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伏木悦郎のブログ一覧

2011年03月29日 イイね!

龍馬曰(のたまわ)く

龍馬曰(のたまわ)く「世の人は、われをなにともゆわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る」まあ、坂本龍馬御歳16のみぎり詠んだという五七五七七(和歌)を、60間近のおっさんが引き合いに出しても侘しいだけ、という説もありますが、火種だけは身体の奥底で燃やし続けている。


一人では何も出来ないことは重々承知しておりますが、まず自分が自分に対する信頼を確実なものにしないとね。簡単にいうと自信confidenceを持つということだろうけど、躓きの歴史が災いしているんだ俺の場合(笑)。

まあ、生きているかぎりあらゆる可能性はゼロではないので、ボチボチ行きますか。人は可笑しいから笑うのではなく、笑うから可笑しいという説もあるし。先日お話したメルセデスベンツ博物館のリポートがアップされました。

ほんの少しだけですがメッセージを込めたつもりなのでご一読を。ポルシェ博物館もこの勢いで書こうと思ってます。現地で感じた胸の奥が疼いたあの雰囲気を伝えたい。只今現在の俺にできる精一杯のこと、であります。
Posted at 2011/03/29 23:08:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月27日 イイね!

スポーツカー……夢と希望、そして元気の源。

スポーツカー……夢と希望、そして元気の源。スポーツカーの定義付け。諸説あるのは承知の上で、僕はシンプルに捉えている。キーワードは『元気』です。「乗ると元気になるクルマがスポーツカーである」とひとまず括ります。その上で、やや逆説めいた表現になりますが「元気がないと乗れないクルマでもある」と押さえの言葉を添えることにしています。

そして、なによりも重要なのは、作者(この場合多くはメーカーですね)が自らスポーツカーであると名乗っているクルマだけをスポーツカーと呼ぶ。頼まれもしないのに、それに相応しいパフォーマンスを秘めているとか何とか言って、こっちが勝手にスポーツカーに認定するなんて僣越な真似は御法度にしたい。その代わり、名乗っておきながらだらしないクルマについては厳しい評価を下す。それでいいと思っています。

クルマの起源を考えると、まずはスポーツカーか高級車のどちらかとして世に出ている。当初は海のものとも山のものとも分らないくせに高価で、乗ることそれ自体が冒険の範疇に属していた。そもそも馬や馬車に乗れたのはどの階層の人? と考えれば、馬に比べると遥かに粗野でけたたましいわりに洗練を欠いていたはずのクルマは、余程の大金持ちの"暇つぶし"としてでしか成り立たなかったはず。

富貴な人々が暇と金に飽かした酔狂がクルマを現実的な存在にした。そう考えるのが自然というものでしょう。しかし、ヘンリー.フォードによる"流れ作業"による大量生産方式の発明によって、今ある状況が開かれた。日本でクルマが爆発的な普及を始めるのは、1960年代後半から1970年にかけてピークを迎えた高度経済成長からですが、モビリティがもたらす漠然としたイメージが夢を大きく膨らませ、いつかはクルマを手にして夢を手に入れるという明確な目標が、希望の灯として機能した。

スポーツカーは無駄か? 敢えて言い切ってしまおう。一義的には無駄に決まっている。1、2人のモビリティという最小限の機能性は備えているので、無用と切り捨てられる謂われはないが、元気の補給や消費に現(うつつ)を抜かす様は、景気の良い明るい時代ならともかく、シリアスな状況下では胸を張って堂々と…というわけには行かない。

いつの間にか『3.11』で通じるようになった大地震から2週間余。日本人の誰でも皆が耐えて、忍んで、手に手を取って……みたいな気分が充満する中、明るい話題に振るのは何だか妙に勇気が要るように思えてしまうのだが、ここで沈んでどうするんだよ!!できる奴は大いにハッチャけて、上向きにしなくてどうすんの?元気だそうぜ……ということで、まだるっこい展開になっちゃったけど見ての通りのポルシェです。

シュツットガルト-ツッフェンハウゼンのポルシェ博物館を訪れた話は前に書きました。僕だってクルマ好きの端くれ。かれこれ41年もクルマに乗り続け、33年余の間自動車ライターで食べてきているので、いろんな角度からクルマを眺めてきましたが、スポーツカーが好きであることに関しては人後に落ちることはない。ポルシェというスポーツカーの大定番についても、ずっと頭の片隅に留めてある。

しかし、ポルシェ博物館は興奮したなあ。もう写真に収めるのに夢中になって、時の経つのも忘れた。新しい発見も多く、初めて知る話もたくさんありました。ポルシェAGは1948年創業の比較的若い会社ですが、創始者のフェルディナンド・ポルシェ博士はダイムラーのエンジニアとしてメルセデスベンツ博物館にも名が残るドイツの歴史そのものともいえる存在。

メルセデスベンツ博物館のレビューは今週早々にもアップされる予定ですが、それに続く第二弾としてポルシェも賑々しく行きたいもの。いまの僕にできるのは、こういうことです。


GODTAK once more please!!
Posted at 2011/03/27 23:25:25 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月24日 イイね!

もういくつ寝ると……!!

本日3月24日、59歳の誕生日を迎えました。大変な災難が依然継続中の最中にあり、なかなかお目出度いお祝い気分にはなれませんが、感慨も一入(ひとしお)であることは間違いありません。

greetingを贈ってくれた皆さん、ありがとう。いずれもwebのメールやfacebook、メッセンジャーといったツールを介して頂いた。こんなところからも時代の移ろいを強く意識させられる。今回の東日本大震災は、明らかにそれ以前と以後で歴史がはっきり色分けされる。大きな転機になるのは間違いないようです。

状況は刻々と厳しさを増していて、時間の経過とともに未来の見通しが晴れるどころか不明瞭になってきたような印象を抱きます。振り返ると、キリの良い歳となる前年の9の付く年齢は何かと思い出深い。10年前の49歳の時は9.11のニュースをIAAフランクフルトのショーフロアで目にしました。

あれからもう10年か……欧州CO2規制が実質的に動き出す区切りを感じる重要な年という認識なので、もちろん今年も取材スケジュールに入れてあります。

20年前の39歳(1991年)は、バブル崩壊が足元に忍び寄りやがて急転直下という揺れたタイミング。海外では湾岸戦争が勃発し、金余り状態の日本は90億$(当時のレートで約1兆円)という大枚を多国籍軍を名乗る同盟国にむしり取られた。個人的なことをいえば、バブルの追い風とともに舞い込んだ新しいメディアとしてのvideo magazineのキャスターの仕事も2年であれれ?な状態となったり、バブル期に良い思い出はあまりない。

29歳(1981年)は、フリーランスでやって行くことを決めて3年目。恐ろしいことに経済的な見通しなどまったくないのに結婚し、すでに長女が1歳になっていた。無知で馬鹿だったから、我武者羅で出来たんだろうね。時代も無限の成長が信じられたバブルに駆け上がる怒濤の80年代だったし。

19歳(1971年)。物心ついてから最初の丁度の手前の9の付く歳。30の時も40の時も50になる時もある種の感慨にひたりながら心中期すものがあったように思う。ハタチ前は、薄れた記憶の中でも気負いやら葛藤やら不安やらがない交ぜになって、妙に肩に力が入ったような。まあ昔話だから厳密は問わないほうがいい。確実に言えるのは、その時に自分が50歳のオヤジになるなんて想像もできず、ましてや還暦目前なんてただの老人であり自分とは関わりのない別世界の存在だと思っていた。

現実に自分がなってみると、「ざけんな、俺はまだまだ現役よ!」強がりでもなんでもなく、20代の編集者と一緒に仕事をしても何の違和感も覚えない。向うは(面倒臭ぇ)と思っているかもしれないけれど、経験(俺だって20歳の頃はあったからね)が向うが感じる垣根を取り払っている。もちろん、偉ぶってこっちから壁を作ろうなんて思いも寄らない(愛想が悪いので怖がられているようですが)。

僕は老いることに恐怖を感じてはいない。この話をすると笑われるのだが、せっかく生まれてきたんだから是非とも老人の境遇を味わってからあの世に行きたい。赤ん坊、幼児、子供、児童、青年、中年、壮年まではなんとかクリアした。まだ熟年という言葉には抵抗があるし、老年老人の境地にいたるには時間が掛かりそうだ。還暦は間違いなくひとつの節目だろうが、まだ1年あるもんね。

これからの1年、この国は猛烈な勢いで変化して行くことだろう。少なくとも今までどおりでやって行ったら何もかも足りなくなる。元日のブログに書いたことが、リアルな響きとともに迫ってくる。今感じている不透明感、将来に対する不安は、僕の場合これまで9の付く節目でいつも感じていたこと。その意味では改めて力むことはないんですが、自らを奮い立たせないと萎んでしまいそうな気分がある。

衰え? いやいやいや、もうちょっとなんとかしようぜ。自分で自分に言い聞かせる59の春ですわ。
Posted at 2011/03/24 22:53:29 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月19日 イイね!

まだまだほんのプロローグ

遠く離れた被災地の惨状は、メディアを通してしか分らない。動画にしても写真にしても、撮影したカメラマンの視点で見えるものにかぎられる。これは常日頃モーターショーなどを取材して痛感することですが、しょせん個人がカバーできるのは蟻の眼に等しく、全体を隈なく伝えることは物理的に困難と言わざるを得ません。

被災者の感動的なシーンに胸を熱くしている間にも、人知れず救いを求めている人々が数多く存在してしまう。誰を責めるわけでもなく、そのことに気づいた瞬間、震災の巨大さをあらためて思い知る。時間の経過とともに情報の質と量が増してくるに連れ、今を乗り切ることもさることながら、これから始まる難問の多さと大きさに武者震いのする思いでいっぱいになります。

震災直後から救援や募金などの活動に積極的に動き回る知人をはじめとする多くの人々の奮闘ぶりを見るにつけ、翻って俺は何もできないな……忸怩たる思いのまま9日間は流れるように過ぎ去ってしまいました。

あらためて報道というものの難しさを痛感しています。真実を伝える前に、スポンサーシップやらしがらみやらがあって、個人レベルでは問題を感じることがあっても、所属するソサイエティの一員としてはその価値観に従わざるを得ないということなのだろうか。

御用なんとかと呼ばれてしまう存在はどこにでもいるけれど、厚顔無恥をTV画面で観るにつけ、つくづくなんとか村の人にはなりたくないと思う。孤立感を覚えるのは日常茶飯事だけど、多くの読者に支えられている実感は誰よりも深くあります。

阪神大震災の時にも、思いは現場に馳せたけれど、ついに足を運ぶことはなかった。行けば何かできたかもしれないけれど、何ができるか思いあたるところがなかった。今回は現地に飛ぶ衝動にかられながら自制している。

時代を変える大事件。東北関東大震災は、後の歴史にそう位置づけられるのは間違いない。できれば、その現実を自分なりに後世に伝えてみたい。八戸・蕪島、宮古・浄土ヶ浜、松島、女川……。取材で巡ったことのある海辺の景色の現実をこの目で確かめたい。落ち着いたら。

世界中が注目するフクシマの現実についてはやはり大前研一さんの動画がなによりも説得力がありますね。TVニュースが報じるライブパフォーマンスに一喜一憂するのではなく、これから確実に浮上する大きな問題を鮮やかに切り取っている。

政府や東電には原子力の真のプロがいないことを知って、ことの推移に納得。内向き志向でドタバタやっている間に、世界から相手にされなくなりつつある。日常あちこちに散見できる、しがらみでがんじがらめの"ムラ社会"で小さくまとまろうとする体質が問われている。

ウォーキングルートにある近所のドラッグストアに寄ってみたら、トイレットペーパーやら何やら本当に品切れ状態になっていた。そういえば、上海の友人とメッセンジャーで話したら、突拍子もない事態が起こっているという。上海ではフクシマの原発の模様がニュースで報じられると人々が『塩』の買い占めに殺到し、あっという間に10倍の高値になってしまったというのです。

塩は海水から作られる、その海が放射能で汚染されたら塩が作れなくなる……デマが生んだパニックの類だとは思いますが、そのくらいフクシマは今世界の注目を集めているということです。情報を出し渋る政府も東電も、いったい何を守ろうとしているのでしょうか?
Posted at 2011/03/20 02:33:54 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月17日 イイね!

時代の分水嶺

時代の分水嶺『私は"馬"に強い信頼を置いている。自動車は、一時的な現象に過ぎない』(ヴィルヘルムⅡ世)。

シュツットガルト・ウンタートゥルクハイムのダイムラーベンツ本社の高架道路を隔てた反対側、その向いにブンデスリーガのVfB1893シュツットガルトe.V.のクラブハウスがある立地に、新しいメルセデス・ベンツ博物館はある。

エントランスで解説用のレシーバー(日本語もある)を受け取り、チケットをかざして改札を越えるとエレベーターがあり、一気に8階へ。出て左に進んだところにいきなり馬の剥製(?)が置いてある。その足元に書いてあるのが上の1886年当時のドイツ皇帝の発言。もちろん、彼の思うようには時代は進みませんでした。

そこから始めるの? ぎょっとしながら進むとホールがあって、そこには今から125年前の発明カール・ベンツの3輪自動車とゴットリープ・ダイムラーの4輪自動車が仲良くターンテーブルに回り、その左際に単気筒4サイクルのエンジンが鎮座している。ここから自動車の歴史は始まった……と。

格調高く重厚に……さすが世界最古の歴史を有する量産自動車メーカーというべきか。ここからはじまる螺旋状の回廊展示は、さながら歴史のお勉強。僕は好きなので苦痛はない、というより大変楽しんだが、堅苦しいドイツ人気質と野暮(?)とも思える生真面目さが誰にでも好まれるかというとその保証はない。

その27年前に、アメリカ・ペンシルバニア州で、エドウィン・ドレークが世界初の油田を発掘していて、その来るべき時代の予感がドイツの若きエンジニア(発明家?)の心に火をつけたのかもしれません。とにかく、時代は石油を中心に回り始めました。

今回の東北関東大震災は、もしかしたら20世紀にポスト石油への期待から生まれた新エネルギー原子力の可能性を完全に消滅させてしまうかもしれません。その意味でも、画期的な出来事ということになりそうです。時代は、いったいどっちのほうへ進んで行くのでしょう。リアルタイムでその経緯を体験できる我々は、もしかしたら歴史の証人になれるのかもしれません。

少し頭を切り換えれば、ポジティブになれる。さあ、これからは若い世代の皆さんの時代です。希望はあると思います。

考える。

かならずできる。

GODTAKへ。この感じで一本本編に書きたいな。
Posted at 2011/03/18 00:44:35 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「撤収!! http://cvw.jp/b/286692/42651196/
何シテル?   03/24 18:25
運転免許取得は1970年4月。レースデビューは1975年10月富士スピードウェイ。ジャーナリスト(フリーライター)専業は1978年9月から。クルマ歴は45年目、...
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