
拳銃、撃ったことありますか? 僕の初体験は忘れもしない1985年。LA郊外の今はなきリバーサイドレースウェイを訪れた時のことでした。
主たる目的は前年のルマン24時間に参戦したローラT616の試乗。BFグッドリッチが市販ラジアルタイヤでルマン挑戦というプロジェクトを組み、C2クラス優勝を達成。搭載エンジンは13B改RE。ロータリーエンジンにとって初のルマン栄冠は実はこのマシンに始まります。
この年、当時国内に存在したすべてのグループCマシンを一気乗りするという連載に近い企画を担当していた僕に取材のお鉢が回ってきたということでした。同行フォトグラファーはF1取材500回を超え、いまや大御所と誰もが認めるK.H。

まだ時間の流れがゆったりとしていた1980年代。ローラ以外にもR.STRAMANというコーチビルダーを訪ねてホンダCR-Xの屋根をぶった切ったコンバーチブルに試乗した記憶がある。一通り取材が済んで、なお帰国まで2日ほどゆとりがあった。この時僕はSIMPSONで今もトレードマークとして愛用している青のレーシングスーツを仕立てたりもした。
さあ次どうする? 問うと、K.Hが「ピストル撃ちたい」と言い出した。行ってみるか。どうやって捜し当てたか忘れたけれど、とにかく一軒の屋内射撃場に辿り着いた。
鉄の扉一枚を開けると、そこは薄いベニヤ板で仕切っただけのシューティングブースと粗末なカウンターという怪しげな雰囲気。日系と思しき主人が手作業で薬莢に火薬を詰めて弾丸をこしらえていた。拳銃はS&Wの38口径レボルバー。後で考えるとフルパウダーではなかったようだが、それよりもなによりも初めて手にする本物のピストルには緊張した。
「はいよ」と無造作に銃を手渡され、その質量感にゾクッ。「弾は?」何発要ると尋ねられ、K.Hと僕は顔を見合わせた。ビビリながら「50?」6連発のレボルバーの10回分(確か、安全のために5発詰めを薦められた)。一人25発も撃てば十分じゃない? 多すぎるかも…というのが一致した見解だった。
年の功でまず俺からとなったわけですが、いや~パクパクでした。ハンマー(撃鉄)をギュッと押し下げると、トリガー(引き金)がスゥ~ッと手前に引かれる。そこからはもうフェザータッチ。ちょっと人指し指を緊張させると
ドンッ間髪入れずに発射となる。
ホールドアップされたヒーローが、次の瞬間銃を撥ね除ける……みたいなシチュエーション、映画かTVドラマであったように思うけれど、"あれはあり得ない"その時リアルに理解した。「Freeze!(動くな)」と至近距離でハンマーを起こされたら、言う通り凍ったように固まらないと命はありません。
そのリアリティに震えながら5発撃ち切ると喉がカラカラになった。代わったK.Hの反応も似たようなもの。初っ端は緊張が解けるやヘロヘロ。ところが人間慣れるもの。2、3巡くらいまではビビリが残ったものの、一箱終りという頃には止めるのが惜しくなっていた。かつてない緊張を克服した後の興奮は想像を絶した。今にして思えばドーパミンがドバドバのけっこうアブない状態になっていたはずだ。
途中、鉄扉がバァ~ンと開いて、大柄な黒人のグループ(4~5人)がドヤドヤ入ってきて驚いた。やいのやいの言いながらバンッ、バンッ、バンッ、奇妙なノリでブッ放ち始めた。
「ウチは連射禁止だ!!」店主の怒声に案外おとなしく従ったので安心したが、ひょいと銃口をこちらに向けてトリガーを引かれれば、はいそれまでよのシチュエーション。そんなこんなだったのに、終わってみればK.Hと俺はあと二箱撃ち興じ続けていた。
帰国前日、今日は買い物でも行きますか? すでに2児の親になっていた僕の提案に「伏木さん、買い物なんていつでもできる。今日も撃ちに行きましょうよ」強く言うので「いいよ。でも昨日よりましなところにしようぜ」捜し当てたのがトーランスプラザホテル裏のちゃんとした仕立ての室内射撃場である。
しっかりパスポートを預かる厳格さが却って信頼できた。銃はいろいろ選べたが、昨日慣れ親しんだS&W38口径にした。もういきなり全開。ここのはフルパウダー(火薬がきっちり入っている)で撃つと銃口とシリンダー後方から盛大に火を噴いた。音も衝撃も昨日の比ではない。
当然イヤーマフを装着しての射撃。だが、しばらくすると場内に腹に響く重低音が轟いた。肌を震わせる衝撃波に、なんだなんだと隣のレーンを覗くと、常連と思しき男が44マグナムのS&W M29? をボワァ~ンと撃っちゃあドヤ顔でこちらを振り返る。その向こうで新婚と思しき日本人男女が撃ち始めた。見るとコルト45ガバメント。小柄な女が撃ち始めると反動で地面と天井を交互に撃ち抜いた。
「普段僕たちは(被写体を)入れる立場でしょう。入っていない恐怖(当時は当然銀塩カメラの時代)はストレスです。この放出感、たまりませんなあ」K.Hは涎を垂らさんばかりに恍惚の表情を浮かべた。後ろ姿を見るとカメラを構えるポーズそのままだ。さらに「伏木さん、紙の的は飽きますね。動いているモノを仕留めたくなる。獲物は動物? 突き詰めると究極は……」何やら哲学的なことを言い出した。
しかし、銃本来の目的を考えるとそこに行き着くのは当然か。自然界の猛獣から身を守るというワイルドライフの持ち主以外で、銃の使用目的は同じ銃を所持する対人間おいて他にない。護身用という自己防衛の権利が、アメリカ合衆国憲法修正第2条(武装権)によって保証されている。
民兵組織によって英国との独立戦争に勝利したという建国の歴史に起源が求められる条文が、2億7000万丁とも言われる人口に匹敵する全米の銃保有の根拠であり、それによって事故、事件、自殺などで年間3万人の生命が失われている。
銃に触れたことのない者にとって想像を絶する現実の世界だが、もうひとつの現実として全米では年間約4万人の交通事故による死者が発生している。アメリカ人にとってのクルマと銃は、日本人の認識とは必ずしも一致しない。ここは押さえておきべき視点だと思う。
日本の一般社会では考えられない状況が日常に存在し、その気になれば日本人だって法を犯すことなく銃撃を体験できる。日本に経験者がどれくらいいるか分からないが、一般的な庶民感覚からすれば銃はあり得ない違法無法不法の象徴であるに違いない。逆の見方をするとアメリカ人のクルマを見る眼差しは、日本人のそれと一致しなくて当然ということにはならないだろうか。
それはともかく、最初に銃を手にした時の恐怖、緊張、興奮……それは間違いなく初めてクルマを手にした時の記憶と重なった。アクセルを踏んだ時の加速、ブレーキはどの位踏めば止まるのか、クラッチはどう繋ぐ? ハンドルを切る量と動きの関係は……メカニズムが身体と一体になっていない初期段階では、すべてが恐怖の対象になっていたはずである。
拳銃を握った1985年の僕は33歳。運転免許取得から15年。20代前半に自動車レースを経験し、メディアに属して7年。フィジカルを含む走りのポテンシャルは当時がピークだったと思う。その時期に18歳の記憶を蘇らせた。拳銃の初体験は、人とモノ(道具)の関係を改めて考えさせる衝撃の出来事だった。

この拳銃は、4年前(2008年11月)のLAショー取材の際に再訪したシューティングレンジで23年振りに撃ったKIMBER45automatic。LA.P.D.S.W.A.T( ロサンゼルス市警特殊部隊)が正式採用するという業(ワザ)物だ。
クルマと銃の共通項はとても多い。爆発的燃焼圧力のエネルギーを用途に合う仕事に転換するメカシステムしかり、基本的には人の意志と行為がないと何も起こらない金属の塊であり、法律によって所持や使用の資格が厳しく制限され、最悪の場合自ら命を落としたり、他者の命を奪ったりもする。
銃の場合、その機能目的が他の生命を奪うことにあり、そのことを多くの人が理解しているので、日本においては一般社会から遠ざけるのは比較的容易となっている。ところが、クルマの場合は移動の自由をパーソナルレベルで実現するという平和用途が第一義的にある。誰も死のうと思ってクルマに乗ることはない。
もともとクルマは危険な乗り物です……本質は変わらないのに、クルマが銃と同列に語られることは稀だ。技術の進歩は、より速く、より快適に、より安全に、そしてより経済的に……というスローガンの下に展開され、現在の状況を生み出している。ことここに至って、原点に立ち返って考え直すのは容易じゃなくなっているということだろうか。
今、かりに僕が18歳だったら、初めて手にするクルマにどんな感想を抱くだろう。遥か42年前の記憶は薄く甘美なノスタルジーに過ぎないが、あの初めて銃を手にした時の感覚はリアルだった。どうやら時代を超える普遍性がそこにありそうだ。
昨日(28日)XaCARで連載が始まって4回目となる国沢光宏親方との口論?舌戦?水掛け論?の収録がありました。今回のお題は『MTorAT?』ふたたびトヨタ86・スバルBRZに話が戻ったような展開。僕は完全なるMT派で、今後購入する場合、スポーツカーに限っては右ハンMTに限ると決めている。
例外的にはポルシェ911の空冷に限って左ハンMTもありだが、それ以外はフェラーリも何も右ハン3ペダルがないモデルは対象外(ということは新しいF1系はなし)とした。完全なる時代錯誤アナクロニズムだが、それでいいと思っている。クルマは身体機能の拡大装置であって、自分のカラダ(と感覚)を伸ばすメカシステム。からだとのインターフェイスを省いて、結果としてのスピードや燃費効率を高めることには与しない。

余裕があればハイエンドスポーツにまっしぐらだが、基本的には身の丈にあったサイズと動力性能でランニングコストが低いほうがいい。86は現状では最右翼だが、もっと小さくもっと軽くもっと小排気量で上質で面白い…そういうブレークスルー感のあるクルマの登場を待ちたい。もしも出ないということになれば、旧い内外の魅力的な個性派を現代技術を駆使して再生するレストアに期待するのも悪くない。
インフラにしてもクルマそのものにしても、先に進むばかりが進歩とは言えなくなりつつある。法定最高速度を先進国としては最低レベルに抑え込んだまま、クルマの高速性能を無限大の方向に高めようとするいっぽうで安全ディバイスで帳尻を合わせようとする。使っちゃいけない性能、使うところ限定の性能はもういいかな。
法治国家だから法には従う。しかし、実情に合わない法律は積極的に改めたほうが健全だろう。いろんなところで現状を変えたがらない勢力がパワフルだが、法を改める気がないならその枠組みの中で楽しめる面白がれるモノ作り、クルマ作りに転換したほうが未来がある。本気で資源だ環境だ安全だというなら、従来型の延長線上で未来を語るのはもうなしだろう。
で、XaCARの企画ですが、全然駄目でした。編集長にしても親方にしても見ている現実と思い描く未来が違う。僕は今までどおりの語り口に興味を失っていて、たとえば86のMTのフィーリングってどう? といったシンプルな質問にスッと応えられない。
そんなことよりも、たとえばスウェーデンのカロリンスカ大学(脳トレで世に出た川島隆太教授が学んだことで知られる)で”運転したくなるってどういうことなんだろう”と2年くらい研究開発した男がトヨタにいる……なんていう話に反応してしまう。つまるところスピードを高めることに収斂してしまう性能評価なんかより、人間の能力をスムーズに引き出す技術開発に興味が向いちゃうのだ。

品評レベルの話には身が入らない。これじゃあ評論家失格だなと我ながら思わないでもない。冷静になって考えれば出てくるけれど、トークはその場のパフォーマンスがすべて。まあ、ガッカリな伏木悦郎に興味がある読者は少ないと思うけれど、XaCAR良かったらご講読よろしくお願いします…っと。
さっと書き倒せると思ったけど、意外にダラダラ行っちゃった。続きはDRIVING JOURNALに書いてます。