谷村新司さん死去 74歳 「冬の稲妻」「昴」など数々のヒット曲
2023年10月16日 18時46分
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「冬の稲妻」や「昴」など数々のヒット曲で知られ長年、歌謡界をけん引してきたシンガーソングライターの谷村新司さんが今月8日、亡くなりました。74歳でした。
谷村新司さんは大阪府出身で、1972年にバンド「アリス」でデビューしました。
“チンペイさん”の愛称で親しまれ、堀内孝雄さんらとともに力強いボーカルで「チャンピオン」や「冬の稲妻」などヒット曲を次々と発表しました。
またシンガーソングライターとして「昴」など長く歌い継がれる名曲を生み出したほか、「いい日旅立ち」を山口百恵さんに提供するなど長年、日本の歌謡界を牽引してきました。
また、谷村さんは、中国・上海にある音楽学院で教授を務めたこともあり、中国で人気の日本人歌手として知られていて、2017年には上海で日中国交正常化45年を記念したコンサートを開いています。
代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。
2015年には日本だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多く生み出し、芸術文化の発展に貢献したことが評価され紫綬褒章を受章しています。
事務所のホームページによりますと谷村さんは、ことし3月に腸炎のため手術を受け、予定されていたアリスの全国ツアーを延期して、療養していましたが、今月8日、亡くなりました。
葬儀は15日近親者で執り行われたということで、事務所では後日、しのぶ場を設けたいとしています。
センバツ高校野球の大会歌 作曲手がける
谷村新司さんは長年親しまれているセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」の作曲を手がけました。
1993年に発表されたセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」は、作曲を谷村さん、作詞を阿久悠さんが手がけました。
「ああ、甲子園」という歌詞の部分のメロディーが印象的で、長年、高校球児や高校野球ファンに親しまれてきました。
2008年に行われた80回の記念大会では、開会式に先だって、谷村さんが地元の高校の生徒や卒業生とともに甲子園に歌声を響かせました。
また、2018年に行われた90回の記念大会では開会式の入場行進曲に選ばれ、当時、谷村さんは「ドキドキしながら高ぶってくるというようなメロディーをつけたいなというのがまず頭に浮かんだ。『ああ甲子園』というところを歌う時にみんなの気持ちがひとつになったらいいなというイメージで、自分で1人でギターを弾いて歌いながら、何回も何回も歌った」と曲への思いなどについて語っていました。
谷村さんと一緒に歌った当時高校生の女性 心境話す
谷村新司さんは作曲を手がけた春のセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」を15年前の80回記念大会の際に甲子園球場で高校生などと歌いました。
当時、高校1年生で一緒に歌った女性は「思い出に残るよい経験をさせてもらいました。亡くなった知らせを聞いて驚くとともに悲しいです」と心境を話しました。
春のセンバツ高校野球の開会式では、1955年から神戸市の神戸山手女子高校の生徒たちが大会歌を合唱していて、1993年からは谷村さんが作曲した「今ありて」を甲子園球場で披露しています。
このうち2008年に行われた80回の記念大会の開会式に先だって、谷村さんが神戸山手女子高校の生徒や卒業生とともに歌いました。
当時、高校1年生で現在は母校で音楽の先生をしている上田美幸さん(31)は「亡くなった知らせを聞いて、驚くとともに悲しいです」と心境を語りました。
甲子園球場で大会歌を歌ったことについては「本当に思い出に残るよい経験をさせてもらいました。記念大会なので、谷村さんと同じジャケットを着て歌えたことがうれしかったです。作曲者と歌える機会はなかなかないので、すごく光栄でした」と振り返りました。
上田さんは学校で大会歌の指導にもあたっていて「私の経験も伝えながら、今の生徒が高校球児にエールを送りつつ、作曲者の谷村さんのことを思って歌えるように指導していきたいです」と話していました。
学校には、2002年に谷村さんから送られたサインが保管されているということです。
長年 中国との音楽交流に力を注ぐ
谷村新司さんは、1981年、日中国交正常化から10年を前に北京で開かれた交流コンサートに「アリス」として参加したのをきっかけに長年、中国との音楽交流に力を注いできました。
日本と中国でたびたびコンサートを開いてきたほか新型肺炎の「SARS」が流行したときには支援を呼びかけて寄付を行いました。
▽2004年には上海音楽院の教授に
▽2007年には南京芸術学院の教授に就任していて、最近では
▽2017年に中国・上海で日中国交正常化から45年を記念したコンサートを開くなど中国で人気の日本人歌手として知られています。
代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。
アリスの全国ツアー延期し早期復帰望まれる中 死去
谷村さんはアリスの全国ツアーが始まる直前に急性腸炎になり、ツアーを来年に延期して早期の復帰が望まれる中で亡くなりました。
1972年にデビューしたアリスは、活動10年のタイミングでいったん活動を休止しましたが、メンバー3人が還暦を迎えたのを機に2009年、本格的な活動再開を発表し、ファンを喜ばせました。
この年には紅白歌合戦にも出場し「チャンピオン」を歌い、往年の人気バンドの復活をアピールしました。
そしてことし6月からは全国21か所を回る大規模なツアーが予定されていました。
しかし、ツアー直前のことし3月、谷村さんが急性腸炎となり、手術を受けたため、年内は療養することが発表されていました。
全国ツアーも来年に延期されることとなり、谷村さんは、早期の回復が望まれる中で亡くなりました。
堀内孝雄さん「ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せ」
(左から)堀内孝雄さん、谷村新司さん、矢沢透さん
谷村新司さんの訃報を受けて、堀内孝雄さんがコメントを発表しました。
この中で「突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、『アリス』のリーダーであり、そして良きライバルでした。学生時代に、『プロにならないか?一緒にアリスをやろう』と、誘ってくれたとき、心の底からうれしかった。チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。心から、ありがとう。安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます」とつづりました。
矢沢透さん「時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有」
矢沢透さんがコメントを出しました。
この中で矢沢さんは「東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました。時にはいがみ合い、時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた。そして気が付けば51年という長きにわたって谷村と関わるとは・・・あの日からは想像もしませんでした」としています。
そして「若さの灰汁も抜け『これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね』と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、根拠のない確信めいたものを感じておりました。でも谷村は戻ってきませんでした!もういないんです。悲しいというよりも悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」とつづっています。
清水アキラさん「力が抜けてしまった」
テレビ番組などで谷村新司さんのものまねを披露していたタレントの清水アキラさんは自身のブログで「爽やかな風、まっ青な空に雲、素晴らしい天気。そんな中、飛び込んだ谷村新司さんの訃報。力が抜けてしまった。ご冥福をお祈り致します」と心境をつづっています。
イルカさん「昴になられましたね」
シンガーソングライターのイルカさんは、旧ツイッターの「X」で「今まで沢山ご一緒に歌わせて頂いたチンペイさん!」と呼びかけ、イルカさんの亡き夫と「学生時代一緒にアメリカ、カナダ、メキシコでフォークを歌った仲間だったから」としていつも「大丈夫?」と声をかけてくれた思い出を振り返りました。
そして、谷村さんの代表曲にちなんで「昴になられましたね。御冥福をお祈り致します」と追悼のコメントを投稿しました。
加山雄三さん「永遠の『サライ』を谷村くんと共に」
谷村新司さんとともに「サライ」などの楽曲を制作した歌手の加山雄三さんが「谷村新司君の訃報に接して」というタイトルで自身のウェブサイトでコメントを発表しました。
その中で加山さんは「谷村君が亡くなったこと、先ほど知りました。ショックと悲しみで正直混乱しています。ちんぺいとは『サライ』をはじめたくさんの思い出があります。ヤンチャーズ楽しかったよな。たくさんの場所で一緒に歌ったよな!陶芸に誘ってくれた兄弟子でもあるし、いつもちんぺいには『加山さん勝負じゃないんだから!』って言われてたっけ。ほんとの兄弟のように慕ってくれて一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ。その兄想いの弟が先に逝ってしまった今、気持ちをまとめてくれと言われても、彼に伝えたいことはたくさんあって、言い切れないよ。一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり『ありがとう』この感謝の言葉しか見当たりません。永遠の『サライ』を谷村くんと共に…」とつづっています。
また、コメントには去年谷村さんと共演したテレビ番組の控え室で、一緒に撮影した写真も添えられています。
さだまさしさん「俺は信じない」
谷村さんと親交が深かったさだまさしさんは、自身のインスタグラムでコメントを発表しました。
さださんのコメントは次の通りです。
「いやいや、俺は信じない。何度か電話してもでないから、どっか旅にでも出たに決まってる。出会ったのは51年前。デビューしたてのアリスが長崎にキャンペーンでやって来た。以来、兄貴の如く仲良くしてもらった。甲子園や後楽園で野球の試合もした。静岡では一緒に飲み歩いた。長崎でも、武道館でも、あっちこっちでも一緒に歌った。最近ゆっくり会ってないけど、ホテルニューオータニ大阪のディナーショーは、いつも一日違いだったから、毎年必ず会えた。思い出したらキリがない。春に入院したとき慌てて電話したら『大丈夫、大したことないのよ』って言ってたじゃん。八月の終わりと九月の半ばに電話したけど、いつもなら必ず折り返してくれるのに返事がなかったけどね。一言も、なにも言わずにいなくなりましたって?いやいや、俺は信じない。うん。信じない」
事務所「皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝」
谷村新司さんの訃報を受けて所属していた事務所がホームページにコメントを出しました。
コメントでは「本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います。葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行いとても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます」としています。
そして去年、アリスが活動50年を迎えたことについて「記念ライブを開催し、メンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが残念ながらその夢は叶わず満75年の生涯を終える事となりました。後日には皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております」としています。
また「生前『歌と音楽は目に見えないからこそ海も空も超えていく』と沢山の国にも出掛けていきました。歌を創作し歌い伝える旅を続けてきた人生でした」と振り返り「歌と音楽にピリオドはなく皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます。これまでに沢山の『愛』をいただき本当に有難うございました」とつづっています。
愛知県 神田元知事「さみしい気持ちでいっぱい」
2005年の「愛・地球博」のイベントなどを通じて、谷村さんと交流があった当時の愛知県知事、神田真秋氏は「楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。さみしい気持ちでいっぱいです」と話しました。
谷村さんは、2005年「愛・地球博」の行事として愛知県が開いた音楽イベントの総合プロデューサーを務めました。
こうした縁で、およそ20年の交流があったという当時の愛知県知事、神田真秋氏はNHKの取材に対し「万博はおかげさまで、課題はあったが大成功した。成功の背景にはさまざまな方の支援やご協力があったがその1人であったのは間違いない」と振り返りました。
その上で「最近はずっと公演を休んでおられたので、よほど悪いのかと思っていました。谷村さんとはほぼ同世代で、その楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。今後お会いすることがなくなり、さみしい気持ちでいっぱいです」と悼んでいました。
去年行われたコンサートの際に会ったのが最後だったということで「リハーサルでもすごい声量ですばらしい歌を歌われて、手抜きをされない人でした。地元の子どもを舞台に上げて一緒に歌うことも熱心にやっておられ、子どもへの優しさや温かいまなざしに谷村さんの人間が表れていました」とその人柄をしのびました。
そして「ショックでさみしいですが、この地域のたくさんのファン、思い出を持つ人たちも同じ気持ちだと思います。あのようなシンガーはそうは出てこないと思います」と話していました。
官房長官「多大なる社会貢献活動 これまでの功績に敬意」
松野官房長官は午後の記者会見で「長年にわたり、シンガーソングライターとしてわが国だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多くつくり出し、音楽文化の発展に大きく貢献された。また『社会を明るくする運動』の旗振り役として協力を頂き、中国との交流にも尽力されるなど、多大なる社会貢献活動をされた。これまでの功績に改めて敬意を表するとともに、哀悼の意を表したい」と述べました。
日本中国友好協会 伊藤事務局長「日中の友好に尽力」
谷村新司さんは長年、音楽を通じて中国と日本の文化交流を行ってきたということで、日本中国友好協会の伊藤洋平事務局長はNHKの取材に対し「ニュースで訃報を知り、驚きました。長年、日中の友好に尽力してこられた貴重な人材を失い、残念でなりません。先月、上海と北京で日本と中国の文化交流会が開かれた際にも谷村さんの「昴」が流れていました。中国での「昴」の知名度の高さを認識すると同時に谷村さんが築いた功績を改めて感じました」とコメントしています。
中国 毛寧報道官「哀悼の意を表します」
中国外務省の毛寧報道官は16日の記者会見で「谷村さんが亡くなられたことに哀悼の意を表します」と述べました。
新宿では「びっくり」「本当に残念」
谷村新司さんが亡くなったことについて、東京 新宿で聞きました。
70代の女性は「今、亡くなったと聞いてびっくりしました。いい歌を歌っていらっしゃったと思います。『昴』が好きでよく聞いていたので、ショックです」と話していました。
30代の女性は、「また歌う姿を見られると思っていたので残念です。両親も好きで、母もよく口ずさんでいるのを聞いていたので、寂しいなと感じます」と話していました。
60代の男性は「私たちの世代はギターを弾き始めたとき、入門としてアリスの『チャンピオン』などを聞いていました。フォーク、ニューミュージックといろいろなミュージシャンがいましたが、世代の中でトップの人だったと思います」と話していました。
中国出身だという30代の男性は、「本当に残念です。誰にでも好かれる曲、年齢層を問わず、国籍を問わず好かれる曲を作れる人だと思います。私は幼いときに日本に来ましたが、親の話では、中国でも人気で、有名だったということです。『昴』や『チャンピオン』が大好きで、カラオケで歌う人がいると盛り上がりました」と話していました。
大学生のころ訪れていた喫茶店「色あせない思い出の1ページ」
谷村新司さんは「アリス」を結成する前の大学生だったころ、大阪 天王寺区にある喫茶店を毎日のように訪れていたといいます。
谷村さんは決まってコーヒーを注文し、店内に置かれているクラシックギターを弾いて発表前の曲を常連客に披露することもあったということです。
店主の加藤歩子さんによりますと谷村さんは当時「バンドのメンバーを探している」とか「いい人が見つかった」などと、活動内容について話していたということです。
加藤さんは「チンペイちゃんが亡くなったと聞き、びっくりしてじっとしていられなくなってきょうは行くあてもなく散歩していました。私にとっては色あせない思い出の1ページでした」と話していました。
ふるさと大阪では惜しむ声相次ぐ
谷村新司さんが亡くなったことについて、ふるさとの大阪では惜しむ声が相次ぎました。
大阪市の60代の男性は「中学生のころからラジオで谷村さんの曲を聞いていたので、本当に驚きました。テレビなどでも大阪弁でしゃべっていたので親しみをもっていました。本当に残念です」と話していました。
大阪市の70代の女性は「谷村さんが歌う歌は全部好きでよく聞いていました。まだお若いのに亡くなったと聞き心が痛く、寂しいです」と話していました。
八尾市の50代の男性は、「『チャンピオン』などアリスの曲が好きでファンでした。惜しい人を亡くしたという思いです。これからも谷村さんが残した名曲を聞きたいと思います」と話していました。
また、大阪市の70代の男性は「同じ大阪で同年代なので寂しいです。昴の歌声が本当に好きでした」と話していました。