
1939年8月26日午前10時27分
盛大な出発式と大歓声の中
東京飛行場(現・羽田空港)から
銀色の美しい機体が飛び立ちました。
「ニッポン号」が世界一周飛行へ飛び立ったのです
翼長25メートル、全長16メートルのスマートな飛行機の
巡航時速は260キロ。
機長・中尾純利、操縦士・吉田重雄、機関士・下川一、
技術士・佐伯 弘、通信士・佐藤信貞、の5氏が
操縦・運航に当たり、新聞航空部長・大原武夫が同乗
していました。
この日は3万人の人々が見送ったとされています
また出発式の模様はNHKラジオで実況中継され多くの
国民が耳を傾けました。
「ニッポン号」の世界一周飛行はは、東京日日新聞社(東日)・
大阪毎日新聞社(大毎)が1938(昭和13)年、単機で太平洋と
大西洋の2大洋を無着陸横断する壮大な航空事業の計画を
立てた事に始まります。
これは前年の37(昭和12)年4 月、ライバルである
朝日新聞社が国産機「神風」で東京−ロンドン間
の飛行を成功させたことに対抗したもので、社運をかけた事業でした。
コースは東回りで北太平洋を横断して北米、南米の各国を歴訪した。
南米から南大西洋を横断し、アフリカ訪問後は、第2 次世界大戦ぼっ発
のため当初予定していた英仏への訪問を変更、スペイン、イタリアなど
欧州、そしてアジア各国を回り10 月20日午後1時47分、羽田に帰還しました。
地球一周飛行は、所要日数56 日、所要時間194 時間、
航程5万2860キロに及び、当時の日本の工業水準の高さと操縦技術、
計画遂行の確かさを世界に示すこととなります。
「ニッポン号」に使用された機種は三菱重工製で、1939年7月に九州の基地から出撃し中国大陸を攻撃し、世界初の渡洋爆撃として世界を驚かせた実績を持つ海軍の「九六式陸攻」の機体をベースにした双発輸送機。改装で中に倉庫を設け胴体がなめらかにされています。
エンジンは三菱が開発した「金星」発動機(空冷式)が優れ、成功に大きく寄与しました。
当時の盛り上がりは時代もあってか、こんな歌も出されています。
ブログ一覧 |
飛行機 | 趣味
Posted at
2010/08/26 21:54:28