
大阪・関西万博が閉幕 最後まで楽しもうとする人で混雑
2025年10月13日午後0時02分
(2025年10月13日午後10時45分更新)
大阪・関西万博
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、半年間にわたって開かれてきた大阪・関西万博は、13日午後10時に閉幕し、会場は、万博を最後まで楽しもうとする多くの人で混雑しました。
どんな様子なだったのか、詳しくお伝えします。
目次
2項目
《午前》 来場者から惜しむ声や感謝の声
《午後》 閉会式 お祭りがテーマのイベント
《午前》 来場者から惜しむ声や感謝の声
158の国と地域、7つの国際機関が参加して、ことし4月から半年間にわたって開かれてきた大阪・関西万博は、きょう午後10時に閉幕しました。
会場の東ゲート前は、12日夜から入場を待つ人が出るなど、13日朝早くから大勢の人で混雑する中、予定より20分早い、午前8時40分に入場が始まりました。
来場者たちから惜しむ声 64回訪れたという女性も
期間中に64回会場を訪れたという40代女性(大阪)
「雰囲気がすごく好きなので、最後ということで泣きそうです。最後に大屋根リングを歩きたいです」
8歳の女の子(神奈川)
「万博は楽しいのに、なくなっちゃうのは悲しいです。きょうはみんなでいっぱい遊びたいです」
午前の会場では、
▽パビリオンのスタッフなど1500人以上が「大屋根リング」にのぼり、互いに手をつなぎあって連帯を示す催しが開かれたほか、
▽アメリカパビリオンの前では、来場者に感謝を伝えるため、スタッフが非売品のピンバッジやポロシャツ、アメリカの国旗などをプレゼントする光景も見られました。
また、閉幕に先立って、「大阪・関西万博宣言」が発表され、「分断という言葉がより強く語られ始めている中、さまざまな文化が1つの場に集い、つながるリアルなイベントとして多くの人々を魅了した」などと、今回の万博の意義や成果を強調しました。
大型テントの壁に感謝の寄せ書きも
民間パビリオンの「電力館」では、建物を覆う大型テントの壁に寄せ書きをつづる場所が設けられ、来場者が黒のペンで「184日間ありがとう」とか「万博があったから病気に負けないで治療を終えることができた」などと万博への感謝を書き込んでいました。
電力館の岡田康伸館長は「ここまで来場者の熱量、熱意を感じるような万博になると思っていなかった。楽しかったというコメントが一番うれしいです」と話していました。
《午後》 閉会式 お祭りがテーマのイベント
午後からは会場内のホールで、秋篠宮ご夫妻が出席されたほか、石破総理大臣なども出席して、閉会式が行われました。
秋篠宮さまはおことばの中で、「多くの人々が、ここ夢洲に集い、つながり、相互理解を深め、人類が直面している共通の課題への解決策について共に考える機会を得たことは、非常に意義深いことと思います。これからも世界が手を携え、『いのち輝く未来社会』を創り上げていくことを期待しております」と述べられました。
続いて、BIE=博覧会国際事務局の旗が、2030年の次の万博の開催地、サウジアラビアの首都リヤドの関係者へと引き渡されました。
また、閉会式では石破総理大臣があいさつし、「開会式では再び世界の人々が対話し交流する舞台を提供すると申し上げた。『多様でありながら、ひとつ』のメッセージのとおり、わくわくする夢のような出会いの場になった」と振り返り、参加した国や地域、国際機関、そしてすべての関係者に謝意を示しました。
その上で「『分断よりも連帯』『対立よりも寛容』を大切にし、心を一つにしてすばらしい万博をつくり上げることができた。新しい日本の幕開けになり、地方創生にもつながった」と成果を強調しました。
これに先立って、石破総理大臣は公式キャラクター「ミャクミャク」に「個性的で愛くるしい姿を生かし万博の魅力を国内外に発信した」として、感謝状を手渡しました。
また、博覧会国際事務局のケルケンツェス事務局長と面会し、運営への協力に謝意を伝えました。
このあと記者団に対し「命とは、未来とは何なのかを、日本人、そして世界の人たちが考える機会になり、政府や地元、経済界が心を一つにして大きな成功を収めた。新しい日本がここから生まれていくという実感を持った」と述べました。
お祭りがテーマのイベントや「フラッグパレード」も
このほか、会場では、閉幕を盛大に祝おうと、お祭りをテーマにしたイベントが開かれたほか、公式キャラクターの「ミャクミャク」をはじめ、参加した国と地域の旗を掲げた人々による「フラッグパレード」なども行われました。
さらに日が暮れると、花火やドローンショーが会場の夜空を彩り、万博を最後まで楽しもうとする多くの人で混雑していました。
閉幕後、万博会場は順次、解体や撤去作業が行われ、2028年2月までに大阪市に敷地が返還されます。
万博のシンボル「大屋根リング」は、北東部分、およそ200メートルを保存することが決まっているほか、今後、会場の跡地は、大阪府・市が選定した民間の事業者が開発を行う予定です。
万博の大阪での開催が決まってから7年。
開催に向けては、官民によって巨額の資金が投じられました。
国際交流や先端技術など、万博で生まれたものをどのような形で将来へとつないでいくのかが問われています。
博覧会協会 十倉会長「成果を将来世代に引き継ぐことが任務」
大阪・関西万博の実施主体である博覧会協会の十倉雅和会長は会見を開き、閉幕日を迎えた万博について、「世界が激変し、分断の危機に直面している中で、160を超える国や地域、国際機関が夢洲に一堂に会し、ともに作り上げた万博は『多様でありながら、ひとつ』を再認識することができ、日本や世界にとって意義深いことだった。見て、触れるだけではなく、会場内の交流や対話を通じて、五感で世界と未来を感じることができた」と強調しました。
その上で、「万博の成果を将来世代に引き継いでいくことが重要な任務だ。未来社会の実験場として発信したAI=人工知能やロボットなどの最先端技術を社会実装につなげていき、目に見える大屋根リングとともに、成果を将来に引き継いでいきたい」と述べました。
「もう戦争は必要ない」恒久的平和願う声 ハマスの人質解放で
パレスチナのガザ地区で、イスラエルとイスラム組織ハマスが停戦し、ハマスに拘束されている人質が解放されたことについて、大阪・関西万博の会場を訪れた双方の関係者からも、恒久的な平和につながってほしいと願う声が聞かれました。
イスラエルから観光で訪れた20代の男性は「とても感動的な日です。私たちは人質やその家族についての情報を常に気にかけてきたので、とてもうれしい」と話していました。
友人の20代の女性は「人質の解放はすばらしいことです。2年以上待ち望んだこの日がついに来たのです」と喜びをあらわにした上で、「ただ平和がほしい。もう戦争は必要ありません」と平和への切実な願いを口にしました。
一方、パレスチナ暫定自治政府の駐日代表部のワリード・シアム代表は万博の閉会式に出席したあと、NHKのインタビューに応じ「これがイスラエルによる、ガザ地区とパレスチナのすべての領土に対する侵略の終わりの始まりであってほしい。またイスラエルが刑務所に収容している多くのパレスチナ人たちも解放されることを、私たちは希望を持って見守っている」と述べました。
その上で「ガザ地区の80%以上が完全に破壊され、人々はがれきの中に戻ることになる。冬が近づいている今、再建を早急に進めなければならない。人々はこの2年間、十分に苦しんできた。水や医薬品、そして安全な居住地が必要だ」と強調し、国際社会に支援を呼びかけました。
運営費 230~280億円ほど黒字見通し 入場者増加やグッズ販売で
今回の万博の運営費の収支は、入場者の増加に加えて、公式キャラクターの「ミャクミャク」などグッズの販売が好調で、230億円から280億円ほどの黒字となる見通しです。
ただ、最終的に黒字額が確定するのは、万博の実施主体である博覧会協会が解散する2028年3月以降となります。
閉幕後の協会の職員の人件費や、入場者にかんするデータの保存や管理にかかる費用などを精査する必要があるためです。
博覧会協会によりますと、黒字となった分の使いみちについては、政府が有識者による会議を立ち上げて、万博の成果を検証し、議論を行う予定だということです。
そうした中、万博のシンボル「大屋根リング」をめぐり、北東部分、およそ200メートルを保存するために必要な改修費用について、大阪府・市や経済界からは「万博の剰余金を活用すべき」という声も出ていて、今後の焦点となりそうです。
ミラノ・コルティナ五輪・パラPR 一日限定スケートリンクも
来年、イタリアで行われるミラノ・コルティナオリンピックとパラリンピックをPRする催しが、13日が閉幕日の大阪・関西万博で開かれ、これまで半年間にわたって一般公開されてきた聖火リレーのトーチが返還されました。
大阪・関西万博のイタリアパビリオンの前で開かれた催しでは、2014年のソチオリンピックで銅メダルを獲得したフィギュアスケートのカロリーナ・コストナーさんなど、イタリアの元選手2人が、大会の聖火リレーで使われるトーチを持って登場しました。
これらは、ことし4月から半年間にわたってイタリアパビリオンで一般公開されてきましたが、万博の閉幕日となった13日、イタリアに持ち帰るための特別なケースに、2人がそれぞれのトーチをおさめ、大会の組織委員会に返還されました。
会場には、13日一日限定のスケートリンクも設けられ、訪れた人たちが次々と中に入って、スケートを楽しんでいました。
コストナーさんは催しのあと、「オリンピックとパラリンピックは、ただ勝ち負けを競うのではなく、選手たちが自分の最大の力を引き出して、どこまで頑張れるのかを示すことに大きな意味がある。ぜひ、イタリアに来て競技を観戦してもらいたい」と話していました。