ドリフトに開眼したのは、1975年の確か梅雨時。雨の筑波サーキットのことだった。3年越しのGSバイトで蓄えた資金でKB110のTS(特殊ツーリング)仕様に仕立てあげ、その頃盛んだった日産レーシングスクール(辻本征一郎校長)の門を叩いた。当時のインストラクターは、高橋国光、北野元、長谷見昌弘、星野一義などといった日産追浜(ワークス)、大森(セミワークス)の精鋭揃い。あの日のインストラクターとして記憶しているのは、タクシードライブを担当した国さん。もちろんプロフェッショナルレーシングドライバー同乗初体験だった。
当時開業5年の筑波は、長閑(のどか)を絵に描いたようなローカルトラックで、路面ミューもつるつるぴかぴかもの。緊張気味に助手席に腰を沈めると、国さんは挨拶もそこそこにバビューン。第一コーナーといわず第一、第二ヘアピンといわず、コーナーアプローチが迫ったと思うやいなや、KB110のスクールカー(TS)は独楽のようにクルッと向きを変えた。
狐につままれたような面持ちで、国さんの姿に目をやり、ステアリング捌きを見ていると、進行方向と反対にクルクルクルッと回したかと思うと、アクセルをウワン、ウワン、ウワンと煽りながらトラクションを掛け、次の瞬間パッとステアリングから手を離し、ニコッとこっちを向いて微笑んだ。と、同時にステアリングはきっちり直進状態に収まっていた。
こうやって緻密な分析のように記すことができるのは、もちろんあれから36年も経験を積んでそれなりのスキルを身につけたから。当時は、コーヒーカップに乗って翻弄され、何が何やらさっぱりの状態。なんだかとんでもないけれど、目茶苦茶かっこいい。ドリフトなどという言葉も知らない頃の話である。
もっとも、客観的には1974年の富士グランチャンピオンシリーズ最終戦のスケジュールに組まれたF1デモランのあのシーンが最初だ。JPSロータス72を駆るロニー・ピーターソンが、ヘアピンに黒々とタイヤを擦りつけながら巧みなカウンターステアで鮮やかに駆け抜けたあの姿が、僕の原点であり理想となった。今も変わらぬヘルメットのデザインの源流はここにある。
この年10月の富士フレッシュマンレース最終戦でデビューを果たし(リザルトはバッテリー脱落という、あれまなトラブルでリタイア)、当時FISCOと呼ばれた4.3㎞コースがホームグラウンドになった。76年にはフレッシュマン上位の常連となり、77年にはGCマイナーツーリングやJAFGPなどにステップアップしプライベートとしては納得できる成績を収めたが、率直に言ってこの頃のドライビングスキルは大したことがなかった。
78年にフリーのライター稼業に専念することになったが、まだコンパクトクラスにもFRモデルが残っていた時代。スポーティなFRということになれば、もうお約束でカウンターばっちりのドリフトシーン撮影に明け暮れた。当時のFRは、総じて非力でシャシーセッティングは強めのアンダーと相場が決まっていた。曲がらないからこそ、様々な技を駆使してヨー慣性モーメントをコントロールし、ステアリングとアクセルのバランスでより速くを究めるドリフト走法が考案されたわけです。
ステアリングを進行方向とは逆に切り、リアのスライド量をスロットル開度に伴うトラクションでコントロールして行く。見た目にも派手で何となくかっこいいし、自らステアリングを握った場合クルマを意のままに操る実感がマシンのバランスという明快な答えとともに立ち現れる。
その面白さを発見したのは、1983年に当時の運輸省が認可の方針を打ち出した60偏平タイヤの市販化に対応したタイヤテストだった。まだタイヤに関する知見が十分でなく、ハイパフォーマンスタイヤの評価方法も確立されていない時代。僕は専門誌の連載を担当するにあたって自らテストモードを開発し、評価の定量化を目論んだ。
ハイパフォーマンスタイヤということで、当時のレベルで動力性能が十分なクルマのリストアップから始めた。グリップ性能やコントロール性をきちんと把握するためには、操舵と駆動が分かれた方が都合がいい。吟味した結果として選んだのが三菱のスタリオンGSR。2ℓ直4ターボ145psは、当時の2ℓクラスのトップレベル。他に選択肢は見当たらなかった。
そのタイヤテストの評価項目に設定したのがドライとウェットの定常円旋回。グリップ走行と、カウンターステアでコントロール性を見るドリフト走行を試した。ドリフト旋回は、結果的にグリップ性能とコントロール性のバランスを見るのに最適であることが分かった。
しばらくして、当時のハイパフォーマンスタイヤの分野で最先端を行っていたイタリアのPIRRELI社に招かれた際、エンジニアに"俺はこういうスタイルで評価しているんだけど……"恐る恐る尋ねると、「もちろん、それは我々もやっている」勇気づけられたのを覚えている。
ドリフトの面白さは、他者(車)との優劣の前に、己が自分のスキルを客観的に評価できる点にある。速度の絶対値やタイムなどはどうでもよく、身体拡大装置としてのクルマを自分の感覚と能力の中で評価することができる。他者と速度やタイムを競い合うコンペティションは、人間の欲望の本質を突くという点で価値あるものだとは思うが、現実世界においてのリアリティというのは案外低いものである。
V maxやE=mc2の追求にいくら地道を上げても、その結果はクルマというモノとしての評価で、人との関係としてあるマン-マシンシステムとしてのクルマや、走行環境を含む3重のシステムとしてのクルマという視点ではあまり意味をなさない。身体全体との関わりが問われる物理世界で難しいことならば、脳を中心とするわずかな身体性があれば楽しめる情報世界に持ち込んで、より現実的な満足を提供した方が健全だ。
工業製品としての物理的な制約に囚われることなく、新たな価値を情報の形で一体化することで現実を超えたヴァーチャルリアルの世界が見えてくる。現代的なクルマとしてちゃんと走るパフォーマンスは持っているけれど、それ以上の面白さが走らない領域に用意されている。
リアルで、コストパフォーマンスが高く、しかも圧倒的なトータルエコを誇る。僕は、四半世紀以上も前から、内燃機関で走るクルマでスタイリング、パッケージング、ハンドリングというクルマの魅力の3大要素の鼎立を目指すなら、FRしかないと考えるようになっていた。できるかぎり軽量・コンパクトにすることでその可能性はどんどん現実的になって行く。世界中の大多数の人々にとって現実的でない160㎞/h以上の速度を得る動力性能やそれを補完するあらゆる技術は、仮想現実の真逆ともいえるリアルヴァーチャルとなる可能性が高い。
何よりも重要なのはダイバーシティ(多様性)なので、すべてをそれにしてしまうのはナンセンスだが、クルマの面白さを再構築すると同時に持続可能性を追求しようと思うなら、過去のしがらみはこの際忘れて新たな一歩を踏み出す価値は十分にあると思う。
未だ、現物が出てきていない段階なので、具体的な言及が難しいのが玉に傷だが、ついまでも非合法であることを無視し続ける過剰な性能のクルマたちを、無条件に良しとする旧弊は糺す必要がある。
何やら小難しい文章がエンドレスのように続いてしまったが、言わんとするところはこれまで通りの生き方には未来はなく、自分の頭で考えた価値を自分の身体を通して評価しなければならないところに差しかかっている。もうちょっと、分かりやすく書かなければいけないなと反省しながら、今日のところはこれまで。
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Posted at 2011/05/13 23:58:32 | |
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