本日3月24日、59歳の誕生日を迎えました。大変な災難が依然継続中の最中にあり、なかなかお目出度いお祝い気分にはなれませんが、感慨も一入(ひとしお)であることは間違いありません。
greetingを贈ってくれた皆さん、ありがとう。いずれもwebのメールやfacebook、メッセンジャーといったツールを介して頂いた。こんなところからも時代の移ろいを強く意識させられる。今回の東日本大震災は、明らかにそれ以前と以後で歴史がはっきり色分けされる。大きな転機になるのは間違いないようです。
状況は刻々と厳しさを増していて、時間の経過とともに未来の見通しが晴れるどころか不明瞭になってきたような印象を抱きます。振り返ると、キリの良い歳となる前年の9の付く年齢は何かと思い出深い。10年前の49歳の時は9.11のニュースをIAAフランクフルトのショーフロアで目にしました。
あれからもう10年か……欧州CO2規制が実質的に動き出す区切りを感じる重要な年という認識なので、もちろん今年も取材スケジュールに入れてあります。
20年前の39歳(1991年)は、バブル崩壊が足元に忍び寄りやがて急転直下という揺れたタイミング。海外では湾岸戦争が勃発し、金余り状態の日本は90億$(当時のレートで約1兆円)という大枚を多国籍軍を名乗る同盟国にむしり取られた。個人的なことをいえば、バブルの追い風とともに舞い込んだ新しいメディアとしてのvideo magazineのキャスターの仕事も2年であれれ?な状態となったり、バブル期に良い思い出はあまりない。
29歳(1981年)は、フリーランスでやって行くことを決めて3年目。恐ろしいことに経済的な見通しなどまったくないのに結婚し、すでに長女が1歳になっていた。無知で馬鹿だったから、我武者羅で出来たんだろうね。時代も無限の成長が信じられたバブルに駆け上がる怒濤の80年代だったし。
19歳(1971年)。物心ついてから最初の丁度の手前の9の付く歳。30の時も40の時も50になる時もある種の感慨にひたりながら心中期すものがあったように思う。ハタチ前は、薄れた記憶の中でも気負いやら葛藤やら不安やらがない交ぜになって、妙に肩に力が入ったような。まあ昔話だから厳密は問わないほうがいい。確実に言えるのは、その時に自分が50歳のオヤジになるなんて想像もできず、ましてや還暦目前なんてただの老人であり自分とは関わりのない別世界の存在だと思っていた。
現実に自分がなってみると、「ざけんな、俺はまだまだ現役よ!」強がりでもなんでもなく、20代の編集者と一緒に仕事をしても何の違和感も覚えない。向うは(面倒臭ぇ)と思っているかもしれないけれど、経験(俺だって20歳の頃はあったからね)が向うが感じる垣根を取り払っている。もちろん、偉ぶってこっちから壁を作ろうなんて思いも寄らない(愛想が悪いので怖がられているようですが)。
僕は老いることに恐怖を感じてはいない。この話をすると笑われるのだが、せっかく生まれてきたんだから是非とも老人の境遇を味わってからあの世に行きたい。赤ん坊、幼児、子供、児童、青年、中年、壮年まではなんとかクリアした。まだ熟年という言葉には抵抗があるし、老年老人の境地にいたるには時間が掛かりそうだ。還暦は間違いなくひとつの節目だろうが、まだ1年あるもんね。
これからの1年、この国は猛烈な勢いで変化して行くことだろう。少なくとも今までどおりでやって行ったら何もかも足りなくなる。
元日のブログに書いたことが、リアルな響きとともに迫ってくる。今感じている不透明感、将来に対する不安は、僕の場合これまで9の付く節目でいつも感じていたこと。その意味では改めて力むことはないんですが、自らを奮い立たせないと萎んでしまいそうな気分がある。
衰え? いやいやいや、もうちょっとなんとかしようぜ。自分で自分に言い聞かせる59の春ですわ。
Posted at 2011/03/24 22:53:29 | |
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