらつらと考えた。
中略
話は新型ロードスターに尽きるはずなのだが、関わった人や学んだ事実や身体に深く刻
まれたシーンがフラッシュバックしてとめどない。ならば、これは回想録や日記の体裁で
ネタが尽きるまで書き連ねてみよう。案外数回で終わってしまうかもしれないし、延々と
行くかも分からない。
これ以上長い前振りはお互いに疲れるので、さっそく始めることにしよう。
まずは、試乗記の導入から書き出している。
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■プロローグ。12月19日の伊豆CSCでNDを走らせたら、過去がどっと立ち現れた!
見るだけ座るだけから、乗って走らせる。同じクルマでも、場面によって込み上げる思
いは微妙に異なるものだ。随分待たされたからね。4代目となるNDロードスターの輪郭
が見えたのは2014年4月16日のNYIAS(ニューヨーク国際自動車ショー)プレスデイ
のことである。
中略
その後のワールドプレミアからの流れは誰もが知る。僕自身国内外各地で飽きるほど見
てきたが、依然として鮮度が落ちた気がしない。デビューしたその日からみるみる磨滅し
て行く凡百と違って、NDロードスターはLWS(ライトウエイトスポーツ)という孤高
の価値を自ら再定義し、そして掘り下げ続けようとしている。
■そう言えば、NAの時にも事前試乗があった。JARI谷田部テストコースにて
いま僕は、何とも言えぬ既視感を味わっている。2014年12月19日、静岡県伊豆市にある
サイクルスポーツセンターで新型マツダロードスター(ND型)のステアリングを握る。
発売の半年前であり、用意されたクルマのレベルは量産のずっと前の段階。プロトタイプ
以前のPre-productionであるという。
あれは1989年の7月だっただろうか。強い陽光が降りそそぐ茨城県谷田部町のJARI
テストコースでとても熱い体験をした。この年2月の米国シカゴショーに突如現れたオー
プン2シータースポーツカーの試乗。そこに至る経緯はすでに忘却の彼方だが、吉田槙雄
/島崎文治(彼はすでに法政大ラグビー部の監督に就任していたかも)の名物広報コンビ
からの招集を受けて、当時37歳の僕は燃えていた。
中略
時代は、1980年代に入って2l 以下の小型車で一気に推進されたFF化の一大潮流下。
市場拡大を追求する国内メーカー各社はさらなる可能性を求めて高出力/高性能化にシフ
トする。日本車に国際競争力をもたらした電子制御化ととにもFFベースの4WDを進め、
バブル経済の進展とも重なって日本中がハイテク/高出力高性能に沸いていた頃である。
■40年前に見た原風景と今度のNDロードスターの距離感、そんなに遠くない
少し脱線させていただく。僕は、FRがあたりまえの1970年に18歳になり、運転免許を
取得している。最初のクルマは当時の限られた選択肢では王道ともいえた日産サニー1200
クーペGX。それから5年後、さらに狭まる人生の岐路でモーターレーシングの世界に紛
れ込むのだが、そこで手にしたのもKB110サニーだった。
後略
■ドリフトの意味に囚われないように。ひたすらやってみてどうか。答えはそこにある
FRにこだわり続けるモチベーションはレースの実戦以前に掴んだ。すべては直観が始
まりだ。やる前に観る。天才は存在するが、ふつう人間は生まれつき空(から)だ。なり
たいと思えるアイドルを見てイメージを取り込み、その像に我が身を合わせるプロセスを
踏むことで自分を作らなければならない。オリジナリティは模倣の先に隠れている。
40年前の富士スピードウェイ。タイヤ痕をアスファルトにくっきり残しながらヘヤピン
を駆け抜けるF1を見た。太い右リアタイヤが外へ外へと逃げるのをカウンターステアで
グイグイいなし、黒々と美しいラインを描き踊るように300Rへと消えて行った。高まる
エキゾーストノートが片時もアクセルを緩めない強い意志を伝え、画像とサウンドが一体
となった鮮烈な記憶として目に焼きついた。
ドライバーはスライドウェイ・ロニー。ドリフト野郎として親しまれたスウェーデンの
ロニー・ピーターソン。マシンは漆黒に金のJPSロータス72DFV。1974年11月24日、
富士グランチャンピオンシリーズ最終戦の合間に敢行されたF1デモランの一コマである。
翌1975年は筑波サーキット。降りしきる梅雨空の下、名手高橋国光駆るKB110サニー
TS仕様のナビシート。雨に光る第二ヘヤピンにアプローチしたかと思うやいなや、重力
から解き放たれたように景色が流れた。
中略
人は身体のパフォーマンスで行動が制限されがちな生き物。それゆえ圧倒的なスピード
を実現する乗り物に憧憬の念を寄せるが、僕は300km/hの自動運転よりも100km/hのドリフ
トダンスに興じる自由を支持したい。さすがに60も超えるとカラダは言うこと聞かなくな
るが、身についたスキルが発想を若くする。クルマでアンチエイジングは可能だ。
■ひらり感の必然と、運転していることを忘れさせるNDのセットアップの相関はあるか
26年前のユーノス・ロードスター(NA6CE)の話だった。まさかこんなクルマが現
れるとは。ライトウエイトスポーツ(LWS)、1960年代の英国で人気を博した軽量コン
パクトなオープン2シーターを再生する。誰もが考えたが、誰もやろうとはしなかった。
南カリフォルニアの現地子会社の商品企画部門が温めていたプラン。その背景に1978年
に日本版マスキー法(昭和53年排ガス規制)をクリアして新たなスポーツカーの世界を切
り開き、北米市場を席巻したサバンナRX-7(SA22C)の存在があり、人が絡む物語
の伏線がもう一つ流れているのだが、それは後に回すとしよう。
中略
今でこそボディ剛性はあたりまえの概念で、その重要性は広く認識されているが、試乗
インプレッションなどで評価の言葉遣いとして登場するのはこの頃から。CADやCAE、
FEM(有限要素法)などのコンピュータ解析が行なわれるようになって注目されるよう
になった。マツダはこの分野で国産メーカーとしては最先端を行っていて、現在ではCA
Eでは同業他社から業界屈指と一目置かれる存在になっている。
■NDロードスターのすべてを語るタイミングは"今"ではない
前略
私は数多く配信されたそれぞれの記事はまだ一読もしていない。何となく想像できるの
と、基本的に批評の精神を持たない応援団調に影響されるのを避けたい。今はまだローン
チまで時間を残した段階であり、自分の評価スタンスを明らかにして正誤ではなく意見を
述べる時だろう。
クルマとしての完成度、製品としての質の高さはスタイリングとパッケージングを見れ
ば分かること。プロなら、その先に何を観るか、もっと良くなる提案ができるかだろう。
この場合、たとえ誤りや間違いが生じたとしても不問に付せる。あったとすれば正式発売
なので訂正すれば済むことだ。
芯を食った『NDの魅力はここだ!』という声が出ないとLWSの存在感が危ぶまれて
しまう。pureICEの先行きが細く厳しくなっている現実を理解していれば、クルマ好き
として成すべきことは明らかなのである。
つづく
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