
日航機墜落事故から37年 ことしも遺族などに限って慰霊の登山
2022年8月12日 12時34分
520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で37年です。墜落現場の群馬県上野村では、ことしも新型コロナウイルスの感染防止のため遺族や関係者に限って慰霊の登山が行われています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から37年となる12日は墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して遺族などが慰霊の登山をしています。
登山道沿いには亡くなった人たちの墓標があり、遺族などが花を手向けていました。
また尾根にある慰霊碑の「昇魂之碑」の前でも、手を合わせて犠牲者を悼んでいました。
例年8月12日は一般の人も含め多くの人が慰霊の登山に訪れますが、村などは新型コロナの感染防止として、去年とおととしに続いてことしも登れる人を遺族や関係者に限っています。
12日午後6時から、ふもとにある「慰霊の園」で行われる追悼慰霊式も感染対策のため規模が縮小され、村や日本航空の関係者など20人ほどが参加して事故が起きた午後6時56分に合わせて黙とうを行うことにしています。
遺族は
墜落事故で高校2年生だった長女の知美さん(当時16)と、中学2年生だった次女の薫さん(当時14)の2人の娘を亡くした山岡清子さん(76)は、長男の直樹さん(55)と大阪から慰霊の登山に訪れました。
清子さんによりますと、知美さんは優しくてしっかり者で、薫さんは負けず嫌いで体を動かすのが大好きだったといい、近所でもうらやましがられるほど仲がよい親子だったといいます。
12日は清子さんが15年かけて折った千羽鶴をふだん保管している途中の山小屋で取って2人の墓標まで向かいました。
そして、墜落現場で見つかった遺品のカメラにおさめられていた2人の写真や、大人になる前に亡くなった2人とは飲むことができなかった缶チューハイなどを墓標の前に供えて静かに手を合わせていました。
年齢を重ねる中で真夏の登山が限界に近づいていると感じ、清子さんは2人とよく歌った歌を口ずさみながら近所を散歩して体力作りに励み、12日を迎えました。
清子さんは「息切れしそうでしたが、子どもたちに早く会いたいという気持ちで登りました。ここに来ると2人がどこかから出てこないかなと思ってしまいます。連れて帰りたいです」と話していました。
また長男で2人の兄の直樹さんは「ここに来るとほかのご遺族にも会うことができ、気持ちが楽になるのできょう1日だけ遺族であることを忘れられます。もう私たちのような『遺族』と呼ばれる人が出ないような社会になってほしい」と話していました。
弟の加藤博幸さん(当時21)を亡くしたさいたま市の小林由美子さん(63)は、夫や子ども、それに孫と一緒に御巣鷹の尾根を訪れました。
小林さんは、「ここに来ることが私にとっての1年の終わりであり、下山をするとまた1年が始まります。お笑い芸人を目指していた弟は『いつも笑っていてね』とよく言っていたので、この山を下りたら涙をこらえて笑顔でまた1年頑張りたい」と話していました。
取材に応じたあと小林さんは、墓標に向かって手を合わせると涙を拭いながら「また来るね」とそっと声をかけていました。
父の若本昭司さん(当時50)を亡くした神奈川県大和市の若本千穂さん(57)は、息子の崚さん(30)とその妻の愛河さん(29)、それに孫の詩葉ちゃん(4)と湖凪ちゃん(0)のあわせて5人で御巣鷹の尾根を訪れました。
そして父の名前が書かれた墓標の前で静かに手を合わせていました。
千穂さんは「私にとってここはとても悲しくつらい場所であることに変わりはないのですが、家族で来られたということは、それ以上に私たちを包んでくれるような暖かくて優しい場所になってきていると思います。孫には『ここにあなたたちのひいおじいちゃんがいて、守ってくれているよ』と伝えていきたいです」と話していました。
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2022/08/12 13:58:10