
プロ野球 巨人 田中将大 日米通算200勝達成 史上4人目
2025年9月30日午後9時05分
(2025年9月30日午後11時49分更新)
プロ野球
プロ野球、巨人の田中将大投手が30日夜、中日との試合で勝ち投手となり、日米通算200勝を達成しました。
記事後半では田中投手のこれまでの歩みを振り返っています。
目次
3項目
“3度の足踏みも 気持ちを切らさず”
◇田中将大(たなか・まさひろ)投手とは
日米通算200勝まであと1勝としている田中投手は30日、東京ドームで行われた中日戦で先発しました。
田中投手は「自分の出せる力を全部出し切る」と1回、2アウト二塁で中日の4番・ボスラー選手をセンターフライに打ち取り、0点に抑えました。
打線はそのウラ、1点を先制し、さらに2アウト一塁三塁のチャンスで6番の中山礼都選手が左中間に2点タイムリーツーベースを打って田中投手を援護しました。
田中投手は3回、細川成也選手にツーランホームランを打たれましたが、多彩な変化球をうまく操りながら打たせてとるピッチングで、6回2失点と3対2でリードしたままマウンドを降りました。
このあと、4人のリリーフピッチャーがリードを守り、試合は巨人が4対2で勝ち、田中投手が今シーズン3勝目をあげました。
この結果、田中投手は、プロ野球通算122勝とし、大リーグ、ヤンキース時代の78勝と合わせて日米通算200勝を達成しました。
日米通算で200勝を達成したのは、野茂英雄さん、黒田博樹さん、 それに、大リーグ、パドレスのダルビッシュ有投手に続いて史上4人目です。
“本当に長い時間がかかった”
田中投手は、試合終了の瞬間、はにかんだような笑顔を見せ、帽子を取って東京ドームの大歓声に応えました。
そして、同学年の坂本勇人選手から花束を受け取ると、満面の笑みを見せて喜んでいました。
そのままグラウンドで行われたヒーローインタビューで田中投手は「本当にうれしいです。ここまで本当に長い時間がかかったし、ジャイアンツに入団してから早く本拠地で勝ちたい、ヒーローになりたいと思っていた」と話しました。
ウイニングボールは「家に置いておきます」と笑顔で答え「きょうは持てる力をすべて出し切ってマウンドを降りるという気持ちで試合に臨んだ。いちばんの支えは応援してくれる家族の存在だが、僕の野球人生に携わってくれたすべての人に感謝したい」と感謝の気持ちを話しました。
そしてチームがクライマックスシリーズに進むことを踏まえて「きょうこれで終わりということはない。ここから先、勢いに乗って戦っていきたい」と力強い表情で話しました。
注目
「すごく苦しかった」
田中将大投手は試合後の会見で「すごく苦しかったし、時間がかかったが乗り越えることができてこの数字にたどり着けた。自分にとって大きな1勝になった」と喜びを語りました。
田中投手はまず「感無量です。試合から少し時間がたったが自宅に帰ってからの方がもっと実感がわいてくると思う。まだ今はふわふわしている感じ」とほっとした表情で語りました。
6回2失点と好投したピッチングについては「1回に味方が3点を取ってくれたことが大きかった。キャッチャーの小林誠司選手とは1軍では初めてバッテリーを組んだが、2軍で組んでいろいろと話していた。違和感なく試合に入れたしリズムよく引っ張ってくれた。ホームランを打たれた球は小林選手のサインどおりに投げられず反省点ではあるが、そのあとずるずるいかずによかった」と振り返りました。
そしてルーキーイヤーの2007年から積みあげた200勝のうち、思い出深い試合は「あまりない」としながらも「もちろんきょうは特別だし、200という数字が近くなってから本当にいろんなことがあった。みなさんが知らないところでもいろいろあった。その分すごく苦しかったし、時間がかかったけど乗り越えることができてこの数字にたどり着けた。自分にとって大きな1勝になった」とかみしめていました。
また楽天で新人から3年間、監督として指導を受けた野村克也さんに対しては「『やりましたよ』って伝えたい。野村さんからは『時間かかりすぎだ』って言われると思う」と恩師に思いをはせました。
そのうえで今後に向けて「根底にあるのはもっとうまくなりたい、相手を抑えたいという気持ち。自分自身ここがゴールとは思っていない。クライマックスシリーズと日本シリーズに向かっていくし、日本一になるチャンスがある。勢いに乗ってポストシーズンを戦っていきたい。自分としては今後も1つでも多く勝ちたいしチームに貢献したい」と新たな決意を語っていました。
“3度の足踏みも 気持ちを切らさず”
田中将大投手は、199勝目をあげてから1か月以上、実に3度の足踏みを経て、節目の200勝にたどり着きました。
自身にとって当たり前となった“前に進む”力で気持ちを奮い立たせてつかんだ1勝でした。
田中投手は8月21日のヤクルト戦で5回1失点と好投し日米通算199勝目をあげ、史上4人目の快挙に王手をかけました。
しかし、その1週間後の広島戦では2回5失点で負け投手となって1軍の出場選手登録から外れ、2軍での調整を余儀なくされました。
調整を経て9月15日のDeNA戦では6回2失点と好投したものの、粘り切れずに負け投手、さらに、21日の中日戦では6回途中まで投げて5失点を喫し、3試合連続で負け投手となっていました。
偉業達成を目前にして、ファンも期待するなかでのまさかの3度の足踏み。
それでも、気持ちを切らすことは決してありませんでした。
プロ生活19年間で当たり前に日々の生活の一部となった“前に進む”力で気持ちを奮い立たせてきました。
田中投手は、「もちろんずっといい気分で過ごせるのが一番いいと思う。でもみなさんも同じだろうが、仕事をしていてすべてがすべてうまくいくわけじゃない。気持ちを切り替えて前に進むっていうことは朝起きて歯磨きをするのと一緒で生活の一部。自分のなかで特に意識することはなく、当たり前のように整理して『こうやっていこう』と前に進む。その繰り返し」と、敗れた直後は気持ちが沈んだとしてもすぐに気持ちを切り替え、よくじつ以降、目の前の1勝に向けて後輩たちとともに、地道に懸命に練習に励んできました。
そしてきょう、レギュラーシーズン最後の登板でたどりついた史上4人目の偉業達成。
田中投手は試合後、「うまくいかないことはたくさんあるが、立ち向かっていかないと乗り越えられない。目をそらした時点でクリアすることができない。前に進み続ける」と力強く語りました。
これからも当たり前のように“前に進む”力で己を奮い立たせる姿を見せてくれるはずです。
◇田中将大(たなか・まさひろ)投手とは
田中将大投手は、兵庫県出身の36歳。
北海道の駒大苫小牧高校では、2005年の夏の全国高校野球で2年生ながら投手陣の柱として大会連覇に貢献し、翌年には決勝で早稲田実業の斎藤佑樹投手と投げ合って引き分け再試合を戦い、高校野球の歴史に残る試合を繰り広げました。
2007年に高校生ドラフト1巡目で楽天に入団し、当時の監督だった野村克也さんのもとで1年目から11勝をあげて、新人王に輝きました。
新人から3年間、指導を受けた野村さんからは「マー君、神の子、不思議な子」と評されました。
東日本大震災が起きたプロ5年目の2011年には、19勝5敗の成績で、最多勝や最優秀防御率などのタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれました。
そして2013年には、当時の監督・星野仙一さんのもと24勝0敗と驚異的な成績を残して、楽天を球団創設以来、初めてのリーグ優勝に導きました。
巨人との日本シリーズでは、第6戦に160球を投げながら第7戦の9回に抑えとして登板し気迫のピッチングで日本一をつかみ取りました。
翌年にはポスティングシステムを利用して大リーグ・ヤンキースに移籍し、1年目から13勝をあげるなど入団から6年連続で2桁勝利をあげました。
2021年に楽天に復帰しましたが、昨シーズンはプロで初めて1勝もできないなど復帰後の4年間は20勝33敗でした。
日米通算200勝まであと3勝に迫る中、楽天を自由契約となり、今シーズン、巨人に加入していました。
阿部慎之助監督 “ドキドキしながら見ていた 信じていた”
巨人の阿部慎之助監督は、日米通算200勝を達成した田中将大投手について「ドキドキしながら試合を見ていたが、最近数試合はずっとゲームを作ってくれていたので信じていた。時間はかかったが頑張ってくれた」とねぎらいました。
また、5回を76球2失点でまとめた田中投手を6回も続投させたことについては「自分でいってほしいという思いがあったので続投させた」と話した上で、6回を投げ終えた際に監督みずから声を掛けていた場面については「『まだ投げたいか』と聞いたところ、『もういいです』と言われたので交代した」と明かしました。
“変化を恐れていたら進化はない”
田中将大投手は、かつての姿とは大きく違う変化球主体のピッチングで節目の日米通算200勝をあげました。
“変化を恐れていたら進化はない”という向上心のたまものでした。
かつて田中投手は、150キロを超える力強い剛速球に鋭く曲がるスライダー、バッターの足元で急に落ちるスプリット、気迫のピッチングでバッターをねじ伏せてきました。
しかし、そのピッチングスタイルはキャリアを重ねるなかで変化していきました。
今シーズン、前回までの登板のストレートの平均球速は145キロ。
200勝を達成した試合では、カットボールやスプリット、それにスライダーといった多彩な変化球で打たせてとるピッチングでした。
偉業はかつての姿とは大きく違ったスタイルでつかんだものでした。
プロ19年目の36歳、キャリアを重ねるなかでもバッターを抑えるために変化を恐れなかった向上心のたまものでした。
田中投手は「変化を恐れていたら進化はできない。停滞していたら終わり。すぐにできることではないし、うまくいくことばかりではないが、自分がよくなるためにトライしていかないといけない。若いときであろうと年を重ねてからであろうとそこは変わらない」と淡々とした表情で語りました。
今後も田中投手が自分自身とどう向き合い、変化し、マウンドでどんな姿を見せるのか注目です。