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伏木悦郎のブログ一覧

2009年08月27日 イイね!

ヨコハマの日産

ヨコハマの日産2日(日)のオープニングイベントを逃していてので、お盆明けの頃合いを見計らって出掛けてみることにした。JR横浜駅から雨に濡れずにアクセスできる、日産の新しい本社屋です。少し前から目立つ存在になっていたんですが、グランドフロアにドォ~んとショールームを構えた建物内部は、なかなかです。

駅からの通路からアプローチすると、2階部分になっていて、NISSANの赤い看板(?)のある自動ドアを開け、左~右と折れると総合受付カウンターがある。アポありだったので、臨時IDを首から下げて回転パーの入り口にカードをかざして入って左が長ぁ~いエスカレーター。上がりきるとまたカウンターがあって、そこが5階。もうひとつの受付カウンターが念を入れて存在している。

まあ表敬訪問みたいなものなので、5Fの個室で近況を尋ねたり、上階の食堂/カフェを見学したり、ショールームの説明を受けたり。そこから馬車道に流れて、焼き鳥を摘まみ、もう一軒寄ってご帰還したわけですが、横浜駅コンコースの雑踏ぶりからすると、少し外れた日産新本社は静かで、馬車道はさらに輪をかけて閑散とした雰囲気でしたねぇ。

まあ、木曜日ということもあったけれど、馬車道あたりに歌にあるような華やぎはありません。都心から北/東方面に住まいがある社員にはまだ東銀座を恋しがる声も多いようです。気持ちは分かるけれど、本来の創業の地に戻ったのだから、どうかこのヨコハマを盛り上げてもらいたいものだと、神奈川育ちの古い日産党としては妙な肩入れ状態になってしまうんですけどね。

まあ21階のCEOルームは、あいかわらずフランス人のものであるわけです。振り返ってみれば、リバイバルプランからもう10年が過ぎました。この間の変化は劇的でしたが、本当の勝負はここからかな。まっさらのビルを見てそんな漠然としか感慨を新たにしました。
Posted at 2009/08/31 18:31:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月23日 イイね!

『いろんな人がいた』 何で?と何で? ややこしい三十路の始まり 1982年

そういうことで、有限シビックのシートは後輩君に譲ったわけですが、その緒戦の結果を見て心底後悔した。だっていきなりクラッシュ全損(それもたしか予選ではなかったか?)だもの。よほど勇気があるのか無能なのか。人ごとなので当時の記憶はいい加減ですが、現場に立ち会った覚えはありません。あの頃はF2の取材を担当していたはずですが、さて、どうだったか。

まさか昨年愛用したマシンが初っぱなでスクラップになってしまうとは思いませんでした。この後輩君には後日談もありました。マシンを新調して臨むことになった第二戦。ボクはアドバイザーとしてピット入りしました。F2取材のついでということだったと思います。決勝は完全なるウェットコンディション。鈴鹿で初のレースらしいレースを闘う身にはかなりプレッシャーの掛かる状況でした。

そこでスタート直前、中段のグリッド上で、「この状況だとこうなるから……」と念入りにレースへの入り方のアドバイスをしたわけです。「第一コーナーでは必ず波瀾がある」「前方でコース上が混乱したら、多くを考えずイン側のダートに回避して、ポジションを確保するように」

果たしてスタートはその通りの展開となりました。上位のマシンが複数絡みコース上は大混乱。後方に位置する者にはまたとない状況になりました。有限シビックの後ろ姿を追いかけると、大混乱の第一コーナー手前で助言通りインに切り込み、少し長めにダートを走ったあとコースに復帰して行きました。やった! 作戦成功……。このまま1、2周走ってポジションが落ち着けば、案外良い結果が得られるかも……。思っていると、マシンが帰って来ません。

原因はなんとエンジンのブローアップ。ノーマルカーのエンジンがブローアップとは穏やかではないですが、インに切り込んだ後強引にアクセルを踏み続けたらしい。結果、ぬかるんだ路面にホイールスピン。エンジンがオーバーレブしちゃった。

がむしゃらに走り抜けたことが命取りとなったわけです。元気が良いというかなんというか。その彼が、今では日本のドライビングインストラクターの草分けとして名を馳せている。人の未来は分らないの典型ですかね、これも。

似たような経験がその後もう一度ありました。1991年、これもホンダがらみの話なのですが、当時の広報担当者から、『N1仕様のシビック(旧型EF9)を貸与するから日頃あまり機会に恵まれないジャーナリストをピックアップして、N1耐久シリーズに参戦してほしい』そんな申し出がありました。

そこで、現在のジャーナリスト協会の会長をはじめ様々な同業者に声掛けし、何戦かすることになりました。K会長と走ったSUGOではクラス何位かに入ってトロフィーをもらいました。

その内の一人にS君がいたのですが、『レースに出る以上、結果をださなくては意味がない』表立っては何も言いませんでしたが、裏で当時若手の新人広報マンを丸め込んで、チームコンセプトを変える動きを見せ始めました。

そもそも勝ち負けにこだわるならS君を選ぶ理由などどこにもないわけですが、結果的にそういうことになって、チームの主導権はよそに移ってしまいました。そして、その後こういう勝敗にこだわらない形でのジャーナリスト『育成プログラム』はなくなってしまいました。

彼はあの時ボクが指名してピックアップしなければ生涯レースに出場する機会は得られなかったはずですが、今ではレース経験者ということを肩書の一つに加えています。いろいろな人がいるものです。

お人好しは生来のものですが、軒を貸して母屋……という境遇は、これまで随分多く経験したような気がします。その辺の話は追々ということにしますか。

そして、1982年の秋にはとても悲しい事故が起きてしまいます。

つづく
Posted at 2009/08/23 15:18:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月22日 イイね!

good bye

good bye10年4ヶ月と1日。会うは別れの始まりというが、惜別の念隠し難し。時代に逆らうことの愚を避けた結果とはいえ、内心忸怩たるものが噴出しそうになるのを禁じ得ない。これを次を真剣に考える潮目とポジティブに捉え、さあまた一からやり直しだ。人生山あり谷あり。目下の谷は深く、今度の山は果てしなく高そうだ。
Posted at 2009/08/23 13:55:11 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月20日 イイね!

Last Run.

Last  Run.このまま、ハイお終いでは何かキリが悪く感じられたので、ホームグラウンドのような箱根と富士山を一巡りすることにした。前日は三島のうなよしで丼を食い、この日は裾野の喬仙坊で蕎麦を啜った。諸行無常でありますなあ。S2000の右側に見える黒い山は、箱根。富士山の新五合目は高い(2400m)のだ。ここまで来たのは20何年振りだろうか。
Posted at 2009/08/23 15:45:15 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月16日 イイね!

『ワンメイクなのにワークスがいる!?』 無限の成長の始まり(?) 1981年

緒戦はとにかく見よう見真似。たしか松本恵二さんとこの『MEI JU』の力を借りて出走にこぎ着けたのではなかったか。純白の有限カラーは次戦からで、この時は濃紺の地味なままで走った記憶がある。パドックにはホンダの研究所とおぼしきスタッフが山のようにキャブやストラットを取り揃え、取っかえ引っかえしながらベストセットを見つけようと躍起になっていた。

フロントはストロークさせてリアは固める。そうすればアンダーが弱まり、回頭性が増す……フムフムそうですか。キャブはこれがいいみたいね。もう、手探りで最善策を見つけるしかない。ワンメイクなのに、ワークスみたいな存在があって、情報が薄いヘッポコチームだと常に後手後手に回ることになってしまう。情報を仕入れて、対策を施して本戦に臨むと、"ワークス"勢はすでに次ぎのステップにジャンプしている。

ショックだったのは、実質ワークスといえるRS○田からエントリーしていた広報部の亀ちゃんと、現モビリティランド役員のT屋さんの速さ。亀ちゃんは第何戦かで表彰台をゲットしたのではなかったか。予選でどんなに頑張っても常に一定以上の差が埋まらない。

最初は6㎞フルコースで3分を切れなかったポールタイムが、みるみる縮まっていった。グロスでたったの85馬力のFF車なのに、どんどんコンペティティブになって行った。それなりに頑張ったけれど、予選で中段。決勝でもなかなかトップ10には入れなかったと記憶している。

このレース、優勝賞金が30万円とそれなりで、プロ連中がけっこうその気になっていた。それに加えて、資金的に余裕のあるショップ系やワークスに縁のあるチームが速いという、不透明なイコールコンディションの状況もあったりして、なんというか途中で諦めムードみたいなものが出てきちゃった。

もともと、サーキットに近いところにいれば、また走るチャンスが巡ってくるはず……ということでこの業界入りしたボクである。スーパーシビックレースはまさに絶好の復帰の場であったわけですが、どろどろしたプロの経験をしたことがない青二才には、努力しても報われない現実にちょっとキレてしまった。

FFワンメイクでもレースはレース、それなりに難しく、面白くもあったのですが、それ以上に納得の行かないことのほうが多くなってしまった。翌年もステアリングを握ることが許されていたのですが、ここでボクのもっとも甘いお人好しな性質がまったく違う行動をさせてしまうんですねぇ。

それまで本格的なレースの経験をしたことがなかった後輩のH原君にシートを譲ってあげたわけです。明けて82年の緒戦の新春300㎞に出た後、2年目のシーズンが始まったのですが、いきなり後悔することになってしまいました。

つづく
Posted at 2009/08/16 21:17:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
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運転免許取得は1970年4月。レースデビューは1975年10月富士スピードウェイ。ジャーナリスト(フリーライター)専業は1978年9月から。クルマ歴は45年目、...
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