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2025年10月17日 イイね!

六甲颪に颯爽と|ω・`) おめでとう!ありがとう!阪神またしても日本一です!永久に不滅です!(まて

六甲颪に颯爽と|ω・`) おめでとう!ありがとう!阪神またしても日本一です!永久に不滅です!(まてセ・リーグ CSファイナル 阪神がDeNAに勝利 2年ぶり日本S進出
2025年10月17日午後9時05分
(2025年10月17日午後11時49分更新)
プロ野球クライマックスシリーズ

プロ野球、クライマックスシリーズ、ファイナルステージは第3戦が行われ、セ・リーグは、阪神がDeNAに4対0で勝って3連勝としました。阪神はリーグ優勝のチームに与えられる1勝のアドバンテージを含めて対戦成績を4勝0敗とし、日本シリーズ進出を決めました。

セ・リーグのクライマックスシリーズファイナルステージは、兵庫県西宮市の甲子園球場で行われ、第1戦は阪神がDeNAに2対0、第2戦は阪神がDeNAに延長10回、5対3のサヨナラ勝ちをおさめて2連勝とし、日本シリーズ進出に王手をかけました。

17日の第3戦で阪神は、1回に1アウト一塁二塁とチャンスを作り、今シーズンホームラン王と打点王に輝いた4番・佐藤輝明選手がセンターへのスリーランホームランを打って3点を先制し、3回にも5番・大山悠輔選手のタイムリーツーベースヒットで1点を追加しました。

先発の高橋遥人投手は、8回1アウトまでヒットを1本も打たれない会心のピッチングを見せ、リリーフした2人目の石井大智投手と3人目の岩崎優投手も無失点に抑えました。

3連勝の阪神は、リーグ優勝のチームに与えられる1勝のアドバンテージを含めて対戦成績を4勝0敗とし、2年ぶりの日本シリーズ進出を決めました。

一方、DeNAは防御率1.74とリーグ2位の先発・ケイ投手が5回途中4失点と粘れず、打線も阪神の強力な投手陣を最後まで打ち崩せませんでした。

Posted at 2025/10/18 00:43:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月17日 イイね!

タマキン調子に乗ってブラブラしてたら総理になり損ねたな|ω・`)ほんとあの党内でこいつだけがへっぽこだな

自民 維新 連立も視野に2回目の政策協議「大きく前進」
2025年10月17日午後3時12分
(2025年10月17日午後7時31分更新)
首相指名選挙

自民党と日本維新の会の2回目の政策協議が行われ、来週21日の臨時国会の召集までの合意を目指して協議を続けることになりました。両党は「協議は大きく前進した」としていて、連立政権の発足も視野に入れた協議は詰めの調整が行われます。

自民党と日本維新の会は16日に続いて2回目となる政策協議を国会内で1時間あまり行い、自民党から高市総裁と鈴木幹事長、小林政務調査会長が、維新の会からは藤田共同代表と中司幹事長、斎藤政務調査会長が出席しました。

この中で自民党側は16日の協議で維新の会から示された12項目の個別政策の要望などについて党の考え方を伝えました。

その上で両党は来週21日の臨時国会の召集までの合意を目指して、協議を続けることを確認しました。

両党はともに「協議は大きく前進した」としていて連立政権の発足も視野に入れた政策協議は詰めの調整が行われます。

維新 藤田共同代表「大きく前進 いくつか整理」

(ノーカット動画 36分27秒)
このあと維新の会の藤田共同代表は「きのうに続き、提示した12項目についてさまざま意見交換し、大きく前進した。ここからすべての項目について最終の調整、詰めを行っていく形で前進した。まだいくつか整理しないといけない部分はあるので合意には至っていない」と述べました。

【立民と国民との協議は打ち切り】
また、立憲民主党、国民民主党との協議について「きょう、両党の幹事長にこれ以上、野党側の枠組みを模索するのは非常に難しく、総理大臣指名選挙で玉木代表や野田代表の名前を書く形での連携はおそらく難しいので、協議をひと区切りとしたいという旨をお願いした」と述べました。

自民 小林政調会長「大きく前進 詰め切っていきたい」

(ノーカット動画 5分23秒)
自民党の小林政務調査会長は国会内で記者団に対し「協議全体として大きく前進したと捉えている。日本維新の会の意見、考え方はすべての項目、論点において真摯(しんし)に受け止めた。まだ合意には至っていないが、限られた日数で残されたところをしっかりと詰め切っていきたい」と述べました。

一方、維新の会の吉村代表が強く求めている国会議員の定数削減について「議会制民主主義の国家であり、国会のあり方を決めるにあたって特定の政党だけで決めることはこれまでもなかった。一般論としていえば、幅広い合意形成を目指していく考え方に変わりはない」と述べました。

立民 野田代表「覚悟を決めて戦っていく」

立憲民主党の野田代表は東京都内で記者団に対し「むしろ、これで中道という路線が明確になる。右に傾いていく自民党の路線とそれを補完する勢力、これに対して『中道ど真ん中』で戦う勢力による国会論戦や選挙ということになるので覚悟を決めて戦っていく。総理大臣指名選挙では勝利できないとしても、きたる総選挙での政権交代のリアリティーは逆に出てきたのではないか」と述べました。

一方、総理大臣指名選挙の対応については来週20日に役員会を開いて党としての方針を決めたいという考えを示しました。

国民 玉木代表「3党の枠組み ひと区切りに理解」

国民民主党の玉木代表は記者団に対し「われわれとしても基本政策について依然、立憲民主党との間で隔たりが大きく、今の段階ではとても国家運営を共にするのは難しいというのが結論だ。その意味では立憲民主党と日本維新の会との3党の枠組みをいったんここで、ひと区切りとすることは理解できる」と述べました。

その上で日本維新の会が自民党との政策協議で国会議員の定数削減を求めていることについては「議員の削減の話と政治資金を透明にしようという話は似たようで全く違う話だ。政治資金の規制をより強化しようという議論が出てきているのに、自民党が受けられないからといって、それが議員定数の削減にすり替わっていることは理解に苦しむ」と述べました。

公明 斉藤代表「定数削減は『すり替え』」

公明党の斉藤代表は記者会見で「定数削減そのものに反対しているわけではないが、少数意見をすくい上げる比例代表だけを削減するのは反対だ。企業・団体献金の協議が進まないから定数削減の話をするというのは『すり替え』で、全党がそろって議論し、納得して決めていくべき課題であり『臨時国会で決めるべきだ』というのはあまりに乱暴だ」と述べました。
Posted at 2025/10/17 20:45:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月17日 イイね!

【訃報】 村山富市氏

村山富市元首相 死去 101歳 社会党で委員長など務める
2025年10月17日午後1時16分
(2025年10月17日午後6時30分更新)
訃報

かつての社会党で委員長などを務めた村山富市・元総理大臣が、17日、亡くなりました。101歳でした。

村山元総理大臣は大分市出身で、労働組合運動を経て、大分市議会議員や大分県議会議員を務め、1972年の衆議院選挙で、旧大分1区に社会党から立候補して初当選し、あわせて8回当選しました。

社会党では、国会対策委員長などを歴任したあと、1993年8月に社会党も加わった非自民・非共産8党派による細川連立政権が発足し、その後、党の委員長に就任しました。

続く羽田内閣では、社会党を除いた院内会派結成の動きに反発して連立を離脱しましたが、羽田内閣の退陣後、自民党は、さきがけも加えた自社さ連立政権の樹立を打診し、村山氏も受け入れ、1994年6月、第81代の総理大臣に就任しました。


社会党の議員としては、片山哲氏以来、47年ぶり、2人目の総理大臣で、自民党と社会党の連立政権により、いわゆる55年体制が終わりました。

総理大臣就任後、初めての所信表明演説で、自衛隊を合憲と認め、日米安全保障体制を堅持すると発言し、社会党の基本政策の転換を図りました。

戦後50年の節目にあたる1995年の終戦の日には、「とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」などと、過去の植民地支配と侵略に痛切な反省やお詫びを表明した、いわゆる「村山談話」を発表しました。

また、「人にやさしい政治」を掲げ、被爆者援護法の制定や、水俣病患者の救済に積極的に取り組みました。

一方、在任中は、1995年1月の阪神・淡路大震災のほか、オウム真理教による地下鉄サリン事件や、全日空機のハイジャック事件など危機管理が問われる場面が続きました。

そして、就任から1年半あまりたった1996年1月、突然辞意を表明し、自民党総裁だった橋本龍太郎氏が後任の総理大臣に就任しました。


総理大臣退任後は、閣内には入らずに党務に専念し、党名を変更した社民党の初代党首に就任したほか、1999年には、超党派の訪問団団長として北朝鮮を訪れました。

そして、翌年には、総理大臣在任中に亡くなった小渕恵三氏に対する追悼演説を行ったあと、衆議院の解散に伴って政界を引退しました。

長い眉毛や、庶民的で気さくな人柄から、「とんちゃん」の愛称で親しまれ、NHKの番組「チコちゃんに叱られる!」にも出演しました。

2015年に集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が成立した際には記者会見して反対声明を出すなど政治的な発言も続けてきました。

2022年6月には、党の存亡をかけて参議院選挙に挑んだ社民党の福島党首を「絶対勝たないかんで。頑張れ」と激励するなど、元気な姿を見せていました。

関係者によりますと、村山氏は17日午前、大分市内の病院で家族が見守る中、亡くなったということです。

死因は、老衰だということです。

総理大臣経験者の中で2番目の長寿
総理大臣官邸によりますと、101歳と7か月で亡くなった村山元総理大臣は、歴代の総理大臣経験者の中で2番目の長寿でした。

歴代の総理大臣で最も長寿だったのは終戦直後に務めた東久邇宮稔彦王で、1990年に102歳で亡くなりました。

次いで、
▽村山氏が101歳と7か月
▽中曽根康弘氏が101歳と6か月で、100歳以上はこの3人です。

また
▽鈴木善幸氏が93歳
▽清浦奎吾氏が92歳
▽西園寺公望氏が91歳と1か月
▽海部俊樹氏が91歳で亡くなるなど、90歳以上はあわせて10人となっています。


社民 福島党首「戦争反対 平和への思い強い人」
社民党の福島党首は記者団に対し「驚きだった。引退したあとも『社民党がんばれ』といつも言ってくれて、私にとってはパパみたいな存在で信じられない。『村山談話』は日本の政治にとって意義深いものだった。戦争反対、平和への思いがとても強い人だった」と述べました。

細川護煕 元首相「村山談話 大きな功績」
村山富市 元総理大臣は1993年8月に社会党も加わった非自民・非共産8党派による細川連立政権が発足したあと、党の委員長に就任しました。

村山元総理大臣が亡くなったことを受けて、細川護煕 元総理大臣がNHKの電話取材に応じ、「良い方だったが、政治的な立場が違うからしょっちゅう冗談を言いあいながらよく衝突していた」などと述べ当時を振り返りました。

その上で「戦後50年の村山談話では、過去の国策の誤りを率直に認められて、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明されたのが、村山内閣の大きな功績のひとつだと思う。ほかのことよりもはるかに大きな政治的な意味があったと思う」と話していました。

河野洋平 元衆院議長「訃報 残念でならない」
自社さ連立政権が発足した時の自民党総裁で、村山内閣では副総理兼外務大臣を務めた河野洋平・元衆議院議長はコメントを発表しました。

この中では「今から31年前、自民党総裁だった私は、社会党の委員長だった村山さん、さきがけの代表だった武村さんと何度も腹を割って相談を重ね、『自社さ』政権を樹立した。議席数に差があった社会党に総理の座を譲ることで当時は批判もあったが、第1党の自民党が譲ってこそ成立できた政権だと今でも確信している」としています。

その上で「総理になられた村山さんは持ち前の実直さと信念を持ちながら、政権発足直後の日米首脳会談やサミットも立派にこなされ、『村山談話』や『被爆者援護法』など数々の実績も残された。昨今の政治の混乱についてご意見をお聞きしたいと思っていたやさきの訃報であり、残念でならない」としています。

辻元清美 参院議員「私にとっての『政治の父』」
かつて社民党に所属していた立憲民主党の辻元清美・参議院議員は、NHKの取材に対し「戦後50年の節目にいわゆる『村山談話』を発表するなど村山さんにしかできない大きな功績を残された。権力にこびない姿が印象的だった。村山さんは私にとっての『政治の父』であり、とてもショックだ」と述べました。

【政治部デスク解説】(2分19秒)

データ放送ではご覧いただけません
10月17日 午後1時台の特設ニュースで放送

《各党からも悼む声》
石破首相「大変に実直かつ誠実な方だった印象」
石破総理大臣は総理大臣官邸で記者団に対し「突然の訃報に接し驚きと悲しみを禁じ得ない。オウム真理教事件や阪神・淡路大震災に懸命に取り組まれ水俣病の解決にも大変尽力された」と述べました。

また「私は当時『自衛隊を認めてこなかった方が最高指揮官になるのはどうなんだろうか』という思いがあったが、村山氏が自衛隊を合憲として自社さ連立政権が続くわけで、政治がより現実的になっていくという意味で大変大きな転換点だった」と指摘しました。

その上で「大変に実直かつ誠実な方だったというのが私の印象で、み霊の安らかならんことを心よりお祈りする」と述べました。

一方、戦後50年の節目の1995年に発表されたいわゆる「村山談話」の評価を問われたのに対しては「立場を引き継いでいるということに尽きる。評価するというようなせん越なことはすべきではないし、評価は歴史がするものだ」と述べました。

自民 高市総裁「新人議員にも声をかけてくださった」
自民党の高市総裁は17日午後、党本部で記者団に対し「心からお悔やみを申し上げる。 私が初当選したよくとしに『自社さ政権』が発足し、村山総理大臣が就任したが、大変なことが次々と起きた。特に阪神・淡路大震災では大変苦しい思いをしながら対応していた。本当に優しい方で、私のような新人議員にも声をかけてくださった」と述べました。

その上で「『自社さ政権』の枠組みの中で、日米同盟を認めるかどうかなど非常に大きな政策転換をして党内を説得するのにも大変な思いをしながら、責任を持って国を率いた方だ。今、私自身、多くの国民の暮らしの安心を取り戻し、未来に希望を持ってもらうため、安定した政権をつくろうと考えて動いている。村山元総理の強さと優しさを思いながら哀悼の誠をささげたい」と述べました。

立民 野田代表「先輩の総理大臣としてリスペクト」
立憲民主党の野田代表は記者団に対し「先輩の総理大臣としてリスペクトの念を持っていた。連立政権で非常にご苦労があったと思うが、しっかりとこなされたことに敬意を表すとともに心から哀悼の誠をささげたい」と述べました。

国民 榛葉幹事長「大変な時代 乗り越えた総理」
国民民主党の榛葉幹事長は記者会見で「心からお悔やみ申し上げ、哀悼の誠を捧げたい。日本政治が混とんとしているときに、自民党の政局の中から、まさにウルトラCで社会党から総理大臣を出し、大きな歴史の転換点だった。『永田町の政治はドラマティックだな』と鳥肌が立ったのを覚えている」と述べました。

その上で「阪神淡路大震災など大変な時代を乗り越えられた総理だと思う。政局的、政治的にはさまざまな評価や賛否があることは承知しているが、1つの時代を生き抜いた国会議員の先輩だ」と述べました。

公明 斉藤代表「被爆者支援の道を開いた」
公明党の斉藤代表は国会内で記者会見し「安全保障政策の転換を含め、しん吟しながらも責任ある国家運営に努めていた。公明党が法案提出を重ねていた被爆者援護法が村山政権下で国家補償を含まないある意味、不十分な内容ながらも成立し、その後の被爆者支援の道を開いたことは非常に大きな仕事だったと評価している。心より哀悼の意をささげる」と述べました。

共産 田村委員長「こんにちに受け継ぐべき 大切な談話に」
共産党の田村委員長は記者団に対し「『村山談話』で過去の侵略戦争と植民地支配についてしっかりと反省の弁を述べた。こんにちに受け継ぐべき、大切な談話になったと考えており、心からの哀悼の意を表したい」と述べました。
Posted at 2025/10/17 20:43:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | つらつらと | 日記
2025年10月17日 イイね!

帰還しました(´・ω・)

帰還しました(´・ω・)帰還しました
(´・ω・)

金曜日です
(´・ω・)

そう言えば
ファンフラ9時間フルで聞けたの前はいつだったかなあ
(´・ω・)

休みたい(吐血
(´・ω・)

みんカラだって死んだんだ
(´・ω・)アタシだって休みを取っても良いだろう(なに

てか、帰って来ても
まだまだ艦これメンテナンス中とか
(´・ω・)耐えられないのですけども(え
Posted at 2025/10/17 18:04:32 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「艦これセキュア化メンテナンス完了のお知らせ ( ・ω・)ノ http://cvw.jp/b/3427091/48717104/
何シテル?   10/18 08:04
週末や休みごとにディーラーやショップに出没する、 かなり間違ったホンダ・ライフ(JB1)オーナーですが( ゚Д゚)ナニカ? 長いことみんカラ登録...
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