
たぶん、日本で好まれない飛行機は
爆撃機ではB29 スーパーフォートレス、
戦闘機ではこのF6F ヘルキャットでは
無いでしょうか?
太平洋戦争を経験した方にお話を 聞くと
機銃掃射をしてくる米軍機はみんな「グラマン」の話が
出てきます日本で「グラマン」と言うと、ヘルキャットを指す場合が多く
確かにあまりよいイメージがあるとはいえない飛行機ですね
ネーミングのヘルキャットも猫の種類ではなく
性悪女、意地の悪い女というスラングから
来ています。
太平洋戦争の開始当初、驚異的な性能で
圧倒した、零戦に対して「打倒!零戦!」を掲げて
作られたF6Fの初飛行は、1942年の6月23日
そのスタイルは、決して美しいものではなく
単純に製造しやすい骨ばった形状で
頑丈である ことに重点が置かれました。
癖がない操縦性は、未熟なパイロットにも扱いやすく
熟練パイロットを育てる時間を短縮し
生残率を高める為に、パイロット背面の堅牢な装甲板、
防弾フロントガラスの他、96キロに及ぶ装甲がコクピットにも張り巡らされ
同様の装甲が、燃料タンクとエンジンにも施されました
この点は、格闘戦の運動性能を重視した為、装甲板など
皆無の日本の戦闘機とは大きく異なります。
また、エンジンも限られた出力の機関で
最大限の性能を発揮するため極力まで軽量化された
零戦に対し、大出力のP&W R-2800-10を得て余裕のある設計がなされた
F6Fは全く正反対の性格の戦闘機であり、まさに大は小を兼ねる
といった感のある設計です。
この無難で堅実な設計が、対日本機に多いに性能を発揮し、
終戦まで日本機を駆逐して行くのですが以外にもF6Fの退役は早く
太平洋戦争終盤から徐々に第一線からは引き揚げられ、
第二次大戦が終結すると急速に退役してゆきます。
これは、あくまでもF6Fが、後継機であるF4Uコルセアまでの
ワンポイントとして米国海軍に採用された為で、残ったF6F
は戦後、一部が西側諸国へ供給されましたが、多くが標的機として
最後を迎える事となります。戦時中華々しい活躍をした戦闘機としては
ちょっと寂しい終わり方ですね・・・・・
しかし、F6Fが日本人に与えたインパクトは、大きく航空自衛隊が
F-104スターファイターを採用する時にライバルになったのは
https://minkara.carview.co.jp/userid/360315/blog/21381013/
グラマンF-11を改良したスーパータイガーでした、
当局者の頭の中には、戦時中さんざん痛い目を見た「グラマン」の幻影が
あったのかもしれません。
画像は、仏エレール社のボックスアートです。
F6Fのボックスアートは米海軍のものが
航空母艦を背景にしているか日本機を相手にしてるものが多いのですが
戦後にフランスへ供給されたF6Fを描いたエレール社の物は
背景のインドシナの風景とマッチしていい絵だと思います。
ブログ一覧 |
飛行機 | 趣味
Posted at
2011/06/23 22:40:22