
「グエー死んだンゴ」死後の投稿きっかけに数千件の寄付集まる
2025年11月1日午前6時55分
IT・ネット
がんのため22歳で亡くなった男性がSNSに投稿したつぶやきをきっかけに、研究機関や病院などへ数千件の寄付が集まり、男性の父親はがんの治療や研究に役立ててほしいと話しています。
札幌市の中山奏琉さんは、おととし北海道大学に入学した直後に「類上皮肉腫」という希少がんと診断され、闘病しながら旧ツイッターの「X」に投稿を続けていました。
そして、10月13日に奏琉さんが亡くなったことを知らせる、友人からとみられる書き込みがあり、その翌日、奏琉さんのアカウントにひと言、「グエー死んだンゴ」というつぶやきが投稿されました。
投稿は奏琉さんが生前に予約したものとみられていますが、亡くなったあとに本人が投稿したように見えたことや、つぶやきがかつてインターネットでよく使われたフレーズだったことなどから注目され、3億回以上表示されました。
これを受けて、Xでは追悼のメッセージとともにがんの研究機関や病院などへ寄付を呼びかける投稿が相次ぎ、このうち、東京・江東区にあるがん研有明病院を運営する「がん研究会」には10月17日から31日までにおよそ2000件、合わせて1000万円を超える異例のペースで寄付が集まっているということです。
父親「投稿通じて心の内を見られたよう」
父親の和彦さんはNHKの取材に対し、息子の投稿は知らなかったとした上で「寄付の広がりは率直にうれしいです。奏琉のような患者が助かるよう治療や研究に役立ててほしい。奏琉は寄付が広がっているのを見てびっくりしているかもしれませんし、してやったりの顔をしているかもしれません」と話していました。
また「息子は大学にほとんど通えず、ペラペラしゃべるタイプでもないと思っていたのですが、たくさんの友人が毎日のように見舞いに来てくれていました。小さいころから一度決めたことは頑張るタイプで、がんが見つかってからも家族にはつらいとか苦しいとは言いませんでしたが、Xの投稿を通じて心の内を見られたように感じました」と話していました。
投稿きっかけに集まったとみられる寄付1500万円超
「グエー死んだンゴ」のつぶやきをきっかけに集まったとみられる寄付は1500万円を超えています。
「X」では「少しでもがん研究が進み、若い方の命が救われますように」とか「母親ががんで亡くなり、この方は22歳とのことで少額だけど寄付した。がんが完治する世になりますように」などというメッセージとともに、がんの研究機関や専門病院などに寄付する動きが広がりました。
このうちがん研有明病院を運営する「がん研究会」に10月17日から31日までに寄せられた個人からの寄付はおよそ2000件で、金額は1000万円を超えているということです。
中には「希少がん研究の一助になることを願っています」とか「今後のがん研究により多くの命が救われることを祈って」といったメッセージが添えられているものもあったということです。
件数は例年と比べ10倍以上のペースで増えているということで、がん研究会ではこうした寄付を病院の検査機器のほか、治療薬の研究開発に使う装置などの購入にあてているということです。
がん研究会の川口武史社会連携部長は、「研究機関や病院の経営が非常に厳しい状況の中で多くの方から寄付をいただき、研究と医療を前に進めることができています。がん患者や今後の研究に資する内容に使わせていただきたいと思います」と話していました。
また、国立がん研究センターでも具体的な件数や金額は公表していないものの、寄付が増えているということです。
寄付の輪はがんに限らず、研究者の支援などにも広がっていて、ノーベル生理学・医学賞の受賞者の大隅良典さんが設立した財団によりますと、「X」で寄付を呼びかける投稿があったのをきっかけに10月26日ごろから31日までに1150件余り、およそ550万円の寄付が集まったということです。
件数でみるとこの1週間ほどで1年間の3倍ほどの寄付が集まっているということで、財団では基礎研究への助成などにあてることにしています。
大隅さんは、「インターネットというメディアで若い世代の方に財団の活動を理解いただき、趣旨に賛同して寄付をいただけるのは大変ありがたい」とコメントしています。
奏琉さん 大学入学後にがんと診断 入院生活余儀なく
父親の和彦さんによりますと、息子の奏琉さんは北海道津別町出身で、小学校から高校までソフトテニスに力を入れ、全国大会に出場したこともあったということです。
機械やコンピューターの勉強をしたいと北海道大学に入学したおととしの夏ごろ、背中に痛みを感じるようになりました。
同じ年の10月、「類上皮肉腫」という非常にまれながんと診断され、手術を受けたものの、1年ほどたった去年11月に再発がわかったということです。
奏琉さんはことし8月に容体が急変して救急搬送されてから入院生活を余儀なくされました。
亡くなる数日前は痛み止めなどの影響でほとんどの時間をベッドの上で過ごす状況だったということで、時折目を覚まして「のどがかわいた」などと話し、父親の和彦さんは「水を飲むかい」などと声をかけていたということです。
同じ頃、奏琉さんの「X」のアカウントには「多分そろそろ死ぬ」というつぶやきが投稿されています。
奏琉さんが亡くなったのはその投稿から2日後の10月12日午後10時50分ごろでした。
父親の和彦さんによると眠るように亡くなったということです。
その後、投稿された「グエー死んだンゴ」というつぶやきは、インターネットの匿名掲示板で暴言などにショックを受けたときに使われる決まり文句です。
Xで寄せられた追悼の投稿の多くには、返答のフレーズとして使われている「成仏してクレメンス」というメッセージが添えられていました。
Posted at 2025/11/01 08:02:32 | |
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